表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/7

転移変身ストライダー!

 昔っから早起きして、ヒーローが活躍するテレビ番組を観る日曜日の朝が大好きでした。

 すっかり大人になってしまった今でも、時々ポーズを決めて「変身!」と叫ぶ日々への憧れは消えません。でもよくよく考えると、ヒーローが戦ってなんとかなる悪者って現実には居ない気がします。

 だったら異世界に行ってもらって、思う存分戦ってもらおう。そんなコンセプトのお話です。

 誰もが知っている日本の変身ヒーローは、果たして異世界でどんな活躍をしてくれるのか。

 楽しみながら書けたらいいなあ、と思います。


 志村英雄、という名前に聞き覚えのある人は、百人に一人くらいいるんじゃないだろうか。


 歴代最年少、十五歳で特撮ヒーロー番組の主演に大抜擢。

 まあまあの容姿に人並み以上に高い運動能力、そして話題性に事欠かない脚本に恵まれたことで、ただの中学生でしかなかった彼の名前は瞬く間に世の人達に知れ渡ることとなった。


 一年間のテレビシリーズは好評のうちに終わり、子ども向けのおもちゃの売れ行きも上々。

 これからは俳優業に専念するのか。

 それとも歌やバラエティの世界に進出し仕事の幅を広げていくのか。

 

 華々しいデビューを飾った志村英雄のその後は、というと。


「まぁたやりやがったのか、ヒデオっ! お前、いい加減にしろよ!」


 警察署の生活安全課で、所属プロダクションのマネージャーに怒鳴り散らされていた。


 どうも、俺がその志村英雄です。

 あれから二年で十七歳。おかげさまで売れない芸能人まっしぐらです。


「八重樫さん、うるさいっすよ。ここ、警察署の中なんすから、声落とさないと迷惑っす」

「お前が言うんじゃねえ! 誰のせいだと思ってんだ!」


 ドアを開けるなり、目をつり上げてがなり立てるメガネにスーツのおっさん。

 俺のマネージャー兼保護者でもある八重樫さんは、鼻息も荒く俺に詰め寄ってくる。


「今度はなにやった! え? 言ってみろ、この馬鹿野郎!」

「まあまあ、八重樫さん、落ち着いて。ただの喧嘩ですよ。大したことじゃありません」


 俺のパーカーの胸ぐらを引っ掴んでガクガクと揺らす八重樫さんをなだめるような、間延びした声。

 生活安全課の警察官である大垣さんが、書き物をしていた手を止めて苦笑いをこっちに向けてくる。


「毎度毎度、うちのボケナスがすみません。それで、今回はどういったご迷惑を……」

「簡単に言うと、男女間のトラブルの仲裁、ですかねえ。道端で女性に手を挙げそうになってる男がいまして、止めに入ったヒデオくんに逆上。殴るわ蹴るわの大立ち回りだったようです」

「ちなみに大垣さん、俺、一発ももらってないですからね」

「黙ってろ! あの、経緯は察しましたが、相手の方はどのようにおっしゃっているんでしょうか?」

 口を挟んだ俺を睨み付けてから、八重樫さんは恐る恐る尋ねる。


「ま、女性の方は感謝されていたようでしたし、男の方も後ろめたいことがあったんでしょう。軽くアザくらいはこさえてましたが、被害届を出すようなことはせんでしょうな」

「良かった……ったく、お前は毎度毎度。訴えられてたらどうするつもりなんだ」


 特に大きな問題になりそうにないことがわかったらしい。八重樫さんが少し安心したように息を吐く。

 そりゃ所属芸能人のトラブルは責任問題だろうから、心配する気持ちはわかるけどさ。


「……俺は、間違ったことはしてない」


 こうも頭ごなしに問題児扱いされたら面白くない。

 ガキっぽいとは分かっていても、俺はつい本音を口に出してしまう。


「ああ? 何言ってんだお前、一歩間違えば傷害事件だぞ! おかしいに決まってんだろ!」

「俺が止めなきゃ、あの女の人は殴られてたんだぞ! そんなの見過ごせるかよ!」

「馬鹿! お前、いつまでガキのヒーロー気取ってやがんだ! そんなんだから行く先々でトラブル起こして仕事がパァになるんだろうが!」

「うっせえ! おかしいことにおかしいって言って何が悪いんだよ! そんな仕事、こっちからご免だね!」

「こんのっ、何様のつもりだ、てめえ!」

「様がつくほど偉くなきゃ口答えもすんなってか、あぁ!」


 鼻と鼻がぶつかるような距離で俺は八重樫さんと睨み合う。この分からず屋はいつもこうだ。


 こないだの舞台の仕事で大御所役者の尻を蹴っ飛ばしたのは、演技指導とか言って新人の女の子にセクハラしてやがったからだ。

 ロケ番組に呼ばれた時にスタッフと大喧嘩したのは、あいつが子どももたくさんくる公園で煙草の吸い殻を投げ捨てやがったから。他にも色々あったけど、俺はいつだって胸を張って言える。


 悪いのはあいつらだ、ってな。


「……ハア、お前な、もうちょっと大人になれって。俺だってな、気持ちはわかるけどよ。いっつもやり方が間違ってんだよ」


 目をそらした八重樫さんが、目元を押さえて呆れたように息を吐く。

 またそれかよ。


「誰もやらないから、間違ってても俺がやるしかないだろ」

「それで起こした面倒事の後始末は人任せか? だからガキだってんだ!」


 バン、と、八重樫さんは俺が座っていた机を平手で叩く。話はこれで終わりということらしい。


「もういい。今回までは俺が尻拭いしてやる。でもな、次やったらもう知らんからな」


 八重樫さんは忌々しそうに唸りながら、踵を返して入ってきたドアへ進む。


「おい、どこ行くんだよ」

「便所!」


 ガアン、と力任せに閉じられたドアの音が部屋の空気を震わせた。

 あんな鬼みたいな形相で警察の中を歩き回って、逮捕されねえだろうな、あの人。


「いいマネージャーさんだねえ、志村君」

「……それ本気で言ってます?」


 俺と八重樫さんの怒鳴り合いを黙って聞いていた大垣さんの呟きが、静まりかえった部屋の中にしみじみと響く。なにをどう捉えたらそんな結論に至るんだろうか。


「そうさ。子どもを本気で叱るには覚悟がいるからね。それができない大人を私は何人も見てきた」

「あれは単に怒りっぽいだけだと思いますけど」

「あんなに怒っても、今日まで君を見捨てなかった。だからすごいんじゃないか」

「…………」


 諭すような口調の大垣さんに、俺は何も言い返せなかった。


 確かに俺は何度もここにお世話になっていて、何度も八重樫さんに迎えにきてもらっている。

 感謝すべきだってことも、恩返しがしなきゃってのも、頭じゃわかってるんだ。


「それでも納得がいかないって顔だね、志村君」


 にこにこと笑う大垣さんは、椅子の上でふてくされる俺に向き合って言う。


「正しいことがしたい。誰かを守りたい。そう思う君の気持ちはとても尊い。でも、それをいざ行動に移すとなると、気持ちだけじゃ駄目だ。力と、覚悟がいるんだよ」

「俺、大丈夫です。結構、鍛えてるんで」

「それだけじゃ駄目さ。相手が危険な武器を持っていたらどうする? 周りの関係のない人を巻き込んだら? とても大人数だったら? そもそも君が敵わないほど恐ろしい相手だったら?」

「…………大垣さんなら、どうするんですか」

「そのために私はこのバッジを持っているんだよ。自分だけじゃ駄目でも、同じ志を持った仲間がたくさんいる。私がみんなを守るんじゃない。みんなで、みんなを守る。誓いの証なんだ」


 そう言った大垣さんは、警察官のバッジを俺に向けてくる。その言葉の重みは俺にも理解できた。


「まあ、君みたいな子が勉強して、試験を受けて、警察官になってくれるなら、私も大歓迎さ。どうだい、志村君、俳優から鞍替えしちゃうってのは」

「悪くないですけど、やっぱ俺、目の前のことは放っておけないです」

「はは、それは困ったねえ」


 ぽりぽり、と大垣さんは頬を掻く。自分で言っといてなんだが、物わかりが悪くて申し訳ない。


「ただ、忘れちゃ駄目だよ。向こう見ずなだけの正しさは、かえって周りの人を傷つけるからね」


 八重樫さんが戻ってくる直前に大垣さんがぽつりと漏らしたその言葉を聞いて。

 なんでだろう。

 耳がとても痛かった。



 元ヒーロー少年、夜の町の凶行!


 俺の芸能人としての評判が地に落ち始めたのは一年前、そんな記事が新聞に写真付きで掲載されてからだった。ワイドショーやネットニュースなんかでも相当騒がれたから、知っている人は多いはずだ。


 あれは確か、俺が主演を務めさせてもらった「マスクド・アムネシアス」の最終回が放送されて、一ヶ月くらいたった日のことだったと思う。


 たまたま立ち寄ったコンビニの駐車場で、俺は生まれて初めてカツアゲというものの現場に出くわした。


 怖い顔したお兄さん三人組が、俺よりちょっと歳下の男の子から金を巻き上げようとしていたから、止めに入ったら殴り合いになってしまった。そして、その現場をバッチリ写真に撮られたという話。


 新聞やら週刊誌やらに載った写真は、俺が怖い顔のお兄さんの顔面に右ストレートを叩き込んでいる瞬間を捉えていた。あまりにも見事なショットだったので、逆に笑ってしまったほどだ。


 そこからは、あっという間だった。


 ほとぼりが冷めた頃に、今度は共演者と立て続けにトラブル。かと思えば、今日と同じように放っておけない事件の現場に出くわしたのが三回。

 今となってはもう、俺が何をしてもニュースになることすらなくなった。

 

 いや、そもそも世の中、こんなに頻繁に悪い奴と出くわすもんなのか?


 俺の運が悪いのか、それともみんな見て見ぬふりをして生きているのか。


「みくだりはんを突きつけられた、ってことなんだろうなあ」


 警察署から出た俺は、真っ暗になった空を見上げて息を吐く。


 反省したら謝りに来い。それができるまでは事務所に近寄るな。


 俺の身元を引き取る手続きを終えた後、八重樫さんはそう言い残して帰ってしまった。

 こちとら親元を離れて上京して、事務所のお情けで生活させてもらっている身だ。このまま態度を改めなければクビになって、地元に帰ることになるんだろう。


「別にいいけどな。こっちの学校、居心地悪いだけだし」


 俺が通っているのはいわゆる芸能人御用達の高校ってやつなんだが、問題を起こしてからは白い目で見られるか、馬鹿にされるかのどっちかだ。辞めたって未練はない。


「そもそも俺、何がしたかったんだっけなあ」


 子どもの頃から特撮ヒーローは大好きだった。

 それになれるのが決まった時は、涙が出るほど嬉しかった。

 撮影現場は厳しかったけど楽しかったし、これを観てわくわくしてくれている人がいるなら頑張れると思ってたんだ。

 

 だけど、今はそうじゃない。


 やらなきゃと思ったことをやったら、人に迷惑をかけてばかりだ。誰にも必要とされてない。


「あー、駄目だ駄目だ。やーめた!」


 ごちゃごちゃ考えていたら気が滅入ってきた。

 頭を振って、浮かんできたモヤモヤを強引に払いのける。


 こういう時は帰って寝る。

 起きて、気が向いたら事務所に行って、八重樫さんに謝ろう。

 気が向かなかったら、その時だ。死ぬわけじゃない。なるようになるだろ。


 ちょうど小腹も空いてきた。帰り道にカツ丼でも食って帰ろうかと歩き始めた、その時。


「も、もしかして、ヒデオくん? 志村英雄くんじゃない?」

「はい? そうですけど」


 上ずった声に呼び止められ、反射的に振り返る。


「やっぱり! そうだと思った! アムネシアスの明山大悟役の! 本物だあ!」

「はあ。ども。お世話に、なっております?」


 後ろに立っていた女の人の第一印象は、ずばり『メガネ』だった。

 トンボの眼のように丸くて大きな眼鏡だ。よっぽど度がきついんだろう。レンズがまるで一昔前の漫画みたいに渦を巻いているように見える。後ろで一つにまとめた髪は、ぼわっと広がっていてマルチーズの尻尾を連想させられた。色は明るい茶色なんだけど、髪質を見た感じじゃ地毛なのかもしれない。

 この時間にスーツをきて歩いているところから察すると、仕事帰りのOLさんってところか?


「すっごーい! 私、めっちゃファンだったの! 生で見ても格好いいんだね! あ、もしかして背伸びた?」

「あ、はは、そうっすね、多少伸びたかもしれません」


 ファン、だった。か。二年くらい前はこうやって騒がれることも多かったんだけど。

 今じゃもう、どうやって相手してたかも忘れてしまった。とりあえず愛想笑いしておこう。


「ねえねえ、今、時間ある? これにサイン書いて欲しいなー」

「いいですよ。俺のなんかでよければ」


 トンボ眼鏡のOLさんが懐から取り出したスケジュール帳に、一緒に手渡されたボールペンを走らせる。

 ヤバい。久しぶりすぎて、このサインの形が正しいか自信ないぞ。

 けど、いいか。どのみち俺のサインなんて後にも先にも価値なんて出やしないだろうしな。


「あのさ、ヒデオくん。私、君が昔インタビューで答えてた言葉、すっごく好きだったんだけど、それも一緒にかいてもらっていい?」

「インタビュー、ですか? すみません、俺、なんて……」

「ほら、君、こんな大人になりたいって言ってたでしょ? 覚えてない?」

「ああ、あれですか。思い出しました。いやあ、恥ずかしいなあ」


 多分、クランクアップの後に特撮専門雑誌で答えたやつのことだろう。そんなの覚えているなんて、ありがたいような、むずがゆいような気分になってしまう。


「はい、できました。その、ありがとうございます。そんで、すみません。俺、こんな感じになっちゃって」


 応援してくれていたんだろうに。こんな不甲斐ない奴に、俺はなってしまった。


「いやいや! こちらこそだよ! でね! 今度こそ、ほんとに最後! 一生のお願い!」

「へ?」


 ごそごそと、OLさんが肩に提げていたポーチの中からあるものを俺に差し出してきた。


「これを着けて、ポーズ取って! 写真とるから!」


 それは、見覚えのあるベルトのバックルだった。


 長方形で、真ん中に大きな円があって、街灯の光を受けて鈍く光る機械仕掛けのアイテム。

 忘れるはずがない。これは俺の変身ベルトだ。


「いや、あんた、なんでこんなもの持ち歩いて……」

「きかないで! もう少しで三十になるお姉さんの恥ずかしい秘密を掘り下げないで!」

「えええー……」


 戸惑う俺に、眼鏡の奥の眼をギラつかせたお姉さんがベルトのバックルを強引に握らせてくる。

 さあ。さあ! さあさあさあ! やってちょうだい! そんな声が聞こえてくるような圧を感じる。


「しょうがねえなあ、わかりましたよ。一回だけですからね!」


 こうなればもうやけくそだ。俺はベルトを腰に巻いて、構える。

 掲げた右手は高く、何かを掴むように。左手は脇を締めて引き、強く拳を握る。

 何百回、何千回も練習したそのポーズを体は覚えていた。

 心は錆びついてしまっても、流れるような動きを俺は再現する。最後の締めは、もちろんこの言葉。

 強く、雄々しく、優しく、叫べ!


「へんっ……」


「よし。ストライダーシステム起動」


 俺が言い切るより先に、お姉さんがぼそりとそう言った瞬間。


「ちょ、なんだこれ!」



 ぐわん、と、目の前の景色が大きく歪んだ。



 直後、俺の足下に大きな光の円のようなものが浮かび上がって、ぐるぐると回り出す。


「あんた、何しやがったんだよ!」

「んー? 驚くのも無理ないけどねえ、説明してる時間はないかなあ?」


 咄嗟に逃げようとしても、なぜか足が動かなかった。叫ぶ俺をちらりと見ながら、OLさんがトンボ眼鏡を外し、結っていた髪の毛をほどく。

 解き放たれた髪は炎のように揺れ、眼鏡の下の眼差しは背筋が凍るほどに冷たかった。


「志村英雄。あなたの役割は一つ」

「はあ? なに言ってんだよ! おい!」


 怒鳴る俺に怯む様子もなく、得体の知れない女は俺の書いたサインの下の言葉を指先でなぞる。


 真っ直ぐで、正しい大人になりたい。

 

 いつか思い描いた俺の夢を見せつけ、そいつは言った。



「世界を救いなさい。君の想いが本物なら、きっとできる」



 そして、俺は足下に開いた大きな穴に落ちた。


 途端に、重りを巻きつけられて深い深い水の底に沈んでいくような感覚が全身を襲ってくる。


 赤、青、黄色、緑、紫、青、白。

 夜空の星がまとめて落ちてきたような光の線が次から次に流れていった。

 耳に聞こえるのは自分の悲鳴だけ。喉と胸が灼けるように痛い。でも叫ばずにはいられない。

 万華鏡の中に放り込まれ、カクテルのようにかき回される時間がどれだけ続いただろう。



「…………ぁぁあああああああああああああああ!」



「ぼふぉ!」


 突然現れた地面に、俺はうつ伏せのまま叩きつけられた。

 肺が押しつぶされる息苦しさと同時に、鼻から脳天に向かってツンとした痛みが走り抜けていく。


「うえっ、ぺっ、ぺっ」


 どうやら土を食ってしまったらしい。口の中に広がるジャリジャリした不愉快な感覚を吐き出しながら、身体を起こして、手で顔や服についた砂を払う。


 なんだこれ。俺はどこに落ちたんだ?


 見れば周りはさっきまでの街並みではなかった。地面には茶色い土と雑草。少し離れた所にはちょっとした森みたいなものも見える。アスファルトの道路も、ビルのような高い建物もない。

 見上げた夜空には半分くらいに欠けた月と、数え切れないほどの星が浮かんでいる。

 まるで都会から遠く離れた田舎の大自然、って感じだな。


「いや、ここどこだよ! つうか、さっきの女! あいつどこ行きやがった!」


 何が起きたのかはさっぱりだけど、少なくともあの妙な女は消えてしまったようだった。

 もしかしてドッキリか何かか、と思ったものの、カメラを隠しておけるような場所もない。そもそも俺のようなオワコン芸能人にそんな企画を仕掛けるテレビ局もないだろうけど。


「おおーい! だれかあー! いないのかああー! おおおーい!」


 叫んだ声はほんの少しの間だけ響いて、すぐに風の音と虫の声くらいしか聞こえない静けさが戻ってくる。

「マジかよ、これ。どーすんだよ!」


 こんな右も左もないような野っぱらに放置とか、冗談じゃない。

 頭を抱えかけたその時。


「――――ぉぉ」


 聞こえた。微かだけど、これ、多分、人の声だよな。


「あっちか!」


 すぐに立ち上がって、森の方に走り出す。

 もしかしたら、さっきの俺の声に誰かが返事をしてくれているのかもしれない。

 勝手なイメージだけど、山小屋みたいなところに住んでる、木こりのおっさんみたいな人。

 こう、カンテラみたいなのを片手に夜の森をウロウロしてさ。いや、会ったことねえけど。そんな人。


 だけど、今の俺はそんな藁みたいな可能性にも縋るしかない。


「おーい! 俺はこっちだ! ここにいるぞ! おーい! おーい、おー……い」


 なんだ、この臭い。何か燃えてるのか? 煙、だよな。


 それだけじゃない。別の気持ち悪い臭いも混ざっている。雨の日に濡れた手で傘の骨を触った後、みたいな。舌を強く噛んでしまった時のような。その何倍も、濃い臭い。これって。


「え?」


 臭いの正体は、炎と血だった。


 咄嗟に脳裏に浮かんだのは、リアルな撮影現場だな、という感想。

 立ち並んだ森の木々の中で、横倒しになった馬車が一台燃えている。

何か強い衝撃を受けたのだろう。馬車は全体が大きくひしゃげていて、辺りには車輪や木製の骨組みの破片らしきものが散らばっている。

 そして、馬車の周りには人が三人倒れていた。ただの人じゃない。鈍く光る金属の鎧のようなものを身に着けた男達だ。しっくりくる言葉を探すなら兵士ってところだろうか。

 全員がぐったりと力なく地面に横たわっていて、顔をしかめたくなるような生臭い臭いは彼らの周りにできた血溜まりから漂ってきている。生きているのか、死んでいるのか、見ただけじゃわからないけれど、酷い有様なのは間違いない。


 だけど、それ以上に俺の目を釘付けにしたのは。


「……怪、人?」


 そいつは確かに俺達人間と同じように二本足で立ち、金属の鎧をまとっていた。


 でも、人間じゃない。人間のわけがない。

 そいつは、全身を暗い緑色の鱗で覆われていた。

 そいつの頭は、無数の角が生えたトカゲのような形をしていた。

 そいつの手に握られた丸太のように太い棍棒からは、赤黒い血が滴り落ちていた。

 俺がこういう化け物と向き合うのは初めてのことじゃない。特撮の敵役といえば人型の化物、みたいなお約束があるから。プロのアクターさんが、技術の全てを注ぎ込んで演じる異形の存在。


 そう思っていたのに。


 目の前のこいつと比べれば、あんなものはおもちゃだ。

 理屈じゃない。肌で感じるんだ。檻の外に出た猛獣と鉢合わせたみたいな、本能的な恐怖を。


「……!」


 気づかれる前に逃げなきゃ。そう思った脚が止まる。なぜなら。


 怪人の目の前に、人が居たから。


 白いブカブカのパーカーを着た女の子だ。

暗さで顔は見えないけれど、尻もちをついた姿勢のまま固まっている。


「死ね」


 怪人の大きく裂けた口からしゃがれた低い声が漏れ、右手に握られた棍棒が振り上げられる。


 ちょっと待てよ。あんな電柱みたいなもので殴られたら、一たまりもないだろ!


「やめろぉおおおおおお!」


 考えてる暇はねえ!


 全力で走り出し、勢い任せに肩から怪人の背中に突っ込む。よろけさせることぐらいできれば、女の子が逃げ出す隙ぐらい作れるはずだ。


「んん?」

「……ぐっ、くそ!」


 ぶつかった肩から鈍い痛みが走り、はね返される。まるで石の壁でも相手にしているみたいだ。揺るぎもしやがらねえ。それでも怪人は俺の存在には気がついたのか、その目がじろりとこちらを向く。


「どこから現れた? 邪魔だ、小僧」

「うおわあ!」


 間髪入れずに横薙ぎに振られた棍棒をしゃがんで避ける。


 こいつ、人を殺すのに一切の躊躇がない。背筋も凍るような寒気が走る。


「いけません! あなたっ、私のことは構わず逃げてください!」

「そんなことできるわけないだろ! そっちこそ早く逃げろ!」


 自慢じゃないが俺は生身のスタントだってやってたんだ。

 倒すことはできなくたって、この怪人の気を引いて時間を作ってみせる。

 この体格差、そもそも素手じゃ勝負にならない。

 多分、倒れていた兵士の誰かが使っていたものだろう。俺は地面に転がっていた鉄製の槍のようなものを拾って構える。


「だあああっ!」


 その槍の端っこを両手でバットのように握り、怪人に向かって力一杯振り抜く。


「う、あっ」

「つまらん。非力すぎる」


 俺の一撃を怪人は避けようともしなかった。

 手に伝わってきた痺れのような衝撃で槍を取り落とす俺を見て、怪人が鼻を鳴らす。


 鉄の棒で殴ればなんとかなるだろう、そんな甘い期待をしたのが馬鹿だった。


「ぬん」

「……っ!」


 短く息を吐きながら怪人が放った蹴りを、今度は避けられない。

 転がった小石でも弾くような動きだったはずなのに、それを胴に受けた自分の体が宙に浮くのがわかった。


「がああああああ!」


 多分、馬車の残骸に背中から突っ込んだのだろう。

 視界が激しく揺れたのと同時に、後ろの方から何かが折れるけたたましい音が聞こえた。


「あ、ぐあっ、はっ、あぁっ!」


 痛い。

 どこが痛いのか考えるのも馬鹿らしい。全部だ。

 息を吸いたいはずなのに、胸を太い縄で締め上げられているような感覚のせいで、それも許されない。

 手足の繋ぎ目が片っ端からバラバラになってしまったみたいだ。

 死んだ方がまだマシだったんじゃないかとすら思う。


「はっ、ハッ、ハアッ」


 湧き出てきた涙で滲む視界に、俺に背を向け再び女の子の方に近づこうとする怪人が映る。


 やめろ。そっちに行くな! その子に手を出すな。


 俺の想いは、言葉にもならない。何の役にも立たない。


「ふ、ううっ、ううううう!」


 立ち上がろうとするだけで、骨が軋んで、どこかの肉が引きちぎれるような激痛が走る。


 なんとかしなきゃ。ここにはもう、俺しかいない。助けられるのは俺だけなんだ!


『お前、いつまでガキのヒーロー気取ってやがんだ!』


 八重樫さんが俺を怒鳴る声がする。

 うるせえんだよ。ここで何をしないで目を逸らすのが大人だってんなら、俺はずっとガキのままでいい。ヒーロー気取りだろうが、格好つけ野郎だろうが、構うもんか。


『気持ちだけじゃ、駄目だ。力と、覚悟がいるんだよ』


 大垣さんが俺を諭そうとする声がする。

 そうなのかもしれない。俺が正しいと思うことは、ただの自己満足で。傍から見たら暴力に頼った身勝手な行動で。立派な奴だとは到底認めてもらえない偽物なのかもしれない。


「それでも……っ」


 今、手の届く範囲に、救いたいと思う人が居るのなら!

 俺はそれを守れるだけの、力が欲しい!


『剣を抜け』


 今度は幻聴じゃない。はっきりと聞こえた。

 声がしたのは俺の腰元。下を向いて、目を疑った。


 ベルトが、光り輝いている。


 変身ベルトの中央にある丸い円から、淡い光を放つ棒のような物が生えていた。

 まさか、これ剣の柄ってことなのか?

 このベルトにそんな機能はないはずだ。そもそもこんなものただの玩具だと思っていたのに。


「……賭けるしか、ないよな」


 頼むぞ。この光がこけおどしじゃないことを祈ってるからな。


「ぐ、あ、はっ、うぉおおおおおおおおおお!」


 ただ立ち上がっただけなのに、膝が笑うのを止められない。

 堪えろ。時間がないんだ、踏ん張れ!

 剣の柄を握りながら深く息を吐き出して、目を閉じる。


 さあ、行くぞ!


『Draw your sword STRIDER!』


 ベルトがまた唸るのに合わせて、右手で剣を引き抜いた。

 この眩しく光り輝く刀身がどこから現れたのかは分からない。

 だけど、身体は流れるように動き出す。


 勢いよく空に掲げた剣を振り下ろす。切っ先を向けた相手を必ず倒すために。

 

 そんな意志を言葉に変えて、俺は叫ぶ。


「変身!」


 右手に握りしめた剣から迸った光が、俺の体を駆け上がってくる。

 春の訪れを告げる風のような強さと温かさが、右手から肩へ胸へ、全身へと広がっていくのが分かった。光に包まれた部分の痛みが嘘のように引いていく。この感じ、俺、本当に。


「できちまったよ、これ」


 光が収まった後、俺は大きく変化した自分の体に目を奪われる。

 手や、肩、胸、脚にはそれぞれ深い青色の装甲が纏われていた。

 鎧と鎧の間はゴムと皮の中間のような伸縮性のある素材で覆われている。

 パッと見で分かったが、俺が主役を務めた特撮のスーツとは別物らしい。


 何より違うのは頭だ。


 どんな形をしているのかは確かめようがないけれど、仮面らしい物があるのは右側だけ。

 右目の視界だけが色の付いたレンズを通したように淡い赤色に染まっていた。


「…………小僧、なんだその姿は」


 流石に無視できなかったのだろう。怪人が振り返り、訝し気にこっちの様子を窺っていた。


「さあな。でも、お前に一つ言っとくぞ」


 右手に握った剣が、構える俺の動きに合わせて夜闇の中に残像を作る。

 

 軽いな。


 まるでプラスチックの定規でも振り回してるみたいだ。

 だけど、薄く光る片刃で反りのない刀身は間違いなく本物だろう。

 柄の握り心地もあつらえてもらったみたいにしっくりきてる。


「さっきみたいにいくと思うなよ!」


 一歩目を出したと思ったら、俺は既に怪人の間合いへと踏み込んでいた。

 目を見開き、驚いたようにこっちを見下ろすトカゲ顔を見て、自分が一瞬でここまで移動してきたことに気付く。


 いや、何メートルあったと思ってんだ。脚力すごすぎんだろ。


「ほざけ! 人間風情が!」


 驚いて動きを止めた俺に、怪人が猛然と棍棒を振り下ろしてくる。


「あぶねっ!」

「!」


 咄嗟に振り上げた剣が棍棒の横っ面を捉える。

 腕を振っただけの動きだったはずなのに、それだけで棍棒を上へと弾くことができた。

 多少の手応えこそ感じたけれど、全然気になるようなものじゃない。


「オラァっ!」

「ぐおおおおっ!」


 そのまま剣を振り下ろし、怪人の胴体を袈裟斬りにする。

 濁った怪人の悲鳴と共に、どす黒い飛沫のようなものが飛び散った。


 なんだこれ、血じゃないみたいだけど。

 

 でも、間違いなく効いてる。この剣なら。ベルトの力なら!


「いける!」


 怪人が振り回した棍棒を剣で受け止め、弾き、また横薙ぎの一閃。

 苦し紛れに振り下ろしてきた拳は左手の甲で払いのけ、剣を握ったままの右手で力任せに殴りつけた。

 バランスを崩してよろめいた胴体に、追い打ちで蹴りを叩き込む。


 どれも殺陣の稽古で体に染み込ませた動き。大丈夫。攻撃が通るなら、こっちのもんだ。


「こ、のっ、舐めるなあ!」


 三歩後ろにたたらを踏んだ怪人が棍棒を投げ捨てて、大きく仰け反って胸を張り、腕を引く。


 口の端からぱらぱらと散ってるのは、火の粉か、これ。まさか!


「ゴアアアアアアアアアアアアアア!」


 限界まで開いた怪人の顎から、紅蓮の塊が噴き出した。


 そう言えば、木とか燃えてたもんな。火炎の息くらい吐いてくるか。

 全身を軽々と飲み込めそうな炎が迫ってくるのを見て、俺は今さらそんなことを思い出す。


「どわあああああ!」


 腕を目の前で交差させて守ってはみたけれど、とんでもなく熱い。ヤバい、息ができねえ!


「けどっ、ここまできて! 負けるかああ!」


 左手をベルトに伸ばし、バックルの側面の大きなボタンを力一杯押す。

 こいつが俺の知ってるベルトと同じものならこいつはきっと!


『Lethal Blast!』


 ベルトが今までにないほどの唸りをあげ、炎の中でなお強く輝きを増していく。

 ここが正念場だ。叩き込め、渾身の一撃を!


「……ぉぉおおおおおおおおおおらあっ!」


 青く輝く剣の一振りが炎を内側から吹き飛ばした。

 その向こうに見えたのは無防備に立ち尽くす怪人の姿。


「終わりだ!」


 構えは上段。踏み込みは強く。振りは速く。

 必殺の一撃が怪人の脳天から股までを、一直線に斬り捨てる。


「――ば、か、なあアアアアァァァァ!」


 断末魔をあげた怪物は、文字通り弾け飛んだ。

 さっきとは比べ物にならないほどの黒い飛沫が轟音と共に膨れ上がり、撒き散らされる。


「はっ、はっ、はあっ……」


 剣を振り下ろした姿勢のままの俺の耳に聞こえるのは、自分の荒い息だけ。


 終わった。倒したんだよな? あの怪人を。


 巨大化して復活とか、そっち路線じゃないよな? 一抹の不安を感じて、俺が顔をあげたその時。


「た、倒したのですか? あのレベルの魔族を、独りで?」


 さっき怪物に殺されそうになっていた女の子が、歩み寄ってきていた。


 その口調は何か信じられないものを見たみたいに震えていて、足取りも恐る恐るって感じがする。


 レベル? とか、まぞく? とか、気になることを言ってるけれど、今、俺がとるべき行動は一つだろう。


「もう、大丈夫だからな」


 女の子にできる限り明るい笑顔を向けて初めて、自分が震えていたことに気がついた。


 怖かった。死ぬかと思った。滅茶苦茶しんどかった。


 それでも俺は演じなきゃいけない。目の前の女の子が安心できるように、頑張るんだ。


「あなた、一体……」


 また一歩、女の子が俺に近づきながら頭に被っていた白いフードを脱ぐ。


「……あ」


 その顔を一目見て、綺麗だなと思った。


 月明かりを受けて輝く髪の色は銀色。大きな両目に浮かぶ瞳は宝石のように透き通った翠だ。

 肌は夜の森の黒に浮かぶほど白くて、そこだけ影が無くなってしまったんじゃないかと錯覚しそうになる。

 見事に結われた髪型といい、華奢だけど柔らかそうな体つきといい。


 まるで絵本の世界から抜け出してきたお姫様みたいな子だ。


「ええっと、俺は、だな」


 美人には免疫力がある方だと思っていたのに、勝手に目が泳ぐ。


 この状況、自分でもよく分かってないのに、どう説明しろってんだよ。


 そうだ、俺、まだ変身したまんまなんだよなあ。あの時ベルトが何か言ってたような……


 ドロー・ユア・ソード、まではなんとなく分かる。

 剣を抜けっつってたんだよな。

 じゃあ、最後のあれがこの姿の名前ってことでいいんだろうか。

 いいってことにするしかないな。うん。


 決めた。とりあえず今はこう名乗っておこう。



「俺は仮面の戦士、ストライダーだ」



 最初の1話ということで、区切りのいいところまで一気に進めました。

 ちょっと長いかもしれません。

 次からは更新ペースも考えながら、ちょこちょこ書いていこうと思います。

 特撮ヒーローよろしく、30分番組の前後半、2話でエピソードが終わるみたいなイメージでやっていきたいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 子供のいる公園でタバコのポイ捨ては普通に万死に値するのでは? というか今日び写真撮られてたら炎上待った無しかと それはそれとして主人公の口調がトゲトゲしいのはヒーロー役としては子供に聞かせら…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ