出会い
眠れない。
船やヘリが引きあげて行ったから、乗っていた人たちはみんな救助されたか、行方が分かったのだと思う。
それからもうずいぶんたつのに、ジネさんは帰ってこなかった。重症の人がいたのなら本土の病院に運ぶはずだし、軽症の人がわりに多くいて、この島の病院に運ばれたのかもしれない。そんなにたくさんの人が乗れるような船ではなかったはずだけれど。
わたしは寝返りを打って時計を見た。
一時。真夜中だ。ジネさんはきっと病院に泊まることになったのだろう。
カーテンの隙間から月の光が射しこんで、わたしはカーテンを開けた。あの曇天が嘘のように、晴れ渡る夜空に月が丸く光っていた。
さわさわと木の葉が揺れる音がする。
林の向こうには真っ黒い海面。そこには白く伸びるムーンロード。
パジャマ代わりのTシャツとショートパンツ姿のまま、月明りに誘われるように、わたしは外に出た。
海に行かないように、とは書いてあったけれど、もう海には誰もいない。
わたしは海に向かう小道をひとりで歩いた。
林を抜け、岩場に出る。まっすぐに伸びた小道の先を見る。鳥居の向こうに月があって、わたしのいるところへとムーンロードが伸びている。まるでまっすぐこの小道につながっているみたいだ。
今は引き潮で、鳥居の根元の方はずいぶん浅くなっていくつか岩が出ているのが見える。ひたひたと波は穏やかで、わたしはなんとなく足が向いて、穏やかな海水に腿までつかりながら鳥居の真ん中に姿を見せているメロンくらいの大きさの黒い岩の一つに近づいた。
いつもは行かない場所のせいか、見たことのない真っ黒い海藻が生えていて、濡れて光っている。
わたしはそっと手を伸ばした。細い糸のような繊維質の海藻が珍しい。
首を傾げ、幾本かつまんで引っ張った――。
がっ!!
突然骨ばった細い白い手に手首をつかまれた。
ホラー? これってホラーな展開なの?!
あまりに驚いたせいで声も出ない。振り払おうとしたけれど、ガッチリ握られてふり払えない。
足を踏ん張って後ろに下がろうとしたわたしに引きずられて、その誰かも鳥居の下からずるりとこっちに寄ってきた。
いや! いやいや! 気持ち悪いっ!
あわあわしたまま、つかまれた手首を反対の手で叩く。
ものすごく怖かった。さらに踏ん張ると、足もとの石がぐらりと揺れた。
ドボン。
頭まで浸かった状態で海中から見たそれには身体と足があった。わりと小柄な――でもだからってお化けじゃないとは限らない。
わたしは両足をきゅっと胸に寄せると、その誰かの右の肩口に足裏を当てて蹴伸びをする要領でおもいきり蹴りだした。手首をつかんでいた白い手が離れる。
そのまま三メートルくらい離れて様子をうかがった。逃げるなら、立ち上がって陸に向かうより泳いだほうが早い。
息を殺してじっとしていると、海面にまたプカリと黒い岩が浮かび上がった。海藻の生えた、あの岩――頭だ。それだけで、何も起こらない。
わたしはもう少しそのまま待った。
何も起こらない。
??
そっと近づく。
大丈夫みたい。
指先でつついてみる。
何も起こらない。
これって、どういうこと?
そこまで待って、はっとした。
これって、人間? もしかして、船で救助されなかった人――!?
わたしは慌ててうつぶせで動かないまま浮いているその人らしきもの――どうやら子どもで、たぶん十歳にもなっていない――をひっくり返し、顔を水面に向けた。海岸へと引っ張りながら神様に祈る。
ごめんなさい! ホラーだなんて思ってすみません! ようやく岸にたどり着いたこの子を殺したなんてことになりませんように!
浮力を利用しながらできるだけ急いで岸に連れて行く。一応鳥居まではコンクリートで固めてあるせいで、道の上に乗っている岩を避けて歩けば道はそんなに悪くない。最後の水際は、かわいそうだけど、おもいきり引っぱらせてもらう。
たぶん一、二年生くらい。細身の男の子だ。小さくても意識のない人間は重いし、しっかりつかまないと濡れた肌が滑る。わたしはゼイゼイ言いながらその子を陸に引き上げた。
首周りに太いチョーカーをつけていて、左の肩から下げたシーツみたいな布を腰のところで留める変わった形の服を着て、靴は履いていなくて裸足だ。太腿から下が露出しているから、もし目が覚めていたらコンクリートの上を引きずられてものすごく痛かっただろうと思う。
気絶していてよかった。
水がかからないところまで運んで、呼びかける。
「ちょっと! 聞こえてる? 返事して!」
反応なし。
まずいような気がする。水を飲んだのかも。どうしよう。
とりあえず横にして、おもいきり背中をたたいた。
「ねえ! しっかりして!」
まったく、反応なし。
さっきまでは間違いなく生きていたんだから、死なれるのはものすごく困る。
「死なないで! ほんと、困るから!」
ありったけの力をこめてぐいぐい背中を押して、バシバシ叩く。
水を飲んでいるのなら、吐かせないと。
「死んじゃダメ!」
顎を上げさせてこれでもかというくらいに力をこめて夢中で叩き続けていたら、突然どすっと衝撃がきて後ろにひっくり返った。
目の前の半死人にやられたらしい。
必死だったせいで相手が意識を取り戻したことに気づかずに叩き続けていたみたい。
ゲホゲホとせき込みながら水を吐いている音が聞こえて一安心する。どうやら死ななそうだ。
わたしはひっくり返ったまま、はあ、と安堵の息をついた。
とりあえず、次はどうするべきか考える。
本当なら病院に連れて行くか交番に連れて行ってあげるのがいいと思う。あの船に乗っていたのなら、この人、いや、この子も遭難者だし、家族はきっと心配しているはずだ。でもジネさんは留守だし、今は夜中だし――。
うむむ、と頭をひねって、とりあえずうちに連れて行くしかないか、と結論を出す。朝になってジネさんが帰ってきたら、事情を話して交番に連れて行ってもらおう。
「ねえ、とりあえずうちに――」
そう言いながら起きあがると、這いつくばったまままだせき込んでいる男の子の背中が目に入って、思わず言葉が止まった。さっきはあまりに必死で気が付かなかったけれど、岩にぶつけたのか、右の肩甲骨の当たりに赤く腫れて肉が裂けた痛々しい傷があった。ものすごく痛そう。
不自然に止まったわたしの言葉に気づいたのか、せき込んでいた男の子が息を止めてゆっくりと振り向いた。
月の光に照らされたその顔を見てわたしは再び言葉を失った。
わたしを見返す黒い瞳は夜の海のように暗かった。そして、超絶ハンサム。なんてきれいな顔。でも、言葉が出なかったのは男の子がものすごくかわいい顔をしていたせいじゃない。
その彫刻のように整った顔の左上半分は、背中の傷跡にも劣らないほどに痛々しく、赤黒く変色して腫れていた。
やっと男の子を出せました。長い前置きになりました。




