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 食パンとベーコンエッグ、庭でとれたレタスとミニトマト、簡単に朝ご飯を終わらせたところで洗濯機が終わりのブザーを鳴らした。食器を洗うのは祖ジネさんの担当なので、使った食器はシンクに下げて水に浸けるだけだ。歯を磨いてから、洗い終わった洗濯物をカゴに移し、庭に持って行く。洗濯物は私の担当だ。サンダルを履いて外に出たわたしの足もとをギイちゃんがちょこちょこと歩く。


「ぎっ! ぎっ!」

 待っているのだ。短く鳴く様子がかわいい。

「もうちょっと待っててね。すぐ干しちゃうから」

 干し終えて空になった洗濯籠を足もとに残したまま、わたしは駆け出す。真っ白いギイちゃんが青空に舞い上がる。


「行ってきまーっす!」


 サンルームの窓辺で葉っぱを持ったジネさんの手が揺れた。

 小さい頃は一緒に泳いでいた記憶があるけれど、いつからかジネさんは海に行かなくなった。わたしはいつも海をひとり占め。


 砂浜でサンダルを蹴り脱いでTシャツと短パンも脱ぎ捨てて、水着姿になったわたしは海に走る。

 青と緑。

 それでいて透明な水。

 なんてきれい。


「たっだいまー!!」


 海に大声で言いながらざぶざぶと進んで行く。鳥居の近くは避けてどんどん進み、腰までつかったところで泳ぎ出す。まずは普通に、クロールで。ちゃんと息継ぎもする。泳いでいるところを誰かに見られていた時の用心と、普通に泳ぐ練習だ。とはいえ、こっちの海岸に人がいることなんてまずない。


海岸から十五メートルも離れれば、水深は五メートル以上。わたしは海岸を振りかえり、人影がないことを確認した。頭の上を飛んでいたギイちゃんがくるりと輪を描いてからすぐ近くの水面に降りてきた。大丈夫。誰もいない。


「潜るね」


 ギイちゃんに声をかけ、くるりと頭を下にして海底に向かう。底まで泳ぎついたところで平らな石を一つ抱え、頭を上にする。そして、ゆっくりと体の中の空気を外に出す。コポコポコポ……小さな音が螺旋を描いて輝く粒が海面に向かう。


 浮いているギイちゃんの薄ピンクの足ひれに向かって登っていく空気の粒たちを、じっと見つめる。そろった粒が白く光って、きれい。

 やがて体が空になり、わたしはそこにゆっくりと海水を満たしていく。

 冷たくてきれいな水が染みていく。


 ああ、生まれる。


 自分がすっかり新しく生まれ直したみたいな気持ちで、わたしはゆっくりとあたりを見回した。

 きらめく水面から青い水に向かって太陽の光がカーテンのように降り注ぐ。ぐん、とそろえた両脚で水を蹴って泳ぎ出す。今のわたしは海の生き物だ。乱立する岩の間をするりするりと抜けて、沖に向かって泳ぐ。岩棚を抜けると紺色に広がる外海に向かう。岸へ押し戻そうとする海流に逆らってどんどん進む。


船にとっては危険な海流や岩も、わたしには最高の遊び場所だ。海底がどんどん遠くなる。それでもどんどん沖へ向かう。もう底なんて見えない。


 動きを止めると、どこまでも続く青い世界と暗い水底は、しん、と静まった。

 耳を澄ませる。

 遠くにかすかな音を捉える。


 いるいる。


 わたしはまた泳ぎ出す。そして呼びかける。

 “遊ぼう!”

 すぐに返事が返ってくる。

 “遊ぼう!”

 “遊ぼう!”


 やがて白と黒の魚影が次々と現れる。背中が黒くてお腹が白い。流線型の模様が入った、十頭ほどのスジイルカの群れだ。見えたと思ったらあっという間に取り囲まれる。彼らのスピードは圧巻だ。わたしだって人間にしてみれば信じられないくらい泳ぐのはうまいけど――なにしろの息つぎの必要がないから、そこだけはイルカにも負けない――スピードに乗るときの筋力の差は歴然としていて、イルカにはかなわない。


 “何をしようか? 追いかけっこ? 輪っかくぐり? お魚をつかまえようか?”

 “追いかけっこしよう!”


 一頭がぐんっと尾びれを動かした。賛同するように他のイルカたちが頭を上下に振る。わたしも軽く頷いた。

 前へ後ろへ、右へ左へ、上へ下へ、入れ替わり立ち代わり、わたしたちは海流になる。少し遅れそうになると背びれにつかまらせてくれたり、足を押してくれたりするイルカがいる。口先でお腹をくすぐってくるイルカもいる。本当に楽しそうに泳ぐから、わたしも嬉しい。


 そうやって遊んでいると、一頭が声をあげた。


 “魚の群れがいるよ”

 “追いかけよう”

 “食べようよ”


 あっという間にみんな散っていく。大回りして小魚の群れの背後にまわり込み、追いかけて一カ所に集めてから食べるのだ。わたしは魚を食べないから、光がよく届く水面近くに浮いて見学だ。少しだけ海面に頭を出すとすぐにギイちゃんがやってきた。ギイちゃんはわたしが潜っていてもだいたいの位置が分かるらしくて、すぐにやってくる。


 「ギイちゃん、お相伴、もらえそうだよ!」

 わたしがにこっと笑うと、ギイちゃんは舞い上がった。イルカが追い込んだ魚を空から狙うつもりなのだ。

 わたしはまた海の中に戻る。


 “そっちだ! 行ったぞ!”

 “回り込め!”

 “下に抜けさせるな、上だ! 追い込め!”

 イルカたちの音が近づいてくる。


 やがて大きな黒い塊が見えてきた。イルカの銀が周りで閃く。

 その連係プレーは見事としか言いようがない。


 追い詰められたイワシの群れが海面にあがってくる。行き場を失くして空中に跳ね上がる。イルカたちが食事を始めるのを、わたしは少し離れて見守った。


 ギイちゃんが空を切って降りてきて、空中に飛び上がったイワシを一匹、軽々と嘴で挟んで飛び去る。飲み込んで戻ってくる。二匹、三匹。それで満足したらしく、わたしの近くに舞い降りて、波に揺られる。


 やがてさっきまでの騒々しさが嘘のように海が凪いだ。

「帰ろうか?」

 そう問いかけると、ギイちゃんはちらりとわたしを見てから舞い上がった。

 “またね”

 イルカたちに伝える。


 “またね”

 “またね、遊ぼうね”


 島の方を見やるとだいぶ遠くまで来ていた。今度はゆっくりと、海流を感じながらわたしは島に向けて泳いでいく。

 こんなふうに毎日自由に泳げるのだから、夏休みは最高だ。


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