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わたしの暮らし その1

 そんなわけで、わたしも変わっている。どこが変わっているのかって言うと、一番は、海に関することだ。


 わたしは海が好き。すごく好き。前世は魚だったんじゃないか、なんてもんじゃなくて、見た目は人間だけれど今世も魚なんじゃないかって思うくらい、好き。


 ただ好きなだけじゃなくて、もう、ものすごく好きで、海がないと生きていけない。小さい頃は毎日海に出かけていたし、ごはんとか、お風呂とか、ベッドとか、それ以外はずーっと海で過ごせるし、もういっそ寝るのもずっと海の中でいいんじゃないかと思うくらい……だってわたしは、海の中で息ができるから。


 ジネさんみたいに不思議なパワーがある魔女なのかもしれないし、そうじゃないとしたら足がある人魚かもしれない。っていうか、足があったら人魚じゃないから、人魚になりそこなった人間かも。


 わたしは空気のように肺に海水を満たして、海の中で息をする。そんなことができるのは自分だけだってことを知ったときは、というか、みんなは海の中で息ができないんだってことがわかったときは、本当にびっくりした。それだけじゃない。普通の人は海の中では水中ゴーグルを使わないと物がはっきり見えないっていうことも、ジネさんが教えてくれるまで知らなかった。


 息と目のことだけじゃない。ふつうの人は水の中では陸にいるようには話せないこと、水が冷たくなる秋には海水浴をしなくなって、あとは分厚いウェットスーツやドライスーツを着ていないと泳げないこともそうだ。


 わたしの耳は水の中でも音を拾うし、目も陸上と変わらずに景色を映す。声だけはちょっと違って言葉で音を聞くわけじゃなくて、どういう仕組みかわからないけれど、聞こえてきた音に意味があることがわかる。体感温度に関しては、秋の水温なんて夏とほとんど変わらないし、冬はたしかに冷たいとは思うけれど、どうしても泳げない、というほどでもない。


 わたしがいつから海に入っていたのかは覚えていないけど、相当小さい頃だと思う。その頃はジネさんも一緒だった記憶がある。でも小学校に入ってからは一緒に海に行った記憶はない。そんな小さい頃から一人で海に行くなんておかしいって今はわかるけれど、行きたいときに海に行くことはわたしにとってごく当たり前だった。嵐の海でさえ、波に揉まれて転がる岩や巻き上げられた砂、川から注ぎ込む土砂にさえ気をつければ、怖くなかった。



 わたしは島に住んでいて、家は島の外海側にある。島は外海側と本土側に細長く、外海寄りに並んだ二つの山がある。本土側の海は波も穏やかで、小さいけれど港も砂浜もあるし、平らな土地が広がっていて、学校、病院や町役場もあるし、食品店や衣料品店、床屋さんや民宿もある。けれど、外海側は違う。


外海側は基本的に傾斜地で崖が多いし、海は波も荒い。陸に近いところでは海底から突き出すように生えた岩が水面下に乱立していて座礁の危険が高いために船も通らない。陸から離れると独特の地形が生み出す海流が陸に引き寄せるように流れ、その海流につかまれば船は引きよせられて岩にぶつかって沈没するし、引き寄せられた海水が一気に沖に向かうところには錨の鎖を引きちぎるほどの流れが起こる。とにかく危ないのだ。


 山はどちらもそれほど大きくないけれど、越えて本土側に向かうには大人でも三十分以上歩かなければならないし、てっぺんはかなり急な坂で、車やバイクならばともかく自転車を押して登りたい人もいない。そのてっぺんにお弟子さん二人と一緒に住んでいるのが和友さんで、そこからさらに外海側に下っていく先にジネさんとわたしの家がある。外海側には、うち以外の家がひとつもない。


 ジネさんが「巫女のジネさん」と呼ばれることがあるのはこの立地のせいもある。山を越える道のてっぺんにある和友さんの家はまるで関所だし、海まで続くやや急な一本道の一番奥にあるのがわたしの家で、その先にあるのは海、そこに海に生えるように鳥居があるからだ。でも別に神社があるわけではないし、ジネさんも特に神事のようなことをしているわけではない。


鳥居は神様の場所につながる道だからむやみに通ってはいけないと言われたことがあるけれど、それだけだ。それでもこんな場所でひっそりと暮らしているのだから、なんだか巫女さんみたいだと思う人がいるのもうなずける。


 そんな地形のせいもあり、わたしは小さい頃、本土側にある幼稚園にも保育園にも通っていなかった。だけど、ときどき薬をもらいに来るお客さんの話で、本土側には「一緒に遊べるお友達」ができる場所、小学校というところがあると知っていた。ずっとジネさんと二人で暮らしていたわたしは小学校に通うのをとても楽しみにしていた。そこには少ないながらも同じ年の子どもたちが十人前後、つまり学校全部で六十人くらいいるらしい。


 でも、小学校に行くためには守らならなくてはならない大切なお約束がたくさんあって、それをちゃんと覚えないうちは小学校には行けないとジネさんに言われた。六歳の誕生日が過ぎると、ジネさんはわたしがどんなふうにみんなと違うかということと一緒に、その約束を一つ一つ摺り込むように教えてくれた。


 今思えば、それは普通の人間として暮らすためのお約束で、小学校に入るためのお約束なんかじゃなかったんだけど、当時のわたしにはわからなかった。それは守るのが難しい約束ばかりだった。夏以外で海に入っていいのは誰もいない夜だけになったし、嵐の海も同じだ。友達ができても海に誘わないこと、海に誘われても断ること。外海側以外では海に入らないこと、海に関することはジネさん以外誰にも話さないこと。それから学校のプールには入らないこと。


 とにかく、泳ぐことに関してはあれもダメ、これもダメ。それまで毎日、本当に毎日海に行っていて、泳がないなんてありえない、という毎日を過ごしていたわたしにとって、信じられないことばかり。小学校って言うのはずいぶん厳しいところなのだとわかり、わたしは戦々恐々とし、そこまでしてもお友達が欲しいのかと悩んでしまった。


 それでもどうにかお約束を全部覚えたわたしは小学校に通えることになった。

 本土側の小学校までは遠いため、出不精のジネさんの代わりに、和友さんか和友さんの弟子のお兄さんたちのどちらかが仕事に使っている軽トラックで近くまで送り迎えをしてくれることになった。


 入学式の日、わたしはドキドキビクビクしながら新しいランドセルを背負って、この日ばかりは家から出てきたジネさんと学校に行った。小さな学校の気安さからか、教室には行かずに直接体育館に入る。真ん中は新入生用の椅子が全部で七つ横一列に並んでいて、その前には白い布をかけられた低いテーブルがある。そのテーブルの上に、紙の花をつけた名前の札がやっぱり七つ並んでいて、後ろには保護者が座るためのパイプ椅子がある。全員がそろったところで、行進と起立、礼、着席の練習をした。


 一度教室に入ってから移動してきたらしい上級生が左右に分かれて座る。入学式の前に各学年の学級担任が発表された。新入生を入れた子どもの数は全部で五十五人になるそうで、多い学年は五年生で十三人、少ない学年は二年生で五人だけだったけれど、初めて子どもの集団を見たわたしには本当に大勢に感じられて、目を丸くして上級生たちを見つめた。


 連絡事項が全て終わると、入学式が始まった。

 一列に並び、入場行進の代わりに上級生や保護者たちの拍手を受けながら体育館をひとめぐりする。自分の席に戻って着席。名前を呼ばれたら「はい!」と、大きく返事をして立ち上がる。さっき練習したからみんな礼も着席もばっちりだ。


 校長先生が入学おめでとう、と挨拶をしてお話をした。

「小学校では、これまでと違ってたくさんのお約束があります。知っていますか?」

問いかけに小さな手が上がる。祖母のお約束は完璧に覚えている。わたしも手を上げた。そして、指されたのはわたしだった。


「夏じゃないときに、海に入らないことです!」

 自信満々で答えた。


「おまえ、バカか? そんなのあたりまえだろ!」

 となりの椅子に座っていた体の大きな男の子がそう言った。するとその子の後ろに座っていた金色に近い茶色い髪の女の人が男の子の頭にためらいもなく拳骨を落とした。

 ぐえ、と言って男の子が頭を押さえる。


「ごめんなさいっ!」

 わたしは即座に謝り、頭を抱えてしゃがみこんだ。小学校では失敗したら拳骨を落とされるのだと思ったから。わたしは祖母が教えたお約束の多さと、初めて見る子どもたちの集団にすっかり圧倒されていて、そんなところに男の子が拳骨されたところを見たので、答えを間違えた自分が叩かれるはずだったのに間違えて男の子が叩かれたのだと思ったのだ。


 しゃがんだわたしの頭に拳骨はふってこなかった。おそるおそる頭から手をどけて見上げると、女の人がびっくりした顔をしてわたしを見ていた。でも、もっとびっくりした顔をしていたのはとなりの男の子だった。わけがわからず前を見ると校長先生もびっくりした顔をしていた。


けれど、すぐに笑顔にかわる。大急ぎで謝ったのがよかったのか、叩かれることはなく、振り向くとジネさんが苦笑していた。


 ちなみに校長先生の質問の正解は「みんなで一緒に生活できるように勉強と遊びの時間を守ること」だった。その日は入学式だけで、教科書をもらって帰宅した。


 となりに座っていた男の子は帰宅後に赤い髪の母親に叱られたらしく、次の日の朝、教室に入ってきたわたしを見るとすぐに近くにやって来て、おはようも言わずに宣言した。

「オレがおこられないように、おまえにジョーシキをおしえてやる」


 びっくりだった。昨日わたしのかわりに叩かれたのに、いろいろ教えてくれるなんてすごく親切だと思った。ちょっと偉そうにも見えたけれど、この子と友だちになろうと思ったわたしは初めての友だちができたことに嬉しくなって手を伸ばした。初めての時は挨拶して握手する、ってジネさんがときどき聞いているラジオで言っていたから。


「わたしアンジェ。よろしくおねがいします!」

 拓海くん――あとでそう呼んだらすぐに「オレのなまえに『くん』をつけるな!」って叱られた――はまたしてもびっくりした顔でわたしの手を見つめて言った。

「おまえ、ほんとかわってるな」

ありがとうございます。続きます(*^^*)


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