(2)
その後、葉月は彼らの話を詳しく聞いた。
話を要約すると、葉月への依頼は「二週間後に迫った春分祭の天気を予想してほしい」ということだった。
「暴風は避けたいんだけど、どうにかできる?」
「ひとつ質問したいんですけど、去年の春分祭は何時頃にやったんですか?」
「正午だけど?」
……正午か。それなら対応策はあるにはある。でも、これを言ったら引き返せなくなりそうだ。……うーん、どうしよう。
「ちなみに、もし今年も暴風で火事が発生……なんてことになったら、どうなるんですか?」
「俺たちの首は軽く飛ぶだろうね。ああ、それから、昨日会った礼部長官もよくて左遷、悪ければ打ち首の刑かな」
打ち首の刑。それは、さすがに残酷すぎる。
葉月はため息と共に吐き出した。
「できないことは……ありません」
刹那、陽明の顔が真顔になった。わずかに冷えた声で「どういうこと?」と先を促される。
さっきまで部屋に漂っていた安穏な空気が消えたことに体を強張らせたが、ここまで言ったら引き返すわけにはいかない。葉月は意を決して口を開いた。
「案はありますけど、実行できるかはわかりません」
「実行できるかどうかは、こっちで判断する。それは君が気にすることじゃない。とりあえず教えてよ」
……ああ、もう逃げ場はないな。
葉月は黒縁眼鏡を押し上げて、しっかりと男を見据えた。
「――時間をずらすんです」
簡潔に言い放った言葉は、狭い部屋にことさら大きくこだました。
その後、すぐに礼部長官室へ連れていかれた。
部屋では、礼部長官、鳳月が執務用の机に両肘をかけて、ゆったりとした微笑みを浮かべていた。けれど、相変わらず目はまったく笑っていない。
……こ、怖い。
この人だってけっこうな美形なのに、今となっては怖さのほうが先だって、その微笑みをまったく堪能できない。
「どういうことですか?」
「つ……つまりですね。春先、風が出るのは日中、それも正午ごろと決まっています。それなら時間をずらして、夜明け前、または日没後に祭祀を行えばいいんじゃないかと思ったんです」
「風はいつでも出るのでは?」
「いえ、そんなことはありません。この時期の風は日差しで地面が暖まって、空気に温度差ができることで発生します。日が沈んで気温が下がると、風は自然に収まります」
鳳月の視線が隣に移る。
「陽明、どう思う?」
「正直、自分にはその案は思いつきませんでした。でも、問題はないと思います。現に冬至祭は日の出時間に行っていますから」
腕を組んでしばらく考えてから、鳳月が「本当ですね」と呟いた。
「時間をずらすとは新しい案です。これなら文治帝も納得するでしょう。しかも、素晴らしいことに準備の手間は変わらないとは――」
言葉を止めて一瞬思案してから、鳳月はポンッと勢いよく机を叩いて立ち上がった。
「決定です。春分祭の時間を変更しましょう」
「じゃあ、吉兆を示す時間を調べておきますね」
「いやあ、よかった。これで一安心です」
「長官の首も繋がりましたね」
鳳月は思慮深い大官の仮面を外し、喜色満面手を打ち鳴らした。それに合いの手を入れるのは、もちろん爽やか笑顔の陽明。
そこまで喜ばなくても……と思ったけど、まあそれはいいとしよう。
ひとまず、これで自分の仕事は終わりだ。面倒事からも解放されたし謝礼ももらえそうだし、しばらくは心穏やかに過ごせる。
「えっと……じゃあ、これで帰っていいですか?」
そっと尋ねると、小躍りしていた男たちがそろって振り返った。
「なに寝ぼけたことを言っているんですか。君には春分祭当日まで、しっかりと空読みをしてもらいますよ」
「乗りかかった船だもんね」
その船を今降りようとしたんだけれど、そうは問屋がおろさないらしい。
「春分祭が終わった後に、謝礼は差し上げましょう」
鳳月がすっと右手を差し出す。その横から合わせたように陽明の手が伸びた。
「改めて、よろしくねっ」
太陽の化身のようなまぶしい笑顔で言われて、葉月は曖昧に笑った。
どうやら拒否の言葉は、今回も許されていない……らしい。
*
翌日から、葉月は礼部に通うことになった。
驚かされたのは、建物横の空き地に高さ十メートルほどの物見台があったことだ。おそらく、昔、天体観測に使われていた物だろうということだった。
ちなみに現在天体観測は、内城東にある欽天監、現代日本でいう天文台で行われている。
この国は昔から皇帝は天を司る者という考えがあって、星の運行や月の満ち欠けといった天体観測は盛んに行われていた。それに対して天気予報はというと、明日は明日の風が吹く。つまり、まったくといっていいほど発展してこなかった。
そんな中で空読み師として呼ばれた葉月は、一時間毎にここに来て、天気を観測するのがもっぱらの仕事となった。
ちなみにそれ以外はやることがないので、掃除や雑用の仕事も手伝った。硯に墨をすり、紙を補充する。必要ならば他部署に届け物をしたりもした。
「なあ、お前、字は書けるか?」
「一応は……」
「じゃあ、これ写しておいてくれねえ?」
無造作に髪を掻きむしった子草が、隣でパタリと倒れた。ただでさえ無精ひげで男っぷりを落としているのに、ボサボサ頭がそれに拍車をかけている。
「子草さん、男前が台無しですよ」
「んぁ? どこに綺麗な女がいるんだよ。こんなむさ苦しい男所帯で着飾ってどうする。たまには美女を侍らせて、酒でも飲みてえよ」
……えっと、ここに一応、女はいるんですけど。たしかに綺麗じゃないですよ。伸びっぱなしで後ろに結っただけの髪はボサボサだし、眉毛はボーボー、体は棒っきれ……。
と、そこまで考えて、ふと気づく。
これじゃあ、女扱いされなくて当然だ。元々ない女っぷりを地の底まで落としているのだから。
自分の容姿を改めて言葉にして軽くショックを受ける葉月の前で、寝ていた陽明が突然起き上がった。
「それ賛成。春分祭までこの殺人的な忙しさが続くと思うと、イヤになっちゃうよ。春霞楼の牡丹ちゃん、元気かなぁ」
遠くを見つめるその顔は疲れ切っていた。目の下には大きなくまができ、心なし頬もこけている。でも、イケメンはそれくらいじゃ廃らない。だるそうに髪をかき上げる仕草もさまになっている。
乙女のようにときめくわけじゃないけれど、やっぱり目で追ってしまう。そして、こういう人たちは見られることに慣れていて、じろじろ見てもまったく気にしないのだ。
しかし、さすがに不躾に見続けていたらしい。宙を眺めていた視線が葉月に移った。
「俺の顔に何かついてる?」
「……いえ、別に」
とっさに忙しいふりをしてみる。けれど、その隙を逃さないとばかりに、キラキラオーラ全開の笑顔にグイッと迫られた。
「ところでさ、春分祭当日の空はどんな感じになりそう?」