(2)
翌日、呪術祠祭課に行くとそこに陽明の姿はなく、代わりに机に向かって仕事をしていたのはいつもは床で寝ている子草だった。
「あれ、子草さん珍しく起きてるんですね。陽明課長はどうしたんですか?」
「課長は先週から通州に行ってる」
「通州ですか?」
「ああ、水利工事の助っ人だ」
……水利工事。どう考えても工部の仕事だけど、どうして礼部の人間が?
そう思ったが、すぐに納得する。
「ああ、そっか。呪術祠祭課が暇だから、課長、助っ人に駆り出されたんですね。たしかに、仕事しないで給料をもらうのは申し訳ないですもんね」
フムフムと頷きながら椅子に座ると、なぜか棘のある視線を向けられた。
「お前、なにか勘違いしてねえか。水利工事は誰でもいいわけじゃなくて、課長だから頼まれたんだ。それから言っとくけど、うちの課、そんなに暇じゃないからな。俺だって、毎日寝る間も惜しんで働いてるっつうの」
……寝る間も惜しんで?
「そういえば、子草さんって、いつもここに寝泊まりしてますけど、何してるんですか?」
素朴な疑問をそのまま投げかければ、子草は横目でじーっと葉月を見てから一言、「阿呆女には教えねえ」と言い放った。
……なっ、なぜ、阿呆女? しかも、こっちの質問、完全に無視されたし。
ヒクリと口を引きつらせながら隣を見たけれど、子草が質問に答えることはなく。なぜか「あっ」と声を上げて、葉月を指さした。
「そういや、鳳月長官が呼んでたぞ」
「鳳月長官が? なんの用事ですか?」
「なんか空読みしてほしいとか言ってたな」
……空読みしてほしい?
「とにかく、さっさと行け」
それだけ言うと子草は、片手でしっしと葉月を追い払って、仕事に戻った。どうやら本当に忙しいらしい。机に向かうなり一心不乱に計算をしている。
珍しいこともあるもんだ。
葉月は首を傾げながら部屋を出た。
*
「妖怪退治?」
礼部長官室へ行った葉月は、鳳月の言葉に目を丸めた。
「ええ、眉山に妖怪が出るらしいんです。その調査で明後日、うちの官吏が眉山へ行くんですが、晴れますか?」
「ああ、天気ですか……」
正直なところ、また面倒事でも頼まれたらどうしようと思っていた。
でも、今回はただ天気を聞かれただけらしい。
ホッと胸をなでおろして、開けっ放しの窓から少し薄ぼんやりした青空を見る。
「山なら朝晩は霧がかかりやすいですけど、日中は晴れると思いますよ。ただ、夕立には注意が必要です。まあ、夕立なんて夏山ではよくあることですけど」
その答えに、鳳月は「では、行けそうですね」と微笑んだ。
微笑みの裏でなにを考えているかわからない鳳月だったが、葉月の空読みには全幅の……とは言わないまでも、それなりの信頼を寄せてくれている。脅迫まがいの依頼をしてこなかったら、案外話の通じる上司なのかもしれないと思ったり、思わなかったり……。
「それにしても、本当に妖怪なんているんですか?」
「ええ、話によると、明け方霧の中に巨大な人のような姿の怪物が現れるらしいんです。その怪物には剣も矢も通じなくて、やってきた人間に金目のものはすべて置いて行けというらしいです」
「金目の物は置いていけ? それって妖怪というよりも、なんだか人間っぽいですね」
訝しく思いながら答えると、鳳月は常に浮かべる微笑みをわずかに崩して、嬉しそうに笑った。
「相変わらず勘がいいですね。おそらく、誰かが妖怪のふりをしてやっているんでしょう。でも、どうやってその巨大な人型の妖怪を作り出しているか。その辺りがわからないんですよ」
明け方、霧の中に突如人が現れる。剣も矢も通じない。まるで幽霊のような――。
……あれ? この話、昨日馬さんが話してた怪談にそっくりだ。
「鳳月長官、もしかしてですけど、それって幽霊の仕業とか……」
鳳月が驚いたように眉を持ち上げる。
「意外ですね。あなたは現実主義者だと思っていたんですが」
「昨日同じような話を聞いたので……」
「それは興味深いですね。でも、考えてみてください。幽霊が金を置いていけと言うと思いますか?」
……たしかにそんな物欲にまみれた幽霊とか、ちょっと想像できない。まあ、霊感ゼロだから、実際に見たことなんてないけど。
「実は、その妖怪は神か仏じゃないかという話もあるんです」
「剣も矢も通じない巨大な怪物……で、神か仏? なんだか、繋がらないんですけど」
鳳月が肯定するように頷く。
「ええ、たしかに繋がりません。実は、なぜそんな話が出たかというと、その妖怪の周りに光の輪ができるらしいんです。それが、まるで後光のようだと言う者がいましてね」
……妖怪の周りに光の輪? それって――。
葉月はハッとして顔を上げた。その瞬間、鳳月とバチリと目が合う。
「どうしました?」
「いっ、いえ、なんでも……」
……もしかしたら、たぶん、いやおそらく、その妖怪の正体に気づいちゃったんだけど! でも、これは言ったら絶対に面倒なことになる。
「もしかして、なにかわかったんですか?」
「いっ、いいえ」
ブンブンと思いっきり首を振って否定する。
探るような視線とともに沈黙が数秒。それから、鳳月は世間話でもするような軽い口調で「そういえば」と話し出した。
「呪術祠祭課での仕事は、楽しいですか?」
「……ええ、まあ」
……なんだか、猛烈に嫌な予感がする。
「傘売りのほうは?」
「……まあ、それなりに楽しいです。相変わらず、まったく売れませんけど」
「そうですか。ちなみに、ご存じだと思いますが、長官の権限を使えば、あなたの仕事を根こそぎ奪うこともできるんですよ。そうしたら、また一文無しですね」
ギョッとして顔を上げれば、そこには相変わらずの柔和な微笑みがあった。
「ところで、何に気がついたんですか?」
……やっぱり脅迫ですか!!
話のわかる上司かと思ったけど、あれ訂正! 礼部にいる限り、こんな状況がずっと続くとか、勘弁なんですけど!