(7)
そして、いよいよ裁判前日になった。その日の夕方、葉月は中庭にある椅子に座って、空を眺めていた。
盆地にある泰京は、いわゆる内陸性気候で一日の寒暖差が大きい。日中の暑さは厳しいけれど、朝晩は意外に過ごしやすいのが特徴だ。
吹く風に涼を感じながらぼうっとしていると、背後から声をかけられた。
「また空を見ていたんですか」
振り返れば、すぐ後ろに黒衣を纏う瑚珀がいた。
河柳の件があってからは気まずく過ごしていた。別にそれまでだって仲がよかったわけじゃないけれど、ここ数日は、特に顔を合わせてもどこかぎこちなかった。
互いに胸に言いたいことを隠しているような、でもそれを言い出せないような、そんな雰囲気があった。
だから、二人きりはかなり気まずい。
「まあ、空を見るのは仕事ですから。一応、空読み付きの傘売りなんで……」
「その割には、傘が売れているようには見えませんが」
「うっ……」
触れられたくないところをグサッと一突きしてきた。
「たっ、たしかに、売れませんけど。最近は呪術祠祭課にも通っているから、別にいいんです」
言い訳しながらいつの間にか隣に立っていた男を見ると、その口元が緩く持ち上がっていた。
……もしかして、からかわれた?
最近瑚珀はこうやってニヤリと笑うことがあった。たいていが冗談を言う時で、それが冗談か本気かわかりにくい上に、ブラックすぎて対応に困る。
いつから、こんな風に冗談を言うようになったっけ? と考えてみたけれど、いつからかはよくわからない。
でも思い返してみると、出会ったころからこの男は葉月に対して冷笑してくることがあった。あのころは恐ろしさのほうが先だって「笑顔が黒いー怖いー」と思っていたけれど、もしかしたらあれも冗談を言っていたのだろうか。……と考え出すと迷宮入りするので、考えないようにしている。
それでも、ここ数日、常に男が纏っていた冷たい空気が薄らいでいたことに、葉月はわずかに肩の力を抜いた。
「それよりも、今日はいつもより帰るのが早いですね。どうしたんですか?」
「気になりますか」
「ぜんっぜん気になりませんけど」
間髪入れずに返したら、フッと鼻で笑われた。と同時に、頭上から竹の葉に包まれた粽が現れる。紐でつるされた粽は、まるで糸を伸ばす蜘蛛のようにツーッと下りてきた。
「……これ、何ですか?」
「粽です」
……それは見ればわかる。
「誕生日が近いと聞いたので」
「誕生日?」
「河柳が言っていました」
どうやら、以前葉月が話したことを覚えていて、河柳が言ったらしい。お節介というかなんというか、よりにもよってこの男に言わなくてもよかったのに。でも、だからといって、どうして粽を買ってきたんだろう。
……まさかプレゼントとか!? いやいや、それは違うよね。
「以前、おいしいと言っていませんでしたか」
「それは言いましたけど」
驚く葉月を一瞥して、瑚珀は背後からもう片方の手を出した。その手に握られていたのは大量の粽。十個以上はあるだろうその粽を、男は庭に設えられた卓の上にどさりと置いた。
「えっ……?」
「好きなら、たくさん食べたらいい」
「ちょ、ちょっと待ってください。たしかにここの粽は大好物だし、たくさん食べられるのも嬉しいです。でも、さすがにこれは多いですよ」
目の前には、特大おにぎりサイズの粽が十個以上ある。一人で食べるには多すぎる。
「あなたなら、これくらいペロリといけると思ったんですが」
「いや、ペロリとはいけませんから」
思いっきり否定して見上げたら、その口角が緩く持ち上がっていた。
どうやら、またからかわれたらしい。
それにしても、どうして今日はこんなに絡んでくるんだろう。その前に、今までだってこんなに絡んでくることがあったかと聞かれたら返答に困るんだけど、とにかく今日はここ数日の冷徹仕事モードが嘘のようだ。
もしかしたら、河柳がこの場にいないからかもしれないと思ったけれど、よくわからない。元々、この男が考えていることなんて、ほとんどわからないのだから。
相手の意図がわからず眉をひそめると、瑚珀は諦めたように踵を返した。
「では、夕飯にみんなで食べましょう」
「えっ……みんなで?」
けれど、驚く葉月にそれ以上は何も答えず、瑚珀は「着替えてきます」と言って去っていった。
葉月は男の後姿と粽を交互に見た。
男の口から「みんなで」という言葉が出てきたことが信じられなかった。それに、誕生日が近いからといって粽を買ってきたことも。もしかして、初めからみんなで食べようと思ってこんなに買ってきたのだろうか。
卓の上に置かれた大量の粽に視線を向ける。
「誕生日か……」
去年の誕生日は食べる物もなくて、ひとりで空を見ながら涙を流した。でも、今年は――。
粽を見つめながら、頬がフッと緩む。
――今年はみんなで食べるらしい。
「あっ、そういえば、お礼言うの忘れた」
驚きすぎて、すっかり礼を言うのを忘れてしまった。後で、お礼を言わなくちゃ。そんなことを思いながら、葉月は粽を手に立ち上がった。
「とりあえず、可喜さんに持っていこっと……」
*
その日の夕食は、卓子に大量の粽と可喜が腕を振るった料理が並んで、ちょっとしたパーティーのような雰囲気になった。珍しく瑚珀も酒を飲み、和やかに時が過ぎた。
「さすがにこの量は多いよな。おおい、侍女さんも一緒に食べようぜ」
河柳の一声で、普段は給仕に徹する可喜も珍しく一緒に卓についた。しかも、河柳が根掘り葉掘り彼女の生い立ちを聞くものだから、可喜はすっかり恐縮してしまった。
恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女を見るのは初めてで、葉月もなんだか楽しい気持ちになった。
「じゃあ、元は可喜さんのお父さんが、ここで働いていたんですね」
なぜ瑚珀宅で侍女をするようになったのか。その理由を聞いて、葉月は「へえ」と頷いた。年若い可喜がどうしてここでひとり働いているのか、実はずっと謎だったのだ。
どうやら父親が亡くなった後、その仕事を引き継ぐ形でここにいるらしい。
「旦那様には、身寄りがなくなったところを雇っていただいて、感謝してもしきれません」
彼女がこの屋敷の主人について話すのは初めてで、その意外な内容に葉月は驚いた。
……そんな一面もあるんだ。
刑部長官としての冷たく非情な面と、たまに見せる少し優しい面。一見すると、全然つながらない二つの面は、でも、そのままこの男を表している気がした。
その日の夕食は賑やかに過ぎた。途中、葉月の誕生日を祝う流れになり、代わりに河柳の誕生日も祝ってあげた。
恥ずかしそうな、でもどこか嬉しそうな河柳を見て、可喜と一緒に笑い合った。
河柳がいる時は仕事の顔を崩さなかった瑚珀も穏やかな表情を見せていて、そのことに少しホッとした。