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空読み師  作者: こでまり
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(6)

「えっ……何がですか?」

「あなたが笑うなんて」


 珍しい? 笑うのが? そういえば、人ひとり殺せそうなあの瞳を前に笑ったことなんてあったっけ。……いや、二百パーセントないな。


「たしかに。今日の葉月は緊張してるもんな。なんでそんなに、よそよそしいんだ」


 よそよそしいもなにも、凍るようなあの視線を前にして緊張しないほうがおかしい。平然と食事している河柳が信じられないくらいだ。

 改めて河柳の図太さに感心していると、横から特大級の爆弾が落とされた。


「っていうかさ、お前ら、恋人同士じゃねえのか?」

「……はいぃぃぃ?」

「だって、この屋敷に二人で住んでるんだろ。それって、夫婦じゃなかったら恋人同士ってことだろ」


 恋人同士? 誰と誰が? そんなの絶対に絶対にぜぇーったいにありえない。ああ、死神がどう思ったか考えると、顔を向けられない。


「河柳が変なこと言って、すみません」


 慌てて頭を下げれば、河柳が訝し気に眉を寄せた。


「なんで謝んだよ」

「あのね。私は河柳と同じで、ここで監視つき居候をしているだけなの」

「葉月、何やらかしたんだ?」

「なにもやらかしてないんだけど……。とにかく、河柳とほぼ同じ状況なの。それが監視している刑部長官と、彼氏彼女の関係になるわけないでしょ」


 しかもこの男は女には食指が動かない男色家だ。とは、未来ある少年には言わないでおこう。

 背中に大汗をかきながら、葉月はこの場が収まることだけを祈った。だから目の前の男が放った言葉に、瞬時には反応できなかった。


「そういう関係も、悪くないですねぇ」


 恐る恐る視線を向ける。瑚珀はどこかこの状況を楽しむように、口の端を持ち上げてニヤリと笑っていた。


 だあぁぁぁ。死神まで悪ノリしてきた。河柳はポカンとしてるし、この状況に自分一人で立ち向かうなんて、絶対無理だーーー!!


 葉月は思いっきり頭を抱えた。

 その後、食事はほとんど喉を通らなかった。そうして、河柳がお腹いっぱいになったところで、気詰まりな食事会は幕を閉じた。


 部屋に戻った葉月は精神的疲労が大きすぎて、布団に突っ伏したまましばらく動くことができなかった。





 翌日は朝から晴れて、暑くなりそうな天気だった。葉月は傘売りには行かず、午前中の比較的涼しい時間は河柳と遊ぶことにした。


「行くぞ、葉月」


 河柳の明るい声とともに、毬が蹴り上げられる。受け取る葉月は必死だ。走って走ってようやく毬の下に着いた時には、肝心の毬はすでに地面の上。蹴るどころか、触ることさえできない。


「葉月、ほんと運動神経ねえな」

「いいでしょ。運動神経がなくても生きていけますよ。ねえ、可喜さん」


 中庭の隅に立つ可喜に向かって、声をかける。彼女は二人が遊んでいる間、いつも二人から少し離れた場所に立っていた。

 もちろんのんびり午後のひとときを楽しんでいるとか、ましてや一緒に遊びたいけど声を掛けられないとか、そういうことではない。

 二人が口裏合わせをしないかどうかの、つまり――見張りだ。


 突然の呼びかけに、可喜がわずかに肩を揺らした。一瞬口を開き、困ったように視線をさまよわせる。それでも、二人の視線が離れないことに諦めて、口を開いた。


「女性にとって、運動神経はそれほど重要ではないと思います。でも、まったくないのもどうかと……」


 そこまで言って、可喜はハッと顔を上げた。


「葉月さん、申し訳ございません」


 暗に「運動神経がない」と言ってしまったことを詫びているらしい。普段、表情の薄い人が焦りながら必死で謝るなんて、逆にリアルすぎて悲しくなる。


「平気です。自分でも、こんなに運動神経がないのはどうかという自覚はあるんで。河柳の相手にもなっていないし。あっ、そうだ。どうせなら、可喜さんも一緒にやりませんか。私よりは相手になりそうですから」

「そうだ。葉月は下手すぎて、全然相手になんねえから、侍女さんちょっと付き合ってくれよ」

「河柳はストレートに言いすぎなの!」

「事実だろ」


 結局、二人の勢いに押された可喜は「では、少しだけ」と呟いて、中庭に足を踏み入れた。

 河柳の蹴った毬が天高く飛び上がる。


「ほら葉月、蹴ろ!」

「えっ、無理、無理!」


 加速度的に落下してきた毬から、猛ダッシュで逃げる。


「葉月、逃げんなよ」


 いやいや、上から落ちてきた毬を蹴るなんて、サッカー選手並みの運動神経がなかったら無理だ。


 慌てて逃げたことによって、誰もいなくなった空間に毬が落ちる。派手な音を立てて地面にぶつかると思ったその毬は、しかし予想に反して勢いよく飛び上がった。


「へっ……?」


 透明人間でも現れた? って、そんなわけないか。

 黒縁眼鏡を押し上げてよくよく見れば、毬が落ちたと思った場所にあったのは、裙子スカートから伸びた可喜の足。

 どうやら、地面に落ちかけた毬を彼女が蹴ったらしい。二メートルはある距離を瞬時に移動して――。


「侍女さん、すげー」

「いえ、たいしたことではございません」


 息ひとつ乱さず自らの裙子スカートを直した可喜を見て、葉月は理解した。どうやら彼女は普通の女性以上、おそらく男性並みに運動神経がいいらしい。


 ……可喜さん、恐るべし。


 その後、裁判までの数日、葉月は河柳と可喜と毎日遊んだ。

 河柳の空気を読まない子供らしさは表情の薄い侍女の心も溶かしたようで、次第に可喜の顔に笑みが浮かぶようになった。

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