(5)
会わせてとは言ったけど、何がどうなってこんな展開に……。
葉月は予想外の状況に混乱していた。
卓子には、いつもより豪華な食事が並ぶ。どうやら可喜が腕を振るったらしい。普段はない前菜や点心まで並んでいた。
「豪華な飯だな。葉月、いつもこんなの食ってるのか?」
所狭しと並ぶ料理を見て、河柳はキラキラと目を輝かせた。
風呂に入ったのだろう。土まみれの髪は黒い艶を取り戻し、顔は剥き卵のような輝きを放っている。今まで汚すぎてどんな顔かわからなかったけれど、意外にも河柳はぱっちり二重でかわいい顔をしていた。
ちょっと、これってイケメン予備軍ってやつ? 将来が楽しみだ。って、そんなことよりも、この状況でそんな嬉しさ全開の顔ができるって、どれだけ怖いもの知らずなの? もしかして将来大物?
葉月はこっそりと目の前に座る冷たい美貌の男を見た。
河柳に会いたいと言った後、葉月はなぜか瑚珀とともに屋敷に帰った。
道中何も言わない男に、面会はきっと明日以降になるんだな……と、少しだけ落胆しながら屋敷に入ると、意外なことに、嬉しそうな顔の河柳が葉月を出迎えた。
「よう、葉月!」
「河柳、なんでこんなところにいるの!?」
聞けば、裁判までの数日間、彼はこの屋敷にいることになったらしい。
――監視つき居候。
葉月とまったく同じ状況だった。違うのは、彼にはこの家を出る自由がないということくらい。
そうして、屋敷に河柳がいることに戸惑いながら夕食の席に着いて今に至る……のだが。
「おい、葉月、顔が固まってるぞ。緊張してんのか?」
「いや、別に……」
あいまいに笑って否定したけれど、正直なところその通りだった。
虎長官、血も涙もない刑部長官、などと言われて周りから恐れられている瑚珀だったが、屋敷にいる時は比較的穏やかな表情をしていた。最近は、本気か冗談かわからないブラックすぎるジョークを言うこともあって、反応に戸惑う葉月を見て楽しんでいる節さえあった。
それが今日はどうした。
刑部で会った時からここまで、冷たい表情を解く気配がない。
仕事モードと言えば聞こえはいいけれど、悪いことなんて何もしていない葉月でさえも緊張してしまうほどに、空気は張り詰めていた。
きっと家に帰っても冷たい表情を解かないのは、殺人容疑のかかっている河柳がいるからなのだろう。
「いやー、それにしても、この女みてえに綺麗な顔して、人ひとり殺すくらい何とも思ってねえ長官様の家に、まさか葉月が住んでるなんてな。飯は豪華だし長官様も意外に心が広いしよ、いいとこ住んでんな」
言い終わると同時に、ポンッと肩を叩かれたけれど、葉月は何も返せなかった。
……ちょ、ちょっと、河柳。発言が地雷踏みまくりなんだけど。死神を前にここまでストレートなことが言えるって、どれだけ大物なの? こっちなんて全身縮み上がって、気を抜くと震えが来るんだけど。とりあえず、お願い、空気読んで!
目力アップで念じたけれど、河柳が気づく様子はない。
次々と菜を口に運びながら「これ、うめえな」とか「やべえ、これもうめえ」とか、大口を開けながら言っている。
その白身のお肉がおいしいのは知ってるよ。それはそのまま食べるより、隣にあるゴマだれをつけたほうがおいしいよ。とか心の中でアドバイスしている場合じゃない。
なぜ、どうして、河柳と一緒にこの家でご飯を食べなきゃならないの!?
「葉月、食わねえのか?」
目の前の料理をひょいひょいと平らげていく河柳とは対照的に、葉月の箸は重い。
「私まだお腹が……」
「おめえ、いつも色気より食い気って言ってるくせに、なに、しおらしくなってんだよ」
「しおらしくなってないって。まだ、シニガ……、瑚珀長官が食べていないのに食べられるわけないでしょ」
はああ? と素っ頓狂な声を上げた河柳が前方を見る。瑚珀は弓形の眉をわずかに歪めて、こめかみをぐるりと揉みこんだ。
「遠慮せず、どうぞ」
ほら、あんな不機嫌丸出して「どうぞ」とか言われて、食べられるわけがないって。
「長官もああ言ってるし、葉月食おうぜ」
だから、違うんだって! ああ、胃が痛くなってきた。誰か、胃薬プリーズ。
すると、そこに可喜が現れた。まさか自分の心の声が伝わって、胃薬でも持ってきてくれたのかと思ったら、お茶の換えを置き、おかわりの有無を聞いて戻ってしまった。
……可喜さん、もっと絡んでくれてもいいんですよ。
そう思ったけれど、可喜が戻ってくるわけもなく、葉月はしかたなく食事を再開した。
春巻きの皮のようなものを手に取って、河柳に視線を向ける。
「河柳、その鶏肉はタレに直接つけるんじゃなくて、この皮に載せて、タレも一緒に載せて、こうやって巻いて食べるんだよ」
北京ダックのような食べ物を実演しながら言うと、河柳は「へ? そうなのか?」と驚いた顔をした。
……いや、自分も確信はないんだけど、たぶん。
「そう……ですよね」
って、思わず同意を求めてしまった。そして、回答なしだし。もういいや、食べちゃえ。
葉月は思いっきり北京ダック風のものを口に運んだ。甘いタレと鶏肉とそれを包む皮が絶妙に絡み合って、やっぱりこの食べ方で間違いないと大仰に頷く。
そんな葉月の横で、河柳がプッと噴き出した。
「口にタレつけて自慢げに言われても、説得力ねえけど」
「ぶへ? ぐちにダレ?」
「言えてねえ。葉月ウケる」
そう言って、河柳は腹を抱えて笑い出した。
「ちょっと河柳、笑いすぎ」
「だって、葉月が口にタレつけて、自慢げな顔するから」
「そういうあんたこそ、口にタレがついてるって」
「えっ、マジで?」
短装の袖で口を拭こうとした河柳は、シミひとつない新しい衣に気づき、慌てて手の平で口元を拭った。
お互い口にタレつけて騒いでるなんて、ちょっと……というか、かなりアホっぽい。しかも、それを死神の前で繰り広げてしまうなんて。きっと、いつもの冷たい目で見られているんだろう。
やけっぱちで葉月が笑うと、河柳もつられたように笑った。緊張ばかりで全然楽しくない食事で爆笑していることが、茶番に思えた。
そう、これは河柳を楽しませるための茶番。河柳が楽しければそれでいい。だったら、思い切り笑ってやれ!
葉月は箸が転んでもおかしがる女子高生のように、ケラケラと笑い続けた。
しばらく笑って、ふと視線を感じて顔を上げる。卓子の向こうからは、瑚珀がどこか呆けた顔でこちらを見ていた。
「……どうしたんですか?」
葉月の問いかけに、我に返ったようにひとつ瞬きをした男は、手元の茶を飲むとゴホゴホと盛大にむせた。
「だ、大丈夫ですか?」
そう思ったのは、葉月ばかりではなかったらしい。河柳も笑いを止めて「長官、大丈夫か?」と言葉をかけた。
むせたせいで頬が上気し、目元がわずかに潤んでいる。作り物のような整った顔に人間らしい色が加えられた瞬間、そこには言葉にできない色気が浮かび上がった。
この男に関しては、いっそ人間離れしてくれていたほうが精神衛生上助かる。
なんとなく見てはいけないものを見てしまった気がして口元を拭っていると、卓子の向こうから声をかけられた。
「珍しいですね」




