(4)
河柳への尋問が終わった後、葉月は刑部長官室に呼ばれた。
重厚な黒檀の机にそれと同化するような黒色の袖を載せて、瑚珀は切れ長の瞳を葉月に向けた。
その瞳がいつもより冷たく感じるのは、気のせいではないだろう。
「次はあなたです。あの少年とは、どういう関係ですか」
「ただの知り合いです」
「それでは、何もわかりません。どこで出会って、どういう交流を持っているのか詳しく教えてください」
相手の真意を見抜こうとする瞳からも、流麗すぎていっそ堅苦しく感じる天藍語からも逃げたくなった。それでも、葉月は腹の底に力を入れて、まっすぐ男を見た。
「彼と出会ったのは二週間くらい前です。喉が渇いて道で倒れていた河柳を助けたのがきっかけで、天壇前で傘売りをしていると、よく遊びに来るようになりました。たまに昼ご飯を半分に分けてあげることもありました。でも、それだけの関係です」
瑚珀がこめかみをぐりぐりと揉みこむ。
「それは、厄介ですね」
「……厄介ですか?」
「いいえ、まあそれは置いておきましょう。では、先ほどの彼の話を聞いてどう思いましたか」
「別に、どうも……」
「――どうも?」
切れ長の瞳が、そのまなざしだけで相手を殺せるんじゃないかと思うくらい鋭く光った。
「被害者に所持金はなかった。ということは、窃盗目的の可能性もあるんですが、彼の証言を聞いて何も感じませんでしたか? 空読み師の葉月さん?」
ひっ、ひえぇぇぇ。死神が本気出した。今、完全にロックオンされた。めちゃくちゃやる気モードの目をしてるんだけど。無表情がこわいんだけど。ちょっと、体の震えが止まらないんだけどーーー。
葉月は小刻みに震える指で黒縁眼鏡を押し上げた。
「えっ……ええ。ただ、ああそうか、と思っただけです」
「では、彼は無実だと?」
「彼は……物を盗むような人間でも、人を殺めるような人間でもありません」
死神は絶対に気がついている。自分がこの状況を回避しようとしていることに。思考戦なんてまったくの専門外だ。それでも――、すべてを見通されていたとしても、河柳を守らなくちゃ。
探るような瞳がひときわ強く光ったことに、体を強張らせる。しばらくじっと見つめ合ってから、瑚珀は鋭い視線をまぶたの奥に隠した。
「わかりました。裁判の時には、事件当時の気象状況について、あなたにも意見を伺います。新たにわかったことがあれば、その時に話してください」
鋭い視線から解放されたことに、ホッと息を吐く。そして一礼すると、葉月は重苦しいその部屋を後にした。
深い息を吐きながら、ひんやりとした石造りの廊下を歩く。
頭の中に浮かぶのは、どうして河柳が……という疑問ばかり。答えはいくら考えても見つからない。
でも、彼を守るのは自分しかいない。葉月を突き動かすのは、その思いだけだった。
最後に河柳に会った時のことを思い返す。
「葉月、誕生日の礼物、何がほしい?」
土ぼこりにまみれた顔で、河柳はそう尋ねてきた。
「えー、なにもいらないよ」
「そんなこと言うなよ。葉月には世話になってんだ。俺だってなにか返したい」
ツンと口を尖らせた河柳を見て、クスリと笑う。どうやら気分を損ねてしまったらしい。
「わかった。じゃあ、なにか甘い食べ物がいいな。干し林檎とか」
「そんなんでいいのかよ。女っていうのは、手巾とか、耳環とか、そういうもんを喜ぶんじゃねえのか。お前、そんなんだから結婚できねえんだよ」
「どうせ、色気より食い気とか言うんでしょ。その通りですよ。お腹が満たされれば、それでいい人間なんですよ」
「ダッセーな」
「河柳に言われたくありませんよーだ」
憎まれ口を叩く河柳に、憎まれ口で答えたのはつい四日前。
そういえば、あれ以来彼を見ていなかった。
仕事を終えた葉月は、雷が落ちたという事件現場に来ていた。そこは孔子廟裏の空き地だった。
建物も何もないがらんとした場所に、一本の杉の木が立つ。落雷の影響だろう。幹の上半分が折れていた。
「河柳は、あの杉の木の下で雨宿りをしていたんだよね。それで雷に打たれたっていう官吏は、あそこから六尺って言っていたから、二メートルくらい離れた土の上に倒れたってことか……」
現場検証をしながら、うーんと首をひねる。もう一度、幹の折れた木に視線を移したところで、辺りに低く通る声が響いた。
「ここに来て、何かわかりましたか?」
振り返らなくたって、誰かわかる。どうして自分がここに来たことがわかったんだろう。どこかにGPSでもつけているんだろうか。
葉月は太い木の幹を見つめたまま答えた。
「なにもわかりませんでした」
「では、何か思い出しましたか?」
「なにも思い出しませんでした」
「あなたはこの事件に、一枚噛んでいるんですか?」
「一枚も二枚も、なにも噛んでいません」
眼鏡を押し上げて、振り返る。夕日に染まる景色とは対照的な、漆黒の衣が目に飛び込んだ。
「お願いします。河柳に会わせてください」
駄目と言われるのは、百も承知だった。駄目だったら他の方法を探す。それでも駄目だったら、また他の方法を。とにかく裁判の前に彼に会いたかった。会ってもう一度話を聞きたかった。
葉月の決意を感じ取ったのか、瑚珀は何のためらいもなく「いいですよ」と了承した。