(15)
「お疲れー。葉月のおかげで無事祈雨祭ができたよ。ありがとう。それにしても、昨日はどこに行っていたの?」
直球で聞かれて、思わず動揺する。正直なところ、昨夜の事件を隠すことにばかり専念していて、言い訳を用意していなかった。
「えっ、あの……」
「なんか課長を好きな女に、灸をすえられていたらしいっすよー」
「ちょっ……、子草さん。いきなり、なに、言い出すんですか。課長、違いますからね。あれはただ……」
慌てて訂正しようとしたけれど、それよりも早く陽明の瞳がすうっと冷えた。
「どういうこと?」
「えっと、あの……その……」
うまい言い訳が思いつかない。口が軽すぎる子草を恨みつつ、そんな男に話してしまったことを、葉月は猛烈に後悔した。
……ああ、きちんと口留めしておけばよかった。いや、すべて人選を間違えた自分のせいなんだけど。
結局葉月は、昨日のことをすべて話した。表現はまろやかにしたつもりだったが、それでも陽明は自分がやったことのように頭を下げた。
「そんなことがあったのか。……本当にごめん。銀ちゃんは弁償する」
「いっ、いえ、もういいんです。なんとか雨が降る前に祈雨祭は行えたし」
「いや、彼女たちには、それとなく釘を刺しておくよ。葉月は俺らの大事な仲間なんだから」
隣で子草が「課長の釘刺しって、想像するだけで怖えぇぇ」と呟いていたけれど、葉月の耳には届いていなかった。
「大事な……仲間」
そんな言葉を言われたのは、この世界に来てから初めてだった。
日本にいた頃は、少ないながらも仲間と呼べる人たちがいた。くだらない話に何時間でもつきあってくれる友達だったり、仕事の相談をすると一緒に考えてくれる同僚だったり。あの頃は普通だと思っていたけれど、今は貴重なものだったと思える。
……仲間か。その言葉、ちょっと嬉しいかも。
フッと緩みかけた頬を、慌てて引き締める。
でも、それは今だけ。この仕事が終わるまでだということもわかっている。
「あの、本当にもう大丈夫です。私はまた傘売りに戻るだけですから」
「いや、葉月はもうここの一員だよ。このままこの課にいたらいい。なあ、子草」
「たしかに葉月がいなかったら、春分祭も祈雨祭もどうなったかわからねえからな。まあ、癪だけど、一員として認めてやるよ」
意外な子草の言葉に目を瞠る。まさか子草に『一員』と言われるなんて思わなかった。驚いて隣を見ると、なぜか偉そうな顔でポンと肩を叩かれた。
「俺にもようやく部下ができたな。遠慮なく、子草先輩と呼んでくれ。ああ、そういえば饅頭の差し入れがまだだったな。先輩記念に待ってるからな」
……饅頭? そういえば前にそんなことを言われたっけ。それよりも、せっかくちょっと感動していたのに、雰囲気台無しなんだけど。
わずかに潤んでしまった瞳を隠すように、葉月はむうっと口を尖らせた。
「一応私のほうが年上ですけどね」
「あぁっ?」
「いえっ。じゃあ、その無精ひげを剃ったら、先輩って呼んでもいいですよ。もちろん饅頭も買ってきます」
「ちょっと待て。これが男らしくていいんじゃねえかよ。ワイルドでセクシーだろ」
子草は自慢げに顎ひげを撫でているが、残念ながらワイルドにもセクシーにも見えない。顔が童顔だからか、どことなくアンバランスに見えるのだ。
「それは、似合っていたらの話です」
「お前、それは俺のひげは似合ってないって言ってんのかよ?」
「そう聞こえたなら、そうなのかもしれませんね」
少し考えてからから、ニヤリと笑う。
「子草さん、もしひげを剃ったら、課長並みにラブレターが殺到しちゃうかもしれませんよ」
「えっ……」
「じゃあ、私はこれで」
目を点にした子草を放置して立ち上がる。
「陽明課長、お先に失礼します」
「本当に昨日はゴメンね。それに今日はお疲れ様。ゆっくり休んでね」
「はい。明日雨が降ることを祈りながら寝ます」
「気にしなくても大丈夫だよー。なるようにしかならないんだから。じゃあ、また明日ね」
相変わらずのあっけらかんとした言葉に、葉月の肩からフッと力が抜ける。
……こんな時は、課長の軽さに救われるなぁ。
ずっと空読みを外したらどうしようと、そればかり気にしていた。でも、なるようにしかならない。たしかに、そうなのかもしれない。
葉月は「はい」と笑顔で返して、扉に向かった。部屋を出る際ちらりと背後を見たけれど、子草の顔は固まったままだった。
ちょっと言い過ぎたかな。でも、こうやって気軽に言い合える相手がいるのも、実はけっこう嬉しかったりする。せっかく仲間と認めてくれたのだから、もう少し素直に喜んでもよかったかもしれない。
とりあえず、明日は饅頭を差し入れしよう。
そんなことを思いながら、葉月は呪術祠祭課を後にした。
*
礼部の建物を出ると、そこは昼間の喧騒が嘘のようにしんとしていた。
宵闇に包まれた空を見ながら帰路につく。けれど数メートル進んだところで、葉月は意外な人物に呼び止められた。
「ああ、いいところにいた」
声をかけてきたのは鳳月だった。さすがに急な祈雨祭だったからか、その顔には疲労の色が見える。
「鳳月長官、お疲れ様です」
呪術祠祭課でのひと時で気が緩んでいたけれど、さすがに鳳月を目の前にすると緊張する。
もしかして「雨が降らなかったら責任を取ってもらう」とか言われたらどうしよう。そう思って、身を固くする葉月に、鳳月はどこか嬉しそうな顔で近づいてきた。
「いやー、おかげで祈雨祭が無事終わって、後は雨を待つだけです。ところで、降りそうですか?」
「えっ、はい」
慌てて視線を上に向ける。空を覆う雲は一面に広がりつつある。ここまでべったりと曇れば、確実に降るだろう。
「明日には降ると思います」
「どうやって雨が降るとわかったんですか? 銀ちゃんでしたっけ、あれは壊れたんですよね」
「ええ。でも、今回は朝焼けの色が独特で……。それで空読みができました」
「朝焼けの色?」
「はい。普通、茜色に染まる朝焼けが、今朝は黒みがかった桃色だったんです。こうなるのは、上空の水蒸気の量が多くなってきた時で、雨が近いということです」
台風などが近づく時、朝焼けや夕焼けがピンクや紫といった、どこか不気味な色になる。今朝、牢屋の高窓から覗いた空は、まさにその色だった。
そして、今は完全な曇り空。雨雲が近づいている証拠だ。
「なるほど。空を読んで、雨を予想する。まさに空読み師ですね」
曇天を見つめながら、鳳月が言った。
「お見事です」