(14)
「えっ……」
視線を横にずらすと、肩には黒衣から伸びた手がかかっていた。そのまま視線を上げれば、絶対零度の視線が陽明に向かう。
……な、なんか死神、怒ってる!?
ギョッとした葉月の頭上で、瑚珀が冷たく笑う。
「君はいつも、女性にこんなことをしているんですか?」
一瞬驚いた表情をした陽明だったが、すぐに爽やかな笑顔に戻った。
「いつもってわけじゃありませんけど、葉月は特別ですかね」
「特別?」
「なにかとうちの課を手伝ってくれていますから。それよりも、どうして葉月が瑚珀長官といるの?」
「それは、彼女が監き……」
「ちょーーっと待ったぁぁぁ!」
葉月は慌てて二人の間に割って入った。監禁された云々は陽明には知られたくない。ここはなんとか穏便に話を収めなくては。
「実はちょっと道に迷って、後宮のほうに入ってしまったみたいで。帰れなくなったところを瑚珀長官に連れてきてもらったんです。ですよね、長官!」
完全に嘘だけど、ここは口裏を合わせてくれ。そんな気持ちで背後を見れば、瑚珀は怪訝そうな顔でこちらを見つめていた。
「ですよね、長官!」
目力アップでもう一度言ったら、不審に思いながらも状況を察したのだろう。瑚珀が諦めたように「ええ」と頷く。
……ああ、よかった。ここで陽明ファンに監禁されたなんてバレたら、大変なことになるところだった。この件はとにかく穏便に済ませたい。
ホッとした葉月の前で、陽明がニッコリと笑う。
「そうだったんだ。長官ありがとうございます。うちの課の者がご迷惑をおかけしました」
「いえ、うちの家の者が世話になっていますね」
まったく温度を感じない淡々とした声になぜか身震いして仰ぎ見れば、瑚珀は口の端を綺麗に持ち上げ、艶やかに、けれど温度は一切なく笑っていた。
……ちょっと、なに、これ。二人とも笑顔……なんだけど怖い。死神の笑顔が恐ろしいのはいつものことだけど、課長も怯むどころか笑顔で挑んでるし。しかも、辺りにはブリザードが吹き荒れている気がする。初夏なのに!!
「ど、どうしよう」
……これはツッコミどころがありすぎて、どこから手を付けていいかわからない。とりあえず、自分は瑚珀宅の家の者になった覚えはないことは言っておきたい。それに、もしかしてこれは男色家の刑部長官にロックオンされたイケメン官吏の図なのかとも思うけれど、それはちょっと違う気がするから省いておく。
むしろハブとマングースの戦いのような気もして。……って、今はそんな細かいことはどうでもいいか。まずは、この場を収めなくちゃ。
そこで、葉月は当初の目的を思い出した。
「あっ、そうだ! 課長、雨が降る兆候が出ました。祈雨祭を一刻も早く行ってください!」
……ああ。こんな大事なことを言うのを忘れるなんて。……ド阿呆。
結局、葉月の一声でその場は収まった。真顔になった陽明が「わかった」と頷いて、礼部に戻ったからだ。
その後は礼部の官吏総動員で準備が行われ、数刻後、夜を待たないうちに、大きな銅鑼の音とともに祈雨祭が始まった。
その仕事の早さを葉月は驚きを持って見つめた。どうやらいつもはやる気がないイケメンは、やればできるイケメンらしい。
とにかく彼の仕事の早さのおかげで、祈雨祭は無事その日のうちに行うことができた。
*
とりあえず、やるべきことはやった。後はいつでも降ってくれ。この際、ポツポツなんかじゃなく、ザーザー、ドバドバ、バシャバシャ、ゴロゴロ、ドッカンドッカン降ってくれ。
「ああ、つかれたぁぁぁ……」
葉月は呪術祠祭課に戻るなり、机の上に突っぷした。
今日は色々あって本当に疲れた。でも、とりあえず祈雨祭が無事に終わってよかった。後は雨が降ってくれるのを祈るだけ。たぶん降ると思う。あんなにはっきりと兆候が現れたんだから、今回は外していないと思う。
「……うん。大丈夫だよね」
自分自身に言い聞かせるようにひとつ頷いたところで、扉を開ける音とともに「いやー、疲れたなー」というだみ声が耳に届いた。
振り返ると、子草が頭をガシガシ掻きながら部屋に入ってきた。
「子草さん、お疲れ様です」
「おっ、葉月。まだいたのか? お前さっさと帰れよ」
「もう少ししたら帰るつもりですけど、どうしてですか?」
「夜中まで拘束してると、虎長官に何言われるかわかんねえからな」
虎長官とは、もちろん死神のことだ。それよりも自分が夜まで仕事していることと、あの男と何の関係があるんだろう。
「ちょっと遅くなったくらい、大丈夫ですよ」
「呑気にそんなこと言うな。昨日の夜、俺らがどんな目に遭ったか、わかってんのかよ」
「昨日の夜?」
牢屋に監禁されていたのでまったくわからないけれど、何かあったのだろうか。
首を傾げた葉月の隣に、子草がドカリと座る。
「お前がいないって、虎長官がここに乗り込んできたんだよ。あれはマジで怖かった。すっげえ恐ろしい顔で、葉月の居所を吐けとか言われてよ。俺の首、一瞬で飛ぶかと思ったもんよ。お前、相当不審者扱いされてんな。どんだけ悪いことしたら、あんな徹底マークされるんだ?」
全然悪いことはしていない。不審な点もない。強いて言うなら、異世界から来たってことがちょびっとだけ不審なくらいで……って、それで十分か。
どうやら、昨夜自分が帰らなかったことで、あの男が呪術祠祭課に来たらしい。正直、そこまで徹底マークされているとは知らなかった。
……もしかしたら後宮の牢に来たのも、それでなのか?
「私もどうして監視されているか、まったくわからない……というよりは、監視なんてそもそも必要ないんですけど。とりあえず、昨日はすみませんでした」
「……で、実はどこに行ってたんだ。もしかしてこれか?」
子草が小指をピコリと立てる。この世界でも、やましいことは小指を立てて表すらしい。
相変わらずデリカシーゼロ男だけど、子草にならちょっとだけ相談してみてもいいかもしれない。
葉月は半身を乗り出して、同じように小指を突き立てた。
「実は、陽明課長のこれの方々に灸をすえられていました。これ以上、課長にまとわりつくなって」
葉月のひそひそ声に、子草は黒目がちの瞳を大きく見開いて、あんぐりと口を開けた。
「お前、一丁前に嫉妬されたのか?」
「はい、そうらしいです」
「よかったな。女だと認識されて」
「はい。……って、そこですか!?」
ガハハと、子草が豪快に笑う。
……やっぱり言わなきゃよかった。
せっかく真面目に相談したのに笑いで流された。そもそも子草が真面目にアドバイスするとか、それこそありえない話だった。
「子草さんに言ったのが間違いでした。完全に人選間違えました」
「いや、案外人選間違えてねえかもよ。こういうのはだな……」
なぜか訳知り顔で子草が頷いたところで、部屋の扉が開いた。入ってきたのは、疲れた顔をした陽明だった。