(10)
路地を半分くらい歩いたところで、粽がおいしいと評判の飯屋に着いた。
店先には、竹の葉に包まれた三角形の粽が、山盛りに積まれている。その中から一つずつ選んで、葉月たちは店の中に入った。
人気店なのか、店の中は混んでいた。空いている席をようやく見つけて、二人向かい合って座る。
周りを見ると、みんな竹の葉を剥ぎ取って中の粽を食べている。葉月も見よう見まねで、同じように粽の外側を包む竹の葉を丁寧に剥いだ。
中から黄金色の粽が現れる。おそらく味つけがされているのだろう。見るからにおいしそうだ。パクリと一口食べて、頬を緩める。
「おいしい」
もちもちとした米に味つけした椎茸や肉が入っていて、食べた先から口の中に旨味が広がった。かといって味が濃いわけではなく、優しい味で後を引く。
ペロリと完食したところで、もう一つ差し出される。
「おいしいなら、もっと食べたらいい」
「さすがにそこまで食べられませんよ……」
一度はそう言ってみたものの、この粽が最高においしくて、あっという間に二つ食べてしまった。
その頃には、頭から水をかけられたことに対する不満は、きれいさっぱり消えていた。
どうやら自分は身ぎれいにして腹を満たせば、嫌なことも消えてしまう性格らしい。
「私は仕事があるので戻りますが、あなたはどうしますか」
店から出たところで、瑚珀に尋ねられた。
「あっ、私は屋敷に帰ります」
「そうですか。では、ここで――」
どうやら暇だったわけではないらしい。挨拶もそこそこに、瑚珀は歩き出した。けれど、しばらく行って、何を思ったのか戻ってくる。
「忘れていました。仕立屋の主人に買わされました」
男の手が葉月の頭に伸び、髪に何かを差し込む。
なんだろうと思いながら手を添えて、「えっ」と驚く。手に当たった金属製の物は、女性の頭を彩る髪飾りだった。
「これ、簪ですか?」
「私が持っていても、使い道がありませんから」
「そんな、いただけません。他の方にでも差し上げたほうが、使い道があると思います」
さっき入った仕立屋は、貴族向けの高級品ばかりを扱っていた。この簪だって、一級品に違いない。
こんな高価なものもらえないと、慌てて抜こうとしたら、横から伸びた手に阻まれた。
「私の噂を知っていますか?」
……噂? 虎の住処とか虎長官とか言われて、官吏たちから恐れられていることくらいしか。
ぐるりと頭を巡らして、ハッとした。そういえば、初めて刑部に行くことになった時、子草に慌てて止められた。その理由はたしか――。
「同性の方がお好きなんでしたっけ……」
子草はたしか「男色家で若い官吏を食い物にする」と言っていた。大変なことがありすぎて、すっかり忘れていたけれど。
「知っていましたか」
「最初は男に間違われていたんで、刑部に行く時に忠告されたんです。……食われるなって」
ふいに落ちた沈黙に、ごくりとつばを飲みこむ。さすがに食われるは言いすぎた。
男の冷酷な視線を思い出して、恐る恐る視線を上げる。しかし次の瞬間、葉月は思いっきり赤面した。
……うそ、笑ってる!?
そう。男は目を伏せ口元を緩めて、――笑っていた。それはまったくの意識外で、ふいにこぼれ落ちたというような柔らかい笑みだった。
……ああ、ダメだ。これは反則だ。
こんな色気駄々洩れの笑顔を日常的に振り向かれたら、命がいくらあっても足りない。きっと一撃必殺で、倒れる人が続出するんじゃないか。
……そんな笑顔は好きな女、……じゃなかった男にだけ向けてくれ!
「わっ、笑わないでください!」
赤くなった顔を隠して俯く。思ったよりも声が大きくなってしまったことに、内心ハラハラしていると、視界に映った黒衣がフワリと揺れた。
「とにかく、私が持っていても使い道がありませんから、あなたが煮るなり焼くなり好きに使ってください。では、私はこれで」
それだけ言うと、固まる葉月をその場に残し、瑚珀は黒衣の裾を揺らしながら去っていった。
これまでも冷たい笑いとかドス黒い笑いとかは見たことがあった。でも、こんな柔らかい笑顔を、しかも至近距離で見るのは初めてだった。だから、思った以上に動揺してしまった。
「あの笑顔は有害だって……。死神にかぎっては、笑わないほうがいいな」
男の姿が見えなくなってようやく、葉月は藍色の裙子をぎこちなく持ち上げて、男とは反対のほうに歩き出した。