(4)
「変な誤解をされないうちに話しておきますけど、明日銀ちゃんを持って礼部に行くことになりましたから」
「礼部に?」
一瞬、眼光が鋭くなった気がして、葉月はビクッと肩を震わせた。
……うそっ。まさか極悪スイッチ押しちゃった!?
「ですから、この国を侵略しようとか陛下を暗殺しようとか、そういう物騒なことは考えていませんから。ただ、礼部に来て、空読みをしてほしいって言われただけです」
「こんな時期に、空読みですか」
「私も詳しくは知らないんですけど……。とにかく今日、鳳月長官直々に言われたんです」
「何日間、行くんですか」
「えっと、それもまだわからないんですけど……」
「何も知らないまま、仕事を引き受けたんですか?」
「いやっ、だからそれは鳳月長官がすんごい勢いで迫ってきて、断ることなんてできなくて……、とにかく断ることができなかったんです!!」
焦りすぎて、同じことを二回言ってしまった……。
気まずく俯けば、瑚珀は怜悧な瞳をため息とともに和らげた。
「まったくあなたは。仕事内容も聞かずに引き受けるなんて、小さな子供でもしませんよ」
「うっ……」
言い返すべきなんだろうけど、あまりに正論すぎてぐうの音も出ない。
礼部長官といいこの男といい、月日をも動かす長官様は、相手の逃げ場をこっぱみじんに打ち砕く話し方が得意らしい。そういえば、年齢も近い気がする。
そこでハッとひらめく。
……もしかして、死神だったら礼部長官に太刀打ちできるんじゃない? それどころか、長官同士仲が良かったりして、水面下でお断りなんていう芸当ができるかもしれない。ここは低姿勢でお願いしてみる価値ありかも。
「おっしゃる通りでございます。実は私も、もう内城での仕事はしたくないと思っておりまして。できたら瑚珀長官のほうから鳳月長官に断っていただけたら、ありがたいというか助かるというか……」
その瞬間、鋭い視線が、まるで殺傷力の高い刃物のように飛んできた。
「何を言っているんですか。大人なら自分の始末は自分でつけてください」
……ですよねぇ。ごもっともすぎて、返す言葉もございません。
葉月の打算は呆気なく打ち砕かれた。
そして翌日。葉月は銀ちゃんを携えて、内城に足を踏み入れたのだった。
*
「礼部長官、出てこい! 今日という今日は、一言言ってやらないと気がすまねえ」
「さっさと雨を降らせろ。このままだと旱魃だ、大飢饉だ!」
久しぶりに足を運んだ礼部は、人でごった返していた。
どうやら、雨が降らないことへの不満を募らせた人たちが、押し寄せたらしい。
たしかにこのまま雨が降らないと、本格的な旱魃になりかねない。現代日本のようにダムがあるならまだしも、そのような巨大貯水施設はないのだから、旱魃はすぐに飢饉につながる。
「まあ、いくら言っても、しばらく雨は降りそうにないですよーっと」
野次にこっそり返しながら、葉月は人の波をかいくぐった。気圧は相変わらず高めキープ。雨の元となる低気圧なんて近づく気配もない。
次々とぶつかってくる男たちから銀ちゃんセットを守りながら進んでいると、いつの間にか人の波を抜け出していた。よろめきながらもホッと息をついた先に、暗い扉が現れる。
――呪術祠祭課――
もう来ることはないと思っていたのに、結局来てしまった。
春分祭が終わってから、この三ヵ月。傘売りをしながら呪術祠祭課での日々を思い出すことがあった。
二週間だけの空読みの仕事だったけれど、なんだかんだ言って楽しかったのだ。陽明からの誘いを断ったのを、ちょっとだけ後悔したこともあった。
でも、それとともに思い出すのは、空読みを外してしまったこと。
春分祭は四大祭祀のひとつで、国の重要な行事だ。その国家行事を自分のせいで、大惨事にしてしまうところだった。あれは今思い出しても震えが来る。実はあの後しばらく、天気を予報するのが怖くなったくらいだ。
春分祭のような惨事は二度と起こしてはいけない。だから、安易に仕事を引き受けてはいけない。自分は細々と傘売りをして、心穏やかに生きていければそれでいいんだと、固く、かたーく決意した。
「それなのに、来ちゃったよ……」
あのおばさま卒倒の微笑みで、その筋の人もびっくりの脅迫まがいのことを言ってくる礼部長官に、反旗を翻すことなんてできなかったのだ。
扉に手をかけて、ため息を吐く。
……まだ大丈夫だ。とにかく用件だけ聞いて帰ろう。今度こそちゃんと断るんだ!
「できません、できません。私には絶対にできません」
呪文のように唱えて扉を押そうとしたところで、それよりわずかに早く扉は内側から開いた。
「ああ、葉月、よく来たね」
「私には絶対にできません!」
「えっ、できないってどうしたの?」
「あっ、間違えました。……えっと、そうだっ。なんだか大変なことになっていますね」
気持ちが先走りすぎて、意味不明な発言をしてしまった。
前のめりすぎた自分が恥ずかしくなって慌てて背後の喧騒を見れば、同じように視線を向けた陽明が肩をすくめた。
「そうなんだよ。とにかくここだと話もできないから、中に入って」
困ったように笑いながら背中を押されて、葉月は部屋の中に入った。
……あれ? 断るはずだったんだけど。まだ大丈夫だよね。