(3)
……不老不死って、まさか永遠に若さを保ったまま死なないっていうあれのこと? 古今東西の権力者がみんなほしいと願っているけど、いまだにそんなことはできないっていうあれのこと!?
なにかの冗談かと思って見つめたけれど、その目は少しも笑っていなかった。
「それは、どういうことでしょう……」
瑚珀は長い指をこめかみに当てて、グリグリと揉みこんだ。それが苛立った時のこの男の癖だというのは、最近になって知った。つまり今は不機嫌らしい。
「水銀の元である辰砂は、不老不死の薬“仙丹”の原料として昔から珍重されてきたんですよ。あなたが煉丹術を駆使する道士にでもなるのかと思いましてね。ちなみに、過去に道士がその怪しい術で宮廷を牛耳ったことがありましたが、ご存じですか?」
「えっ……道士?」
「ああ、私が一掃したんですがね」
「はいぃぃぃ?」
「道士に傾倒していた当時の貴妃は、仙丹を愛飲してくれたおかげで勝手にあの世へ行ったんですが、病原の道士はどうにもなりませんでしたので。現皇帝に代替わりした際に、私が――」
瑚珀は笑った。ぞっとするほど、暗く冷たい瞳で。
「――全員の首を刎ねました」
驚いた拍子に、葉月の箸から人参が跳ね飛んだ。
相変わらず、さらっと、とんでもないことを言ってくる。わかってはいるつもりだったけれど、日本というぬるま湯育ちの自分にはやっぱり刺激が強すぎる。殺すとか殺されたとかいうのとは、無縁の世界にいたのだ。
背中を冷たい汗が流れ落ちる。けれど葉月は必死に冷静なふりをして、卓子に落ちた人参を拾って、口に放り込んだ。二倍速で咀嚼して、勢いよく飲み込む。そして、一言。
「それはお疲れ様でした」
言い終わると同時に、部屋に気詰まりな沈黙が落ちた。
……えーっと、なにか話を。って、まったく思いつかない。だって、どうやって人殺しの話を広げればいいっていうの。こっちはただ、水銀がほしいって言っただけなのに。
嫌な汗をダラダラかきながら、次々と菜を口に運ぶ。いつもは「さすが、お貴族様の家の料理人は腕が違う」と舌鼓を打ちまくる菜の数々も、まったく味がしない。
正直、もう水銀がほしいとか呑気に言える状況じゃない。とにかくこの場を立ち去ることだけを考えて、黙々と箸を動かした。
そして、そろそろ食べ終わるというころ。先に食べ終えていた瑚珀が尋ねた。
「水銀を使って、何をするつもりですか」
「空読みのための道具を作りたいんです。晴れか雨かを測る道具で、晴雨計っていったりもするんですけど、それに水銀が必要なんです」
「なぜ水銀なんですか」
「他の液体でもいいんですけど、重い水銀が一番やりやすいんです。もちろん、皮手袋もはめて、細心の注意を払ってやります」
真顔で説明する葉月の言葉を、瑚珀はじっと聞いている。
「辰砂は高いです。それを製錬所で水銀に加工するとさらに値が張る。この前もらった謝礼なんてすぐに消えますよ」
「かまいません」
「わかりました。知り合いを紹介しましょう」
「えっ、紹介してくれるんですか?」
「頼んだのはあなたでしょう」
「そうなんですけど……」
「明日にでも紹介しますよ」
それだけ言うと、瑚珀は黒色の衣の裾をはためかせて部屋を出て行った。
相変わらず、なにげない動作すら目を瞠ってしまう。何度も繰り返すけど、その美しい顔の下に、いっさいの情もなく斬首する冷酷な死神の一面があるなんて誰が思うだろう。
でも、水銀がほしい理由を言ったら、意外にすんなり納得してくれた。
相変わらず怖いんだけれど、こっちの仕事は理解してくれた……。
そして、翌日。葉月は漢方医を紹介され、彼の伝手で水銀を手に入れた。
*
「要するに、あの男は自分の仕事とか相手の仕事とか、とにかく仕事に関することには関心を持つんだよね」
銀ちゃんを使っての気圧計測中に回想してしまった葉月は、現実に戻されて呟いた。
全くもって理解不能だった男の思考回路が最近少しだけ読めてきて、嬉しいのやら悲しいのやら……と思いながら、もう一度水銀の高さを測る。
「高さは変わらず二尺半。やっぱり明日も晴れか。ああ、それよりもお腹すいたぁ」
天を仰いで瞑目した拍子、
「また昼食を抜かしたんですか」
背後から、低いながらもよく響く天藍語が聞こえてきた。
仕事から帰ったばかりなのだろう。振り返ると、先ほどまで脳裏を占めていた男が、黒色の官吏服のまま立っていた。
「明日こそは昼食を準備させますから、持っていってください」
「いえ、それは大丈夫です」
葉月はすぐに視線を戻して、銀ちゃんを片づけだした。
この話題は二人の間で何回も繰り返されてきた。けれど、いつも平行線で終わる。
こちらとしては、監視つきとはいえ居候の身。朝晩の食事を用意してもらっているだけで十分で、昼くらい自分で食べようと考えている。
これでも元の世界では社会人として、自分のお金で食べてきた。世界が違うからといって、いつまでも甘えた状況を続けるわけにはいかない。
……ということを、毎回丁寧に説明しているんだけど、なぜかこの件については納得してくれない。
ここまで来ると、もはや意地だ。
「とにかく、お昼は大丈夫ですから!」
ぐううぅぅぅぅ……。
「そんなに腹を空かせているのに?」
「こ……これは!!」
なぜこんなタイミングで腹が鳴る!?
「とにかく、私が昼食をどうしようと、長官には関係ないですよね!」
周りが聞いたらびっくりするような口の利き方だが、瑚珀のほうに気にした素振りはない。
それどころか、かすかに笑みのようなものを浮かべて中庭に置かれた琺瑯の椅子に腰かけた。
黒色の衣が夕日を浴びて、目にまぶしく飛び込んでくる。
“虎長官”“虎の住処”などと揶揄されて、内城の官吏たちから恐れられているこの男は、葉月がどんな口調で話そうがあまり気にしていないようだった。
一度「失礼な言い方で、すみません」と謝ったら「失礼という自覚はあったんですね」と冷笑された。
まったく、いい性格をしている。
元はといえば、監視という非人道的行為をしているのは向こうであって、しかも「恨みたいなら恨めばいい」と言ってきたのも向こうであって、こっちが謝るのもちょっとおかしな話ではある。
……まあ、その辺の分別は、一応つけているつもりだけどね。
それでも、相変わらず話が通じない男に、たまにこうしてはっきり言ってしまうことがある。それでも、咎められたことは一度もない。
男の秀麗な顔に夕日が当たり、長いまつげが影を作った。椅子を背に物思いにふけるその姿は、相変わらず絵になる美しさだった。
これでニッコリ笑ったら女性の心を鷲掴みするんだろうけど、いかんせん怖い、笑わない、極悪死神刑部長官だもんなぁ。
よっぽどハートが強くないと、話しかけることもできないよね。
最近、自分はこの男と一緒にいることに慣れてきたところがある。慣れとは恐ろしいもので、取り扱い要注意人物ではあるものの、極悪スイッチさえ押さなければそれなりに話すことができる。
とはいっても、その極悪スイッチがどこにあるかが、さっぱりわからないんだけど。
たまに意図せずそのスイッチを押してしまって地雷を踏むことがあって、それが悩みの種だ。
しばらく見つめてから、葉月は黒色の衣に向かって「瑚珀長官」と声をかけた。