(14)
「周期が変わった?」
血相を変えて呪術祠祭課に入った葉月に、用事を終えて部屋に戻っていた陽明が驚いた声を上げた。
「はい。半日、いや一日ずれたかもしれません。これだと明日には雨が降って、明後日の春分祭のころには強い北風が吹いてしまいます」
焦りが出ているのだろう。いつもより口調が早くなってしまう。それを察したのか、陽明がニコリと笑った。
「とりあえず、落ち着いて」
「すみません。空を読み違えた、私のミスです」
空読みの仕事を任されて、今までは順調にいっていた。こんな自分でも少しは役に立っているのかもと嬉しくなった。それなのに、肝心な時にミスしてしまうなんて……。
「あの、今からでも、できることはやります。といっても、春分祭の日程はもう変更できないし、やれることはあんまりないんだけど。でも、もっと正確な予報を伝えられるように……。そうだ、もう一度空を!」
ひとり言のように呟いて部屋を出ようとしたところで、陽明に引き留められた。
「待って、葉月。全部ひとりでやろうとしなくても大丈夫だよ」
「でも、空を読み違えたのは自分の責任で……」
「君だけの責任じゃない。そのために俺たちがいるんだ。そうだろ、子草」
葉月の後をついて来ていたらしい。部屋の入り口で、子草が肩をすくめた。
「ああ、やれることは俺たちもやる。それに、まだどうなるかわかんねえだろ。今変わったら、また変わる可能性だってあるんじゃねえのか」
たしかに可能性はある。でも、もう可能性に頼っている段階じゃない。時間は迫っているのだ。そんなこと彼だってわかっているはずなのに――。
……きっとこれは子草さんなりの慰めだ。
そう思ったら、なんとも言えない気持ちになってしまった。
俯く肩をポンッと叩かれる。
「大丈夫だから。とりあえず、俺は鳳月長官のところに行ってくる。子草は強風対策を頼む」
「了解っす。じゃあ……、葉月も一緒に行くか?」
「えっ……?」
顔を上げると、ニッと笑う子草と目が合った。
「できることは、やるんだろう?」
いまだ胸の中では、自らの不甲斐なさと申し訳なさが、ぐるぐると渦を巻いていた。でも葉月はそれらの感情をぐっと飲みこんで、勢いよく頭を下げた。
「お願いします。強風対策、私にも手伝わせてください!」
そうして、葉月は子草とともに春分祭が行われる日壇へ行った。
おそらく鳳月から指示が出たのだろう。続々と礼部の官吏が集まってくる。彼らと一緒に、祭壇の補強をしたり篝火の固定をしたりした。
途中から現れた陽明も作業に参加して、彼らのおかげで事前の準備は滞りなく終わった。
準備の合間に、何度も空を眺めた。けれど、一度ずれてしまった天気は元に戻らないのか、空には薄い雲が広がり始めていた。
やれることはやった。でも、どうなるかはわからない。
――後は、祈るしかない。
*
肉体的にも精神的にもクタクタになって、葉月は瑚珀宅に戻った。
すっかり意気消沈して、ひとり黙々と夕食をとる。いつもはおいしいと舌鼓を打つ料理の数々も、今はまったく味がしない。
頭に浮かぶのは春分祭のことばかり。できることはやったとはいえ、天気を読み違えてしまったことへのショックはなくならない。
「なんでこんな時にかぎって、上手くいかないんだろう……」
俯いたまま箸が止まる。
そこへ遅れて帰ってきた瑚珀が現れた。向かいの席に座り、侍女にお茶を頼んでから葉月に視線を向ける。
「なんだか、やつれましたね」
「春分祭が近いので。実は、ノミに毛が生えたような心臓なんです」
「……ノミに毛?」
「ノミの心臓に毛が生えたような状態なんです」
「…………」
微妙な沈黙が落ち、物言いたそうな視線が向けられた。
どうして何も言わないんだろ。気がついたなら、つっこんでほしい。「ノミの心臓に毛が生えたって、なんじゃそりゃ」とか笑いで流してほしい。
そういえば、この男が笑った姿なんて見たことがあったっけ。どす黒い笑いとか冷たい笑いなら見たことがあるけど、普通の笑顔は……。
しばらく考えて、そんな姿はありえないと思い直し、止まっていた箸を動かす。青菜を口に入れ、無言で咀嚼してごくりと飲み込む。
……やっぱり、いつもより味がしない。
ふうとため息とついたところで、卓の向こうから声を掛けられた。
「まだこの国は征服できそうにありませんか?」
……えっ、どうして今、その話題? というか、征服とか侵略とかするわけないって言っているのに、相変わらず侵略者扱いなのか。せっかく呪術祠祭課で受け入れてもらえて、この世界での生活も悪くないかもと思えたのに、この男といると人生が悪い方向に転がっていく気がする。
葉月は半ばやけくそで椀を持ち上げると、ズズズーっと大きな音を立ててスープをすすった。そして、勢いよく言う。
「征服なんてするわけないじゃないですか!!」
それから、もう一度思いっきりスープをすする。
ズズズズズーーーー。
……もういい。どうせ嫌うならとことん嫌え。ついでに、この際だからこの家から追い出してほしい!!
心の中でそう叫んだところで、ククッと何かを堪えるような声が耳に届いた。
……えっ、まさかこの声は。
怖いもの見たさでそっと顔を上げる。そこにあったのは、世にも珍しい死神の微笑みだった。
「……笑えるんですね」
恐ろしいものでも見たような気持ちで呟けば、瑚珀が笑いをピタリと止めた。
「私を何者だと思っているんですか」
――死神です。とは、もちろん言わない。
「そんな風に笑う姿を初めて見たので、驚きました」
「私だって、笑うことくらいあります」
あったとしてもそれは黒い笑いか冷たい笑いだろう。とも思ったけれど、やっぱり言いはしない。
……それにしても、どうして笑ったんだろう。もしかしてスープをすする音がおかしかった? それとも発言が変だった?
首をひねりながら考えてみたけれど、答えなんて出るわけもない。しかたなく葉月は食事を再開した。
しばらくして、同じように箸を動かしていた瑚珀が話しかけてきた。
「そういえば、さっきはどうしたんですか」
「……えっ、さっき?」
「春分祭のことで何かあったんですか」