(11)
そして翌日――。
物見台の上で、葉月は頭を抱えていた。
「うわー、頭痛い。飲みすぎたぁ……」
昨夜のことを思い出す。
フラフラの体を支えられながら、なんとか屋敷に帰った気がする。……んだけど、帰り道の途中からほとんど記憶がない。もちろん屋敷にたどり着いた記憶もない。
朝起きて挨拶と礼をしたら、冷たいを通り越して完璧な無表情で「もうあんなに酒を飲むのはやめることです」と一喝された。
もしかしたら、信じられない暴言をたくさん吐きまくったのかもしれない。なにかとんでもないことをしたのかもしれない。
とりあえず聞くのが恐ろしいから、勢いよく頷いて逃げるように家を出た。
「何しちゃったんだろう……」
正直後が怖い。
あの男のことだ、百倍返しのようなことを平気でしてきそうだ。尋問とか拷問とかは避けたかったのに、逆に一歩近づいた気がする。
うううっ……。
二日酔いとは違う頭痛に頭を抱えていると、物見台の下から「空読み師さんですか?」と、なんともかわいらしい声が聞こえてきた。
「空読み師……って、私のことだよね」
ひょいと下を見下ろす。そこには桃色の衣を纏った三人の女官が立っていた。
葉月はいまだ収まらない頭痛に頭を抱えながら、物見台を降りた。
*
内城は大きく分けて、官吏たちが政務を行う官衙と、皇帝の住む皇城の二つに分けられる。
皇城はさらに皇帝が謁見などを行う外朝と、皇帝やその妃が住む内廷に分けられる。通常内廷にいる女官が官衙に来ることは少ないのだが……。
「えっと……いかがなさいました?」
葉月は目の前にいる三人の女官に戸惑っていた。
どう見ても葉月より若い。互いに小突き合ってもじもじする姿は、まるで女子高生だ。さっきから「誰が言う?」「あなたが言ってよ」というアイコンタクトをしている。
しばらくして、その中の一人が意を決したように顔を上げた。
「あの、私たち皇后様付きの女官です。実は明後日、皇后様と皇子様が玉淵潭にいらっしゃいます。それで、出発時の空の様子を教えていただけないかと思ってまいりました」
「明後日ですか?」
「はい。毎年恒例の踏春の旅行なのですが、皇子様はまだ一歳。寒暖の具合で、着る物など準備が変わります。少しでも事前に空の様子がわかればと思いまして」
几帳面にお辞儀をした女官から視線を外して、葉月は空を仰いだ。
霞がかった空には、刷毛で掃いたような筋状の雲がいくつも伸びている。
「そうですね。その日の空は坂を下るように悪くなるでしょう」
葉月の答えに、女官たちが一様に肩を落とす。
「ちなみに出発は上午ですか、下午ですか?」
「上午です」
「では、雨は免れるかもしれません」
「寒暖の具合はいかがでしょう」
「雨が降る前までは、春の暖かさ。雨が降った後は、冬の寒さが戻ります。朝、穏やかな陽気でも雨の用意を、温かくても寒さの準備をしたほうがいいと思います」
ニッコリと笑って言い切ったところで、女官たちが「すごーい」と驚きの声を上げた。
「どうしてわかるんですか? 千里眼でもお持ちなのですか?」
「千里眼!?」
千里眼とは、千里の果てまで見渡すことができる能力。つまり超能力のことだ。
「そんなの、ないない。これは観天望気といって、雲の形とかで空読みする方法です」
「そうなのですか。いずれにしても、すごいです!」
女官たちが羨望のまなざしを向ける。なんだか誇らしい気持ちになって、葉月は口角をキュッと持ち上げ小首を傾げてみせた。
「明日になれば、もっと確実なことがわかるわ。気になるなら来てみて」
若干口調がおかしくなったのは、異世界ということで許してほしい。可愛らしい女官たちを前に、デキル女っぽく振舞ってみたくなったのだ。
ついでとばかりに、片手を上げて颯爽と立ち去る。すると、その時、どこかからクスクスという笑い声が聞こえてきた。
焦って振り返れば、葉月たちから数メートル離れたところに陽明と子草が立っていた。
「陽明課長、子草さん。いつから、そこにいたんですか!?」
「空読み師さんですか、のあたりかな?」
「それって、最初からいたってことじゃないですか!」
「そうとも言うよね」
陽明がニッコリと笑う。すると、まわりから「キャー」と悲鳴に近い声が上がった。
黄色い声の主は先の女官たち。彼女たちの瞳はイケメンスマイルに釘付けだった。
つまり、この彼女らも彼のファンということらしい。
「わざわざ、こんなところまで来てもらっちゃってごめんね。連絡くれたら、こっちから行ったのに」
「そっ……そんな……わざわざ来ていただくなんて」
しどろもどろになりながら首を横に振る姿は、まるでアイドルを前にしたファンそのもの。
しかし当の本人にとっては、慣れっこなのだろう。爽やかスマイルが崩れることはなく、それどころか、
「こんな美人で有能な女官さん達に会えるんだったら、仕事なんて後回しで行っちゃうよねー」
などと言ったものだから、彼女たちの顔は沸騰したように真っ赤になった。
これはラブレターが殺到するのも納得だ。
「明日になれば、もっと詳しい空読みができるんだよね、葉月?」
「えっ……はい」
「じゃあ、明日はこっちから伺おうか」
「いえ、こちらの用事なので、私たちが参ります」
「本当? 悪いねー」
「いえいえいえいえいえいえ」
首を振る三人の声が、二重三重にこだまする。否定の声まで見事なハーモニー。
さすが女官。
そして、彼女たちは誰からというわけでもなく姿勢を正し、流れるような所作で略式の礼をとった。
「「「失礼いたします」」」
その礼は少しの乱れもなく、ぴったりと合っていた。
葉月は女官というものを初めて間近で見た。噂には聞いていたけれど、なかなかに厳しい訓練が施されているらしい。官吏試験ほどではないものの、女官試験もかなりの倍率だと聞いたが、それも納得だ。
けれど、くるりと踵を返した瞬間、キャッキャと声を上げて駆けていく姿はやっぱり女子高生だった。
彼女たちのパワーを使ったら、新たなエネルギーでもできるんじゃないかな。
クリーンエネルギーならぬ、イケメンエネルギーみたいな……。