ep08
「それで、わたくしが呼ばれたのは、一体どんなご用なのです?」
カーティスの事情はわかった。では、自分は?
ソニアは核心に迫るべく率直に尋ねる。
それはそれ、これはこれ。自分は弟のように宮中騒動とは縁はない――という思い込みが伝わったのだろう、祖父と父がいかにも後ろめたいといった空気を醸して顔を見合わせている。
「え、まさか……」
「すまない、そのまさかなんだ」
「いやいやいやいや、まずいでござろう! 拙者は一応、未婚の令嬢でありますぞ! しかも目通し適う年齢にも満たないでござる。それはまずい、非常にまずいであります!」
あまりにも身勝手な先方の要求に、流石に外聞を気にしてソニアは声を荒げる。
対する祖父と父はひたすら肩をすぼめてうな垂れたまま、すまん、すまんと繰り返している。
「義父上。ソニアの言う通り、これはやはり問題です……今からでもお断りして撤回を」
「ううむ、そう、そうだな……ワシもわかってはいるんだ、わかっては。だがな、いや、ううん」
駄目だ、これは断れそうにない。ソニアは直感する。
「……実は、これはその、カーティスからの頼みなんじゃ」
「はっ?」
ソニアだけならず、父まで声をあげた。
「口止めされて言えんかったが……カーティスがソニアにも一度、殿下に会って欲しいと……すまん!」
必死に頭を下げ、両手を合わせる侯爵に、義理の息子とその娘は諦めたように息を吐いた。
そもそもが可愛い孫の頼みなら、祖父が無碍に出来なかったのも理解できる。
「しかしなんだってカーティスはそんな無茶なわがままを……」
父の呟きに、ソニアは弾かれたように顔を上げる。
「カートは決してわがままを言うような子ではないでござる。きちんとした理由があるに違いないでござる」
当然とばかりにソニアが言い切ると、父は恥じた様子で目を伏せ、しゅんとする。
「失言だった。もちろん、私もカーティスを信じている」
「話を戻すでござるが、拙者が王宮へ行くのに何か策は講じてあるでござるか?」
幼すぎるカーティスを王宮へ入れるための特例措置に手を焼いた、というのが先ほどまでの話だったはずだ。
次は、さらに歳の近い未婚の女児。特例に調子付いた侯爵が孫娘まであてがおうとしている……などと、邪推しろと言わんばかりの条件だ。
「それは、その」
祖父が目を背けた。
「『その』?」
「こ、これから考える……」
「……お祖父さま……」
我ながら冷ややかな視線を浮かべていると自覚しながら、ソニアは上目遣いで祖父を見る。ふと脳裏に母の顔を思い浮かぶ。あの母はこうして出来たのか。
「ハァ、なんだかもう、何も思いつかないでござる。いっそ男装でもしようかしらん」
「――それだ!」
「はっ?」
適当に口先だけで言った軽口に、祖父が大きく乗り出した。
「そうだ、何もドレスで行くこたぁない。流石ソニアだ。男子がもう一人、一日だけカーティスの手伝いに行くことにすれば……そうだ、カーティスと殿下に仲違いの振りでもしてもらって、いっときの子供の諍いなど大人が介入するより別の子に仲介させればいいと、事情を知らない他家の子より当家の者で内密に取り持とうということで、よし、決まりだ!」
目を見開いたまま固まるソニアの傍で、父は何も言わずに嘆息した。
――あの人、はっちゃけると面倒臭いから。
今よりずっと小さかった頃に母から受けた忠告が、今突然ソニアの耳に蘇る。
なるほど。これが、はっちゃけたという……
「そうです。これが君のお祖父さまです」
ソニアの心を読んだように、父が淡々と応えた。
数日の後、本当に計画を実行する運びとなった。
ただし筋書きには少々手が入って、カーティスの大事にしていた雑貨を王子が壊してしまい、カーティスはその雑貨をくれた遠縁の子を思い出して、里心に落ち込んでいるという流れになった。
流石に王族と諍っては、カーティス自身やアルジェントスの不敬、不名誉に繋がりかねない。
誠意として新しく同等品を与えようとしてもカーティスは喜んでくれない、代わりにどうすればいいだろう、と王子から侍従に秘密の相談がなされたらしい。
その他者を思い遣る様子は王子にこれまで見られなかった変化だと、王を始め、皆が感動したのだという。
「とんだ茶番でござるなあ」
「シッ、あんまり滅多なことを言わんでおくれ」
「あいや、失礼」
カーティスは、願わくば、遠縁の子に貰い物を壊した旨を謝りたいと告げたそうだ。
ソニア改めソナンは、王子が、その望みを叶えるために呼んだ遠縁の子、という設定である。
「拙者の名はソナン……見た目は男、頭脳は……」
向かいでこちらを見ている祖父と目が合って、ソニアはしれっとした顔で口をつぐむ。
本心は、馬車の中が沈黙に包まれる度、そわそわとして落ち着かない。
本当にうまくいくのだろうか。
男装にあたり、服はカーティスの物を利用した。
長い銀の艶髪は下だけきつく編み込み、襟足まできっちり内に巻き上げたところで固定し、ショートボブに見せかけている。
五歳児であるソニアはまだ、性別の見分けやすい体格をしているわけではない。
また、造りは美しいが母をして怖いと言わせしめる愛嬌のない顔は、男子か女子かというより、人間が人形かという点で疑惑となるだろう。
そもそも、王や諸侯と謁見するわけでもない。
話によれば、基本、王宮の意識は病の第二王子に集中している。第一王子は離れでカーティス相手に過ごしているのだから、あまり多くの目に触れることもないはずだ。
入り込めさえすれば、なんとかなるか。
それに。
ゲームスタート時の環境になる前に、悪役令嬢が失脚するはずもない。
良いか悪いか、逆説的にソニアはこの状況の楽観視に努める。そうでもしなければ、緊張に内臓を吐き出しそうだった。
ガタン、とキャビンが動きを止めた。
一息吸って、覚悟を決める。ここから先は祖父を伴うことは出来ない。
「それでは、行ってまいります」
「ああ、頼んだぞ。ソニ……いや、ソナン」
出迎えの騎士に連れられ、ソニアは王宮の裏手にある園内へ進む。
数ある庭園の中でも離れへ通じる私的な庭だ。本来、外部の人間はおいそれと抜けることは出来ないという豪奢な鉄柵の門扉をくぐる。
ああ、照明灯だ。
ソニアは見覚えのある形状のアンティークなポールに、一瞬、気を取られた。
「どうかしましたか?」
「えっ。あ、いえ、灯りがあると思って」
「ああ、ソナン様はアルジェントス領の方でしたね」
「はい。ランプではない灯りをこちらで初めて見ました」
「暗くなる前には宮中からはお帰りになられるでしょうが、街の中も明るくなりますから、どうぞ王都の夜景を楽しんでいってくださいね」
「ありがとうございます」
騎士相手に友好的な会話で済んで、内心胸をなでおろす。
あんまりよそ見はしないでおこうとソニアは気を引き締める。無駄に注視を誘うのは精神的にもよろしくない。
それに、そろそろ目的地だ。
明るいテラスのある、レンガ造りの小ぶりな家屋が目に入った。
日差しの下、テラスのガーデンチェアに二人の幼児が座っている。
そのうちの一人が椅子からこぼれるように立ち上がると、見慣れた銀の髪を揺らして駆けてくる。
そして、その後ろからゆっくりと、金の巻き毛の少年がこちらへ向けて足を踏み出した。