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ep07

 ソニアの出立は、明朝一番となった。


 アルジェントス領は、王国の北と東にある二つの国境のうち北の辺境で、同盟国とは山脈越しに隣接している。

 北の山脈に対し、南隣は王領だ。そして王領の中央が王都となっている。

 大陸の南西半島を含んだ国土は、縦に短く横に長い。

 国土の中心部である王領から、東の辺境までと西南の海域までの間は、それぞれ複数の領地に分けられていた。


 辺境ながら王領と連なるアルジェントスは辺境扱いをされず、領主には侯爵位を授けられた。

 ちなみにもう一つの東の辺境、カエルラ領はソニアの父の出身地だ。王国で辺境伯といえばカエルラ領主を指し、現在は父の兄がその地位についている。


 昨晩の母との話で、ソニアは急速に世界のあらましを知った。

 しかしそれでもまだ十分ではない。知らされた結果、気になることも増えた。そしてまだ知らされていないことも多くあるのだろう。

 母は教育に対して、随分と保守的な段取りを組んでいるようだった。

「知らされなかった部分は、今は知る必要がないということでござるな」


「何かおっしゃいましたか、お嬢さま」

 馬車の中、隣に座るリタが首を傾げた。なんでもない、と返して外を見る。


 ソニアの王都行きに同伴するのはリタのみだ。セグロは屋敷付きの従僕で領土を離れられない。

 従って今、この馬車の中にいるのはソニアとリタ、二人きりである。

 昨日訪れた遣いの神殿騎士は、護衛として自前の馬を並走させている。


「リタは魔力のこと、知っていたでござるか?」

「……はい。と言っても、知識として知っているだけです。私も領地を出るのは初めてですし、家にも近隣にも魔力を使う道具はなかったので、もともと縁はなかったです」

 廃されたのは、リタが丁度生まれた頃になる。


「お嬢さまが王都へ行かれるのをあれほど嫌がっていらしたので言えませんでしたが、実はちょっとだけ、興味があります」

 スミマセン、とリタは顔を赤くする。こんなところはまだ十五、六の少女らしい。


「謝ることはないでござるが、まあ、あんまり便利なのに慣れたらアルジェントスに帰れなくなるかもしれんでござるな。そうしたら、遠乗り、一緒に行けなくなるでござるなあ」


「やだ、お嬢さま。意地悪をおっしゃらないでください。絶対一緒に参ります。セグロにだけ楽しい思いをさせたりしないんだから」

 侍女は張り合うように、今はこの場に居ない使用人仲間の名を挙げる。

 ソニアがもっと察しがよければ、わかりやすく何かを読み取れたかもしれないが、生憎、今も昔もそちらへの関心はマイナスだ。

 よって、言葉通りに真に受けて、苦笑する。


「拙者も三人で一緒に行きたいでござるよ、遠乗り」


 ソニアはまた、リタとは別の感傷で遠乗りの約束を懐かしむ。

 アルジェントスへ戻れるのはいつになるのだろう。王都へ行く以外、先の予定は何も決まっていない。


 早馬であれば一日たらずの距離だが、貴族の婦女子を乗せた馬車は安全と乗り心地のために速度を半分に落としている。

 単純に馬車に揺られる時間が丸二日、食事や休息、宿泊を含めて片道だけで二泊三日の旅程だ。

 馬車旅は想像よりかなり身体に負担を強いたが、アルジェントスを出て王領へ、王領の中でも王都へ近づくごとに車窓の光景が様変わりして、ソニアの目はとても楽しんだ。

 そして、母がまだ見せたくなかったという言葉の意味をも正しく理解する。

 ソニアもまた、隣に座す十代半ばの少女の目の輝きに、リタにはまだ見せない方がよかったのではと逡巡したのだった。




 長い長い旅路を経て、ようやくソニアは王都のアルジェント邸に到着した。


「ご無沙汰しております、お祖父さま、お祖母さま」

 出迎えたアルジェント侯爵夫妻に、そっと腰を落とし淑女らしく礼をする。

「まあ、まあ、よく来てくれました。こんなに大きくなって……カーテシーも所作もとても美しいわ。前辺境伯夫人のおかげね。お任せして本当によかった」

 侯爵夫人はうっすらと浮かぶ涙を拭うと、義理の親族へと感謝する。

「さあ、入りなさい。今日からここもお前のおうちだ。まずは部屋へ案内しよう。お前のお父さまも今日は早く戻る予定になっている。帰ってきたら皆で夕食にしよう」

 祖父は入室を促すが、ソニアはキョロキョロと辺りを見回している。


「あの、お祖父さま。カートはどちらに……?」


 弟の姿がまだ見えない。

 てっきり一番に飛んできてくれるものだと思い込んでいた。


 祖父母は一瞬顔を見合わせて、気まずそうに言葉を付け足した。

「ああ、その、カーティスは……今日だけは帰して欲しいとお願いしておったのだが……」

「どちらかへ出向いているのです?」


――外へ出向かせているのか、四歳児の嫡男を。


 侯爵家が願いを聞き入れてもらえない相手。先般、母と嫌な予感を述べ合った件を思い出す。


「ここではなんだ、あとできちんと説明しよう」

 祖父が約束を口にしたところで、背後に人の近寄る気配がした。


「ソニア!」


「お父さま、おかえりなさいま、せっ?」

 懐かしい声に、振り返って礼をしようと屈んだところを、無理やり抱き上げられてソニアの足が宙に浮く。

 青みがかった黒髪の、穏やかな笑顔がよく見えた。


「よく来てくれたね。馬車は大変だっただろう」

「ええ、まあ、あの、お父さま、ちょっとこれは、恥ずかしいでござる……」


 この歳で小さい子みたいに高く担ぎ上げられるのは照れ臭く、つい素に語尾が戻るが、ソニアとしての身体はまだ小さい子供であるのを思い出す。

 離れて暮らす父とは、五年のうち両手の数で足りる程度にしか顔を合わせていない。父からすれば、自分の子がまだ生まれたばかりの赤ん坊のような意識でもおかしくないのだろう。

 一方、母には、最初から決してそのように扱われはしなかったが。


「あっ、ああ、すまなかった。ソニアはもう立派なレディだったね。失礼した」

 顔を見合わせて、笑みを交わす。

 そうですわ、とわざとらしくクルリと回って見せる。心の中のもよちゃまが、ソニアと一緒にニッコリ笑った。




 晩餐を終え、祖父の部屋へ父と二人で通される。大人に混じり、革張りの立派な応接セットの一席をソニアにも与えられた。

 数日前の母とのやり取りを思い返す。

 あの時の母と同じ表情で、祖父も胸中で言葉を整理していた。まとまらない祖父の助け舟に口火を切ったのは、父だ。


「カーティスは、王宮に出向いている。今日も帰らないことが決まった」


 やはり。

 検討はついていたので、黙って聞く。

 幼子のその賢しい所作に、父も祖父も、ソニアの人となりを把握したのだろう。

 話を続けるに値したらしい。

 空気の緊張感が、改めて前向きに張り詰めた。


「きっと君は全て承知しているのだろうが、この件は一切、他言無用として欲しい。使用人相手でも話さないように」

「はい。かしこまりました」

「……ありがとう」


 ことの始まりは、第一王子の誕生まで遡った。

 ウィルトゥース王国第十三代統治者たる現王と、同盟国から嫁いだ王妃の間には、二人の王子がいる。

 御年四歳の第一王子と、まだ一歳にも満たない第二王子だ。

 第二王子はかなり体が弱いそうで、生まれてからこの方、王妃も乳母も宮中ほぼ赤子につきっきりでいるらしい。


 一方、物静かで大人しかったという第一王子だが、第二王子の誕生を機に、夜な夜な泣いて乱れるようになった。

 長子によくある赤子返りが、不運な環境のせいで他より悪く表れたのだろうとみなされた。

 しかし、どれだけ泣いて短気を起こそうが、今にも死んでしまう恐れがあるわけではない。

 結局、第一王子は診断以降も第二王子ほど目をかけてもらえることなく、王宮の離れで決まった側近とだけ共に過ごしていた。


「だが、流石に陛下は不憫に思われていたようで、信用できる者の家に近しい歳の男児がいないかお調べになった。遊び相手がいれば、少しは王子の心が安らぐのではないかとお考えになったのだ」


 祖父の話通りなら、その白羽の矢に当たったのが、カーティスということになる。


「しかし王族のお子が、王族以外の子と交流が許されるのは十歳になってから。子が小さすぎると問題が多いので、これは法で定められている」


 王の子の身の安全を第一に考慮した結論であるらしい。十歳とは古くから、毒を含まされても持ちこたえられる年齢だとみなされている。

 ソニアの耳には、十歳までに毒に耐えられる身体を作ると同義に聞こえて、身を震わせた。

 それほどまでに狙われるものなのか、王族。

「流石に、それは昔話と思うけれどね」

 父のフォローがしらじらしい。


「とにかく、王宮に王族以外の子を招き入れるには、内密に進めなくてはならなかった。王の一存でも、双方の子の安全が保障されたとは言い切れない。むしろ、やっかんだ他家の者に狙われる可能性もある。カーティスは我が家にとっても大事な世継ぎ。万全を期さなくては、どこにも寄こしたくなかった」

 断ることは出来なかった結果、嫡子を守るために祖父と父は奔走したという。

 騎士として清廉潔白が信条のアルジェントスが、これほど保身に走ったことはないと、二人は苦く笑う。


 そして王宮の準備が整うと今度は、王都へ呼んだばかりのカーティスに、王宮へ入る作法や護身術などを短期間のうちに叩きこんだ。

 カーティスは一度も泣き言を零さなかったという。


「えらかった。本当にえらかったんだ。あの子は頑張ったよ」


 そして、認められてしまった。――第一王子に。

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