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ep03

「カーティスは、ひと月ほど、王都のお父さまのところへ行くことになりました」


 青天の霹靂。

 母の通告に、ソニアは言葉なく茫然と立ち尽くしている。

 かろうじて首を動かし、母の座席の脇に控えている弟へと目を向ける。すると、相手は困ったような曖昧な表情で、こちらへ口角だけをあげてみせた。


「……あっ、はい」


 その微苦笑に、漸く呼吸を思い出してソニアは声を返す。

 母がそう言うからには既に決定事項なのだろうし、ましてや弟の進退であって、自分に口を挟む余地はない。

 ソニアが二の句を告げられないままでいると、あの、と、カーティスが遠慮がちに割って入る。

「僕だけ何か特別扱いして……とかとは、違うみたいですから」


 気を落とさないでください、と言外に聞こえた気がして、少しばかり誤解があるのを察知する。


「ああ、違う、違うでござるよ。拙者は決して、王都に行きたいとか羨ましいとかそういう気持ちはないでござる。今はちょっとビックリしただけで、むしろ拙者はずっとここに居たいというのが本心で、ただ、ええと、その」

 言い淀んでいると、母の視線が射すように痛い。

「『ただ』? 何かしら?」

「……あの……もしかして、もう、拙者たち……社交が始まるでありますか……?」

 消え入らんばかりに弱弱しく、だがソニアはかろうじて胸中の不安を絞り出すことに成功した。


 娘の問いかけにしばし固まり、母はひとまず、さっと扇で口元を隠す。

「流石に、そんな言葉遣いの子を他人様の前に晒せる親はいません」

「ハァウッ」


 娘の挙動不審の意を得るついでに、毒気を抜かれたのか、ふと母の気配が緩んだ。

「安心なさい。貴方たちには、貴族としてまだまだ山ほど勉強していただくことがあります。わたくしの眼鏡にかなうまで、いずこかの茶会などに行かせるつもりはありません」

 力強い母の言葉を耳にした途端、ソニアは無意識に息を吐く。


「ですが、今回はお父さまにも断れないご都合があるみたいなの。カーティスにどんな御用なのか手紙にも書いていないので、正直わたくしにも事情はわかりません」


 侯爵家の子供を秘密裏に呼ぶ用事、とは…….?

 ひと心地ついたところで、ソニアの頭に冷静さが舞い戻る。

 その目の色を見た母もまた、扇越しに一度、頷いた。

「……それはそれで、嫌な予感がするであります」

「気が合うわね。わたくしもよ」


「あの、僕は王都へ行かない方がいいのでしょうか……?」


 母と姉の間の、先ほどとは違う不穏な空気を読んで、カーティスが恐る恐る口を開く。

「まあ、どんな事情でも行かない訳にいかないし、カーティスなら大丈夫よ」

「そんな、母さま……ね、姉さま、たすけ」

「カートなら大丈夫でござる!」

「姉さままでひどい」


「大丈夫、大丈夫。二人が一生懸命、他所のおうちの名を憶えていたの、わたくしも存じてるのよ。何があっても安心だわぁ」

 ニッコリ微笑む母の言に、カーティスが鋭い目で姉を見る。

 謀ったな。音もなく、その口が動いた。

「しっ、知らない、こんなことになるとは露知らずでござる!」

「勤勉な子供たちを持って、本当に助かるわぁ」

「誤解でござるよーっ」

 

「……あ、ところでソニアは、この機にきちんと余所行きの言葉遣いを身に付けなさいね」

「えっ、あっ、ギャフン」




 そんなやり取りを交わした次の朝、カーティスは護衛と共に早々に屋敷を出立した。

 それを見送ってから、ふと空いた瞬間に、こうして一人きりになるのは初めてだとソニアは思う。

 思いのほか寂しい気持ちになったので、紛らわすべく書斎へ向かった。読書というよりは自習目的だが、同じ一人でも子供部屋の机より捗りそうな気がした。


 そういえば、文字の勉強をしていて気づいたことがある。正しくは、あまりに自分の中に根付いていたために、見落としていたことがひとつあった。


 全ての文字が見たことのない形をしていたが、結局、それらはアルファベットでローマ字だったのだ。


 独自のフォントに変換してあるのだと、ソニアは推察する。

 そんな微細から洩れる『設定感』に、やはりここはゲームの中なのだと実感した。


「……悶々としたところで、何かが変わるわけでもないでござるしな」

 目が醒めるならとっくに醒めている。明日醒めるかも、とは考えないようにしていた。これは夢ではない。

 思い返す限り。

 恐らく、前世の自分は車に轢かれて死んだのだ。あの時、あの場に落ちていたディスクで転んだばっかりに。

 ああ、そうか。

「案外あのディスクの中身かもしれないでござるな」

――この世界は。

 根拠のない思いつきだが、ストンと、納得した。




 かつての生活に戻れるとも思っていないが、現実と向き合えずに目を背けていることもある。


 敢えて知らずにいることで心の平穏を維持しようという逃避、つまりソニアはこの世界を知ろうとしていなかった。

 例えば、貴族子女の成長過程について。

 なんとなく、小さい頃は家庭教師を呼ぶらしい、とか、大きくなったらデビュタントしなくてはならない、とか、スカスカな知識のまま現代人の意識で今日まで過ごしてきた。そもそも社交界にデビューするとはどういうことかも漫然としか捉えられていない。


 ソニアはなけなしの記憶の中から、乙女ゲームのテンプレートに沿った流れを思い出してみる。

 ヒロイン入学、対象キャラとの出会い、親睦、いじめ問題、プロムやデビュタントでのライバル断罪、そして苦楽を乗り越えた二人の愛はエターナル……

「拙者の屍を乗り越えてのエターナルでござるがな」


 脱線したところで、唐突に気付いた。


「ん? 入学? 学校?」

 そんな話題、ここに生まれてから誰かに聞いたことがあっただろうか?

 嫌な予感がして書棚に目を走らせる。貴族名鑑の近くに王都地図があったはずだ。

「索引、索引……」

 革表紙に綴り紐の、分厚い冊子を取り出して、慎重に捲る。

「王宮、騎士団舎、工業ギルド、商業ギルド、神殿、図書館……」


 五十音順の並びを今一度確かめる。

 王宮、騎士団舎。

 お、き。

 お、カ、き。

 お、カ、カ……?


「カがない!」


 語尾も忘れて絶叫する。もしや濁点がつく字は最後尾に、とも思ったが、巻末にも期待する文字列は見当たらなかった。

 白銀の少女は呆然として途方にくれる。

「学校がなかったら……どうやって入学するでござる……?」

 ソニア一人では、その答をどこにも見つけることは出来そうになかった。

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