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ep02

 気候穏やかで自然に恵まれたアルジェントス領は、転生後の新天地として申し分なかった。

 目に鮮やかな森林の緑、空を映す湖や小川の水は透き通っている。

 美味しい空気を吸いながら、山間のふかふかと苔むした地面を歩くのはとても楽しかった。

 従僕のセグロが言うには、アルジェントス領は馬の産地として有名らしい。農耕馬、馬車馬、騎馬。様々な用途の馬を産出しているそうだ。ソニア達もアルジェントスの子供として、近く、乗馬を教えてもらえることになっている。

 前世では運動音痴の典型的なオタクだったが、新しい身体は儚げな見た目に反してよく動き、ソニアは弟カーティスと共に、日々、はつらつと過ごしている。


「姉さま、今日は何して遊びましょう」

 まっすぐな銀の前髪をさらりと揺らして、カーティスが聞いた。


「うーん、そうでござるなあ……」

 同じ髪色の姉は顎に人差し指を当てながら窓へと向くが、強風で枝が大きく揺れているのを見ると外出を諦めた。

「では、本日は書斎の探検に致そう。面白そうなものを探すでござる」

 幼い姉弟は揃って子供部屋を後にする。邸内に限るが、所在を明らかにしていれば、侍女を連れなくても移動を許されていた。

 四歳五歳ではあるが聡い二人に対し、家族、家令らの目は緩い。

 その証左に、二人は少し前から一家所有の書斎へも自由に出入りを認められていた。貴重な蔵書だが大切に扱うのであれば読める読めないは関係ないと、屋敷の女主人として母がみなしたのだ。

 語彙はあっても、流石に異世界の文字表記までは知識になく、ソニアも読み書きだけは年相応に学ばなくてはならない。

 なまじっか、使用人たちに神童のように崇められることが多いので、彼らに失望されぬよう、躍起になって書き取りの自習を進めている。

 その甲斐あって、文字と発音はなんとか結び付いてきている。文章として読めるようになるのも時間の問題だろう。


 ところで、成人の意識を持つソニアは別として、カーティスもまた幼児らしくない幼児だった。

 彼もソニア並みに話し始めが早く、よく物事を考え、聞き分ける、機転の優れた子供だった。その優秀さを間近で見るソニアこそが目を見張り、舌を巻いた。そして疑ったのだ。もしかしたら、弟にも前世の記憶があるのではないかと。


 結果として、カーティスの中に彼以外の生涯は存在しなかった。


 姉の提示したいくつかのキーワード、例えばアニメやゲーム、或いは前世の時事に関して、カーティスは何一つ既知と認めることはなかった。

 結局、ソニアはカーティスに、自身に前世の記憶があることを知らせたに過ぎない。が、それはそれでよかったのだと納得している。なんだかんだ、事情を知る味方は欲しかったのだ。


「やっぱり、姉さまのお話より面白いものはないですねえ」

 書斎のソファに膝を投げ出し、したり顔でうそぶく弟に、ソニアは肩を竦めて小首を傾げる。

「拙者の与太話なんぞ、まともに聞かなくていいでござる。カートは次代を担う大事な身、きちんと世情を勉強するでござるよ」

「わぁ、まるで他人事ですね。姉さま」

 毛足の長い絨毯に直に座り、ソニアが広げているのは自国の貴族名鑑だ。現状、難しい書物に手を伸ばすより、人の名前を文字の発音練習に充てる方がが有用と思っての選択である。

「いやいや、拙者だってきちんと社会の把握に努めなくてはならんでござる。カートとは違う意味で、非常に切実でござるからして」


「ああ、そうですねえ、どこへ嫁がれるかわかりませんものね」

 カーティスはからかい半分でクスクス笑うが、ソニアは軽くいなせず、視線を落とした。

「まだ当分考えたくないでござる」

「フフ、姉さまなら、どこでもうまくやれそうですけどね?」

――姉さまは賢くて、お美しいですもの。

 カーティスの身びいきな発言は、ソニアの心を慰めるどころか、一層気落ちさせるとどめとなった。


「うう、申し訳ないが、拙者心痛にて、今日はここらでお開きにさせてもらうでござる」

「そうですか? じゃあ、僕はもう少し本を眺めていきますね」

 カーティスは、引き際も見極められる有能な子供だった。




 一人自室に戻ったソニアは卓に着くと、侍女の用意した紅茶をすする。

「美しい、かぁ」

 それは否定できない。

 五歳を超えたソニアの色素の薄さは相変わらずだったが、日に日に目鼻立ちもはっきりとし、鏡を見れば、それはもう見事に育ったものだと自身を惚れ惚れとさせた。

 ただしこの造りは、どこからどう見ても……『ヒロイン顔』とは思えない。


「これはやっぱり」

 悪役令嬢、であろうな。呟く語尾は嘆息と消えた。


 ソニアという少女は非常に美しかった。美しすぎた。特に、びっしりと生えそろった銀の睫毛と薄水色の大きな瞳は神秘的で、感情や愛嬌を映し出すことには全く向いていなかった。

 白銀の幼女は、大きな姿見の前でにっこり微笑んでみる。

 そしてため息を零す。

「ダメだ。目が笑っていないでござる……」

 優雅さはある。しかしどこにも愛想はない。どう微笑んでも物憂げが勝り、膨れてみては退屈そうか、ひどく冷淡に映るだけだった。

「ハァ、そろそろ本格的に意識していかねばならんな」


――フラグ回避を。


 前世、オタクとして数多のサブカルチャーに触れてきたソニアだが、それでも縁のないジャンルは少なからず存在した。中でも乙女ゲームには全く食指が動かず、ついでに言えばギャルゲーの類も得意な方ではなかった。基本、プレイヤーとして作品世界に介入するのが苦手だったのだ。

 従って、ネットサーフ中、とある小説のコミカライズの絵が目を引かなければ、悪役令嬢への転生ものというカテゴリーがあることも知らなかっただろう。

 それはさておき、ソニアは自分の置かれた状況が、かつて読んだ転生物と同じではないかと考えている。

 しかしソニアには、今生世界が前世に実在したゲーム内なのかどうかは判断が付かない。

 乙女ゲームは何一つプレイしていないからだ。

 もしかしたら単純にそれっぽいファンタジーの世に生まれついただけかもしれない。


「それでも、心構えだけはしておかないと」

 危惧する事態であれば、展開次第では、明確に生死へ直結する可能性が高い。自分は元より、弟や母、家族が没落で苦労するのは絶対に避けたかった。


――とりあえず目下、婚約話には気を付けておこう。


 破棄される一連の前提として、婚約は、この世界を判別する大きな目安になる。

 何といっても婚約破棄とは、ライバル断罪、ヒロイン下克上という、乙女ゲームの正念場なのだ。


「ま、そうじゃなくても婚約、結婚となると、ちょっとばかり問題が多いでござるがな」

 いかんせん今生の身体的性別に対し、前世の意識が強すぎる。

 こうして性差なく遊んでいられる内はいいが、いずれは社交、政略結婚、妊娠、出産諸々、貴族女性としては義務ともいうべき大局が控えている。前世の、異性と全く縁のなかった男性意識のまま、それらをこなすのは……ちっとも出来る気がしない。

 いや。

 ソニアは、つい先走る自分に気付いて苦く笑う。全部、生き延びることが出来てからの話だ。

 

 何はともあれ、フラグ回避。

 当面はそれに集中することに決めた。


 しかし、その決意は、端から脆くも崩れ去ることとなる。

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