二度目の命
俺は死の淵に瀕していた。
今までの人生が頭の中を駆け巡る。有り体に言う走馬灯と言うやつだ。何が悪かったのかはわからない。強いて言えば生まれた環境から間違っていたのかもしれない。母親は既に亡くなり。物心つく頃に蒸発したという父親は顔すら知らない。学生時代はろくな思い出がない。義務教育時代は田舎特有の陰険かつ異常を排したがるような気質が組み合わさり、中学時代はなんとか卒業できる程度の日数しか出席しなかった。そのころはまだパソコンを触れたので、母親が家にいなくとも退屈はしなかった。生活は貧しく、高校に通うことすら金銭面の都合で進学出来ずに父親の残した借金の肩代わりとして連れてこられた日本かどうかすらわからない場所で違法な低賃金で休みなく採掘を続ける日々。福利厚生なんて言葉はここ何年も天上の存在と言えるものに感じていた。
劣悪な労働環境と言うものは恐ろしく安易に人を殺す。ろくに整備されていない乱雑に掘り進められた坑道はちょっとした衝撃でいとも容易く崩れ落ち、ろくに調査もされていない為有毒なガスが噴出することもある。そう考えれば俺が今まで生きてこられたのはただただ単純に幸運だったからに他ならないだろう。
しかしいつまでも幸運を引き続けることはできなかった。バカが安易にダイナマイトに火をつけた結果、坑道が崩落。俺を含めた数名が生き埋めになった。それでも30代なかばまで生きることができたことは奇跡とも思えるが、即死したほうがよっぽど幸運だったのだろう。埋まっているせいで体はろくに動かせない。かろうじて呼吸はできるがいつまでも酸素が続くとは限らない。人を助けている暇があったら少しでも多くのノルマを稼がなければならない作業員が助けてくれるなどとは到底思えない。事実俺は助けることなんてしなかった。因果応報と言うのだろうか。
「あぁ……畜生、もっと幸せに生きたかったなぁ…………」
とうとう酸素も残り少なくなってきたのか、至高に靄がかかってくる。目が霞み、音が遠くなる。もし輪廻というものがあるのなら、今生では手にすることのできなかった幸せというやつを、手に入れることができることを祈りながら、俺は意識を手放した。
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深い眠りについていたのだろうか、俺は死んだのではなかったのか。周囲は暗く、しかし温かい。水の中のようにも思える。しかし、ここから出なくてはならないと本能が告げている。だが体は上手く動かない。心地よいが、狭苦しく息苦しい、圧迫感を覚えてきた。何かに押し出されるような感覚。光が見える、いや、目は閉じているのだろう、しかしまぶたの向こうに光を感じる。目を閉じているのにも関わらず眩しい。それよりも息をしなくては。気付けば圧迫感から開放されていた、押しつぶされていたかのようなハイに一気に空気が流れ込む。
「×××××」
「×××××××××」
何か聞こえる、しかし理解できない、言葉だろうか、しかし聞いたことが無い言語にも思える。周りを確認しようにも目が開けられない。体もろくに動かず、しかも何か大きなものに掴まれているようだ。混乱で思考が出来なくなる。兎にも角にも、何もできそうもない。俺は再び、眠りに落ちたようだ。
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しばらくして、恐らく何日か、決して短くない時間が経過していると思う。俺は自分の置かれている状況を理解した。納得はできていないが理解した。恐らく間違いないだろう。
俺は赤ん坊になっている。
ちょっと前にやっと目が見えるようになった。俺の手は短く丸みを帯びている、体を見下ろすと同贔屓目に見ても幼児どころか完全に乳児、当然の如く上手く喋ることもできない。動こうにも立って歩くこともできない。寝返りをうつのがやっとで、拙い腕力ではこの狭いベッドの中を動き回ることすらできないでいる。見える範囲で周囲を観察してみる。今の俺の置かれている環境は少なくとも悪い状況ではないだろう。赤ん坊が着る服や寝る場所にしては繊維がゴワゴワしている気がしないでもないがベッドは柔らかい。周りを取り囲む柵は木製だろう。部屋は相対的に大きく見えることを考慮してもなお広く、うるさすぎない程度の調度品が置かれている。窓の木戸が開放されているがガラスが嵌っていないようで、優しく風が吹き抜けている。
恐らく俺の(?)家は裕福なようだ。俺の世話は母親ともう一人、乳母というのだろうか、もしくはお手伝いさんか、若い女性が1人付いている。
そこまではいい、言葉がわからないのもまだいい。俺が赤ん坊であることも、生まれ変わったと言えば納得は行かないがこじつけることができる。事実前世の記憶があるという人間をバラエティで見たことがある。しかしそれよりもどうしても理解できないことがあった。
耳だ。
普通あるべき場所に耳は見当たらず、代わりに頭から獣のような、具体的に言うならばネコに近い形の耳が生えている。コスプレだと信じたいが明らかに生物的な動きをしている。自分の頭に手をやってみると、本来耳に当たる場所には何もない、あるのは産毛くらいか。どう考えても普通の人間ではない。獣人というやつであろうか。俺は輪廻転生をしたらしいが、どうやらここは異世界のようだ。だが、そんなことはどうでもいい。前世は酷い有様だった。今度はせめて人並みには幸せになってやる。
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生まれてから3年が過ぎた。言葉も少しずつわかるようになってきた。俺の今の名前はバーナードというらしい。両親からはバーニィという愛称で呼ばれている。ファミリーネームは幸いなことにワイズマンではなくリンドグレンという。言霊というものは案外ばかにならないものだと思うので、少なくともミンチよりひどい状態で死ぬことにはならないと思う。文化水準から考えるにファミリーネームがあるということはかなりの裕福層であると考えてもいいかもしれない。俺の生前(?)の記憶からするとファミリーネームを持つのは貴族、そこまでいかずとも名士であることは間違いないだろう。
家族構成は父、母、双子の姉、そして俺の4人家族でハウスメイドが二人と父親の従者だという青年が一人。合計9人が暮らせるような、前世の俺の暮らしからすると想像だにできないような大きな家で暮らしている。
文化水準は中世から近世にかけてと言うのだろうか、主食が穀物ではあるがどういった年代に当てはまるのかは知らない。厨房に入れてもらえないためどのような技術があるのかは分からないが温かい食事が出てくることから火を使う文化はあるようだ。食器は木製のものが多くを占めており、金属製のものは鍋や切り分けようのナイフ位のもので、陶器は花瓶などの調度品でしか見たことがない。
耳に関しては聞き出すことすらできなかった。進化の過程だとかそういうものは科学的に解明されているかどうかも怪しいし、仮に異世界だとするのならば人間としての祖先が類人猿であると言い切ることもできない。一度聞いてみたことはあるがまるで考えたかもなかったような顔をされた。
そんなことを考えながら文字の勉強をしているとノックの音とともに部屋の扉が開かれる。
「バーニィ。また難しい顔をしてどうしたんだ?」
父親のアルフレッドだ。赤い髪の筋骨隆々の逞しい男で普段からトレーニングをしているようだ。余談だが俺の髪も父親譲りの赤髪だ。そういえばこの人は普段から家にいるようだがどんな仕事をしているのだろうか。いい機会だ聞いてい見るとしよう。
「パパはどんなお仕事をしてるの?」
年齢相応の話し方というのはこれでいいのだろうか。自分で話していて疑問に思うが周りからは特に違和感を持たれていないようだがパパという呼び方は少し小恥ずかしい。アルフレッドはお父さんと呼ぶと少し悲しそうな顔をするので仕方ない。
「ん?お仕事かい?パパはな、こわ~い魔物からみんなを守る仕事をしているんだよ。そのために毎日鍛えてるのさ。」
魔物?魔物と言ったか?聞き間違いじゃないよな?庭で剣を振っていることはあったので兵士か、家柄的には騎士かなにかだと思っていたのだが、まさか魔物なんていうワードが飛び出してくるとは思わなかった。
「まもの?」
「そうだ。魔物だ。普通の生き物とは違って魔力から生まれてくるんだ。まだ難しくてわからないかな。とにかく、恐ろしいやつらなんだ。パパはみんなが安心して暮らせるように魔物をやっつけてるんだよ。」
聞き間違いではなかった、しかも魔力から生まれる?魔力なんてものがあるのか。獣耳である時点で俺の常識の中での普通の世界ではないことは勘付いていたが、まさか魔力なんてものが存在するとは微塵も考えたことがなかった。いや、もはや俺の常識なんぞ通用しないだろう。なんせここは異世界なんだから。どこか誇らしげな父親。俺にとっては二人目だが、初めての父親、どう接していいかわからない。でも、なんとなく、やるべきことはわかる気がする。
「パパ、凄いんだね!」
称える。多分これが正解なのだろう。父親の大きな手が俺の頭をわしゃわしゃとなでつける。生前は全く感じることのなかった家族の幸せというものを、俺はたっぷりと享受している。俺も前世では生まれてすぐのときはこんなふうだったのだろうか、今となっては全く思い出せない。そもそも記憶に残るほど愛情などは注いでもらわなかったのだろう。
「アルフレッド様!アルフレッド様はどちらに!」
せっかく親子の絆を育んでいたと言うのに急に水が差される。アルフレッドの従者のジェイムスだ。年齢は恐らく生前の俺よりもかなり若い。恐らく10代後半だろうか、アルフレッドをライオンとするならばジェイムズはチーターに例えるのがいいだろうか。スラリとした細身でくすんだ金髪が特徴的だ。俺の価値観からすればかなりイケメンの部類に入るが顔立ちがそもそも欧州系というのだろうか、誰をみても美形に見えるのであてにならないだろう。俺もせめてジェイムズくらいにはイケメンに育ちたい。
そんなくだらないことを考えている俺と対照的にジェイムズの表情はかなり深刻だ。
「ここだ、どうしたそんなに慌てて……」
アルフレッドも愛する息子とのひとときを邪魔されたためか少々不機嫌な顔をしている。この男は結構顔に出やすい。考えていることがわかりやすいというのは俺としてもやりやすいので助かる。
「東の森の外縁部にワイルドボアの群れが確認されたそうです。」
「規模は?」
「視認されたのは5匹ほど、全体の規模はその3倍ほどかと思われます。」
ワイルドボアというのはイノシシのような生物なのだろうか。それとも魔物と言うものなのだろうか。先程のアルフレッドとの会話から考えると恐らく魔物なのだろう。アルフレッドは表情を引き締めると一つ頷いて俺へと向き直る。
「悪いな。仕事に行ってくる。ちょっと長くなるかもしれん。」
「うん。いってらっしゃい。」
いつもこういった感覚でアルフレッドは仕事へと向かう。ちょっと長くなると言う時は大抵3~4日程度帰ってこない。生前でそういった害獣の駆除なんかに携わったことはないのでどの程度の感覚なのかは分からないが15匹前後の群れを4日ほど狩ると言うのは、アルフレッド一人で討伐に向かうわけでもないのだろうし、素人目に考えて大変なことなのだろうと思う。
「そうだ、帰ってきたら戦い方を教えてやろう。」
「うん!」
アルフレッドはジェイムズを連れて部屋を出て行く。ちょっと長くなる、との言葉とは裏腹に、アルフレッドは7日経っても帰ってくることはなかった。