影に生きた姫
初めは愛だった。
愛がいつしか、義務に変わり、
そして、
呪い、になってしまった・・・。
※※※
弟が生まれた。
ふぎぁふぎぁと泣き声を上げている。
乳をやるべき母上は、弟の出産がとても難産だったため、別室で治療を受けている。
しかし、この数年の心労の為に体力が削られており、恐らくこのまま儚くなるだろうと、医術師は私に耳打ちをした。
弟を無事に産み落とした母上は安堵したのか、
「弟をよろしくね」
と、私に優しく微笑んだ後、意識を失った。
父上は砦の守りに出かけ、不在だ。
母上の微笑み、言葉が遺言になるのか。
そして、弟が忘れ形見となるのだろう・・・。
深く息を吸い込み、閉じていた目を開けた。
目の前には、赤子を寝かせた揺り籠が見える。
そして、揺り籠を囲む様に床に描かれた魔術印が。
私は魔術師だ。そして誰よりも才能がある。
母上の里が魔術師の一族であり、幼少より里で魔術を教わったが才能を伸ばしたのは、前世の記憶があるせいだ。
前世、地球と言う世界で、科学と言う魔法を使っていた記憶が私に他者より秀でたイメージ力を与えている。
魔術はイメージだ。このような効果を生み出したいと詳細にイメージすることで、現象の解が見つかる。解を魔術印に落とし込むのだ。
恐らく母上はお亡くなりになる。
もう同腹の弟妹は生まれない。
優しかった兄上方は皆、戦で命を落とした。
心を決め、一歩を踏み出す。
揺り籠に近づくため魔術印に足を踏み入れる。つま先が触れた場所から順に淡く魔術印が輝き出す。全ての術式が光り、白い光が煙の様に魔術印から広がる。
匂いも眩しくもないが部屋の景色が歪みだす。
揺り籠に近づき、弟を見下ろす。
泣き声を上げていた弟は泣き止み、不思議そうに私を見つめる。
私と同じ青い瞳だ。
赤子は視力がないというから、弟に私の目の色は分からないだろうが。
ナイフで自分の人差し指を傷付ける。流れた血で赤子の額、体に印を描く。
柔らかくて薄い体だ。
「弟よ・・・。私が行うことをいずれ怨むか?」
赤子には返答ができないことを知りながら、私は弟に語りかけ、宙に契約の印を刻んだ。
※※※
長らく大陸を治めていた皇国が倒れ、覇権争いが起き、世は戦乱の時代を迎えた。
長引く戦に荒れた世界に1つの光が見え始めたのは、ある国に神に愛されし王子が生まれたこと。
王子は病に掛からず、傷を負ってもたちどころに傷が癒える。輝く金の髪に青い瞳の美しい王子。
この荒れた世界を哀れんだ神が地上に遣わされた天使であると人々は噂した。
神に愛されし王子は年頃を迎え、争いを収めに他国を訪う。
ある時は対話で、ある時はやむを得ず神の力を使い、争いを収束させて行った。
ある国では双子の姫の姉姫と心を通じ合わせ、伴侶に迎えた。
各国は王子のもとに同盟を結び、大陸に平和が訪れた。
「国王陛下!!万歳!!王妃陛下!!万歳!!」
神に愛されし王子の戴冠式には城の広場に数多くの民が集まり、嬉しげに歓声を上げている。
祝福の声は鳴り止まない。民たちの顔は痩せておらず皆表情も明るい。
※※※
バチン!
暖炉の木が弾ける音で私は目を開けた。
「伯母上、お目覚めですか?」
誰かが声を掛け、声の方向に目を動かした。体がとてもだるく、指先ひとつ動かせない。
目をやった先にいたのは。
「シャル兄様?」
懐かしい次兄の、シャルルの姿。
シャル兄様は淡く微笑み、
「ユリウスです。伯母上」
と答えた。
「ユリウス?」
口に出ししばらくすると私は思い出した。ああ、彼は弟の息子。弟の正妃が産んだ双子の1人ではないか。
記憶の中の、仲の良かったシャル兄様となんてそっくりなんだろう。
ユリウスは魔術師としての私の弟子でもある。
私は年老い、もう時期目が覚めなくなるのだろう。ユリウスは私の看病をしてくれているのだ。
昔の夢を見ていた。
弟が赤子の時、施した魔術は弟の生命を脅かす病や傷を私に移すものだった。
大陸の覇権争いのせいで意にそまぬ戦で兄上達は亡くなり、子供を失った母上は生きる気力を無くした。父上の後継ぎを産まなくてはいけないという強い義務感の元、かろうじて弟を産み命を落とした。
私は母上の忘れ形見の弟を守りたかったのだ。兄上達の様に戦で命を落とさないように。
「伯母上、父上に施した術式を教えて頂けませんか?」
「あの子は神に愛されているのよ」
何度めかのユリウスの質問に素っ気無く答える。
私が弟に施した魔術を悪用することがあれば、世が乱れるだろう。私はこの魔術を誰にも教えず胸に秘めたまま死ぬつもりだった。
「伯母上が亡くなった場合、父上のことはどうされるのですか」
ユリウスには何も教えていないが、私の側で魔術を学んだのだ。予測をしているのだろう。私が死んだ後、弟は普通の人間と同じく、病に掛かり、傷は残るようになる。
「王は神の子の役目を果たした。これからは人の命を全うする様にと神の慈悲があった、と噂を聞いたわ」
そんな噂はないが、ユリウスがなんとかしてくれるだろう。
話をして疲れたのか眠たくなってきたので、私は目を閉じた。
再び夢を見た。
大好きなシャル兄様に褒められる。
『よく頑張ったね。ジュスティーヌ。つらかっただろうに。誰にも頼らずに』
ええ、とても大変だったの、兄様。
魔術で見えなくしていたけど体中に傷跡があるし、真夜中に高熱を出しても誰にも知られないように1人で震えて。
でも魔術師だから、けがも病も人より軽くすることができたし、弟を守れて私は満足なのよ。
でも、弟はどうなのかしら・・・。
『どうして?弟も病に掛からず怪我を負うこともない体に満足しているだろう?』
あの子の真名を私は取り上げたの。そして私の真名を貸与することで弟の病や傷を私に移したの。
真名を取り上げると人は虚ろになるのよ。私の真名を借りているから弟は完全に虚ろにはならないけど、生きている実感を持てないの。自分の人生が他人事のように感じるの。
『だから、恐れを知らず、争う他国の調停を行うことができたと』
そうかもしれないわ。
危険なことをしているとき、あの子は生き生きと目が輝いていたわ。
『真名を奪い、あとは血を媒介にしたの?』
そう、お互いの身に流れる血が近しいことが条件の一つ。
『双子だったら?』
そうね。双子は元から運命を共有しているから、術式は容易になるわ。
双子と言えば、弟の子も双子なのよ。母親が双子だから、双子が生まれやすい遺伝子が家系に混じったのね、
『遺伝子?』
シャル兄様の訝しげな声に、ふふふと笑う。
この世界に遺伝の法則はまだないのだ。
「あら?シャル兄様の目の色は緑だったかしら?」
シャル兄様は答えず、微笑んで私の髪を撫でた。
すると、瞼が重くなる。
(夢の中で眠るなんて。兄様の目の色は青じゃなかったかしら?夢だからかしら・・・)
ユリウスは眠りについた伯母のジュスティーヌの髪を撫でていた。
「ありがとうございます。伯母上」
術式を理解しました、と彼は呟いた。
稀代の魔術師であった伯母。その伯母が弟を守る為に振るった魔術の威力が神の力と恐れられた。
大陸に平和をもたらしたのは実はユリウスの父ではなく、伯母であるジュスティーヌであることに何人が気づいているだろうか。
(父上の影に隠れて、けして表に立とうとはされなかった)
ジュスティーヌに守られていたことに父のジュスティアンが気付いているのか、ユリウスはわからない。
いつも穏やかに微笑んでいる父のことを泰然としている人だと思っていたが。
(真名を奪われていたとは・・・)
真名は自分の本質である。真名を奪われると自分を保てなくなるはず。それを伯母の真名を貸し与えることで補った。
隷属の一種であり、きっと、父はふわふわとした夢見心地の世界を生きている。
「それでも、私は守りたいのです」
伯母は弟を守り、予想していなかっただろうが大陸は現在父の元に平和がある。
その父が、只人になったら?
争いがまた始まるのではないか?
伯母は眠っている時間が長くなり、死期が近づいている。伯母が亡くなれば父の生命も長くはないだろう。
「新たなカリスマが必要なのです」
ユリウスの双子の片割れ、兄王子は次代の王だ。その妃の腹に今宿っている命は、再び双子だろうと医術師の見たてだ。
ユリウスは、大陸の平和を守る為に、生まれる双子の1人を新たな神の子にすることを決意したのだ。
※※※
私は再び目覚めた。
ジュスティーヌではなく、新たな生を。
私が生きた時代から未来の時代。なんということか、弟の子孫であり、神の子を守る為の影贄の子として。
「愚かなことを・・・ユリウス」
唇を噛み締める。
ジュスティーヌが死ぬ寸前の記憶は曖昧だ。途切れ途切れの記憶の中で、夢の中で兄に魔術について語っていたような気がする。
あれは兄ではなく、ユリウスだったのだろう。甥の瞳は緑だった。
あれから何代も経ている。
ユリウスが王家に伝え残した術式が、定期的に王家に病知らずの神の子を生み出している。代償を影贄の子に与えて。
影贄の子は神の子が受けるはずだった病や傷を身に受け、苛まれる痛みに耐えきれず発狂していく。
神の子を恨みながら。
何代も何代も怨みが募り、この大地を覆っている。
(愛ゆえだったのに。愛があればこそ耐えられた)
愛が義務と化し、呪いに変わってしまった。
この国は、神の子を生み出すと驕り高ぶり、新たな火種と化している。
「ごめんなさい。ジュスティアン。・・・いえ、リュシウス」
ジュスティアンと言う名前はジュスティーヌから名付けた、仮の名前。
リュシウスが生きている実感を求め、成し遂げた筈の平和は私の魔術が原因で崩れ始めている。
この地を覆う呪詛の影。人々の表情も不安気だ。
ジュスティーヌの周りの床には人の形をした紙が何枚も落ちている。紙は何枚も宙から現れ、ある物は燃え、ある物は黒く染まり、ある物は破ける。
ジュスティーヌが神の子の災難を身に引き受けた物を更に移したものだ。
「神の子と言いながら、なんて人々から恨まれていることか」
今代の神の子、今生の双子の兄の冷たく微笑む姿。彼は痛みを感じないから、他者の痛みを知ろうとしない。
弟を守りたかった、兄上達のように死なせたくなかった。
私が編み出した魔術が幾人もの人生を狂わせた。
神の子も呪詛の影響で狂ってしまっている。
「弟よ、同胞たちよ、私を怨むがいい」
弟の運命を捻じ曲げる前の、弟のきょとんとした顔を思い出しながら、私は魔術を展開した。
※※※
大陸一の王国に生まれる、神の子がある日突然亡くなった。
そして、神官と言う名の魔術師達も一晩で廃人と化した。
神の子を祭り上げ、横柄な振る舞いをしていた王国に対して苦々しく思っていた各国の重鎮達は溜飲を下げた。
新たな神の子はその後生まれず、神の怒りを受けたと噂され、神の子を擁していた王国は次第に大陸内での権力をなくしていった・・・。
隣国に向かう道を二人の男女が歩いている。二人とも黒髪に青い瞳に良く似た顔立ち。恐らくは双子だろうと、通り過ぎる旅人達は考え、すぐに脳裏から二人のことを忘れた。
「姉上、足が痛い、疲れました」
朗らかに笑いながら、双子の片割れが休憩を求めた。
「なら膏薬を塗ってやろう」
痛い、疲れたと言いながらニコニコと笑う双子の弟に苦笑し、私達は木陰で休憩を取ることにした。
ブーツを脱いだ弟の足の裏は豆だらけだ。今まで外を出歩くことがなかった弟の足は柔らかい。
膏薬を塗り、包帯を巻く。
「疲れたけど、生きてるって実感します」
「すまなかったな・・・」
いえ、と弟は首を振る。
「姉上は、あの時代、私を守ることに一生懸命でした。確かに姉上の守りがなければ命を落としていたでしょう。・・・まあ、何をしても自分のことのように感じないので、退屈で退屈で刺激を求めて敵国に乗り込んだりと今思えば馬鹿なことをしました」
遥かな昔を思い出し、二人は無言になる。
ここにいるのは、以前は神の子と呼ばれた男とその影贄の女。
死んだはずの神の子は金髪を黒く染め、粗末な衣類を身に纏い旅をしている。
以前浮かべていた冷たい笑顔はなく、生き生きとした表情だ。
あの日、ジュスティーヌが魔術師達を廃人にする魔術を展開し、次に神の子である双子の兄のもとに行き、同じように術を掛けた。
魔術師達と違うのは廃人にするのではなく精神を赤子に戻し、奪われた真名を返したこと。
そして、その場を立ち去ろうとした時、
「姉上?」
と精神が赤子になったはずの神の子から呼び止められた。
前世の弟のリュシウスは今生の神の子として生まれ変わっており今生の精神が赤子に戻ったことで前世のリュシウスの意識が表に出たのだ。
それから、二人は王国を出て旅をしている。
行き先は決めていない。
どこか落ち着ける地で、余生を送ろうと考えている。
弟はどこかに行くかも知れないが、付いて行かず見送るつもりだ。
過保護に守ることはもうやめた。
「さあ、行きましょう!日が暮れる前に宿に付きたいなー」
「野宿は嫌だわね」
二人は新たな一歩を踏み出す。