5. どうしてこうなるんだ
ウワサについて知ったのは、クラスにいる友人からだった。
全身に擦り傷や青あざをこしらえてきたわたしを、興味深そうに見ているクラスメイトがちらほらいた。
そんな中で一人の女子が話しかけてきた。
この子はベティカといって平民の子で、わたしと同じように特待制度によって学校に通っていた。
彼女も貴族の中で肩身の狭い思いをしていて、似たような境遇同士で仲良くしていた。
「その傷どうしたの?」
「ちょっとドジしちゃって、階段から転がりおちちゃってね」
あははと誤魔化すように笑うわたしを、ベティカはなにか言いたそうにしていた。
「あの、ね。あなたがベアトリクス様に階段からつきおとされっていうウワサがながれているんだけど、本当なの?」
「え、いや、ちがうよ」
おずおずと聞きにくそうに口を開くベティカに、慌てて否定した。
なんで、昨日の今日でそんなウワサが流れているんだろう。まるで、誰かが意図的に流したようだった。
もちろん、わたしは誰にも話していなかった。まさか、誰かがあの現場をみていたのだろうか。
もしも、このウワサが殿下の耳に入ったらと思うと心配になった。
だけど、その恐れは的中してしまった。
「サラ、聞きたいことがあるから来てくれ」
放課後、殿下ご自身がわたしの教室にきて、わたしを教室から連れ出した。
校舎の空き教室に連れて行かれ、ルートディヒ様が人が来ないように見張っておくためなのか、入口の前に立っていた。
「サラ、うわさについては聞いているか?」
「はい、今朝聞きました」
「君があんなウワサを流すわけがないというのはわかっている。しかし、すぐにでも撤回するためには、真実を知っておく必要がある」
殿下は真剣な目でわたしの目をじっと見つめてきた。
どうする、話すべきだろうか。ここで判断を誤れば、2人の仲はこじれてしまうだろう。考えをまとめようと、視線をそらしうつむいた。
「そうか、まさかとは思ったが……」
わたしが悩んでいると、その無言を殿下は肯定と受け取ってしまった。
「ちがいます。ちがうんです。ベアトリクス様はそのようなことはしていません」
「いいんだ、君も立場があるだろう。はっきりと口にすることはできないのだな。大丈夫だ、私が守ってやる」
わたしは必死に訴えるが、殿下のなかで結論が出てしまっていた。
「ルートディヒ、すまないが彼女を頼む。私はベアトリクスのところにいってくる」
まずいまずいまずい、このまま殿下を行かせるわけにはいかない。
引きとめようとしたが、ルートディヒ様がわたしの肩に手をおき首を横にふった。
その間に、殿下は部屋からでていった。
ルートディヒ様を説得するために、手をとって目をまっすぐに見つめた。
「殿下は誤解をしておられれます。ハントリー様、お願いします、殿下を止めるのに手をお貸しください」
「しかし、殿下の命令に背くわけにはいかない」
「ハントリー様は、殿下の幸せと命令、どちらが大切だと思いますか?」
ルートディヒ様は顎に手を当てて、少しの間考え込んだ。
「わかった、行こう」
一緒に、高位貴族用の学生寮にあるベアトリクス様の部屋に向かった。
しかし、時は既に遅かった。
扉が乱暴に開けられて、殿下が部屋からでてきた。
その顔は怒りに染められ、何かをこらえるように下唇をきつくかみ締めていた。
「ルートディヒ、なぜ、連れてきた」
「申し訳ありません」
わたしたちを見つけた殿下はきつい口調で、言葉を投げつけた。
「サラ、いままでのこと感謝する。だが、もうベアトリクスのことは放っておいていい」
殿下は口早に言い放つと去っていき、ルートディヒ様は申し訳なさそうにわたしに視線を送った後、殿下についていった。
部屋の扉は拒絶を示すようにピタリと閉じられていた。
だけど、わたしはその扉をノックした。
こうなったら、直接ベアトリクス様に事の真相を聞くしかなかった。
わたしの名を告げると、扉越しにどうぞという声がきこえてきた。
中に入ると、いつもどおり優雅にソファに座るベアトリクス様の姿が見えた。
「殿下に続き、今度はあなたなのね。聞きたいことはわかっていますわ。あなたを突き落としたのは私でしてよ」
わたしが何かを言う前に、ベアトリクス様ははっきりとした口調で、わたしが聞きたくなかったことを口にした。
「どうしてですか?」
「近頃殿下と親密になってきたあなたが目障りになったのよ。だけど、殿下の機嫌を損ねてしまいましたわね」
ベアトリクス様の表情を見るが、相変わらず氷のような微笑を浮かべるだけで、その心情を図ることができなかった。
これ以上聞いても、おそらく彼女から得られるものはないだろう。
わたしはベアトリクス様の部屋を辞去し、次の行動に移ることにした。
ウワサの出所を調べるために、わたしにウワサについて話してきたベティカに聞いてみることにした。
女子寮のベティカの部屋訪ねると、どうやら、勉強中だったようで机には教科書が置かれていた。
「ベティカ、あのウワサってだれから聞いたの?」
「えっとね、廊下を歩いているときに、ソーニャ様たちが話しているのを聞いたの」
「ソーニャが?」
ソーニャは殿下のことでわたしに警告してきた女子生徒の一人だった。
「わかった、ありがとう!!」
わたしはすぐに女子寮をでて、ソーニャの姿を探した。
走り回った結果、食堂のテラスでのんきにお茶を飲んでいる姿を見つけることができた。気のせいか、その表情は暗く見えた。
「ソーニャ・カニンガム、あなたに聞きたいことがあります」
「な、なによ」
さんざん探し回ったせいでハアハアと息を切らせるわたしを見て、ソーニャは困惑した表情をしていた。
「ベアトリクス様のうわさって誰からきいたの?」
「クレア様よ、ベアトリクス様があなたを階段から突き落としただなんてウワサがながれているから、気をつけてっておっしゃられて」
クレア様といえばベアトリクス様のお付の方なはずだ。
だけど、彼女が口にしたことはウワサは否定する内容なっているが、ひとによってはベアトリクス様を犯人だと疑うようにものになっていた。
クレア様が仕組んだことなのか? でも、そんなことをしても彼女に得があるとは思えない。
「ねえ、本当にベアトリクス様はやっていないのよね?」
ソーニャは不安そうにこちらをみていて、同席していた他の子も同じだった。
ベアトリクス様はそれだけ慕われているのだろう。わたしも、彼女についてはちょっと怖いなと思うことはあるけど、嫌いなれそうもなかった。
「もちろんよ!!」
わたしは一言答えると、クレア様に会うためにその場を離れた。
しかし、クレア様はたいていベアトリクス様と一緒にいて、どうやって一人のときに会うかというのが問題だった。
とりあえず、またベアトリクス様の部屋の前にきたが、頭を悩ませていると、中から声がかすかに聞こえてきた。
「……ウワサ……ったようね」
「ですが……まま……立場が……」
なにか気になる単語が聞こえ、行儀が悪いとは思ったがわたしは扉に耳を当てて聞き取ろうとした。
しかし、次の瞬間、ガチャリと扉が開いた。とっさに、扉の影に隠れて、中からはわたしの姿は見られなかっただろうけど、部屋からでてきた人間に見つかった。
「あなたは、サラさん、どうしてここに……?」
出てきたのはクレア様だった。
「えっと、ウワサについて聞きたいことがありまして、あなたがあのウワサを流したんですよね?」
「それは……」
クレア様は目元を震わせると、顔をうつむかせた。
「こっちへきて」
連れて行かれたのは、同じフロアにあるクレア様の部屋だった。
ここもベアトリクス様ほどではないが、わたしの部屋よりは2倍近くの広さがあった。
「そこに座って、おまちになって」
待っていると、クレア様は紅茶をいれたカップをわたしの前と、自分の座る席において着席した。
座ったはいいが、クレア様はなかなか話し出さなかった。
「あの……」
「ごめんなさいね。少し考えをまとめていたの」
「まず、最初に謝らせていただくわ。あなたを突き落としたのは私です」
「え?」
頭を下げたクレア様を見ながら、唐突な告白に混乱して何もいえなかった。
「ですので、このことをみんなに話してください。被害者であるあなたがはっきりと言えば、ベアトリクス様への疑惑もはれるでしょう」
「な、なんで、あなたが私を!?」
わけがわからず、声が大きくなってしまった。
「理由なんてどうでもいいでしょうに、大切なのは事実です。そして、これからのことです。ベアトリクス様が殿下に自分が犯人だといったせいで、おそらく殿下は上に立つものとしてベアトリクス様を弾劾なさるでしょう。最悪、婚約破棄という事態にもなりかねません」
「おかしいですよ!! だってお二人はあんなに相手のことを想い合っているのに」
「それは重々承知しています。ベアトリクス様とは幼少の頃よりの付き合いです。どんなに殿下のことを想っているかということを、あの方が口にすることはありませんが、私には伝わっています」
「だったら、どうしてベアトリクス様はわざわざ失望されるようなことをなさったのですか。それに、クレア様がわたしを突き落としたというのも、腑に落ちないです」
「それは……、いえません」
「何か理由があるということですね。教えて下さい」
しかし、クレア様は口を固く閉ざし、ただ、自分が犯人だというだけだった。
あー、もう、なんでわたしが被害者のはずなのに、こんなにもやもやした気持ちになるんだ。