4. ごろごろと転がってみた、階段から
本日2話目
授業が終了し、さあ今日も掃除の仕事にいこうかと席を立とうとしたところで声をかけられた。
「トーマさん、少々よろしいかしら」
最近このパターン多いなと思いながら顔を向けると、そこには数人の女生徒がいた。
明らかに友好的ではない態度に逃げ出したくなったが、逃がさないとばかりに周りを囲まれていた。
連れて行かれたのは、人気のない校舎裏だった。壁を背にして、女子たちに取り囲まれていた。わたしが小柄なせいで威圧感が余計に増していた。
「えっと、それで何の御用でしょうか?」
「白々しい、わかっているんでしょう。あなた、最近殿下のまわりをチョロチョロとつきまとっているそうじゃない」
殿下と会うときは、庭にあるあの四阿を使っていた。あそこならばよっぽど近づかなければ、話を聞かれることはないが、周りからは殿下と話すわたしの姿は見えていたのだろう。
「殿下にはベアトリクス様という婚約者がいらっしゃるのよ。少しは慎みなさい」
なるほど、傍目からみると、殿下にちょっかいをかけているように見えるのか。たしかにごもっともだ。
それに、彼女たちはわたしの家よりも格上の貴族ばかりだ。下手に逆らわないほうがいいだろう。
「ご忠告感謝します。以後、気をつけます」
「男爵家風情が、殿下に近づくことがそもそも間違っているのよ」
「掃除婦は、端っこで床のホコリでも相手にしていなさいな」
深く頭を下げたわたしに彼女たちからの警告のような脅し文句は続き、小一時間後にようやく解放された。
暴力が振るわれないのが救いだった。
殿下やベアトリクス様には信奉者といえるほどに心酔している生徒もいるため、もっと過激な手段をとられる恐れもあった。
とりあえず、殿下と会うのはもう少し控えよう。
校舎裏から解放されたあと、頭に三角巾を被り制服の上からエプロンをつけて、ひと気がなくなった放課後の校舎を掃除していた。
窓から見える夕陽がとてもきれいで、廊下を赤く染めていた。
普段は多くの生徒たちの喧騒でつつまれているのに、今だけはわたしだけが独占できているようでこの時間が好きだった。
シャッシャと箒で掃いて、ゴミやホコリを集め、今度は階段にうつった。
次に、階段の隅の方にたまったチリを掃き出そうとした。
階段ってほこりがたまりやすくてめんどくさいなと思いながら掃除を続けていると、背後に人の気配を感じた
次の瞬間、ドンという衝撃が背中に当たりわたしの体はぐらりと傾いた。
「えっ、わっ、わっと」
わたしは必死に体の体勢を立て直そうとするが、既に足は階段の縁から離れ、浮遊感の後、わたしの体はごろごろと階段から転げ落ちていった。
全身を打つ痛みに耐えながら、階段の踊り場にたどり着いた。
体がバラバラになったような痛みを感じながら、階段の先に目を向けると、そこには一人の人間がわたしのことをが見下ろしていた。
だけど、その顔は夕陽が逆光になっていて見えなかった。しかし、黒く長い髪だけは見えた。
まさか、ベアトリクス様がやったのかと思いながら、わたしの意識は途切れた。
目が覚めると、天国にいた。
ふかふかのベッドの上に寝かされているようで、その柔らかさを堪能していると、声が上から聞こえてきた。
なーんかこんなこと前もあったよなぁと、寝起きの頭で考えていた。
「起きたか、大丈夫か?」
聞こえてきた声は殿下の声で、既視感を感じながら急いでガバリと体を起こした。
「いったた」
途端に体中から痛みを感じた。
「これ、安静にしていなさい」
痛みにもだえるわたしに声をかけてきたのは、髪を生やし白衣を着た中年の男性だった。
この人は確か、学校医の先生だったはずだ。ということは、ここは医務室なのだろうか?
「キミが階段の踊り場で倒れているところを、殿下が運んできてくださったのだ」
状況がつかめず混乱するわたしに先生が説明してくれ、殿下とルートディヒ様が心配そうにわたしを見ていた。
「私が通りかかったら、キミが倒れているのを発見してね。なにがあったんだ?」
「えっと……、掃除中に足を滑らせてしまって」
わたしを突き落とした犯人がベアトリクス様だと確定したわけではないので、口にするわけにはいかなかった。
「骨折などはなかったが、念のため診察をしておこうか」
先生に言われ、わたしは診察をしやすいように服を脱ごうとした。
「待て、待て、私たちもいるというのに何を考えているんだ。ルートディヒ、行くぞ」
殿下が慌てながら、ルートディヒ様と一緒に医務室から出て行った。
家にいるときは弟がいたので、男が部屋にいても着替えることを特に気にしたことがなかった。
恥ずかしくなり、顔が熱くなるのを感じた。もうちょっと、女性としての慎ましさがほしいものである。
診察を受けて、あざになっている箇所に湿布を張ってもらい医務室を後にした。
しかし、どうしたものだろうか。ベアトリクス様に直接問いただすべきなのだろうか?
でも、あの方がわたしに危害を加える理由があるとは思えず、彼女が犯人であるとは思えなかった。
そんなわたしの悩みが解決する前に、次の日、妙なうわさが校内に流れていることを知った。
ベアトリクス様がわたしを階段から突き落としたいうものだった。