ヤシロ巡礼所
「では、あなたはヤシロ巡りの巡礼者ということですか?」
村長のそんな問いに昨日アデラに言われたことを航は思い出していた。
「そうかい。あんたは異世界人なんだね?」
アデラの家に帰り、なんどか詰め寄られて家から追い出すと脅された後に、航は観念して事実を話さざるを得なかった。多少は驚いていたようだが、アデラは、そんなこともあるだろうという表情をして、確認してきた。
「はい。なんだか、あっさりしてますが、この世界に異世界人がいるんですか?」
「いないことはない。例えば、トリイとかジンジャをもたらしたのは異世界人だと言われているよ。古いことだし、辺境の村だから情報は少ないけど、これくらいのことは皆知っているよ」
アデラに言われて、もしかしたら帰れるかもしれないと航は少し希望を見出した。
「それより、今はまだ、あんたが異世界人だということは秘密にしておいた方がいい。だから、あんたがどこの誰なのか、そして、何であの森にいたのかくらいは村長や村民に答えられるようにしておかないと」
そういうと、アデラは急に思案し始めた。
「そうだねぇ、あんたは、イヨノ王国からヤシロ巡りにやってきた巡礼者ということにするよ」
「イヨノ国? ヤシロ巡り?」
どこか聞いたことのある響きだが、航には意味が分からない。どういう意味なのかと聞き返す。
「そうだよ、ここから西に行った国にイヨノ王国というものがある。そこには、あんたと同じような黒い髪に黒い瞳をしたシロカと呼ばれる民族が住んでいる」
「適当に設定を作ってもいいけど、この村には、首都出身者がいるからね。この村のカンヌシ様だね。細かいことはいいにしても、首都は、人の行き来が激しいから、容姿くらいは合わしておきたいね」
「あと、ヤシロ巡りかい? ヤシロ巡りと言えば、アワジ王国にある5か所の指定されたジンジャをすべてまわって歩くことだよ。そして、そうすることで願いがかなうとも言われているよ」
そう、アデラに言われて航は驚いた。数は少ないけど、まるでこれは四国88か所巡りに似ている。
「5か所を巡るだけで願いがかなうなんて簡単じゃあないですか?」
「説明不足だったね。5か所巡るだけでは願いはかなわないよ。願いをかなえるためには、さらに、各ジンジャで課されるミッションをクリアしないといけないんだよ。これが難しいから、ミッションをクリアしながらジンジャをまわれる人間なんて、50年に一人とも100年に一人とも言われているよ。まあ、多くの人間は、各ジンジャをただまわるだけで満足するんだよ。分かったかい?」
航は、はっとした。真意の程は分からないけど、これが事実なら元の世界に帰れるかもしれない。
「……、分かりました」
航は、目が回るようだった。なんだか、この世界の神道にはいろいろな要素が混ざってしまっている。
「いいかい、あんたは、イヨノ国のシロカ村からやってきたヤシロ巡りの巡礼者だよ。そして、アワジ王国にやってきたはいいけど、森に入ってしまいゴブリンに襲われて、その結果私に助けられた。いいかい、頭に叩き込んでおきよ」
「はい」
「はい、そうです」
アデラに言われた通りに村長の問いに航は答えた。
「そうですか。でも、なぜ森の中に言ったんですか? 不用心ですよ」
「今考えればそうですけど、イヨノ国からやってきたもので土地勘がなく、いつの間にか迷い込んでいたのです」
「イヨノ国から。それでは、仕方がないかもしれませんね」
村長が素直にそういってくれたので、航は安心した。何かつっこまれる様子はないようだ。
「ヤシロ巡りをするなら、ここからなら、スモト町に一か所ありますよ」
「そんなんですか?」
「ええ」
「それなんだけどね。しばらく、私の家に航を置こうと考えているんだよ。なんだか、このまま放りだすのも危ない気がするしね」
アデラが村長にそう言った。この世界のことを何もしらないと危険だから、しばらく家に逗留すればいいと、アデラに昨晩言われたのを航は思い出した。
「そうですね。森に迷い込んでゴブリンに襲われるくらいですからね。ええ、分かりました。アデラさんが面倒をちゃんと見るなら、この村にしばらく留まることを許可します」
「本当かい?」
「ええ」
「ありがとうございます」
少なくとも今日中に外に放り出されることはなさそうだと、航は安心して礼を口にした。
アデラは、面倒見がよい女性だった。そして、猟師をしていたので豪快な側面もあった。
「よし、今日は猟に行くよ」
ある日、朝食を食べていると突然アデラはそう言った。
「猟ですか? 俺も?」
間の抜けた顔をして航は聞き返した。アデラが猟師であると知ってはいるが、自分も行くとはどういうことだろうか?
「そうだよ。面倒を見るとは言ったけど、ただ飯を食わす程 私はあまくはないよ」
「それはそうですが、俺なんかが一緒に行っても足手まといですよ?」
「それはそうだろうけどね、どこかで一歩を踏み出さないと一生足でまといのままだよ。それに、あんたの居た世界はどうか知らないけどね、この世界は安全ではないよ。危険な獣やモンスターに出くわすこともあるし、人間にしたって人の命をなんとも思わない連中がごろごろいる。駆除したり取り締まりしたりする人間もいるが、最終的に自分の命の責任は自分でしか負えないよ。ドラゴンを退治しろとは言わない。ゴブリンの一匹や二匹を相手にできるだけでずいぶんと生存率はあがるよ」
「そうですか。分かりました」
その日から、アデラに引き連れられて、神使に飛ばされた森でほぼ毎日猟を行った。
猟とはいっても、鳥とか猪などの獣ばかりでなく、ゴブリンとかオークといったモンスターも狩る。これが、この世界の猟師である。専門のハンターもいるようだが、こういった辺境の村ではだいたい猟師が兼任しているようだ。そして、狩った獣を売ったり、間引いたモンスターの数を報告したりして、猟師は生計を立てている。
アデラは、獣を狩ったり、モンスターと戦うときのイロハをすべて航に教えた。そして、その教え方は、厳しいながらも丁寧で根気よかった。まるで、テーブルマナーを母親に教えられているように航は感じた。
またある日、アデラに連れられて航は村の酒場を訪れていた。そんなに広くない店内に客が8割がた入っている。どうやら、それなりに人気のようだ。
「親父、ビールをおくれよ。私とこっちの坊主にね」
親父と呼ばれた店主は返事をせずにうなずくだけだった。よそ者に警戒をしているわけではなくこれがこの店の流儀なのだろう。
「アデラさん、俺、アルコールを飲めないのですが」
航はアデラに断りを入れた。
「なんだい? アルコールが体質に合わないのかい?」
「いえ、まだ19歳なので」
「おや、あんたまだ19なのかい? それにしては若くみえるね……。でも、19で何で飲めないんだい。とっくに、成人しているだろう?」
「俺の居た国では成人は20からなんですよ」
「そうかい。でも、ここではOKだよ。一杯くらいお飲みよ。どうせ この村には、飲むことくらいしか楽しみはないんだからね」
そういうと、アデラは航の肩に腕を回して少し抱き寄せてきた。これまで、航は女性と親しくなったことも手を握ったこともない。それがいきなり正面でないとはいえ、至近距離に顔が近づいてきた。脈拍がどんどんと上がっていき、顔が紅潮するのが分かる。こういったとき、どういう態度をとったらよいのだろうか?
「はいよ、ビール」
航がドギマギしているとき、店主がカウンターにビールをいいタイミングで置いた。
「お、来たよ」
アデラは、航に回していた腕を外した。そして、木製のコップを口もとに近づけて徐々に傾けていく。
ゴㇰ、ゴㇰ、ゴㇰ――。ゴㇰ、ゴㇰ、ゴㇰ――。
「はー……。いいねー」
アデラは、木製のコップに入ったビールを気持ちよく飲み干した。
「そら、あんたもお飲みよ」
「はぁ」
航は、気の抜けた返事をしながら、コップを持ち上げて一口ビールを飲んだ。
「うぅ、うぅ・・・・・・。なんだこれ、まずい。」
初めて口にしたそれに拒否反応を示す。口にその小麦色の液体を含んだ瞬間に苦みが味覚を支配する。味わったことのない感覚。少なくとも、航には、こんなものを好き好んで飲んでいる人間の考えは理解できない。
「フフ、この味が分からないようじゃ、成人していないというのも正解かもしれないね。いっぱしに自分の糧を手に入れられるようになるころにはあんたにもこの味が分かるようになっているはずさ。そんなことより、とりあえず今はその一杯を飲み干してみな。大人見習いの通過儀礼だと思ってね」
そう言ったあとは、アデラは、ビールをお代わりしながらどんどん杯を飲み干していく。最終的に航が一杯を飲み終えるまでに十杯以上のビールをアデラは飲み干していた。しかも、顔色一つ変えずに。
「いつか、あんたとも対等にビールを飲める日がくるといいね」
そういったアデラの言葉は航の耳には届かなかった。ビールを一杯飲んだだけで酔っ払い眠ってしまったのである。