月明りの不器用者たち
「親世代ではなかったのですか?」と同一世界で、時間軸は少し未来です。
こちらもなんとなく書いたので、細かな設定はありません。
サクッとお読みください。
くっそ!だから夜会なぞキライなんだ。
誰だキツイ香水ふりまきやがって!臭いんだよ!
子爵の挨拶と新しい夫人の紹介も終わり、夫妻のあいさつ回りも一段したことを確認し、私は広間から離れた。
今夜のパートナーは挨拶のあと、私用で離れて行ってしまったので、一人で暇を持て余してしまうことが目に見えていた。
もともと人が集まるところが苦手な私にとって、夜会などという魔窟は鬼門といってもいい空間だ。
見かけは煌びやかで美しいのに、中身はどろどろとしていて悪意で満ち、噂で花を咲かせ、妬みや嫉みで上げ足をとる奴らばかり。
それでもここは様々な人が集まる交流の場でもあるので、結婚相手を探したり、一夜の相手を探すなど無意味ともいえない。
魔窟であり情報の宝庫。それが夜会というものなのだ。うん、本当に私には向いていない。
「なんでこういう時に限って、あいつは親に呼び出しくらってんだよ。あいつが招待されたから私も来たっていうのに」
子爵家自慢の庭園を歩きながらぶちぶちとパートナーの愚痴をこぼす。
そもそも人がいるところが苦手な私がここにいる理由は、婚約者に今回の夜会の招待が届いたからだ。
由緒あるマクベシー伯爵家の跡継ぎが我が婚約者殿なのだ。無視するわけにもいかない。無視したいのが本音だけど。
我が婚約者殿とは政略的な意味が大きい。
歴史はあれどやや財政が厳しいマクベシー家と、貴族の歴史は浅いが商会を傘下に置いている我がカルビア子爵家。
お金が欲しい伯爵家と、もっと高い地位が欲しい子爵家。どこにである、ありふれた理由の政略婚約だ。
物語のような恋物語など夢みてないが、少しだけ夢をもたせるような理由はほしかったかもしれない。
伯爵家嫡男――アルヴィス・マクベシーは、先ぶれの使者からあまり間をおかず我が家を訪れ、紙切れ一枚を両親に差し出した。
これから求婚する男とは思えないほど淡々と、まるで仕事の契約のように。いや、彼にとっては仕事と大差なかったのかもしれない。
由緒ある伯爵家の跡取り。銀髪碧眼の美青年。頭脳明晰で王太子の片腕。
あまり感情を表に出さない無表情がデフォで、それが近寄りがたい雰囲気の孤高の存在。近寄る令嬢たちを氷のような視線で避けるために浮いた話がない。
社交界でかなり有名な人物だったので、彼が両親と話している間も私は思考停止していた。
その間に、婚約の意思を確認されることなく契約成立していたことにはさすがに頭にきたが、両親に「よかった」「嫁ぎ遅れるんじゃないかと心配していた」など言われてしまっては嫌だとも言えなかった。
剣術や乗馬がしたいという、普通の貴族の令嬢はしないことを望んだ私に、両親はあまりいい顔をしなかったが止めることはしなかった。将来を心配していたようだったが。
そんなこんなで淡々とした婚約の約束は終わった。
彼の置き土産の書面には、「我が家が伯爵家を金銭面で助ける代わりに、伯爵家が後ろ盾になる」と書いてあった。
婚約の内容というより、貴族間の契約といった感じに「政略的なものか」とわりとすんなり納得がいったことに正直自分で自分に驚いた。
まぁ、そうじゃなきゃ、男勝りだと悪評のある私に婚約を申し込んだりはしないだろう。
そんな夢も希望もない婚約を交わし、今年で四年になる。
一か月前に私たちは学園を卒業した。秋には結婚することが決まっている。けれど胸がときめかないくらい現実味がないのだ。
ちなみにだが、私たちが通っていた学園は他国とは異なったシステムなのか、入学した一年を卒業する最終学年が、卒業前の一か月間面倒を見ることが義務付けられている。
私たちも入学当初、卒業間近の先輩に面倒を見てもらった。
話をもどすが、結婚後はアルヴィスは王太子の補佐として王宮に士官するし、私も伯爵家の嫁になるのにだ。
そもそも彼にときめいた時などあっただろうか。顔立ちはみんなが騒ぐくらい整っているが、特に何も思わない。
では性格はどうか。真面目で冗談が通じないくらい堅物なヤツだ。好感は高いが男として好きというより、人間として尊敬するといった感じに近い。
結論、人として尊敬はしているが男として見ていないらしい。
それで四年も婚約者をしている自分すごいな。
そういえば、先日まで彼の周りをチョロチョロと男爵家の少女が纏わりついていたな。
彼とは違う不穏な噂が色々とある少女で、ふわふわとした綿毛のような可憐な彼女に、我が婚約者殿がよく微笑んでいたのを見かけたが……。
この間、その男爵家令嬢が婚約者殿の妹に「教育的指導」という名の「令嬢教育」をされているのを見かけたが、何か関係があるのだろうか。
彼の妹であるリリス嬢はのほほんとしているように見えて、強かなお嬢さんだからあの少女も半泣きだった。
男を手玉にとる悪女かと思いきや、なんか知らないがテンションが上がりすぎて現実を見ていなかったとか。
学園でテンションがあがるなんて可笑しな令嬢だ。義務だからみんな何となくだったり、イヤイヤだったりするのが大半なのに。
ま、学園に入れば各上の者と親しくなれるし、貴族位を拝命している者は見目麗しい者も多いからわからないでもない。
特に私たちが在籍していたこの期間は、例年にないくらい美男美女ばかりだという話だしな。
月明りで淡く色づく白い薔薇のアーチを潜り抜け、中央に設置されている噴水の縁に腰かける。
子爵家の自慢だけあり、この薔薇のアーチ以外にも多種多様な植物が配置され目を楽しませてくれる。今は薔薇が一番輝く季節だからここで落ち着くことにした。
初夏の風に身を任せながら、空を見上げ瞳を閉じ周りの音に耳を傾ける。
薔薇の香りに包まれ、水の流れ落ちる音と木々のこすれる音。遠くでダンスの音楽が漏れ聞こえてくるのを楽しみながら、この夜会が終わるまで待とうと決めた。
体を動かすことが好きだから、ダンスは好きだ。でも人が多いところで踊りたくはない。
なんか、こう、視線をビシバシ感じて集中できないんだよな。
婚約者殿を見る女たちの憧れと、私を見る嫉妬の眼差しに疲れるんだよ。
私のような男勝りな女は似あわないと思っているんだろう。それは私も認める。
剣術や乗馬が好きで滅多に社交界に出ないことでも有名だし。
背も平均より高いし、黒髪と黒い目でカラスのようだと囁かれることはしょっちゅうだ。
母親が東の国の出身だから、母親に似た私は全身黒ずくめ。うん、確かにカラスだ。
なぜだろう、容姿で落ち込んだことはなかったのになぁ。
遠い異国の地から嫁いで、父と共に家を盛り立てている母は尊敬している。
そんな母親に似ていることに誇りをもっているから、他人にどんなことを言われようと何とも思わなかったのに。
『ね、彼、あなたが男みたいでつまらないんだって。家のために婚約したけど、愛してないって。
ほら、五年前にマクベシー領に隣国が侵入してきて小競り合いになったでしょ?
その時に財政が圧迫したから仕方なくなんだって。かわいそうだね、二人とも。
愛してないのに家のために結婚して、愛されないのに結婚するなんて』
『彼って笑わないでしょ?それって心を許してないからなんだよ。きっとあなたの傍は落ち着かないんだね。
でもね、あたしには笑ってくれるの。綺麗な笑顔なんだよ!
あなたの傍にいると緊張してダメなんだって。いっつも黒ずくめなのもいけないのかもね』
「……っ」
なんだ今のは。思わず目を開け周りを見回してしまった。脳内で響いた声は実際に言われたことだ。
少しだけツキッと胸が痛んだことを無視する。突然で原因不明すぎるからだ。
確かこれは例の男爵家令嬢と初めて会った時の会話だったはずだ。初対面で何言ってるんだと思った。
次に響いた言葉は二回目に会った時のもので、学園の庭園で談笑しているのを見かけた後だったか。
その時に「そうか、緊張して落ち着かないのか」と他人事のように思ったものだ。そうか、と単調に頷いた私に彼女は詰まらなそうに唇を尖らせていた。
期待していた反応と違うとでも言いたそうだった。
その後は見かけはするものの、会話することもなく今に至るわけだが、なぜ今になってなんでこんな会話を思い出してるんだ。
あ、そうか。「貴方たちももうすぐ結婚ねぇ」などと今夜の主役の新婚子爵夫妻がのろけ交じりに言ったからだ。そうだ、そうに違いない。
そういえば、あの会話の後からだ。アルヴィスとあの少女が会っているを見かけなくなったのは。
その代り、学園内でアルヴィスとよく遭遇した。寮の登校から授業後のお茶会、寮に帰宅の間まで。
遭遇するも視線を合わせず、話の内容も日常会話だけで何の変哲もない。
正直どうしていいのか困ったことしか覚えていない。四年という婚約期間があったのにお互いよそよそしい他人行儀な関係が今日まで続いている。
これで夫婦になるのだと思うと息苦しくてめんどくさい。
アルヴィスもそう思ってるんだろうな。死ぬまでカラスのような黒い女と息苦しい関係が続くのだと。
それでも私がこの婚約を破棄しないのは、家の繁栄のため以外に近くで彼を見て、彼を知りたいと思ってしまったからだ。
「はぁ……、考えれば考えるだけ気が重くなる。体でも動かすか」
夜会はまだまだ続いている。ダンスの音楽が漏れ聞こえているし、一人で踊ってるか。
ダンスには相手が必要がだ、一人でいる私に相手などいない。
アルヴィスは私がここにいるなど知らないし、おそらくまだご両親に捕まっているんだろう。
軽快な音楽に切り替わったので、噴水から離れ空想の相手を思い描きながらステップを踏み出した。
目を閉じ音楽に身をゆだねクルクル回る。くるくる。ひらひらと。
アルヴィスから贈られた真紅のドレスが風に流れているのが見なくてもわかる。流行の型だと言っていたから、裾が幅広くとられている使用だ。
きっと薔薇のように艶やかに色づいているんだろう。ああ、こんな女が着て魅力が半減したかもしれないな。
贈ってくれたアルヴィスと作り手に申し訳ない。
もうすぐ音楽が終わりを迎える。まだ踊っていたいと思いながら目を開け、私は息をのんだ。
月明りをはじきキラキラと光る銀髪と、夜でもわかる碧い瞳。
暗い青色の盛装姿に映える縁のないメガネも柄が銀色で、全体的に鋭く冷たい印象を人に与えそうだ。
立ち姿が神秘的で神話に出てくる月の神のように思えた。
「なんで……」
「お前がいなかったから」
「いや、そうじゃなくて……。なんで私がここにいるってわかったんだ」
「なぜと言われても答えられない。なんとなくここにいるような気がした」
「……」
か、会話が続かない。いっつもこうだ。淡々としていて、聞きたいことは何一つ答えてくれない。
「なんとなく来て私がいなかったらどうしたんだよ」
「別のところを探す。お前は人混みが苦手だから、個室でもあたっていただろう」
「……そうか。それで、どうして私を探してたんだ?」
つかれる。ほんとに疲れる。一瞬でも見惚れたさっきの自分を殴りたい。
「お前を探すのに理由がいるのか?」
「なんだそれ。……普通探すからには目的があるからだろう」
「目的……。お前がいないと違和感があった」
「目的って意味理解してるか?」
「理解している。理解はしているが、ほかに言いようがない。
お前が傍にいないと違和感がある。探してしまう。見つからないと落ち着かない」
単語を並べたような言葉と真っ直ぐにこちらを見つめてくるくせに、瞳の奥が不安定に揺れている。
初めて彼が動揺しているのを見た。
何事もそつなくこなし、およそ普通の人が感じる感情がないような無表情の男が、不安そうにこちらを見てくる。
ゆらゆらと揺れる碧い瞳をから何か情報が得られないかと、じっと見つめ続けるがなにをそんなに不安がっているのか窺い知れない。
近づけば何かわかるだろうか。
気が付けば彼の顔が間近にあった。頭一つ高い顔を見上げ、メガネに隠されている瞳を覗き込む。
切れ長の目に、自分の顔が映し出されるくらい近くに顔を寄せていることに気づかず、眺めに切りそろえられている前髪をそっと退ける。
揺れる瞳を近くで見てもなんの情報も得られなかった。
ただ親が見つからず不安がっているコドモのように見え、ふっと顔がゆるんでしまった。
「まったく。お前は子供か? 私はどこにもいかないし、消えたりもしない。
お前が必要ないと言わない限り、ずっとそばにいる」
「……それは契約があるから」
「そうだな、それもあるかな。でも契約云々は正直どうでもいいんだ。
この四年お前といてお前に興味を持ってるんだと思う。お前のこと知りたいし、少しでも私を知ってほしい。
結婚してずっと隣にいるのなら、お互い歩み寄りを見せたほうがいいだろ?」
「歩みより……」
何か引っかかることいってしまったか?
アルヴィスは眉をよせ、その整った顔を歪めている。なにかいけないことを言ってしまったのかと、後ろに下がろうとしたが体が動かなかった。
ぎょっとし周りを見回せば、いつの間にか彼にがっつりホールドされていた。
な、なぜ気づかなかった私!
珍しく彼が動揺なんてしてるから、私も動揺してたのか。
冷静になれば、顔を近づけるなんて恥ずかしいことをしていたと思い至り、顔が熱くなった。
腕を組んだり体を密着させるなんて、ダンスやパーティーのエスコートだけで、抱きしめられるなどこれが初めてだ。
ど、どうすればいいんだ!?
「先ほど両親に言われた。俺たちはお互い壁を作っているそうだ」
「は、はぁ……。確かにそういわれればそうだな。なぁ呼び出しってそのことだったのか?」
「俺は壁をつくっているとは思っていなかった」
「おい、私の質問は無視か」
「むしろ壁はお前にある」
「今度は決めつけた!」
会話が成立しない!しかも原因は私だと言いやがった!!絶対コイツのせいなのに!!
もがくが腕から抜け出せないので、ギッとアルヴィスを睨み付ける。
身長差で上目づかいになっているなど知らない私は、できるだけ怖い顔を作り反論した。
「確かに私もお前に遠慮はしてたさ。身分的にいえば、お前のほうが上なんだし!
でもな!これでもお前を知ろうと頑張ったんだぞ!忘れもしない四年前の初めての公式のパーティーから!!」
「四年前……?」
「覚えてないのかよ、ちくしょう!男の格好して過ごしてたから、ドレスとか持ってなくて侍女とか頑張って流行の型やお前の好みを調べてくれたんだよ」
四年前の出来事を思い出し、侍女たちの涙ぐましい努力とその後の展開に体が震える。
当時流行ったのは詰襟で局部を強調しない型だった。
それに婚約者の好みも露出が少ないものを好んでいるようだったので、自分の好みではなかったが我慢して着飾ったのだ。
で、いざ!婚約者に見せたときの反応は見るに堪えないものだった。
「お前は私を見て顔を背けたんだよ。確かに私に似合ってなかったかもしれないが、世辞の一言くらいあってもいいじゃないか!
頑張って着飾ったのに無言はさすがに傷ついたぞ!ほかにもお前の好みを研究して化粧を試したり、隣に立っても様になるよう立ち振る舞いのレッスンしたり色々としたさ。
なのにお前は何一つ言ってこないし、言ったと思えば「ああ」とか「そうか」とかばかり。
たまに長文かと思いきや、私じゃなくてドレスや髪飾りを褒めるとかあり得ないにもほどがある!」
「……」
「だからもうお前のために着飾るのはやめたんだ。でも社交の場に流行遅れを着ていくわけにもいかないから、それなりに研究はしてる」
「今日のドレスは俺が贈ったものだが」
「そ、それは……せっかくくれたんだし、一応婚約者だからお前と二人で並んで他の令嬢たちの牽制に使えると思ったんだ!
けどな、贈ったといっても褒め言葉も感想もなかったから、これも似合ってなかったんだろう。―――所詮カラスが着飾っても無様ってか……」
最後に俯きながら呟くと抱き込んでいる腕の締め付けが強まった。
驚き思わず顔を上げると、怖いくらい睨みをきかせたアルヴィスと目が合う。揺れ動いていた瞳は、今は怒りに燃えていた。
本当にコイツの心の内が分からない。
「なんだよ。言いたいことがあるなら言葉で言え」
「……」
「お前が何を考えてるのか分からないんだよ!」
態度で示されてもまったく分からない。伝わらない。
どうせ契約の妻に優しい言葉をかけるのはムダだと思ってるんだろう。
笑うのも、褒めるのも、優しくするのもムダだと思ってるから、そこまで言葉を費やさないんだ。
妙に泣けてきた。どんなに知ろうとしても、知ってほしいと頑張ってもその相手には思いの欠片すら届いていない。
頬に温かい滴が流れ落ちるのを感覚で知った。
ああ、私は泣いてるのか。こんな訳のわからないヤツのせいで。
誰にでも平等で能吏な男。人間として尊敬しているけど、男として見ていないはずの男に対して泣くなんて。
それでも感情が高ぶり自分で制御できそうにない。さっき思い出した男爵令嬢の言葉が脳裏でグルグル回る。
私はコイツに心を許されていない。疲れる存在。ただの契約の証明者で、契約にもとずく妻になる女。
愛されていない―――女。
言葉がストンと落ち着いた。納得したのかもしれない。
男爵令嬢に言われたときは何とも思っていなかったのに、今になって痛みを伴うなど。
ああ、あの時は自覚がなかっただけで、ずっと前からそうだったのかもしれない。
契約の名のもとに婚約して、綺麗な婚約者に見合うよう着飾ったりしてみて。なのになんの反応もなくて。
だから少しでもこっちを見てほしくて、彼の好みから外れた露出が多いドレスや流行に遅れない程度に着飾った。
それなのに、それでもこの目の前の男は何も言ってくれない。そればかりか壁を作ってるのは私だという。
「お前が何もいってくれないと私は……」
―――私の心は。
気づかなければよかった。気づかずにいれば堅物でよくわからない婚約者でいたのに。
頬にやわらかいものがあたり、そっと涙をぬぐわれた。
優しくぬぐわれた頬にアルヴィスの手が添えられる。覗き込むような形で顔が近づいてきたことに驚き、思わず手でガードしてしまった。
「お前!いま何しようとしてたぁ!?」
「口づけだ」
「そんなさらっというなぁ!なんでだよ!なんで突然キスする気になるんだよ!」
「そんなの決まっている。お前が俺と同じ気持ちだったことを知ったからだ」
「は……?」
同じ気持ち?
同じって、愛されていないことか。それとも契約だから仕方なくってことか。
いやいや、それじゃキスとかにならない気がする。
同じ、同じ、同じ。どう考えても分からない。
「両親がいう通り壁があるようだ。これで四年も共にいたのが不思議すぎるな」
「おい、まて。一人で納得するな。いったいなんだんだ」
納得顔で自己完結しているアルヴィスは、遮っていた私の手をとり軽く口づけた。
ど、どうしたんだよ!この行動も初めてのことで動悸が激しくなる。きっと顔は真っ赤になってるだろう。
「はじめに言っておくが、お前との婚約は俺の意志だ。はじめて見かけたときにお前がいいと思った」
「はじめてって、あの契約のときだろ?」
「それよりも前だ。領地の問題に行き詰っているとき、息抜きにアスレンに連れ出された先がカルビア子爵領だった。
そこでお前が乗馬で駆けていく姿を見つけ、お前が欲しくなったのだ」
「は?」
何言ってるんだコイツ。欲しくって、私は物じゃないぞ。いや、違うな。
アスレンって王太子だろう。なんでそんな高貴な人物が、ど田舎の我が領地に友人を連れ出すんだ。
グルア領のほうがマクベシー領から近いだろう。なんせ隣領なんだし。
一度しか会ったことないが、あの王太子は私から見ても変わり者すぎる。
王より官吏になりたいとか言い出したことがあったとか。弟がいれば王位など放りだして逃げてそうだ。
あいにく同腹の妹君しかいないから諦めてほしい。
「ええと、それが婚約理由……?」
「そうだ」
「ならあの契約は」
「あれも嘘ではない。我が領は財政難だったので、豊かな財力がある子爵家が欲しかった。
ただそれが付属だっただけだ」
「私が付属じゃなくて、財力が付属?」
「そうだと言っている」
私が付属物じゃなかった。彼は私が欲しかった?欲しかった……私が?私がぁ!?
まて、落ち着け。順序立てて考えろ。
「お前は自領の問題で行き詰り、それを知った王太子がカルビア領に誘った。
そこで私を見つけ欲しくなったから、婚約者になったのはわかった。
ならなんでウンともスンとも言ってくれなかったんだよ。私のことなんて、どうでもいいとしか思っていない態度だったぞ」
「どうでもいいなど思っていない。ただ、どうすればいいのか分からなかった」
一目見て婚約する行動力があるのに、女のあしらい方も知っているのに、女の扱い方を知らないってなんだそれ。
こんなヘタレに私は振り回されていたのか。
「好きだとも言ってくれたこともない」
「それはお前もだろう」
「エスコートもダンスもあまり密着したことない」
「それは、近くにいると思うと緊張してだ」
「男みたいで愛してないと言っていたと聞いた」
「誰が言った」
「あの男爵家の令嬢」
「ああ、リリアのオモチャか。そんなことを言った覚えはない。あの女のウソだ。
男装なども気にしていない。そもそも男装姿に惹かれたのだからな」
「あの子をオモチャと思っているのか……」
もしかしてマクベシー家全員が思ってたりしないだろうな。怖すぎるだろう。
「あの令嬢はよく笑うって言っていた。私といると笑わないのに」
実際笑いあっているのを見てるから、誤魔化せないぞ。
「ああ、それはあの薄っぺらい仮面をはがしたら、さぞかし愉快だろうと思うと笑いが止まらなかっただけだな。
お前といると何を話していいのか、頭の中が混乱する。笑わないのではなく、笑えないだけだ」
「なら黒い服着ててもいいのか?」
「なにを気にしてるのか理解できないが、俺がお前の服装にとやかく口出ししたことはない」
「口出ししてこないんじゃなくて、興味がないんだと思っていた。
胸を強調しても注意も視線もよこさなかったし、化粧を濃くしても直させようとしなかった。足を出した時も同じだ。
これのどこが無関心じゃないと?」
「それは……。似合っていたので、直させようと思わなかっただけで……」
「そうか。なんとも思っていないからじゃなかったのか」
なんだ、そうか。そうなんだ。よかった。
安心して体の力が抜け、アルヴィスにもたれ掛る態勢になる。暗い青色の服が視界いっぱいに広がり、香水と体臭が混じった香りを吸い込んだ。
馴染んでしまった香りなのに、心臓の鼓動がやまない。捕まれている手に彼が口づけを贈り続け、それの延長で髪にも口づけてきた。
そのまま耳元に唇が落ちる。
「誰がなんと言おうと、お前は俺が選んだ伴侶だ。フィール・カルビア」
囁くように落とされたセリフに、私は顔を真っ赤にし彼の胸にグリグリと顔を押し付ける。
ゾクゾクと背筋が震えたことに驚いた。恋ってスゴイ。
「――私もお前だけが夫になる男だよ、アルヴィス・マクベシー」
婚約して四年。やっとお互いの本心を知ることができ私は幸せだ。
きっと月を見るたび、今日を思い出し幸せをかみしめるのだろう。
恋や愛など分からなかったのに、私は今、恋を知り愛を知ったのだから。
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薔薇に囲まれた生垣から、一人の令嬢が顔を覗かせ声を押し殺しながら悲鳴を上げた。
栗色の髪を結いあげ、桃色のドレスを着たその令嬢は、髪と同じ色の瞳を爛々と輝かせているその姿は普段の彼女とはかけ離れているものだ。
最近まで学園を騒がせていた人物が彼女だった。
誰にでも優しく、誰にでも親身な少女――という仮面を剥ぎ今は普通の女の子として学園生活を送っている。
事の始まりは自分が転生したことと、その転生先がものすごく知ってる世界で憧れていた世界だったことだ。
転生先がゲームの世界で、自分がその主人公だと理解した瞬間、世界は自分を中心に動いていると思った。神の天啓のようにそれが正しいと思ったのだ。
見目のいい男に囲まれ、楽しい学園生活ができると舞い上がり現実を見ていなかった。
その結果、今ではゲームに登場しない女性の監視下の元、教育などというイジメのような目にあっている。
特に身体的に傷つけれらているわけでもなく、精神的に追い詰められているわけでもないので世間一般の「教育」なのだが、彼女はそう思っていない。
日本という国の記憶があることや、転生先が緩い教育方針だったので貴族の常識が欠けていることに気づいていないのだ。
それでも少女も記憶にある「イジメ」とは違うと認識しているので、素直に言うことを聞いている。
そんな男爵令嬢――ティナ・ジスタベルはいま、最高に萌えていた。
攻略対象者だったアルヴィス・マクベシーが、恋敵役の令嬢を落とす瞬間を盗み見ていたからだ。
この二人の関係はゲームでは互いに無関心すぎて、逆にお前らなんで婚約した!と突っ込みそうになったくらい冷たいものだった。
それがどうしたことか。転生先の二人はお互い気になってるのにすれ違っていた。
しかも完璧令嬢のはずのフィール・カルビアが男装していて男勝りになっているというイレギュラーまで追加されていた。
とりあえず、このもどかしい関係をどうにかしたいが、自分ではどうにもできないので一先ず自分の目的を達成させることにした。
そもそも転生したと自覚した時に、攻略対象者を落とすことを目的にしていたから不思議にも思わなかった。
この過程で自分に靡くならそれはそれでいいし、二人がくっつく切っ掛けにでもなればなお良しとして動いた。
自分の行動が二人にどう影響したのか、ひと月という期間では判断できなかったが、なかなかどうして、うまくいったようだ。
銀色が月明りを弾き輝き、漆黒をすっぽりと隠している。まるでお伽噺のような一場面にうっとりとしていたティナは、後ろで肩を叩かれても無反応だった。
反応しない彼女の肩がまた叩かれる。もっと見ていたいのに邪魔をするなんて!と振り向いた彼女は「ひぃ!」と引きつった悲鳴を上げた。
薔薇を背景に後ろでにっこりと微笑んで、監視指導の女性が立っていた。
「ティナ様、覗き見とははしたないですよ。お兄様たちが絵になるのは分かりますが、今はそっとしてあげてくださいね。
それにしても、まったく。少し目を離すとこれではゆっくりできませんわ。もう一度、
心得から頑張りましょうね」
後ろに黒い闇を背負っている女性が発した言葉にティナの顔が強張る。
目を盗んで抜け出したのに、なんでここを嗅ぎ付けたとか、笑顔が怖すぎるとか思うことは多いが口が渇いて言葉が出ない。
今までの彼女の教育的指導が走馬灯のように脳内を駆けめぐる。
意識を手放しかけたティナは、そのまま女性に引きずられ庭園を後にした。
「うふふ。今までお姉様もお兄様も心配でしたので、これで安心して婚活できます」
女性の言葉は夜会の喧騒に掻き消え、誰にも届かなかったが、その顔は慈愛に満ちていた。