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4、 ウルコの策略



4、ウルコの策略



 渓谷沿いの道は、渓流の音にときどき鳥の声が響くだけで、あとは静寂に包まれていた。

 両脇に聳え立つ断崖の合間から薄い光が帯のように差し込んでいるが、光が照らしているのは一部で、他は全体的に薄暗く、何者かが潜んでいたとしても分からないだろう。


 クシを守るために寄り添っている五人の侍従たちのほうがおどおどとして、まるでクシにすがりついているようだ。侍従たちはすでに斧を構えているのだが、その手は小刻みに震えていた。

 クシは周囲の様子に、その音や匂いまでにも、全神経を注いで警戒していた。


 突然クシが叫んだ。


「右だ!」


 その声と同時にクシの右側にいた侍従が倒れた。脇から突然飛んできた石に頭を砕かれたのだ。

 それを合図にしたかのように、右側の茂みからつぎつぎと石が飛んできてクシたちを襲った。ワイナ軍に合図を送るため慌てて骨笛を吹いた侍従も石の雨に打たれて倒れた。クシと残った三人の侍従たちはかろうじて斧で石をはじきながら傍らの岩に身を隠してようやく一命を取り留めた。


 投石が止み、茂みに潜んでいた十人ほどの兵士たちが姿を現した。それはウルコの宮殿でクシたちを案内した兵士たちだ。彼らは斧を構えると、クシたちが身を潜めた岩に一斉に向かってきた。

 クシは兵士たちを十分に引きつけてから応戦しようと斧を握りなおした。

 ちょうどそのとき、骨笛の音を聞いて駆けつけてきたワイナ軍がウルコの兵の背後に現れた。ウルコの兵たちは、突然背後に現れたワイナの軍に為す術はなく、武器を捨てて降参のしぐさをした。

 クシと侍従たちはほっと安心して斧を下げると岩の陰から立ち上がった。


 しかしその瞬間、クシは何者かに後ろから抱え込まれ、喉元に斧の刃先を突きつけられてしまったのだ。同時に三人の侍従たちは背後から棍棒で頭を殴られ倒されてしまった。


 抱え込む人物の声が身体を伝って聞こえた。それは聞きなれた、あの異母兄の声だ。


「そこまでだ。クシの命を助けたければ全員おとなしく東の谷の宮殿まで付いて来るのだ。クシは大軍を率いて私とビラコチャ帝に謀反を企てた。そして太陽神の前で私を脅してマスカパイチャを奪い取ったのだ。当然のことながら、私は謀反人を捕らえようと追いかけて来たのだ。

 ワイナよ。お前とお前の兵がすべて牢に入れば、クシの命だけは助けてクスコに戻そうぞ」


 ウルコの力で抑え込まれただけならクシには軽く振り切れたのだろうが、ウルコがクシを押さえつけたあとすぐに、侍従たちを襲った数人の兵士が素早くクシの両手足を縛り上げてしまったのだ。

 すべてはウルコの策略だった。クシとの会見のあとウルコは、どこからか谷に繋がる抜け道を通ってここに先回りして待ち伏せていたのだ。

 自身の兵よりも明らかに大勢のワイナ軍が面白いように従うさまを見て、ウルコは甲高い声で嘲笑った。


 クシと侍従、ワイナとその軍隊は、たかだか十数人のウルコの兵士に率いられて、東の谷へと連れ戻されようとしていた。

 両手足を縛られたクシを、まるで収穫したとうもろこしの袋を運ぶかのように、大柄の兵士が肩に担いでいた。

 ワイナや兵士たちは主君の憐れな姿に哀しみと怒りを覚えたが、クシの命を救うためには黙ってウルコに従うしか方法が見つからなかった。


 クシを担いでいる兵士がその巨体をゆさゆさと揺するたびにクシの身体は人形のようにゆらゆらと揺れた。揺れるたびにクシの頭が大男の肉付きのいい背中に押し付けられる。

 そのとき男が歩きながら何やらぶつぶつと呟いていることが分かった。

 しかしそれは、独り言を呟く振りをして大男がクシに話しかけていたのだ。


「わしはビラコチャさまに忠誠を誓い、以来ずっと前皇帝のために働いてきましただ。ですから御代が代わっても、ビラコチャさまが指名された皇帝に一生仕えるのが筋というもの。そう思って誠心誠意ウルコさまにお仕えしようとしましただ」


 道はやがて渓谷を抜けて、そろそろ東の谷の景色が見えるであろう場所までやってきていた。すると大男がクシを抱えたまま、反対側の手でクシの足を縛っていた縄をほどき始めたのだ。


「しかし、いくらビラコチャさまの指名された跡継ぎとはいえ、ウルコさまの為さり様は目に余る。あのお方が統治なさるのではクスコは滅びてしまいましょう。

 だからわしは、自分の命に替えてでもクシさまをお助けしますだ」


 言い終わると同時に足の縄がほどけ、大男はクシの身体を地面に下ろし斧を振り上げた。クシが縛られた腕を上げると、大男の斧がクシの腕の縄を切り裂いた。

 慌ててクシを捕らえようと駆け寄ってきたウルコの兵士たちを、大男はなぎ倒した。

 クシが解放されるとワイナの軍が一斉にウルコの兵士たちに襲い掛かり、ひとり残らず押さえ込んでしまった。

 残されたウルコは、突然のことに「あわあわ」と言葉にならない声を発しながら後ずさりした。そして足元の石に躓いて大きくしりもちをついてしまった。

 クシはウルコが投げ出した斧を拾ってウルコに向かって突き出し、言った。


「貴方は一度として国や民のことを考えようとはしなかった。常に誰よりも勝る存在でいたかっただけだ。

 敬愛する父上が何故貴方を次期皇帝にと望んだのか、未だに分からない。しかし、民を苦しめるだけの君主は、父なる太陽、善良なる神がお許しにならないであろう。

 私は貴方の間違った生き方を教訓として、常に民の幸せを願う君主になるつもりだ」


 ウルコはひいひいと可笑しな声を上げて笑うと、クシに向かって叫んだ。


「この偽善者め! お前こそ権力がほしいだけなのだろう。太陽神が選んだ皇帝は私ひとりなのだ。

 幼いころから神童といわれ、持ち上げられてきたために、誰かが自分よりも高い位置にいることが赦せないのだ。だから私が皇帝の位に就いてお前の上に立つことが面白くないだけなのだ。それを正当化するでない。

 この偽善者に従うお前たちも愚か者ばかりだ」


 ウルコはクシの後ろを取り巻くワイナと兵士たちをぐるりと指差してまた嗤った。

 すると突然、ウルコの身体は宙に持ち上げられた。クシを解放した大男がウルコの首を締め上げて宙に持ち上げていた。大男は今にもウルコを絞め殺そうとしていた。

 ウルコが苦しそうな呻き声を上げる。


「やめろ、トカチュ! ウルコ帝を離すのだ」


 そう叫んだのはウルコの近衛軍を率いる隊長だった。

 大男の手は上司の言葉で止まり、ウルコの身体がどさっと地面に落ちた。

 隊長が自分を押さえ込んでいるワイナに何やら声を掛けると、ワイナは彼を捕らえていた手を離した。そしてワイナの斧を借りてウルコに歩み寄ってきた。

 ウルコがすがるような目で隊長を見上げた。隊長はウルコに言った。


「貴方さまは、クシさまがマスカパイチャを奪いに来るので警戒せよとおっしゃった。しかし宮殿では貴方さまは快くマスカパイチャをお渡しになった。それなのに再びマスカパイチャを奪い返せと命令された。

 私は貴方の考えには付いていけない。東の谷に残った民の多くが貴方の気まぐれに翻弄されている。この国は貴方には治められない。クスコの民のためにも、どうか貴方の命を差し出していただきたい」


 言い終わるや隊長はウルコに向かって斧を振り上げた。


「何と! お前までこの偽善者の味方になったのか! お前らは揃いも揃って愚か者だ! そうやって自分たちも国も滅ぼしてしまうがいい!」


 狂気に満ちた叫び声を上げるウルコに向かって、隊長は斧を斜めに振り下ろした。

 斧がウルコの首を切り裂き、ウルコの身体はその場に崩れ落ちた。


 隊長はウルコが絶命したのを見届けると、後ろを振り返って彼の部下たちに告げた。


「皇太子の近衛兵軍をここで解散する。

 われわれは、もとはビラコチャ帝の近衛兵であり、ゆえにビラコチャ帝のご意向に従ってウルコ帝に仕えてきた。しかし今、私はビラコチャ帝のご意志よりもクスコの将来が大事だと考える。クスコやわれわれの家族を守ってくださるのはクシ帝だ。私は己が正しいと思う君主に仕えたい。

 しかし、最後までビラコチャ帝とウルコ帝に忠義を感じていた者もおろう。ウルコ帝の(かたき)を討ちたい者は今ここで私を倒すがよい」


 隊長の言葉を聞いて、ワイナの兵士たちは一斉に、ウルコの近衛兵を押さえつけていた手を離した。

 自由になった近衛兵の中に、隊長に異議を唱えて向かってこようとする者はいなかった。彼らもまた、ウルコに疑問を持ちながら逆らうことを許されずに仕えていたのだった。

 ウルコの近衛兵たちは、隊長に従ってクシの前に跪き、クシに忠誠を誓った。


 クシは近衛兵の隊長に声をかけた。


「そなたに辛い役目を負わせてすまなかった。しかし、ここにいる兵士の思いを私は受け取った。そなたたちにはクスコに戻って私の下で働いてもらおう。

 しかしその前に私は、東の谷に戻ってビラコチャ帝にお会いしたい。父上が今どのようにされているのか気に掛かる。それに父上のお考えを直接伺いたいのだ。

 隊長、案内してはくれまいか」


「かしこまりました」


 隊長は大きく頷くと先頭に立って東の谷へ戻っていった。





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