18、 果てない旅
18、果てない旅
アンコワリョはひとり、本国を目指した。
その過程でクスコ軍の兵士や伝令たちが行き交うのを見かけ、その度に窪地に身を隠してやり過ごす。
慌ただしい敵の様子を目にする度に思い知る。一族は滅んだのだ。いやその大部分が崩壊したが、その血を残していく使命はアンコワリョに託されたのだ。
本国までの数日の道のりは奮い立たせた心を簡単に萎えさせてしまう。吹きすさぶ風と、あの大きな揺れを未だ思い返すように大地が震える。それらも孤独な少年の心を怯えさせた。
本国の手前に、神殿の裏手に通じる地下道へと下る道があった。
入り口はすでに敵が占拠しているだろう。地下道から城砦の内部に入り込んで、呪術師の幽閉されている地下牢に向かおう。そして敵が撤収するのを待って残っている民を集め、呪術師の指示する地へ向かうのだ。それがどこになるのかも分からない。生き抜いていける場所が見つかるのかどうかさえ分からない。
地下道に下りながら、アンコワリョはこの先のことをあれこれと考えてみたが、どうやっても不安を抑えることはできなかった。
地下道から神殿の裏に上がると、矢張り、そこかしこに敵の見張りが立っていた。
手薄な場所を探して街の中を通り抜け、神殿からかなり離れた場所にある地下牢への入り口へと向かう。
罪人たちの罪を戒めるために造られた地下牢は、神殿や大首領の館が並ぶ街の中心と離れたところにあり、その入り口も自然に開いた鍾乳洞の入り口としか思えない。
誰からも忘れ去られたような場所に地下牢が設けられていることは、この期に及んでは幸いだったといえる。敵はまさかこのような場所に一族の運命を握る呪術師が潜んでいるとは気付きもしなかったようだ。その付近には見張りの姿はまったく無かった。
狭い穴に大柄の身体を押し込んで、アンコワリョは地下の闇の中へと潜っていった。
まだ幼い時分にこの通路を下って幽閉された罪深い呪術師に食事を運んだことがある。そのときは、いくら地下牢といっても常に誰かが管理していたため、地下の通路には常に灯りがともっていた。
しかし、敵に占拠されたあと、ここを管理していくことが不可能となり、その穴の中はまったくの暗闇に沈んでいた。
こんな暗闇の中で、飲まず喰わずで何日も過ごしているのだ。いくら強力な呪術を身につけているといっても、生き延びるのは難しいだろう。
半ば絶望を抱きながら、アンコワリョは手探りで壁に設けられた灯火台を探した。
以前と同じ場所に確かに灯火台があり、そこに固形燃料の燃え残りらしきものを探し当てた。
暗闇の中で傍に置かれているだろう火打ち石を探し、壁に力強く擦ると火花が散った。それを固形燃料の芯に近づけてもう一度火花を起こし、灯りをともす。
真っ暗闇の中がその周囲だけぼんやりと黄色く浮かび上がった。
固形燃料を手に奥へ奥へと進んでいくと、果たして洞窟の最深部に茨の巻きつけられた檻を見つけた。
しかし、昔見たときのように、手を触れるものをすべて傷つけようとするような青々とした鋭い棘はなく、茶色くからからに干からびて、かろうじて巻きついているといった具合だった。その棘の名残に軽く手を触れると簡単にぽろぽろとこぼれ落ちてしまった。
巻きついたその『枯れ草』を払い、朽ちかけた木の檻を壊して中へ入り、固形燃料を掲げて中の様子を窺うと、その奥に、真っ直ぐ身体を伸ばした老婆が横たわっていた。石柱のように身体をぴんと伸ばして胸の上に両手をしっかり組んでいる。その胸が呼吸で上下している様子はなかった。
「遅かったか……」
アンコワリョは呪術師の『亡骸』の脇にがくんと膝を付いた。
呪術師キータの示唆なしで、この先どうやって一族の生き残りを率いていっていいのだろうか。
途方に暮れて呪術師の『亡骸』を見つめていると、突然彼女の胸が大きく膨らみ、続いてふぅぅという長い溜め息が響いた。そして、小さな掠れた声が聞こえてきた。
「とうとうやってきたね。アンコワリョよ」
驚くアンコワリョの前で、呪術師キータがゆっくりと起き上がった。
そしてアンコワリョのほうに向き直って胡坐をかくと、これまで息さえもしていなかったのが嘘のようにしゃんと姿勢を正した。
固形燃料のあかりが反射しているだけではない。真っ直ぐアンコワリョに向けられたキータの眼はそれよりも鋭い黄色い光を放っていた。
「何度も神に祈ったが、ちっぽけな人間の願いなど、到底叶えられるはずは無かった。運命に抗うことはできない。それを悟った私は時を止めてその運命を待っていた。
神が告げている。われわれは滅ぶわけではない。われらはただ、ここを離れて新たな地で生きていくというだけのことだ。ただ、これまでとは違った大きな試練と屈辱が待ち受けるであろう。
しかし長い試練と屈辱に耐えたとき、われらを救う者が現れる。そして安住の地にわれらを導いてくれるであろう。われらに残された唯一の希望はその者が現れるを待ち、その者に従うことだ。
それまで、お前と私が一族の生き残りたちを護っていくのだ」
未だ呆然とキータを見つめる少年を納得させるように、キータは黄色い目で睨んだまま、深く頷いてみせた。そしてまたじっとアンコワリョに黄色い眼光を送り続けた。
長い時間を掛けて、ようやくキータの言葉のすべてを理解したのか、アンコワリョは静かに大きく頷いてみせた。
キータがゆっくりと立ち上がると、それにつられるようにアンコワリョも立ち上がった。そして地上へと上がっていくと、『奴隷村』のあった辺りに身を潜めた。敵によって奴隷たちが解放されてから、もぬけの殻となったその辺りには敵の護衛も立ち入らなかったからだ。
数日経って、伝令を受けた敵軍がぞろぞろと引き上げていった。
敵は歯向かわない市民たちに危害を加えることは無かった。市民たちは今までと同じ生活をしていた。ただ民を率いる首領と、彼らを護る戦士がいなくなっただけだ。しかし、おそらくまた敵は戻ってきて、今度は彼らを支配しようとするだろう。敵が戻ってくる前に、彼らは出発しなければならない。果てない旅へと。
アンコワリョは市民たちに呼びかけ、彼らを神殿の前に集めた。ぞろぞろと集まってきた市民は神殿のある丘を埋め尽くすほどの人数だった。
女、子どもが多いのは当然だが、その中には、かつて活躍していた老戦士、このときたまたま病気や怪我の療養で軍に加わらなかった男たち、そしてまだ若いこれから十分戦士として育つ少年たちがいた。
これから新たな部落を開いて、そこを自分たちの力で護っていくには十分だ。
彼らを前にして、アンコワリョは改めて自分の受けた使命の重さを実感した。しかしもうそれを気負うことはなく、やがて見つかるであろう安住の地へと彼らを導いていくことに希望を抱いていた。
市民たちの前に立ち、キータは声を張り上げた。
「誇り高き雷の一族よ! われらが首領たちは大地の運命に抗ってまでそなたたちを護ろうと最後まで戦った。しかし大地が導く力は強大で、偉大な首領たちでも抗い続けることはできなかった。しかしここにいる者たちは生き残った。それも大地が定めた運命だ。
雷の一族は滅ぶことはない。そして遠い先、必ずや戦う必要の無い安住の地を見つけることができるであろう。そこまでは長く苦しく果ての無い旅になる。
しかし私とこのアンコワリョとともに、安住の地へと旅してもいいと思うものは付いてくるが良い。一族の誇りを護りとおしたいと思うものは付いてくるが良い」
話し終えると、キータは人々の間に分け入って神殿の丘を下っていった。
アンコワリョがその後に従い、そしてその後を、丘に集っていたほとんどの市民たちが付いていった。
国の入り口に集結した人々は、簡単に支度をする時間を与えられ、必要最低限のものを持ち出して再び集合した。
市民たちが揃ったことを確認して、アンコワリョとキータが先頭に立ち、チャンカの一族は国を後にした。
出発して程なく、アンコワリョはキータに訊いた。
「しかし、どの方角に向かえばいいのでしょう」
「東じゃ」
「東? 敵地へと向かうのですか!」
「いずれ敵は西の果てまでも彼らの領土とするであろう。敵の懐の中でわれらは時を待つ」
それ以上、アンコワリョは何も問い掛けることはしなかった。キータの言葉は正しく、そして自分もその方法で生き抜いていけると感じていたからだ。
一族の誰もが、大きな不安の中に、確かな希望の光を感じていた。
彼らの果てなく厳しい旅はまだ始まったばかりだが、その微かな光が彼らに力を与えていた。
第六章 完
ようやく長い戦いが終わりました。
いよいよクシが理想の国造りを目指しますが、
彼を悩ます問題はまだ山積していたのです。
最終、第七章へと続きます。