15、 地下民族ティグリ
15、 地下民族ティグリ
ワコたちはトッコに従って、暗くて狭い穴ぐらを、背中を丸め、たいまつを掲げながら進んでいった。
しばらく行ったところで、身を屈めなければ進めないような狭い通路は突然、まるで地上に出たかのように拓けた空間に行き当たった。
そこは天井が人の背の数十倍あろうかというほどに高く、広さも十分にあって、高い天井に開いたいくつもの穴から地面にまで光が届き十分な明るさを保っているのだ。
その空間には数家族のティグリがいて、それぞれに割り当てられた区画に居住空間を作って暮らしていた。
おそらくそれがひとつの村なのだろう。
彼らの『村』の片隅には湧き出る地下水を溜めておく貯水池がある。貯水池の周囲にはよく手入れされた畑らしきものがある。地上では見かけない作物、おそらく苔や茸の一種なのだろうが、そんな作物が育てられていた。
『村』から少し離れた場所には、てっぺんから常に勢い良く炎を上げている『岩』があった。
ティグリの家族たちは、そこからそれぞれの家の竈に火を移し取って、炊事をしているのだ。煙は高い天井にまっすぐに昇り、開いた穴から地上に逃げる仕組みになっていた。
見たこともない異空間に驚いて、ワコもクスコ軍も足が止まってしまった。
ワコたちが驚いてその様子を眺めていると、トッコの姿に気付いて村人が一斉に集まってきた。
その中のひとりがトッコに声を掛けると、トッコは涙を流して彼に縋り付いた。
ふたりは感動の再会を果たしたあと、しばらく何やら話し合っていたが、やがてトッコに縋りつかれた男がワコたちのほうを見てにこやかに声を掛けてきた。
その言葉を案内の補佐として付いてきたケチュアの男が訳した。
「彼はティグリ族の若長です。これから先は彼が先に立って案内してくれるそうです」
ティグリ族の若長は人の良さそうな笑顔を向けて頷くと、早速先頭に立って歩き出した。そのあとをトッコとケチュアの男、そしてワコとティッカとクスコ軍が続いた。
驚くことに、若長が合流した『村』と同じような空間は地下通路の各所にあった。
それまで通ってきた『村』に暮らすティグリ人の数を合わせれば、クスコの住人にも匹敵するほどの規模である。それほど規模の大きい民族が地下に暮らしているとは、地上の誰が想像するだろう。
彼らは滅多に地上に姿を現さないというが、だからこそ、戦いに明け暮れる地上の民にはない発展を成し遂げてきたのかもしれない。
ワコは通り過ぎる『村』で必ず目にする火の噴き出る『岩』が一体何なのか気になっていた。その火は彼らの命の糧であるのだろうが、燃料も見当たらないただの『岩』に火が常に点っているなど信じられない。
そこで歩きながら通訳の男にその正体を若長に聞いてもらえるように頼んだ。
「あの火は地下に溜まっている”毒気”が燃料になっているのです。ああして常に燃やしておけば害はありませんが、燃やさずにあれを吸い込んでしまうと人間も動物も簡単に死に至ります。
ティグリはそれを少しずつ引き込んで燃料として利用しているのです。地上にもあの”毒気”が充満した不毛の大地が存在します。ティグリ族は大地の仕組みを十分に知り尽くしていて、人に害なす物でも利用できる知恵を持っているのです」
ワコはそれを聞いて驚愕した。その”毒気”が充満する大地とは、自分が幼い頃生死を彷徨った『死の大地』に違いない。
彼らは簡単に人の命を奪うことのできる物さえ、命の糧としてしまうのだ。
生きる場所を求めて争いに身をやつす地上の人間にはない、彼らの生き抜こうとする強かさに尊敬の念を抱いた。
その後も彼らはひたすら狭い地下道を歩き続けた。
若長の案内がなければ、この迷路をどこまで進めばいいのかまるで見当がつかず、永遠に彷徨い続けることになるだろう。
「あとどのくらいこんな格好でいなくてはいけないのでしょうか? いくら近道をしても、足腰が痛んですぐには戦えないですよ」
迷わずに最短の距離を進んでいるとは知りながら、ティッカが思わず泣き言を言うくらい、狭い穴倉を進んでいくのは辛かった。
兵士たちにそろそろ疲れが見え始め、進むペースが落ちてきたとき、正面に一筋の光が差し込んでいるのが見えた。
天井に人ひとりが通れるくらいの穴が開き、そこから光が差して地面を照らしている。若長がワコのほうを振り返り、その穴を指して頷いた。
「あの穴が大陣営の近くに出る穴なのだな?」
ケチュアの男がワコの言葉を伝えると、若長は深く頷いた。
ワコはふたりのティグリ人に丁寧に感謝の気持ちを伝え、付き従ってくれたケチュアの男に言った。
「案内ありがとう。貴方はチャンカの本国に戻り、残っているキリスカチェ軍とともに戦いが終わったら故郷に帰りなさい」
男は頷き、ワコに言った。
「どうか、ご無事で」
ワコが笑顔で頷くと、三人は再び通路の奥へと引き返していった。
三人の姿を見送って、ワコは地上に通じる穴を見上げた。
「穴が小さく、ひとりずつ地上に上がるしかない。外に出た途端に敵に狙われないよう、十分気をつけて上らねばならない。先に上がった者は身を潜めて穴の周りを護りながら、全員が揃うのを待つように」
「それならば私が最初に表に出て様子を見ましょう」
ティッカが言った。兵士が三、四人、ティッカの体を持ち上げて外に押し出した。
穴から出ると、ティッカは昨日通った石灰岩の原の真ん中に立っていた。石の原を抜けたはるか向こう側で、もうもうと土ぼこりが舞い、鬨の声が聞こえる。
チャンカとクスコが戦っている大陣営だ。
「ここは今ならまだ安全だ。後に続いて出るがいい」
ティッカは穴の下の仲間に声をかけた。次々と兵士が石の原に上がってきた。
もう少しで全員が上がり終えるというとき、決戦場の反対側から勢いよく近づいてくる集団の影が見えた。
ティッカは上がっていた兵士たちに身を潜めるように指示した。そしてまだ穴の下にいるワコに声をかけた。
「ワコさま! 本拠地を出発したチャンカ軍が大陣営に近づいているのが見えます」
ティッカの言葉を聞いて、ワコは残りの兵士たちに早く地上に上がるように急かした。そして兵士たちに引き上げてもらい、ようやく自分も地上に上った。
「本拠地からの応援が大陣営に合流する前に、その間に割り込んでチャンカ軍を引き止めるのだ。彼らを大陣営の軍に合流させてはならない。今から向かってくるチャンカ軍に突撃する。派手に攻めて敵の気を引き、この岩原まで誘導してくるのだ」
ワコは兵士たちにそう指示した。
そして肩から提げている袋の中から黄金の耳飾りを取り出すと耳に提げた。
いよいよ敵の姿がはっきりと見えてきた。
ワコが号令をかけると、それを合図にクスコ軍が石の原から立ち上がった。そして敵軍に向かって突進していった。
石の原から忽然と姿を現したクスコ軍に驚いて、チャンカ軍は歩みを止めた。ワコは先頭に立ってチャンカ軍に斬り込んでいった。
チャンカ軍を率いる首領マルマはワコの姿を見て声を上げた。
(太陽の汗を耳に下げている戦士……あれはクスコの首領クシだ!
クシは大陣営軍の目を欺き自ら本国に攻め込むつもりでいたのだ。ここで遭ったは、われらが好機! クシを倒せ!)
チャンカ軍は先頭に立っているワコを飲み込むように周囲から取り囲んだ。
ワコの傍にいたティッカと数名の兵士が一緒に包囲網の中に巻き込まれた。
「いったいなぜ、私たちだけに狙いを定めてくるのか……」
ティッカは周りに群がってくるチャンカ軍の作戦を異様に思った。ワコは敵をあしらいながら冷静に言った。
「チャンカは私を皇帝だと思って狙っているのだ。大陣営から敵を引き離すには丁度良い。
皆のもの、慌てるでない。敵の包囲網の一番手薄な場所を狙って道を空けるのだ!」
取り囲まれたクスコ兵は背中合わせにひと塊になり、包囲網の一番手薄な場所を攻撃した。そしてなんとか包囲網を抜け出すことに成功した。
ワコが抜け出すと、チャンカ軍は今度は一丸となって必死にそれを追ってきた。残りのクスコ兵がその後を追いかける。
「石の原に逃げ込むのだ」
ワコは敵を石の原に誘導するように走っていった。
あちこちに岩が突き出た大地を器用に走りぬけながら、石を盾にして身を護り、ふたたび攻撃に出る。
クスコ兵も皆、石の原に入り、ワコと同じように地形を利用して戦った。
石の原で戦い始めると、チャンカ軍はクスコ軍の巧みな戦略に苦戦したが、すぐに慣れ、再びワコひとりに狙いを定めて集まり始めた。
見通しの悪い石の原でも、ワコの耳に光る黄金は格好の目印になる。
それに気付いたチャンカ兵は四方からワコ目がけて集まってきた。
いつの間にか背後に近づいていたチャンカの首領マルマが、ワコに飛びつくように攻撃を仕掛けてきた。
ワコは素早くその攻撃をかわして大きめの岩の陰に逃げ込む。
マルマはすぐに隠れるワコの姿を捉えて斧を振り下ろした。逃げ去るワコの背後で、もろい岩が砕け飛ぶ音がした。
ワコは近くにあった石を踏み台にして飛び上がり、振り返って追いかけようとしたマルマに飛び掛った。マルマは舞い降りてきたワコの体の下に入り込み、彼女の脚を斬りつけた。それと同時にワコの斧はマルマの肩を直撃する。
ともに地面に転がったふたりは、ともにすぐさま起き上がった。
(何と! 『一本草の男』ではなかったか! しかしこやつも噂の『一本草』に劣らない存在と思われるぞ。まずはこやつを倒すことが使命だ!)
マルマはそう決意して再びワコに襲い掛かっていった。女首領の後に従って、まだワコを『一本草クシ』だと思い込んでいるチャンカ軍もワコひとりに狙いを定めて集まっていく。
クスコ兵たちは、ワコに群がる敵を捕えようとするが、ほかの敵に行く手を阻まれて、なかなかワコに近づくことができない。
広大な石の原の中で、ワコ軍とマルマ軍の戦いは繰り広げられた。
ワコの後を執拗に追いかけるチャンカ軍とそれを阻止しようと追いかけるクスコ兵たち。そしてそのクスコ兵を阻もうとするチャンカ兵たち。
非常に見通しの悪い場所での戦いは、常に敵の姿を警戒することで神経を使う。
点在する石の合間では、なかなか狙いが定まらない。誰もが目に付いた敵を倒すことで必死だ。石を盾にしながら敵を倒す。石の陰に潜む敵を見つけて倒す。
やがて戦地は広大な石の原の中に広く分散していった。
しかし最初に石の原に入って敵を待ち受けていたクスコ軍の方が、わずかに有利に働いたようだ。
夢中になって敵を倒していたクスコ兵たちは、急に石の原が静かになったことに気付いた。襲ってくるチャンカ兵はほとんどなかった。
クスコ兵たちは周囲に敵の姿が無いことを確認すると、石の原を抜け、広い草原へと集まり始めた。
ぽつりぽつりと集まったクスコ兵はお互いの無事を確認し、勝利の喜びを分かち合った。
ほとんどのクスコ兵たちが集合し、もう石の原から向かってくるチャンカ兵はいなくなっていた。
そのとき、ワコの下でその部隊を率いていた隊長が妙なことに気付いた。
「ワコ司令官とティッカどのはどこだ?」
大方の者がそこに再び集まることが出来たというのに、その中心人物であるワコとティッカの姿が無い。
「まさか。われわれがこう容易く勝利できたのは、ワコ司令官がほとんどの敵を引き受けていかれたからなのか?」
集っていた兵士たちは慌てて石の原に戻り、必死でその中を捜索した。
石の原の奥地にまで踏み込んでいった兵士たちは、その先が一面、真っ白な靄で霞んでいるのを見た。
その靄に近づいていくと、刺激臭が漂い、誰もが喉を締め付けられるような息苦しさを感じた。
「まずい! ここはティグリ族のいう”毒気”の充満する大地だ! 引き返せ!」
隊長は兵士たちに叫んだ。
兵士たちを引き連れて一目散に石の原から抜け出した隊長は、不気味に霞んでいる石の原の遥か彼方の様子を眺めていることしかできなかった。