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13、 チャンカの城砦



13、チャンカの城砦



 夜明けとともにワコたち第四軍は動き出した。


 低い丘をいくつか越えていくと、とうとうチャンカの根城が姿を現した。

 連なったいくつかの丘に、無数の家が張り付くように建っている。中央に位置するほかのものよりもやや高めの丘の頂上には、堅固な石壁の建物が建っており、その建物に寄り添うように小さな住居がびっしりと建っていた。

 その中央の丘だけは、その建物を厳重に護るようにぐるりと泥レンガの城壁に囲われていた。

 クスコのように石壁の立派な建物などはほとんど見当たらないが、立ち並ぶ家の数はクスコよりもずっと多く、そこにはクスコの何倍もの住人がいることが分かる。丘を下ったふもとの谷間にも、さらに粗末な細い木と藁で造られた小屋が密集しており、みすぼらしい身なりをした民が盛んに出入りしていた。


 ワコは、天、地の女王に指示を出した。


(ふもとの集落は奴隷や捕虜たちの住まいだ。彼らに危害を加えないよう、集落の中央を避けて城壁まで進む。そこから三方に分かれて城壁を乗り越える。城壁の中に入ったら一斉に丘の中央に建つ建物を目指す。

 おそらくあそこはチャンカの神殿であろう。われらの目的はあの神殿の守護神像を奪い、太陽神の像を掲げることだ。城壁内は手ごわいチャンカ軍が護っていると思われるが、ひるまずに進もう。そして必ずあの神殿前で顔を合わそう)


 天、地の女王は黙って頷いた。

 そして素早く自分たちの率いる軍に戻ると、それぞれの兵を率いて集落の外側を回りこんで城壁に向かって走り出した。

 天の女王の率いる軍、地の女王の率いる軍が城壁の左右に回りこみ、ワコの率いるクスコ軍は正面から、次々と城壁を乗り越えていった。城壁の内側を警護していたチャンカの兵士が奇襲に気付き、慌てて応戦するが、突然三方から入り込んできた大勢の戦士にはかなわず次々と倒されていった。

 騒ぎを聞きつけて、すぐに神殿や街のあちこちからチャンカの戦士が集まってきた。

 しかし、不意を衝かれ、態勢も整わないまま向かってくるチャンカ戦士は、クスコ・キリスカチェ軍の猛攻撃に歯が立たない。さらにここには護衛の軍がそれほど残されていなかったようだ。ワコたちはあっさりと敵を打破してしまった。

 チャンカの戦士たちをほとんど残らず倒したワコとふたりの女王の軍は、中央の神殿前で集結した。

                                              

 彼らにとってそこはもっとも重要な場所であるにも関わらず、そこを護ろうとするチャンカ兵が向かってくる様子は一向にない。かえってその状況は不気味だった。

 しかし、犠牲を出さずに目標に辿り着けたことは幸運といえるだろう。

 ワコとふたりの女王は、自分たちの軍を神殿の周囲に待機させ、一部の精鋭を率いて神殿の内部へと入って行った。


 神殿の内部は薄暗く、ひんやりと冷たかった。かなり奥行きがあり、進行方向の正面は闇に閉ざされていた。

 ワコたちは周囲に十分警戒しながら進んでいったが、護衛の兵士どころか誰の姿も見当たらない。あまりにも無防備だった。


 かなり奥へと進んだところで、ワコたちの耳に、闇の中から低く祈るような声が微かに聞こえてきた。その『祈り』に混じって、突然、周囲の静寂を一気に引き裂くような恐ろしげな叫び声があがった。

 ワコたちが声のした闇の中に走っていくと、目の前に分厚い垂れ幕が下がって行く手を阻んでいた。

 垂れ幕の隙間から赤々とした明かりが漏れていた。ワコは思い切ってその垂れ幕を押し上げ、中へ踏み込んだ。女王たちや兵士たちが続く。


 垂れ幕の向こうには広い空間があり、正面に彼らの守護神であろう偶像と石が祀られていた。

 その守護神の前に設えられた祭壇にはひとりの人間が横たえられ、四人のチャンカ人がその手足を押さえつけていた。

 それは生贄だ。壇上の生贄は必死に手足を動かそうとするが押さえつけられ、まったく自由が利かない。唯一自由になる口でときどき悲痛な叫び声を上げていた。

 祭壇の前で呪術師がぶつぶつと祈りを唱えながら、目の前の生贄の心臓を一突きにしようと鋭利な石のナイフを振り上げた。

 ワコは咄嗟に呪術師の首筋めがけてボーラを放った。呪術師はうめき声を上げる間もなく床に倒れた。

 生贄を押さえつけていたチャンカ人たちは、素早く傍らにあった斧を手に取り、向かってきた。しかし抵抗も虚しく、あっという間にクスコ軍に倒されてしまった。

 ワコは祭壇に駆け寄り、その中央に置かれた神像と神体であろう石を奪うと、代わりにクシより託されていた小さな太陽神の像を掲げた。

 本来ならばこの時点で敵を征服したこととなる。しかしあっさりと敵陣の祭壇の前に立つことができたのは、あまりにも不自然だ。


 クスコ兵たちは生贄にされようとしていた男を介抱していた。先ほどまで叫んでいた男は恐怖で意識を失っていた。クスコ兵たちは彼の頬を何度もはたいて声をかけ続けた。


「しっかりしろ。大丈夫か?」


 ようやく意識を取り戻した男は、兵たちを見るなり、目を真ん丸くして彼を抱きかかえてている兵士の腕を強く掴んだ。


「なんと、ケチュア人なのか?」


 生贄の男はケチュアの言葉でそう聞くと、突然ぼろぼろと涙をこぼした。


「もう駄目かと思っていた。まさか故郷の軍が助けに来てくれるとは……」


 ワコは男に近づいて声をかけた。


「怪我はないようね」


 ぼろきれのような服を纏い、髪も髭も伸び放題で、垢が皮膚にこびりついて黒ずんでいる。

 おそらく何ヶ月も監禁されて恐怖と戦ってきたのだろう。男は故郷の人間に再会できたことを喜ぶと同時に、恐怖の体験を思い出して震えだし、身の上を語り始めた。


 男の話によれば、彼はケチュア族の支配圏の外れにある村に住んでいた。村の人々はすべてチャンカに捕らえられ、ほかの村人はもうすでに生贄にされて命を落としていた。男が最後のひとりだったのだ。

 ワコは男の話に目を伏せ、大きく溜め息をついた。


「大変な目に遭ったのね。しかし、もう大丈夫。クスコはチャンカを倒すために兵を上げた。こうしてチャンカの守護神も奪ったのだから、奴らを征服したのも同然だ。あとはここにいる奴隷を解放するだけだ」


「それでチャンカ人たちが慌ただしかったのか」


 男が呟いた。


「チャンカ人が慌ただしかった?」


「そうです。昨日、この本国にいたチャンカ軍が慌ただしく出陣していったのです。おそらくクスコ軍を迎え撃つためでしょう。その後チャンカ軍の無事を祈る儀式が休むことなく行われ、奴隷が次々と生贄に捧げられたのです。そしていよいよわしの番だった」


「……だから、われわれはあっさりとこの神殿に入ることができたのか。自分たちの守護神と本国を見捨てるとは、尋常ではない。

 しかしそのような大規模な軍隊が進軍していれば、ここに来る道々で、必ず見かけているはずだ」


 突然、傍らにうつ伏せに倒れていた呪術師がか細い笑い声を立てた。

 するとワコの頭の中にその呪術師の声が響いてきた。言葉の通じないはずの老人の声は、ワコの頭の中でははっきりと理解できる言葉となって伝わってきた。


―― ……この土地も、守護神像も、一族が安泰ならいくらでも代わりを作ることができる。

 我らの使命は、我らを滅びに導く存在、太陽の都の首領クシを倒すことだけなのじゃ。クシさえ倒せば我らは生き残ることができる。だからこの本国からも全軍が首領マルマに率いられ、秘密の地下通路からこの都を出た。もうすでに大陣営に向かって進軍しているところであろう。我らは一丸となって、必ずや首領クシを倒す。生き残るのは我らだ ――


 ワコが呪術師の身体を仰向けると、老人は不敵な笑みを浮かべたまま、すでに息絶えていた。ワコは蒼ざめた顔でふたりの女王の方を向いて言った。


(今この呪術師の想念が頭の中に伝わってきた。それによると、ここを護っていた軍はみな、都を捨て、地下通路を抜けて大陣営へと向かったそうだ。

 チャンカの精鋭軍がそのほとんどを大陣営に集結させたら、皇帝軍だけでは歯が立たない。私はティッカとともにクスコ軍を率いて急いで大陣営まで戻る)


(クスコ軍だけでは兵の数が足りないであろう。キリスカチェ軍も従うぞ)


 天の女王が言ったが、ワコは首を振った。


(いや、せっかく手に入れたこの神殿と都を明け渡してはならない。キリスカチェ軍はここにいるすべての奴隷や捕虜たちを解放し、戻ってくる敵からここを護っていてほしい)


 そしてそこにいたクスコ兵に、外のクスコ軍をすべて集め、大陣営に向けて出発する準備をするようにと指示した。それを横で聞いていた男がワコを呼び止めた。


「大陣営に向かうのですか?」


「ええ。敵の大軍が大陣営に向かったらしい。早くしないと味方が危ない」


「それなら近道があります。奴隷仲間の知る秘密の地下道です。そこを通れば、地上の半分の時間で目的の場所に着くらしいのです」


 男は兵士たちに支えられながら神殿を出ると、ワコとクスコ兵たちを、奴隷の暮らす丘のふもとの小屋に案内した。


 広い小屋の中にはおびただしい数の人間が折り重なるように横たわっていた。皆、手足を固いロープで縛られ、生きているのか死んでいるのか分からないほどぐったりとしている。

 クスコ兵たちは、彼らを縛っているロープを次々に切っていった。


『トッコ! トッコはいるか?』


 男は大声で叫んで小屋の中を探し回った。

 すると小屋の奥のほうから、むっくりと小さな影が起き上がった。

 全体的に小柄だが、頭がやけに大きくて胴が長い。その割に脚が極端に短い、ずんぐりむっくりとした小男だった。ケチュア人の男はその影を見つけて走りよると、聞き慣れない言葉で盛んに話しかけていた。


『トッコ、わしの国の軍がチャンカを倒しに来てくれたのだ。しかし、ここにいる軍が戻って加勢しなければチャンカを倒せない。トッコの一族が住む地下の街を通って、彼らを大陣営まで案内してくれないか?』


 兵がトッコと呼ばれた小男のロープを切ると、トッコは男に向かって無言で頷いた。


「トッコは地下に住むティグリ族なのです。彼は、この過酷な奴隷の生活を乗りきるために支え合ってきた親友なのです。

 ティグリ一族はこの先の平原の地下に広い街を作って住んでいます。滅多に地上に姿を現すことはないのですが、トッコは獲物を探して地上に出たところをチャンカに捕らえられてしまったそうなのです。

 ティグリの街は大陣営のある平原の地下に迷路のように広がっていて、そこを突き抜ければどこへでも地上の半分の時間で出られるという話です。トッコに案内してもらえば大陣営までもきっとすぐに行けるでしょう」


「それは助かる。早速案内してもらおう」


 奴隷の解放をキリスカチェに任せ、ワコはティッカとともにクスコ軍を率いてチャンカの都を出た。そして、トッコの案内で秘密の地下街への入り口があるという丘の向こうへと急いだ。





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