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10、 大首領の杞憂


10、大首領の杞憂



「申し上げます。太陽の都侵略の前線となっていたイラパ陣営、そしてその後方に控えていたヤナ、トケリョ陣営が『一本草』クシの率いる軍勢に奇襲を受けました。三軍はこれを好機に『一本草』の首を捕ろうと一丸となって彼らを攻めましたが、敵の巧みな策略で逆に挟み撃ちにされ混戦となってしまいました。しかも敵は我らの目を欺くため『一本草』の偽者を用意していたのです。どちらかが『一本草』であることには違いないと、三人の首領はふたりの『一本草』に目標を定めて戦っておりますが、双方の兵力はほぼ互角でかなりの長期戦が見込まれます。早々に決着を付けるために本陣から是非援軍をお願いいたします」


 アストゥワラカの居る大陣営、チャンカ軍の総本山であるその大規模な陣に前線での出来事がもたらされたのは、アマル・リョケの両軍とチャンカの三軍が衝突してから三日ほど経ったときだった。早足の伝令は一日目の様子を見届けて大急ぎでその報せを持って寝ずに走り続けた。驚くべき速さだった。

 この報せを受けてすぐに大陣営から援軍が送られれば、ふたりの『一本草』をどちらも仕留めてしまうことなど容易い。『一本草』を仕留めれば、あれほど強固に都を護り通した『太陽の一族』といえど、あっという間に滅んでしまうだろう。そうなれば、それに加担した東の地の部族たちも同時に征服できる。


「大首領! これは願ってもない好機! 一部などといわず全軍をもって参戦いたそうぞ!」


 大首領と同じく大陣営を仕切るトゥマイワラカが嬉々とした調子で言った。

 しかし、アストゥワラカは難しい顔をしていた。そして隊を組みなおして以来、目を掛けて常に傍に置いている若者、アンコワリョに訊いた。


「ワリョ、お前はどう思うか? クシという男はそう簡単に落とせるような者だと思うか?」


 呼ばれたアンコワリョは大首領の傍に来て跪き、頭を垂れたままで答えた。


「畏れながら……。私は、それはクシではないと感じます。おそらく前線への奇襲は我々の意識を削ぐための偽装。前線の戦いに気を取られている間にこの大陣営か本国が狙われることも考えられます。援軍は極力控え目にして送ってはいかがでしょう。そうでなければ『一本草』を仕留める前に我々が『一本草』に滅ぼされるかもしれない」


「アンコワリョ、それは単なる憶測であろう。『一本草』が簡単に落とせるような者でないなら、前線の三軍を壊滅させ、そのまま我々のところまで攻めてくる心積もりであろう。痛手が少ないうちに『一本草』を仕留めてしまうほうが有利に働くではないか」


 トゥマイワラカがアンコワリョに詰め寄った。

 アンコワリョは平伏の姿勢のまま、僅かに身体をトゥマイの方に向けて答えた。


「はい、もちろん。その可能性もおおいに考えられます。だからこそ少数の援軍を派遣して様子を窺ってみるのです。しかし相手が『一本草』である限り油断は禁物。この大陣営と本国の護りは決して崩してはなりません」


 それを聞いて大首領は高らかに笑った。


「ワリョはよほど『一本草』に惚れ込んでいるとみえる。しかし今ここに居る者で『一本草』と直接対面したのはワリョだけなのだからな。お前の見る目を信じるしかない。

 よかろう。トゥマイ、お前の軍の半数を信頼できる部下に任せて前線へ送れ。あとは皆ここで『一本草』がやってくるのを待とうではないか。前線のふたりの人物のどちらかが本物であって、そのまま進撃してきたならば、ここで迎え撃てばいいことだ。我らが前線の戦いに気を取られている間に奴が奇襲を掛けようというのなら、我らはいくらでも受けて立とうぞ!」


 大首領の言葉で、大首領の居城である狭い岩窟に、トゥマイワラカやその下の部隊を率いている隊長たちの雄たけびが響き渡った。そして大首領の命令を確認し合ったあと、早速トゥマイワラカ軍より前線への援軍が送られることになった。



 各自がそれぞれの持ち場に戻ろうと大首領の間をぞろぞろと後にしたとき、大首領はアンコワリョを呼び止めた。呼び付けられたアンコワリョは、玉座の裏手にある守護神像の安置室に入ろうとする大首領の後姿を追った。

 安置室で、大首領は守護神像に向かって短い祈りの言葉を唱えていた。アンコワリョはその背後に跪いた。祈りが済むと大首領は、後ろで恐縮しているアンコワリョを振り返り、声を掛けた。


「お前はその若さで随分と冷静な判断力を持ち合わせているな。かつては侵略した集落で武器を持たない女、子どもまでを片端から手に掛け、見境のない『殺戮の亡者』と呼ばれていたそうではないか。何の考えもなしにそのような凶行に及ぶ者には見えぬが、何か理由があったのであろう」


 アンコワリョは「畏れながら」と付け加えてから、自分たちの部族が、崇める神の違う部族を生贄として捕えることに疑問を持っていたこと、何の構えもなく、ましてや戦い方も知らないような部族を、正攻法とはいえない戦い方で滅ぼしていくことに疑問を覚えていたことなどを遠慮がちに告白した。


 アンコワリョが話し終えたあと、大首領はしばらくの間沈黙していた。アンコワリョは自分の告白が大首領の逆鱗に触れたのではないかと瞬間死を覚悟したが、やがて意外にも穏やかな声が返ってきた。


「わしの部下にも同じことを訴えた者がいたな」


 アンコワリョは思わず顔を上げて大首領を見つめ、訊いた。


「それは、ワマ・ワラカでしょうか」


 大首領は困惑したようにアンコワリョを見つめ返した。


「……やはりそうか、お前はワマの息子だったのだな」


 永らく会っていない父親の名前を聞いて、アンコワリョの声が弾んだ。


「父は……。ワマ・ワラカはどこに居るのですか」


「ワマは優秀な男だった。そして古き佳き一族の誇りを持ち続けた男だった」


 アンコワリョに再び問いかける暇を与えず、大首領は続けた。


「かつて我らは粗野な狩猟民族と蔑まれていた。貧しい暮らしから少しでも抜け出そうと大国ティムーとの交易を盛んに行ったが勢力の差は歴然としており、まるでティムーの属領のような扱いを受けた。不当に労働者と交易品を搾り取られていった。ティムーに匹敵するほどの勢力を持とうと近隣の(ゆかり)の深い部族が結集して出来上がったのが今のわが一族だ。

 ああ、このようなことは既に父親から聞いておろうな」


「はい。父はよく一族の成り立ちを語ってくれました」


「では、その後我らがどうなって今に至ったかも識っておろう。語ってみよ」


「はい。規模が大きくなるにつれ民の数も増え、次第にそれに見合う糧と土地が必要になりました。そこで我らは同盟者を増やそうとしましたが、新参者の部族に進んで従おうとする者はほとんどいなかった。逆に強大な敵によって脅かされることも多く、そこで我らは身を護るために戦士としての訓練を積み、次第に戦争によって勢力圏を広げていくようになったのです。もともと狩猟民族であった我らは戦いも得意とするところだった。やがて我ら『雷の一族』は多くの部族に畏怖を抱かせる存在となったのです。

 しかし膨大な数の民を抱えるようになった我らは、狩猟だけで糧を賄うことができなくなりました。今度は農耕によって生計を立てる部族の糧を略奪する以外、生き抜く術がなくなりました。そして肥沃な土地で農耕をする部族の土地を求めてさらなる征服をもくろんだ。その頃から我らが戦う目的は身を護るためではなく、略奪するためになりました。

 父はよく、そもそもその時点で我らは天地の(ことわり)を見失ってしまった、戦わずして生き残ることができない悪循環に陥ってしまったのだと嘆いていたのです」


「ワマはわが軍の偉大な参謀であり、我らが勝利するためにはなくてはならない存在であった。

 彼は東の征服を止めるべきだと主張し続けた。争いを避け、分をわきまえて生き抜く方法を見出せと言いたかったのだろう。しかし我らが東の征服を諦めれば、この大部族の民たちは飢えて死ぬのを待つしかなくなるのだ。ワマの主張は理想でしかない。

 何とかその考えを改めてもらおうとわしと首領たちは彼を軟禁した。いずれわしと首領たちの意志が通じ、ワマの考えが変わってくれるであろうと期待していたのだ。しかし、ワマは頑なに東の征服を止めよと主張し続け、結局自らの舌を噛み切って命を絶った。彼は自分の主張が通らねばその身体を守護神の元に捧げるのだと言い続けていたので、自らを守護神の生贄としたのだろう」


 アンコワリョは言葉を失ったまま大首領を見つめていた。

 大首領の軍に従うようになって、大首領に最も近い立場に居るはずの父の姿が見えないことをおかしいと思っていた。直感で父はもう生きてはいないのではないかと悟っていた。

 大首領の話を聞いて、父の壮絶な最期に衝撃を受けはしたが、彼は何故か大首領を恨む気持ちを持つことはなかった。

 やがてひどく冷静にアンコワリョは話し始めた。


「父が東の征服を制止しようとしたのは戦を好まなかったのではなく、一族の存続を切に望んでのことでしょう。

 私はこの戦いに参戦する前、父と同じ理由で幽閉されていた呪術師キータに食事を届ける役をしていました。キータが捕えられたのは、その預言が大首領さまの意にそぐわなかったからと聞きましたが、キータも同じくこの戦いを行えば我らが滅ぶ可能性が大きいことを察していたのです。父も長年培った鋭い感覚でそれを怖れていたのでしょう。止めることが叶わない、あるいはこれを止めることで結局は一族に危機が訪れることになるのなら、せめて自らを犠牲として捧げて、戦いの風向きが我らに向くようにと願ったのでしょう。私の知る父はそういう人です」


「ワリョは父を見殺しにしたこの大首領を恨まぬのか」


「恨むなどと浅はかなことです。父が自らを犠牲にしたのはこの戦いの勝利を切に望むため。この戦いは、引けばやがて多くの民の命を失うことになり、負ければ一族そのものが崩壊する。生き残るためには勝つことしか手段は残されていないのです。父もおそらくそのことに気付いたのでしょう」


「なるほど、お前の父とキータは似ているのだな。キータは預言にしたがって、自らを地下牢に閉じ込めることで運命を変えるしか方法がないと言った。キータの祈りやお前の父の命を無駄にしないためにも、我々はこの戦いに決死の覚悟で臨まねばならないということだな」


「はい」


 アンコワリョは瞳を鋭く輝かせて頷いた。その少年の姿を見て満足そうに頷いた大首領だったが、また険しい表情に戻ると、今度はぐっと声を潜めて囁くように言った。


「しかしな、ワリョ。わしもお前の父やキータと同じ懸念が無かったわけではないのだ。

 ワマの息子であるお前だからこそ、わしはこの心のうちを明かし、わが願いを託すことに決めた。心して聞け。

 万が一、我ら一族が『一本草』に敗れたときにはお前にすべてを託す。お前だけは何としてでも本国に戻り、地下牢のキータを解放せよ。そしてキータとともに生き残った者たちを集めて落ち延びよ。どんなに小規模でも構わない。この『雷の一族』の血を受け継いでいく部族を作り、護っていくのだ」


 アンコワリョの脳裏に、遥か以前に地下牢で聞いたキータの言葉が蘇った。


―― 私にはこの場所から出て、新たな世界へと旅立つときがやってくる。しかしな、それはわれら一族が滅びるのと時を同じくすると天は告げた ――


 突然自分だけに下された重い密命に、これまでどんなことを聞かされても冷静さを崩さなかったアンコワリョが初めて怯えるような素振りを見せた。

 そんな少年を叱咤激励するように大首領はアンコワリョの頭を大きな硬い両掌できつく挟みこんで睨み付けた。その凄みに圧倒されて、アンコワリョは小さく「はい」と答えるしかなかった。しかし少年の心臓は張り裂けんばかりに激しく動いていた。




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