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6、 流刑



6、流刑



 祝宴は形だけで、まったく盛り上がらなかった。狩りで起きた予想外の事件に衝撃を受けている者が多かったのだ。狩りに参加した者たちは事情を知っているが、留守番をしていたものたちは事情を知らない。しかし重々しい雰囲気に満ちているその場で理由を問う勇気のある者はいなかった。

 初めて参加したクシとワイナを称える祝宴のはずだった。期待の皇子が大人の仲間入りを果たしたことを称えようと、皆この祝宴を待ち望んでいたというのに、その主役はいま罪人として神殿で尋問を受けているのだ。事情を知らない者たちも、主役の皇子の不在ということで良からぬことが起こったのだと察することはできた。


 キヌアは一応大広間に顔を出したが、気持ちは落ち着かなかった。無言で下を向いてただ時間が過ぎるのを待っていた。場を取り繕うために演じられる陽気な歌や踊りは虚しく聞こえるどころか彼女の心を苛立たせた。

 クシがどこでどうしているのか、それだけが知りたかった。


 やがて皇帝の傍に寄ってきた側近が何か耳打ちをすると、皇帝はすっと玉座を立ってどこかに姿を消した。

 皇帝に続いてウルコが席を立ち、そのあとにアマルとリョケも続く。ワイナも気が気でなく、もうひとりの主役にも関わらず、彼らに続いて広間を出ていった。残されたものたちはザワザワと騒ぎ出す。キヌアはたまらなくなって騒ぎに乗じて広間を抜け出し、ワイナの後を追った。


 彼らは間を空けて点々と太陽の神殿へと入っていく。ワイナもその中に姿を消した。キヌアがその後から神殿に入ろうとしたが、入り口を守る兵に行く手を阻まれた。


「ここからは入れません。お引き取りを」


 キヌアは伸び上がって番兵の背後を覗いたが、薄暗く静まり返った神殿の中で何が行われているのかまったく分からなかった。諦めて神殿を何度も振り返りながら部屋に戻っていくキヌアだった。



 クシは太陽の神像の前に座らされて、神官たちから尋問を受けていた。何故『神の遣い』を手にかけたのか、何度問われても答えることはできなかった。


「皇子、貴方が何の理由もなく、このようなことをするとは信じられない。正直におっしゃってください」


 神官が屈んでクシの顔を覗きこみ、親身になって説得する。


―― ウルコの悪巧みに嵌ったのだ。謎の老人が自分を騙したのだ ――


 そんなことを誰が信じるだろう。あさましい嘘で罪を逃れようとするとは何と情けない人間なのだと思われて、クシの自尊心が傷つくだけだ。どちらにしろ有罪になるのなら、下手な言い訳をして見苦しい姿を見せるのは止めよう。      

 クシはどんな罰でも受ける覚悟を決めた。


「すべては神のご意志に従います」


「皇子……」


 説得していた神官は残念そうに目を閉じてため息をつくと、クシの前から退いた。


 ちょうどそのとき、皇帝が側近たちを従えて神殿に入ってきた。ウルコがその後を付いてくる。少ししてアマルとリョケが足早にやってきて、遅れてワイナが飛び込んできた。クシは兄たちとワイナの姿を見て少し緊張が解けると同時に、急に弱気になっていくのを感じた。思わず縋るような目を兄たちに向けていた。

 神像の許に立った皇帝に神官が今までの経過を告げる。クシが何も語らないと聞いて皇帝はクシに厳しい眼差しを向けた。


「理由もなく神の遣いを殺したとなれば、死罪。クシは手柄を立てたいという自己満足からビクーニャに手をかけた。弁解の余地もない」


 皇帝の横に立つウルコはわざと気難しい顔を装ってそう言うと、自分で何度も頷いた。


「理由なら、心当たりがあります」


 突然アマルが声を張り上げた。


「もうすぐシトゥアの大祭 ――春分の厄払いの祭り―― があります。

 クシは兼ねてより大切な行事を迎える前に、皇帝陛下に上等な織物を差し上げたいと申しておりました。そこで狩りに出た際には是非立派なビクーニャを仕留めようと考えたのだと思います。陛下がお召しになる織物を作るためにビクーニャを捕ることは赦されるはずですから。

 本来なら先にお許しを請うべきでしたが、まだ若い弟は果たしてうまくビクーニャを仕留めることができるかどうか自信が無かったことと、陛下がご存知ない方が喜んでいただけるのではないかと考えたのでしょう。そこは若さゆえの無知とお許しください」


 クシは驚いた顔でアマルを見つめた。クシと目が合うとアマルは深く頷いた。


「そ、それならそれで、何故自分で申し開きをしなかったのだ! 嘘をついて誤魔化そうとしたのは何故だ!」


 アマルの進言は予想外の出来事で、ウルコは動揺して叫んだ。


「行動してしまったあとで事の大きさに気づき、気が動転してしまったのでしょう」


「は。なんとでも言えるわい。そんな理由で赦される罪ではないぞ!」


 ウルコは興奮してアマルに食って掛かる。クシはそんなウルコの姿を憎しみを込めて睨みつけた。


―― こんな状況でなければ、殴りかかっているところだ! ――


 クシは唇をきつく噛んで怒りを必死で抑えていた。


「ウルコは黙っておれ」


 皇帝がやっと口を開いた。まだアマルに何か言ってやろうと思っていたウルコは、グッと喉を鳴らしてやっとのことで言葉を飲み込んだ。


「クシ、お前がビクーニャを余に差し出したいという気持ちであったことはよく分かった。

 しかし、市民を脅したり、罪を問われて嘘をついたことは赦されん。さらに神聖なビクーニャはいかなる理由であろうと黙って手をかけてはならないのだ。

 本来ならば死罪だが、お前が若く無知であったことを考え、最果ての地に流刑とする。

 期間はリュウゼツランの苗が生長し、花を咲かすまで……」


 リョケとワイナが同時に息を飲む声が神殿に響いた。

 サボテンの一種リュウゼツランは生長して咲くまでに十年以上掛かると言われている。極刑は免れたものの、それに次ぐ程重い罪であった。

 ウルコは、極刑まで追い詰めてやることはできなかったものの、邪魔者のクシを遠くに追い払うことができると心の底でほくそ笑んでいた。十年あれば自分が王座を継ぎ、クシなどに大きな顔をされることもなくなるのだ。堪えきれずに思わず笑みが浮かぶ。

 皇帝は簡単に判決を申し渡すと、すぐに神殿から出て行ってしまった。ウルコも慌ててその後を追った。 


 皇帝が去ってしばらくすると、罪人には変わりないクシは、衛兵に縛られた腕を乱暴に引き上げられて立たされた。立ち上がったクシはアマルの方を向き、力なく頭を下げた。


「兄上、私を庇ってくださって、ありがとうございます」


 アマルは俯いて大きくかぶりを振った。


「一体……どうしてこんなことになったのだ……クシ……」


 アマルの言葉は溜め息に混じってほとんど聞き取れない。


「クシ! ウルコの策略だろう。何故正直に言わなかったのだ!」


 リョケがクシに飛びつこうとして衛兵に止められた。

 クシは兄たちの方から正面の神像に視線を移し、キッと睨みつけた。


「今は何も言うことはできない。しかし私は必ず帰ってきます」


 クシの強い決意を感じさせる表情を見て、兄弟とワイナは、少しだが心配が和らいだ。


「クシ皇子! 私は正式に辺境の警護兵に志願する。そして皇子のいる場所まで頻繁に会いに行くからな!」


 引き立てられるクシにワイナが必死で声をかけた。クシは微笑んで頷いた。




 乾季の空はどこまでも澄み切った藍色をしている。幾筋もの筋雲が空に縞模様を描いていた。

 クシが西の最果てに出発する日だ。

 出発に先立って、宮殿の中庭の片隅に刑期を計るリュウゼツランの苗が植えられる。皇帝と神官とクシがそこに立ち会った。

 そのときクシは、回廊の柱の向こうからその様子を眺めているウルコの存在に気付いた。ウルコの横に従えている侍従たちの中に派手な首飾りと羽根冠を付けた呪術師がいた。目の良いクシは、その呪術師の目の横に大きなホクロがあるのを見つけた。それは間違いなくビクーニャを捕まえてくれと頼んだあの老人だ。

 今更気付いてももう遅い。罪の確定したクシには何も訴えることはできない。ウルコはそれを知っていて、わざとクシに見せ付けているのだ。ここで動揺してはウルコの思うつぼだ。クシはいっさい表情を変えず、ふたたび植樹の作業に視線を戻した。


 宮殿内の誰もが目にする中庭にクシの運命を決めるリュウゼツランが植えられ、誰も掘り返すことができないように、周囲には太い木の杭がびっしりと立てられた。


 数人の衛兵に付き添われて、クシはいよいよ最西の僻地に向けて出発する。 

 荷物は当座の食糧以外はほとんどなく、粗末な麻の服に巻かれた細い帯に小さな斧を挿すことだけが赦された。耳にはめられた金板も抜き取られて、クシが皇族であることを証明するものは何も無くなった。

 貴族たちが大勢クシの見送りに詰め掛けたが、言葉を交わすことは禁じられているため、黙ってクシが通り過ぎるのを見ていた。


 宮殿の門を出る間際、クシがもう一度名残惜しそうに宮殿の中を見回すと、柱の陰からじっとこちらを見つめているキヌアの姿を見つけた。

 そこに居たのはあの勇ましいキヌアではなく、蒼ざめて今にも泣き出しそうな顔をした弱々しい女性だった。彼女は、そうしていなければ倒れてしまうのではないかと思うほど頼りなく、柱に全身を預けて立っていた。


『短い間だったが、師として尊敬し、姉のように慕った人……』


 クシは、門を出てその姿が見えなくなるまで、キヌアを振り返って目を離そうとしなかった。


 広場にクシが姿を見せると、人々がどっと押し寄せて自分のことのように嘆いた。

 約一年前、成人の儀で勇者として賞賛された皇子が、今度は一転、罪人となって人々の前に晒されているのだ。ほとんどの市民がそれを信じることができなかった。どこからかあの時と同じ掛け声が湧き上がってきた。


「アウキ・クシ! アウキ・クシ!」


「止めろ! 止めるんだ!」


 衛兵が掛け声を止めさせようとすると、ますます声が大きくなった。

 衛兵は群がる人々を乱暴に払いのけて道を作ろうとするが、人の波は次から次へと容赦なく襲いかかってきた。もみくちゃになりながら、衛兵たちはようやくクシをクスコの郊外に連れ出すのに成功した。

 クシが去ったクスコの街からは相変わらず人々の喚声が響いている。多くの人が自分を呼ぶ声を背に受けながら、クシはこの都に必ず戻ってくるのだと決意を新たにした。



 









※リュウゼツランは日本では数十年から百年に一度開花すると言われていますが、気候によって十年あまりで開花するのだそうです。

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