9、 ふたりのクシ (その2)
「敵はいったい何を考えているのだ。隊形も整えず誰も彼もがひとところに狙いを定めて群がってくるとは。自滅を望んでいるとしか思えぬ」
アポ将軍は無謀と思える敵の行動に呆れたように言った。
外側から回り込んで、アマルとアポ将軍の輿に真っ直ぐに向かってくる敵の集団は、もちろんアマルたちを厳重に護る第四部隊の攻撃を真っ向から受けることになる。彼らが走りながら放つ石や槍も、しっかりと安定した場所から放っているわけではないので、それが目標に命中するのは分のない賭けのようなものである。
そして第四部隊と対戦している間に、その背後から彼らを追ってきたクスコ兵たちに攻撃されれば、前後を挟まれたチャンカ兵たちに勝ち目はない。
しかし向かってくるチャンカ戦士の勢いだけは凄まじい。何かに取り憑かれたように同じ言葉を発しながらアマルと将軍の輿だけを見据えて突進してくるのだ。明らかに敵側に不利な状況であるが、彼らはそんなことをものともしない。
クスコの第四部隊と衝突したチャンカ軍は、クスコ兵の攻撃を適当にいなし、無理やり先へ進もうとする。クスコ兵が彼らを逃すまいと捕まえようとすれば、何としてでもそれを振り切ろうとチャンカの戦士は滅茶苦茶に斧や棍棒を振り回して彼らを寄せ付けないようにする。戦い方など知らない子どものようだ。
隙だらけのチャンカ兵を倒すのは容易い。しかし、中にはクスコ兵が数人掛かっても倒せないほど屈強な戦士もいる。そして多数の戦士にたったひとつの目標を狙わせる作戦の裏には、弱い戦士の命を盾にしてでも、強い戦士に司令官の首を捕らせようという執念があるのだ。
第四部隊と戦うチャンカ軍の背後から、クスコ軍が追いつき襲った。前の敵とも後ろの敵とも戦わねばならないチャンカ兵たちは絶体絶命である。
しかし不気味なことに、彼らは勝利を確信にしているように薄笑いを浮かべ、突き進もうとするのだ。
その様子にクスコ兵のほうが弱気になってくる。
「しっかりしろ。有利なのは我々だ!」
ときどき風に流されて目の前に飛んでくる槍や石を斧で払いながら、将軍は殺気立ったチャンカ戦士にひるむクスコ兵の様子を見咎めて大声で言った。
手前で防ぎ切れなかったチャンカ兵がアマルの輿に迫ってくる。
『クシの首を!』
叫ぶチャンカ兵の言葉に『クシ』という響きを聞き取って、アマルは得心がいった。輿のへりに手を掛けた敵を自由になる手に握った斧でなぎ払って、アポ将軍に声を掛ける。
「将軍! どうやらチャンカは耳飾りの色で私を皇帝と勘違いしているらしい。私が傷を負っていることで、今こそ皇帝を倒す好機とふんでいるのだ。私はわざと目立つように行動して敵を撹乱しよう。将軍は確実に敵を仕留めていけるよう、クスコ軍を引率してくれ」
「危険です。アマルさま!」
「どちらにしても狙われているのだ。少しでも有利に働く方に賭けたほうがいい」
言うが早いか輿を担ぐ兵士たちに指示を与えて、今まで後退していた輿を前進させ、敵に向かって行った。アマルの輿が自分たちに向かってきたのを見て、チャンカの戦士たちは浮き足立った。好機を逃すまいと四方から群がってくるが、今まで後退する輿を追いかけて一方向に向かっていたものが、再び混戦の中に戻ろうとすれば、彼ら自身も敵の中に飛び込んでいくようなものだ。
輿の首領を仕留める前に、自分たちの身が余計危険に晒されることになる。しかし今のチャンカ戦士は誰もが首領の首を捕ることに躍起になっており、自分の身を守ろうという意識は働かないようだ。
アマルの輿を中心にして混戦を繰り広げている場所をぐるりと囲むように、将軍は残りの兵を配置した。
「アマルさまの輿に群がる敵兵を片っ端から倒していけ!」
周囲を囲んだクスコ兵はその中にいる敵を倒しながら徐々にその輪を縮めていった。
クスコ軍との混戦の模様を、三人の首領はまだ自分たちの陣に留まって眺めていた。
最初に送り込んだ兵だけで首領の首を捕れれば儲けものだった。しかし矢張り敵はそれほど甘い相手ではなかったのだ。クスコ軍に取り囲まれた兵士たちは、このままではおそらくひとりも戻って来られないだろう。
しかし、残る軍が一丸となって、集結しているクスコ軍の外側を取り囲めば、いちどきに片が付く。
首領たちはいよいよ自分たちの出番がやってきたと身構えた。
そのとき背後に無数の叫び声と大地を踏み鳴らす音を聞き、三人の首領は同時に振り返った。
土煙を上げながら迫ってくるのは、前方で戦っているはずのクスコ軍である。
「どういうことだ? 敵が背後に回った気配など無かったぞ」
イラパは慌てて叫ぶ。
「矢張りクシはそう簡単に倒せる相手ではないな。はじめからこういう作戦だったのだ」
対照的に、ヤナはあらゆる不測の事態を覚悟していたらしく、落ち着いていた。
「イラパ軍は前方に進撃し、クシを仕留めろ。わしとトケリョの軍は背後の敵を迎え撃つ」
首領たちは素早く自分たちの軍を取り纏めると、二方向に分かれて進撃した。
イラパ軍は『クシ』を囲んで群がる敵味方の集団をその周囲から取り囲もうと広がって走りこんでいく。しかし、敵襲に素早く気付いたアポ将軍は、外側のクスコ軍を招集してイラパ軍を迎え撃つ準備を整えた。
背後から襲ってきたクスコ軍を迎え撃とうと戦闘態勢を整えたヤナとトケリョは、敵の影が近づいてくると目を疑った。
「どういうことだ! あちらにも一本草がいるぞ!」
向かってくるクスコ軍はリョケとビカラキオ将軍が率いている。輿の上に居るリョケの耳にも黄金の円盤が下がっており、それは噂の一本草のものであろう眩い輝きを放っている。
「イラパは勘違いしているのか? それともどちらかが囮なのか?」
「いや、どちらも耳に穴を空け同じ輝きの黄金を提げている。そして輿に乗っているからには、ただの囮の兵士ではないことは明らかだ。おそらくどちらかが本物。片方は偽者であっても指導的立場にある者に違いない。こうなったら我々は目前の『クシ』を倒すことに意識を向けよう」
ヤナとトケリョの軍は、リョケ軍を間近にまで引きつけたところで、アマル軍に向かった部隊と同じく両端の兵士たちが左右に分かれて走り去る。首領たちが待ち構えるチャンカ軍の中心にクスコ軍が襲いかかろうとしたとき、逃げるようにして左右に走り去った筈のチャンカ兵が外側から回りこんでクスコ軍の背後から向かってきた。後方にいたリョケとビカラキオ将軍は後方からチャンカ兵が向かってくることに気付き、輿の向きを変えさせた。
『クシを捕えよ!』
ヤナの言葉でチャンカ兵が殺気立った雄たけびを上げ、一斉にクスコの司令官たちの輿に群がっていった。声を揃えて同じ合言葉を唱えながら、輿に襲い掛かろうとするチャンカの戦士たち。
それを聞いて、ビカラキオ将軍がリョケに言った。
「リョケさま、彼らは盛んに『クシ』という名を連呼しています。リョケさまのいでたちからリョケさまを皇帝陛下と勘違いしたのでしょう。彼らが目印にするとすれば、おそらく皇族の証である耳飾りでしょう。皇帝を倒すことだけに執着しているようです」
「なんと大胆な作戦だ。直接大将を狙おうというのか! しかし、それなら逆に面白い。敵を翻弄させてやろうではないか。私は自軍を連れてここを離れる。将軍は私に振り回される敵を捕えて倒せ」
リョケは輿を担ぐ兵に命じ自軍に合図を送って、挟み撃ちにしようと迫ってくる敵軍の隙間をすり抜け、包囲網の外へ出た。立ち去ろうとするリョケの軍を、案の上、敵は一塊となって一目散に追ってきた。その後をビカラキオ将軍の軍が追いかける。
リョケの輿は、敵を十分引き離したところでまた進行方向を変えて走り出す。頻繁に向きを変えるリョケにチャンカ軍は振り回された。
頃合をみてリョケはさっと輿から飛び降りると、素早くマントで顔の周りを覆って耳飾りを隠してしまった。空の輿を担いで走り回る兵士たちをそのまま追いかける者、兵士たちの中に突然紛れ込んでしまったリョケの姿を必死で探す者、チャンカ兵たちはリョケの行動にすっかり翻弄されている。
その様子を冷静に窺うビカラキオ将軍と彼の軍の兵士たちは、めぼしい敵を次々と捕え倒していった。
ヤナとトケリョはクスコ軍に弄ばれる自分たちの軍隊を何とか呼び戻そうとするが、すっかり混乱を極めている戦場では、彼らの招集の声は届かず、届いたとしても多くの敵に阻まれて身動きの取れない状態の者も多く、どうすることもできずにほぞを噛んだ。
一方、アマルの方は、敵に八方を囲まれ奮戦していたが、敵の周囲はさらにアポ将軍の軍が取り囲んでいるため、チャンカ軍の方も決定的な手出しができずにいた。イラパ軍もクスコ兵たちに阻まれ苦戦していた。
混乱を極める戦場は、クスコ軍の思惑どおりである。多くの犠牲も覚悟しなくてはならないが、戦いを長引かせるためにはなるべく混乱を大きくする必要があるからだ。第一、二軍の目的は勝つことではないのだから。
そしてチャンカにとってもそれは好都合であった。相手の態勢を乱して徐々に敵を倒していき、最後には皇帝の首を捕れればいいのだ。そのためにはどれほどの味方の犠牲も惜しまない。
広大な平原に散り散りになった両軍はもはや隊形を組むどころではない。目の前に行き交った敵と合間見えて倒すか倒されるか、はたまた離れるか。
どちらが優勢かも分からないまま、日が暮れるまで広大な高原の各所での混戦は続いた。
やがて夜の闇が支配し始めると、彼らはどちらからともなく戦いを止め、それぞれ自分たちの陣に戻っていくのだった。夜の闇の前では彼らはそれ以上戦うこともできず、また夜襲を掛ける余力すら双方には残されていなかった。
そしてどちらの軍も、次の日もまた繰り返すであろうこの戦いに備えるのだった。




