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7、 誤算



7、誤算



 なだらかな丘の下を流れる川は茶色く濁り、ごおごおと音を立てて勢いよく流れていく。

 リョケは歯軋りをしながらその流れを見つめていた。


「雨はとっくに止んだはずだ! 何故いつまで経っても水が引かないのだ?」


 苛立ちを隠せず、隣に立つビカラキオ将軍を責め立てるように訊いた。


「おそらく上流でまだ雨が降り続けているのでしょう。よくあることです」


「しかし、これでは第一軍と同時に開戦することができないではないか!」


「無理に進んで兵士たちが流れに押し流されてしまったら、それこそ元も子もありません。天はわれわれの思うようには動いてはくださらない。今は時を待つしかありません」


 一向に治まらない激しい流れを眼下に見下ろして、第二軍は丘の上での待機を余儀なくされた。空の雲は少しずつ風に押し流されて、ところどころに青空が顔を覗かせる。気まぐれに覗く紺碧はリョケにはかえって疎ましく思えるのだった。

 状況が変わらないままやがて夕暮れを迎え、第二軍はその丘で野営を敷くこととなった。

 本来ならその日は敵陣の目前で陣を張り、日の出とともに攻め込む予定であった。翌朝に流れが落ち着いて川を渡れたとして、その先をどんなに急いでも昼過ぎになる。リョケは非常に焦っていた。


「敵陣に急いで到着したとしても、拠点となる陣も張らずに闇雲に攻め込むのでは意味がありません。拠点を整える時間を考えれば、矢張り二日後の開戦が望ましいでしょう」


 ビカラキオ将軍はそう冷静に言ってリョケを説得した。


「二日後か。一日の遅れが大きな不利に働かなければいいのだが……」


「何事も急いては、かえって事を成すことができません。とくに我々は長期戦を持ち堪えなければならない。ここは慎重に構えましょう」

 


 翌朝になっても流れの勢いは変わらなかった。

 ようやく人が渡れるほどに流れの勢いが落ち着いたのは、もう太陽が中空を過ぎたころだった。ようやく第二軍はその先へ進むことができた。


 第二軍は進路を少し北に変えて進んでいった。南東方から斜めに敵陣営へと向かう。

 太陽が西の空に傾き始めた頃には、敵陣が彼方になんとか目視できる位置までやってきた。そこでリョケと将軍はそれぞれの軍を率いて二手に分かれた。リョケは敵陣の東方つまり前方に陣を張り、ビカラキオ将軍は後方の西に陣を設ける。

 設営したそれぞれの陣からは、目指す敵陣の白い天幕の連なりが遥か彼方に見えていた。しばらくその様子を伺っていた両軍の兵士たちは、その様子がおかしいことに気づいた。


 いくら遠いとはいえ、大勢の人間がいれば何かしら動いているものが見えるはずだ。しかしそこで動いているものといえば、どうやら風にはためく天幕だけのようだ。煮炊きの煙が上がるでもなく、大勢の人間が動き回っている気配もない。


 リョケが偵察の兵士を遣わしたのと同時に、ビカラキオ将軍の側からも偵察が向けられた。彼らは目的地までやってきて鉢合わせをし、もぬけの殻となった敵陣の真ん中で同時に叫んだ。


「敵軍が集結する! 第一軍が危ない!」


 リョケたちの目指していた敵陣営はすでに引き払われたあとだったのだ。ふたりの偵察が同時に合図の口笛を吹いた。リョケ軍とビカラキオ軍が同時に陣まで駆け付けた。合流したふたつの軍に向かって、リョケは大声で叫んだ。


「敵を追う! 全速力で第一軍の戦場へと引き返すのだ! 早足を遣わして第一軍へ伝令を!」


 大軍隊は大地を震わせるような足音を響かせ、もうもうと土ぼこりを立てて一斉に東へと走り出した。脚に自信のある兵士が一足先にアマルへと伝令を持っていった。




 第一軍はチャンカ陣営の前で戦いを繰り広げていた。

 規模の大きい第一軍は交替で兵士を送ることができ、また相手を翻弄することが目的であるため、それほど打撃を受けることはなかった。むしろチャンカ軍のほうが、入れ替わりでやってくるクスコ兵に常に応戦していなければならないため負担が大きいはずだ。

 しかしそれも援軍がやってくるまでの辛抱だ。チャンカ軍のほうも、時間稼ぎのための戦いと割り切っているうえ、もともと持久力のある戦士たちなので、少数でも十分にクスコ軍と渡り合っていた。

 さらに戦い慣れたチャンカ兵たちは戦いが長引けば長引くほど逆に身体が順応し、クスコ軍を圧倒するようになった。


 後方で指示を送っていたアマルとアポ将軍は、押され気味になってきた味方を見て新たな体制を組みなおそうとしていた。そのとき、横から第二軍の伝令を携えた兵士が駆け込んできた。


「申し上げます! 第二軍が攻め込む予定だったチャンカ陣営は、我々が到着する前に既に陣を引き払っており、こちらに合流しようと向かってきています。第二軍が急いで後を追っていますが、日のあるうちに追いつくのは不可能でしょう。今日のところは撤退を!」


 伝令は、半日の行程をさらに大きく迂回しながら、驚くべき速さでここへ到着したのだ。しっかりとした口調で伝言を届けたかと思うと、その場に崩れ落ち、こと切れてしまった。

 伝令の報せを証明するかのように遠くから大勢の鬨の声が響いてきた。そしてチャンカ陣営の向こう側に、今対戦しているチャンカ軍の何倍もの敵軍が押し寄せてくるのが見えた。


 ちょうど太陽は西の大地に姿を消すところだ。アポ将軍が大声で叫んだ。


「引け、引けー! 撤収だー!」


 将軍の言葉を受けて付き従う兵士がほら貝を吹き鳴らした。その音を合図にクスコ軍の戦士たちは戦うのを止め、一斉に引き返してきた。

 チャンカ兵はその後を追おうとしたが、辺りは徐々に薄暗くなってきており、深追いすれば自分たちの居場所を見失う可能性がある。仕方なくその場に留まってクスコ軍が引き返していくのを見送るしかなかった。


 首領イラパはそんな中、引き返すクスコ兵たちの様子を見守っている『一本草の男』の様子を窺っていた。敵が周囲から撤収し、その男の姿をはっきり視界に捉えることが出来るようになったとき、おもむろに握っていた棍棒を振り上げ、勢い良く放った。

 遥か彼方から放たれた棍棒は、驚くことに立ち去ろうとする輿の上のアマルの肩を直撃した。僅かに頭は逸れたものの、その威力でアマルの肩の骨を砕いたのだ。

 あまりの衝撃に輿の上からずり落ちそうになったアマルの身体を、慌てて寄ってきた周囲の兵士たちが取り押さえ、そのまま戦地から撤退していった。


「チッ」と軽く舌打ちをして、イラパは自軍を集めて陣営へと引き返していった。そして数人の兵に密かにクスコ軍の後を追うように命令した。




 第二軍は日が落ちたあと、ようやくチャンカ陣営の背後まで辿り着いた。

 既に戦いは終わったらしい。陣営には煌々と松明が灯され、大勢の戦士がそこに集結しているのが分かった。


「遅かったか……」


 蒼ざめて呆然とするリョケの代わりに、ビカラキオ将軍は数人の偵察を手配して、陣の様子を探ってこさせた。偵察は、その陣にクスコ兵が捕えられている様子がないことを報せてきた。

 リョケは、伝令が間に合い、第一軍が無事撤退したことを知って胸を撫で下ろした。


「我々はここに留まって、明朝、敵の背後から攻め込む。今夜は明かりを灯さず、なりを潜めて休むことにする」


 第二軍はその周辺の窪地や小山に分かれて身を潜め、夜を過ごすことになった。




 数人の兵士に支えられ、やっとのことで陣へと帰ってきたアマルは、そっと天幕の中の敷布に寝かされた。急いで兵站隊の女たちが呼ばれ、アマルの肩の治療に取り掛かった。手当てを受けながら苦痛のためにアマルはいつの間にか意識を失っていた。


 肩に痛みよりも温かな温度を感じてアマルが目を覚ましたとき、その傍らにはアナワルキがいてアマルの顔を見つめていた。肩の湿布を抑えながら、アナワルキが訊いてきた。


「お目覚めになりましたか。痛みは少し落ち着かれたかしら」


「ああ、だいぶ良いようだ。しかし、何故そなたがここで侍女の真似事をしているのだ」


 アナワルキが兵站(へいたん)隊を率いると聞いたときも驚いたが、皇女が侍女のようにその手で自分の怪我を介抱していることにもさらに驚き、アマルは怪訝な顔を向けた。


「怪我人を介抱するのがわたくしの役目ですから」


「しかし、そなたが自らそのようなことを行わなくても代わりはいくらでもおろう。そなたはクスコで皇帝の帰還を待っているべきだった。未来の皇妃がこのような危険な場所に居てはいけない」


「アマルお兄さまは、まだそんなことをおっしゃっているの? わたくしは巫女になるのです。皇妃になるつもりはありませんわ。それに、わたくしが軍に入ることはクシも赦してくださったのです」


「しかし、皇妃に相応しい皇女はそなたしかいない。皇妃を迎えねば皇帝はいつまでもかりそめのままだ。私はアナワルキが皇妃となって皇帝を支えてくれることを強く望んでいるのだ」


 アナワルキはさっと表情を変え、無言のまま黙々と湿布をとり替え始めた。甕の水に浸した布を絞りながら呟くようにアナワルキは言った。


「わたくしがお慕いするのは、アマルお兄さまだけですわ。お兄さまはきっとこのような想いを打ち明けることを快く思われないでしょうね。でもそのように厳格な心を持っていらっしゃるお兄さまのことを、アナはお慕いしているのです。せめてこの戦場でだけでもお兄さまのお役に立ちたいのです。このことはクシ……皇帝も理解を示してくださったのです。わたくしがお世話をしてお兄さまのお身体が元に戻り、ご無事に都に帰還されたら、アナはまた神殿に戻り、巫女の修行に勤しみますわ」


 アナワルキはそっとアマルの肩に湿布をあてがって、その上を掌で包んだ。

 アマルは困惑していたが、アナワルキの想いを無碍に否定することもできない。何も返す言葉が見つからないまま、アマルは目を閉じた。

 アナワルキはアマルの肩に手をやったまま、幼い頃からずっと思い続けてきたその人の顔を見つめていた。




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