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5、 出陣



5、出陣



 ケチュア族の命運を掛けた戦いが火蓋を切って落とされようとしていた。


 先陣を切って出発するのは、リョケとビカラキオ将軍の率いる第二軍だ。リョケ率いるその軍はケチュアの兵士と複数の部族から構成されており、翌日に出発する予定のアマル率いる第一軍とともに、非常に規模の大きい軍隊であった。


 チャンカはクスコ攻めの拠点として、クスコから一日ほどの行程を経た場所に大きな陣営を設けていた。クスコ攻めに失敗し、チャンカの戦士たちはその陣営を放棄したかに思えたが、偵察によるとふたたび同じ規模の軍隊が集まってきているとのことだった。

 そこからさらに半日ほど先に進んだところにも、同じ規模の陣営が存在する。

 あれほどの犠牲を出しておきながら、ふたたびこれらふたつの陣営が機能し始めたということが、チャンカという部族の底知れない威力を物語っている。


 クスコにもっとも近い一番目の陣にはアマルと老将軍アポ・マイタの率いる第一軍が攻め込む予定だ。

 リョケとビカラキオ将軍の率いる第二軍はその先にある敵陣を目指す。クスコにもっとも接近しているチャンカ陣営にその動きを悟られぬよう回り道をし、直接次の陣営を目指すのだ。

 そのために、第二軍は第一軍よりも一日早く出発しなければならなかった。ふたつの軍隊は、ほぼ同時にふたつの敵陣に攻め込む算段だ。


 ふたつの軍の目的は、二つの陣営を攻撃することによってチャンカ全体に混乱を招き、戦いを長引かせて疲弊させることである。そのため長期戦に向けての作戦と備えが十分に為されていた。


 皇帝とワイナの率いる第三軍、そしてワコとキリスカチェの女王たちの率いる第四軍は、一、二軍の開戦に乗じて出発する。ふたつの軍はそれぞれ、クスコの領域を出てさらに西へと数日行った先にある大陣営とチャンカ本国を目指す。


 この戦いは、チャンカの総締めである大首領アストゥワラカを倒し、本国の神殿に祀られているというチャンカの守護神像を奪わなければ終結しない。守護神像をケチュアの主神インティのもとに捧げ、捕えた大首領の身体を皇帝が踏みつけたとき、はじめて彼の一族を服従させ支配した証となるのだ。

 精神的支柱を奪われた民は必然的に奪った民に従わざるを得なくなる。それがこの大地の掟であった。

 従って、第三軍、第四軍の戦いが勝敗の鍵となるのであった。



 第二軍の総指揮官、リョケとビカラキオ将軍は、中央広場に設けられた壇上に座るクシに順々に挨拶を済ませると、軍の中央で待機する二つの輿に乗り込んだ。

 輿が担ぎ上げられると、都にほら貝の低い音が響き渡った。海のない高原の都にどうやってもたらされたのだろうか、古い時代から受け継がれてきたその笛の音は兵士の士気を最大限に高める不思議な響きを持つと伝えられている。

 その音に呼応するようにあちらこちらから太鼓(ティンヤ)を打ち鳴らす音が聞こえ、やがて輿の周囲に進路を向いて整然と並んでいた大軍隊がゆっくりと動き出した。

 兵士の数だけでも大規模な軍隊は、さらに補佐、補給に当たる兵站(へいたん)隊を率いて長々と続く。

 街には出陣する兵士たちを見送ろうとする人々がひしめき合っていた。すべての兵士が通り過ぎるまでの長い時間、人々は絶えず盛んに声を上げて彼らを見送った。

 その喧騒は、リョケとビカラキオ将軍の輿が通り過ぎるとき、より一層大きくなった。


 都の中心を外れ、郊外の丘を上るとき、仮陣を敷いて次の出陣を待機している他軍の兵士たちが声を掛けてくる。


「次に会うときは、都で勝利を祝う祝宴のときだな!」


「おう! そのときを楽しみに張り切って戦おうではないか!」


 賑やかに声を掛け合いながら、丘を通り過ぎ、リョケ軍はクスコの都を後にした。


 クスコの都を出た第二軍は、以前斥候が目星を付けてきた僅かな手がかりを確かめながら迂回路を進軍していった。丘を越え、谷を下り、河を渡り、やがて広大な高原に辿り着いた彼らはそこで日暮れを迎え、野営を敷くことになった。


 その夜は大きな焚き火を囲んで兵士たちも兵站隊の女たちも寛いだ。

 酒を酌み交わし、陽気に歌い、踊る。携帯してきた骨笛(ケーナ)太鼓(ティンヤ)を披露する者までいる。夜が更けるにつれて宴はますます盛り上がっていった。誰もが戦地に向かうことなど忘れてしまったかのように暢気な様子だ。しかし、それは戦いを前にして昂ぶる緊張を和らげるため、彼らにとって重要なことだった。遅くまで賑やかに騒いだあと、夜半過ぎには誰もがぐっすりと眠ってしまった。


 一晩ゆったりと過ごした第二軍は日の出を迎えてまた出発した。

 目的の敵陣まではあと半日もかからない。早めに辿り着いてその周囲に陣を張り、第一軍の開戦に合わせて攻め込む予定だった。


 しかしそのとき、突然の豪雨が彼らを襲った。

 何もない高原なら雨の中を無理にでも進むこともできるが、彼らは再び谷を下り、狭い川を渡る予定だった。歩いて渡れる幅の小さな川は、豪雨によって水かさを増し、人など簡単に押し流してしまいそうな勢いで流れている。そのため彼らは否応なしに谷の手前で足止めを喰うことになった。




 第二軍が出陣した翌朝、日の出とともにクスコを出発したのは、アマルとアポ・マイタ将軍の率いる第一軍だった。第二軍の出発と同様、クスコの街は大きく沸いた。アマルも将軍も輿の上から大きく手を振って人々の歓声に応えた。


 第一軍はリョケたちの辿った道のりとは別に、真っ直ぐに目標のチャンカの陣営を目指す。

 矢張り丘や谷を越え、広大な高原へとやってきたアマル軍は、日の暮れる頃に、地平線の彼方に敵陣らしき屋根の連なりを確認した。

 クスコ侵略の拠点となったという敵陣は遠目に見ても立派な集落の様相を為していた。ほぼ地平線に重なるように藁葺きの屋根が長く連なって見える。かなりの規模を誇る敵陣営を遥か遠くに望む位置を確認し、その周囲に敵地からの目線を遮ることのできる地形を探す。

 平らな草原に皺を寄せたような低い丘と窪地がところどころに点在していた。いくつかの小集団に分かれ、潜むのに適した起伏のある場所を探し、その蔭に天幕を張る。兵士たちの食糧や道具を管理する兵站隊は決して敵に侵されることがあってはならないので、戦いに巻き込まれないように本軍とは少し離れた位置に陣が敷かれた。


 一、二軍は、最も重要な任務を背負った三、四軍の進軍を阻ませないための、いわば(おとり)である。従って深入りせずにできるだけ長期戦へと持ち込まなければならない。

 クスコ攻めにも一部の兵しか動かさなかったチャンカである。仮に大陣営から前線の陣営へと援軍が送られたとしても、本国の守護神と大首領の位置は動かないだろう。一、二軍には、それに持ち堪えるだけの数の兵士が配備されている。

 返って援軍をおびき出すことで、大陣営と本国への攻撃が容易になる筈だ。


 長期を戦い抜くためには、そのとき設けた陣営が彼らの命綱となるのだ。これから幾日かその陣営を拠点として日の出とともに戦い、日暮れとともに戻って来ることを繰り返さなければならない。

 そしてすでに敵陣に近い位置にいる第一軍は夜も緊張とともに過ごさねばならなかった。


 陣の設営を終え、翌日の日の出とともに攻め込む手配を整えた第一軍は静かに眠りに付いた。




 リョケ軍が出陣してから三日目。日の出とともに第一軍、第二軍の戦いが始まる予定だ。その開戦の報せを受けて出発する第三軍と第四軍は、夜明け前から中央広場に集まり出陣のときを待っていた。


 その朝は都の上に一面低い雲が垂れ込めていつまでも薄暗く、日の出が訪れたのかどうかはっきりしなかった。

 広場の中心には金を施した輿が置かれ、その周りを整然と並んだ大軍隊が囲んでいた。

 やがて人々から歓声が上がった。

 宮殿から姿を現したクシが、両脇に兵士たちがかしずく花道をゆっくりと輿に向かっていった。頭には七色の羽が扇のように縫い付けられた黄金の冠を被り、色鮮やかな貫頭衣の上に黄金の胸当てを付け、長いマントの裾の引いて悠々と歩いていく。即位式の姿と同じく派手やかな姿だが、手には儀式用の黄金の矛の代わりに丈夫な青銅製の斧を持っている。腰にもボーラなどの武器を携えていた。


 クシが輿に身をうずめると、第三軍の各部隊を任された指揮官たちが次々とやってきて輿の前に列になり、順々に跪き敬礼する。

 第四軍の代表としてワコもやってきて、クシの輿に向かって跪き頭を短い敬礼をしてまた戻っていった。そして待機している第四軍の先頭に立ち、出発のときを待った。




 夜明けとともに、アマルとアポ・マイタ将軍は第一軍を率いて、敵の陣営がはっきりと見える位置まで前進した。そこで兵士たちを四列に分け、横に大きく拡がって整列させた。

 背後から太陽が差してくると、輿の上にいるアマルが天に向かっての伸び上がるように手をかざし、大きく振り下ろした。その合図をなぞるように太鼓が打ち鳴らされ、最前列の兵士たちは一斉に雄たけびを上げ、真っ直ぐに敵陣まで走っていった。


 クスコの奇襲に気付いた敵陣営は騒然となった。敵の態勢が整わないうちに、クスコ軍が敵陣営へとなだれ込む。混乱して逃げ惑う敵はいとも容易くクスコ兵の手に掛かっていく。チャンカ兵を次々と倒して、クスコ軍はさらに陣営の奥へと進んでいく。しかし優位に運ぶのははじめのうちだけだろう。チャンカの態勢が整ってしまえば、猛反撃を受けることは予想できる。敵が混乱している今のうちに、少しでも打撃を与えておかなければならない。


 アマルの合図で、一列目の兵士に続き、二列目三列目の兵士もつぎつぎと攻め込んでいった。最後尾の部隊を率いて留まるアマルとアポ・マイタ将軍は、そこで敵の動向を慎重に窺っていた。

 なるべく派手に騒いで敵を撹乱するようにとアマルは兵士たちに伝えていた。敵兵士の精神を弱らせることはもちろん、三、四軍の動きを悟られないために、敵の注意を逸らしておくことも、彼らの重要な役割なのだ。




 低く垂れ込めた雲のすき間から一条の光が差し、クスコの中央広場を照らした。


 そのとき郊外から駆け込んできた伝令が大声で第一軍の開戦を伝えた。輿の上のクシは天を突き上げるように真っ直ぐ手を伸ばした。その合図を受けて都中にほら貝の音が響き渡る。さらにそれを追うように各軍から太鼓(ティンヤ)が打ち鳴らされた。


 ワコを先頭に第四軍がゆっくりと歩み出した。民衆は軍隊の列の間際まで押しかけて盛大な歓声を送る。民衆の群れは川の流れを押しとどめる泥のように混沌としている。そのうねりを少しずつ押し流すように、兵士の列がゆるゆると進む。


 ワコの率いる第四軍が都の中心を通り過ぎ、やがて第三軍の中央にいるクシの輿が近づいてくるのを見た民衆は慌てて道を広く開けようとし、押し合いになった。しかしそんな混乱にも苛立つ者はなく、誰もがクスコを救ってくれるであろう期待の皇帝に夢中で声援を送った。


 その日、クスコに待機していた大規模な軍隊は、護衛のための軍隊を除いてすべて都を出て行った。人々は彼らが大勢の敵を従えて戻ってくる日を信じて疑わなかった。





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