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3、 真夜中のユリ (その1)



3、真夜中のユリ



 アナワルキの一件から、さらにクシの心をかき乱すような出来事が起こったのは、それから幾日も経たないうちだった。


 その日宮殿の広間には、大勢の貴族たちが顔を揃えていた。準備の進行状況を確認し合い、出陣の日取りを決めるためである。とくに重要な会議であるので、そこにはほとんどの貴族・皇族、そして参戦する各部族の首領が揃っているといってもいいほどだ。


 ひととおりの話し合いを終えそろそろ解散しようという頃、突然広間の入り口にキヌアが姿を現した。

 そこに集っている者たちは一斉に彼女を振り返った。何故なら彼女のいでたちが非常に目を引いたからだ。


 キヌアはクシの即位式で着ていたものとは正反対の真っ白な衣装を身につけていた。

 胴衣も腰巻のスカートもそれを締める帯も、肩から羽織っているショールも、そして頭巾もすべて同じ。毛織の少し光沢のある純白の地に生成りの糸を織り合わせて描かれた市松模様が薄く浮かび上がっている。

 暗い色の石壁に囲まれた薄暗い大広間では、その白い衣装が特に映えた。


 さらに耳には輝く黄金の耳飾りがある。それは貴族の男性が耳に嵌めるもので、キヌアは耳飾りの装飾の隙間に紐を通し、普段耳に提げていたピアスを抜いて空いた耳たぶの穴にその紐を通して提げていた。

 貴族たちが一斉にざわついた。キヌアが提げているような輝きをもつ黄金を身に着けられるのは皇帝のみ。正妃(コヤ)でさえも赦されないからだ。


 キヌアが一歩踏み出すと、広間にいた者たちが自然と彼女の進路を空けた。

 キヌアはまっすぐにクシの座る玉座に向かって歩いていくと、その前でショールの裾を左右に大きく広げて跪き、深く頭を垂れた。


「皇帝陛下にご報告したいことがございます」


 頭を下げたまま、彼女は厳かに告げた。クシは思わず立ち上がって彼女に近づこうとした。


「陛下、どうぞそのままでお聞きください。この場にいる皆様も」


 キヌアの言葉でクシは玉座に座りなおし、ざわついていた者たちが一斉に静まって耳を傾けた。


 一呼吸おいて、キヌアはゆっくりと語り始めた。


「ご覧のとおり、わたくしは前皇帝ビラコチャさまより、黄金の耳飾りを賜りました。生まれる御子が皇子ならば、ビラコチャさまはわたくしと皇子を正式な皇族として迎え入れ、ウリンに新しい家系を築いてくださるお約束をしてくださいました」


 大広間の一角から微かにざわめきが起こったのが分かった。おそらく倉庫で密談していたウリンの貴族たちだろうとキヌアは思った。


 キヌアの言うとおりならば、ユタ皇子はウリンの希望となる。ましてやビラコチャ帝が黄金の耳飾りを直々に授けたのだ。ビラコチャ帝の御世ならばウルコ皇太子の次に皇位継承権をもつ者となったはずだ。現時点では正式にマスカパイチャを受け継いでいないクシよりも、皇帝になる権利があるのだ。


 キヌアは彼らの動揺など意に介さないように、続けた。


「しかし、戦乱のなかで御子を生んだわたくしは疲れ果て、ビラコチャさまの元に戻る余裕がございませんでした。

 そんなわたくしの体をおもんばかり、クシ皇帝はクスコに残ることをお許しくださいました。その上、寛大にも、前皇帝の御子であるわが子を不憫に思い、名付け親となってくださいました。

 もうすでに、時代はクシ皇帝の御世。ビラコチャさまの元に戻っても、わたくしたち親子には何の後ろ盾もございません。それにわたくしは、クシ皇帝に大変恩義を感じております。そこで今後クシ皇帝に仕える決意をいたしました。

 ただいま神殿にて、太陽神より『ワコ』という名を賜ってまいりました。自分の出自も、前皇帝の妃という立場もすべて捨て、クスコの一市民となることを誓いました。

 わたくしはクシ皇帝に『戦士』として仕えとうございます。どうかわたくしをお召しくださいますよう。そして御子は陛下の臣下としてお召しくださいますよう。お願い申し上げます」


 キヌアは耳に結び付けていた紐を解いて耳飾りを両耳から外すと、さらに深く頭を下げてそのままクシの返答を待っていた。


 突然のことにみな動揺し、大広間は静まり返っていた。誰もがクシの前に跪くキヌアの姿から目を離せずにいた。

 クシは非常に険しい顔をしていた。そして低くゆっくりとした調子で訊いた。


「……どういうことなのだ。キヌア」


「今申したとおりにございます」


「つまり……そなたは親子の縁を切って、幼いユタを私の家来として差し出し、そなた自身は戦士として戦地に赴くと申すのか」


「御意」


「そんなことは許さない」


「わたくしはすでに、キリスカチェの王女でもなく、ビラコチャ帝の妃でもありません。陛下がお召しくださらないのであれば、行き場を失ったわたくしは命を絶つしか方法はございません」


 キヌアは最後の言葉を告げると同時に顔を上げて鋭い目でクシを睨んだ。クシは解せないキヌアの言葉に戸惑い、キヌアは覚悟を決めた表情で、ふたりはしばらく見合ったままだった。


 そのとき宮殿の入り口に大神官が現れた。クシはその姿を見つけると大神官を大声で呼びつけた。


「大神官! そなたもこの茶番に一役かっているのか?」


「皇帝陛下、茶番とはお言葉が過ぎます。私はキヌアさま……いえ、ワコさまの意を汲み、太陽神との契約を結ぶお手伝いをしたのでございます。ワコさまは純粋にケチュア人としてこの国を護りたいと考えておいでなのです。どうぞ、ご理解をお示しくださいませ」


「ユタは乳飲み子ではないか! 母親が見捨てたら生きてはいけないではないか」


「陛下。それはご心配に及びません」


 突然、脇で声がして、ビカラキオ将軍が進み出てきた。


「ワコさまとのお約束でしたので今日まで口外しませんでしたが、この際、お知らせしておいたほうがよろしいかと思い、ご報告させていただきます。

 わが妻は戦の最中、避難していた東の谷で子を産みました。しかし死産でした。泣き暮らしていた妻はクスコに戻ってきたとき、ユタさまのお世話係のタキリャからワコさまが乳母を探しておいでだと聞きました。妻は喜んでそのお話を受け、今は乳母としてユタさまのお世話をさせていただいております。妻はユタさまをわが子のようにかわいがっております。われわれが責任をもって、ユタさまの成長を見守らせていただきます」


 クシは言葉を失い、跪く大神官と将軍と、そしてキヌアの姿を何度も見回した。そして深い溜め息を吐き、玉座に深く身を沈めるとこめかみを押さえて俯いた。


「……すぐには返答できない。今夜一晩考えてから、明日返事をしよう」


 キヌアははすっと立ち上がり、今度は頭だけを垂れ、


「どうぞ、よしなに……」


 と短く言うと、颯爽と広間を出て行った。


 クシは呆然としたまま、玉座の背もたれに全身を預け、天井を見上げた。

 キヌアが出ていったあと、残された大広間の者が一斉にざわざわと騒ぎ出した。その片隅でウリンの貴族たちは悔しそうに顔を歪めていた。





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