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2、 皇女の覚悟



2、皇女の覚悟




 チャンカ戦への作戦がいよいよ大詰めを迎えた。


 まず最初にチャンカに楔を打ち込むのはアマルとアポ・マイタ将軍の率いる第一軍だ。クスコに最も近いところにあるチャンカの陣を攻めるのだ。

 リョケとビカラキオ将軍の率いる第二軍はアマル軍に先立って出発し、アマル軍の攻撃する前線の敵地を大きく迂回してその先の陣地へと向かう。アマル軍がチャンカの前線を攻めるのと同時期に次の陣地へと攻め込むのだ。

 アマル軍とリョケ軍が同時に敵地を攻めれば、敵の注意はそちらに向かうだろう。その隙を狙って、第三軍、第四軍が出発する。

 皇帝とワイナの率いる第三軍は目的地までの直線経路を大きく外れて敵の目を欺き、大首領のいるといわれる一番の拠点、大陣営を目指す。

 同時にキリスカチェの女王たちが率いる第四軍はそれからさらに西の本国へと向かい、生贄のために幽閉されているという多くの捕虜を解放しチャンカの守護神を奪うのだ。


 各軍にはいくつもの部隊が組み込まれ、ケチュア族とそれぞれの首領が率いる他部族とで構成されていた。つまりどの軍もケチュアの戦士とその他複数の部族の戦士で成り立っており、ひとつの軍をとってもその人数は膨大だった。



 捕虜たちの話を総合し、チャンカ各陣の位置はだいたい見当が付いていた。

 大規模な軍が長い道のりを経てその場所に行き着くには、太陽や夜の星の位置を正確に読み取って方角を見誤ることなく進まなければならない。

 軍が出発したあとで間違いに気付いても引き返すことは困難だ。


 そこで先に偵察が密かに西に向かい、敵の目をかいくぐって目印となる場所や物を探してきた。

 丹念な調査で得られた道のりと目印は石に掘り出され、地図とおぼしき物が作られた。各軍がその石の『地図』を携帯し、それにしたがって進軍する手筈だった。




 作戦がほぼ完成し、具体的な物資の準備と戦士たちの鍛錬が行われていた。

 クシは各所で行われている準備の様子をひとつひとつ見て回っていた。


 アマル―アポ・マイタ軍の備蓄を用意している兵站(へいたん)隊を見に行ったとき、クシは意外な人物を目にした。


 長期戦を見込まれるアマル軍もその先に遠征する他の軍も、武具の管理や多量の食糧の運搬と食事の用意を必要とする。各部隊にはそれらを担う兵站(へいたん)隊が用意されていた。戦士たちの救護も兼ねるその部隊には女たちが多く携わっていた。それは主に兵士の妻や娘、または宮殿に仕えていた侍女たちだった。


 埃にまみれて忙しなく働いている女たちの中に、他とは違う優雅な雰囲気を醸している娘がいた。

 裾長の薄手の貫頭衣を細い帯で無造作に巻きつけただけの質素な装いの女たちの中で、その娘は上質な毛織の胴衣に長い腰巻スカートを穿いて美しい織りの帯を巻いている。綺麗に編まれたいくつもの細い三つ編みの先には美しく輝く石がいくつも付いていて娘が頭を揺らすたびに輝く。

 どうみても庶民ではない。


 しかしその娘は決してのんびりとしているわけではなく、むしろ他の者にてきぱきと指示を与えながら一番機敏に動き回っているのだ。


 東の谷から戻ってきた貴族、皇族たちは、男性ならたいていは軍隊の指導的立場としてこの戦いに加わっている。

 しかし貴婦人が戦いに出ることなどない。彼女たちの役目は男たちの留守を守ることである。戦いに加わったところで、武器など握ったことのない彼女たちは役に立つどころか、足手まといになるだけだ。彼女たちもそれを十分わきまえている。兵站隊であっても、自らの手を汚すことを好まない彼女たちが敢えて加わろうとはしないはずだ。

 だからその娘の存在は、その集団の中で非常に目立った。


 貴族であろうその娘がこちらに顔を向けたとき、クシは驚いて思わず声を掛けた。


「アナワルキ!」


 皇帝が直接下々の者に声を掛けることはあり得ない。その場に居た者たちは皆驚いて、仕事をする手を休め深くひれ伏した。

 周囲が跪く中、ひとりだけその場に立ち竦んでいる娘、クシの異母妹であるアナワルキは、遠慮なくクシを見、悠然と呼び掛けに応える。


「まあ、クシ。直接お話するのはお久しぶりね」


 たとえ妹であっても、相手は皇帝。直視して気安く声を掛けていい筈がない。

 彼女の傍にいた侍女は顔を伏せながらも彼女に何か注意をした。それを聞いた彼女はカラカラと笑い声を立てた。


太陽の息子(インティプ・チュリ)に目を合わせば目が潰れるとはいうけれどね。クシがすでにそんな度量を身につけているのなら、むしろ喜ばしいことだわ」


 遠慮のないアナワルキの言葉に隣にひれ伏している侍女が、彼女の代わりにそれを詫びるように地面に擦り付けるほど頭を低くした。


 アナワルキ以外のその場にいる全員が恐縮して蹲り、作業が中断してしまった原因が自分にあると気付いたクシは、アナワルキの腕を掴むと、付き従っていた侍従に後のことを託し、妹を連れて急いでその場を後にした。




 アナワルキを引き連れて宮殿に戻ってきたクシは、彼女が何故軍に志願したのかを聞いた。


「兵站隊とはいえ、指揮する立場の者は必要よ。戦士が戦いに集中できるよう、その役目は位のある女性でなくては! とくに第一軍の戦いは長引くんですもの。しっかりとした補給が必要になるでしょう?」


 作戦に加わっていたわけではないのに状況を知り尽くしているアナワルキに、クシは舌を巻いたが、だからといって、どうして彼女がそこまでしなくてはいけないのかという質問の答えにはなっていない。


「そなたは神殿で巫女見習いをしていたのではなかったか?」


 以前、結婚を望まないから神殿の巫女になるのだとクシに告げたとおり、彼女はその後すぐに神殿に入った。巫女の修行を始めてすぐにビラコチャ帝の東の谷への移動が始まり、アナワルキも東の谷へ避難したが、巫女見習いは東の谷の神殿でも出来たはずだ。

 クスコに戻ってきたあとも、宮殿には戻ることのなかった彼女は神殿で引き続き修行を続けていたに違いない。


「神殿であらゆる雑事を行っていたからこそ、兵站隊の仕事ができるのよ。これほどの適任はそうそういなくてよ!

 それに、覚えているかしら、クシ。私が神殿に入りたいと思った理由を」


「……確か、想う人と添い遂げることができないから、と言っていたな」


「そうよ。でも太陽神は私の願いを聞き入れてくださったの。戦のお蔭といっては不謹慎だけれど、今私はその人の役に立つ機会を与えられたのよ。この非常時ですもの。大神官も、修行より軍の手伝いを優先することを赦してくださったのよ」


「アナの想う人とは、アマル兄さまだったのか」


 アナワルキは頷くような、首を傾げるような微妙な動作をして微笑んだ。


「皇帝のお許しをいただけないかしら? 動機はどうであれ、私は中途半端な手伝いをするつもりはないわ。第一軍の兵站隊をしっかりと取り纏めていく自信があってよ」


 宮殿の中でほとんど世間を知らずに育ってきた皇女とは思えないほどの逞しさを見せる彼女に、クシはその決意に反対する理由を探すことはできなかった。








アンデスの戦争は一種のお祭り的な要素もあり、必ず女性達がお供をしたのだそうです。

もちろん食糧の運搬、食事の支度、という意味もありますが、一緒に戦場に赴き、いわゆる夜のおつとめも果たすという役割もあったそう。

資料のそんな一節を読んでいたら、第二章で書いた『月夜の宴』のことについて書かれていました。

この輪になって踊り、相手を決めるというイベントは、戦場で行われていたそうです。戦地の夜にそうやって相手を決めるんだそうです。

何とも合理的というか、奔放というか。現代のモラル的にはどうかと思いますが。

しかし、こういう問題が未だ戦争の傷跡となって国際問題として残っている現在。こういう習慣を作ったアンデスの人々のほうがよほど戦いに対する計画性と覚悟があったように思うのです。




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