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1、 惑乱




1、惑乱




「なんと、まあ、無様よのう……」


 毒蛇を顔に巻きつけているかのような斑模様の奥から、鋭い眼光が光った。


「この大馬鹿めが……」


 嘲笑うように、しゃがれた声が響く。


 やや高音のその声をよくよく注意して聞けば、それが女だということが分かるのだが、顔中にのた打ち回る毒蛇の模様で表情は分からず、短く刈り上げられた髪に広い肩幅、ほとんど盛り上がりのない胸は逆に筋肉の稜線のほうが目立つくらいなので、一見そうとは思えない。


 女とはいえ、百戦錬磨の豪傑だ。腕っ節ばかりの男首領に比べれば余程機転の利く彼女は、首領たちの中でも一目置かれる存在だった。


 斑模様のなかの鋭い目が睨みつける相手は、その巨体を可能な限り小さく丸めて蹲っている大男だった。蹲る男のほうも奇抜な刺青を顔中に入れ、がっしりとした体躯を持っているのだが、うな垂れて力なく座り込んでいる姿にはまるで覇気がない。


 男がそろそろと顔を上げると、『女首領』は笑みを湛えたまま正面から男の顔に唾を吹きかけた。そして男の頭を鷲づかみにして立ち上がると、上座の方に声を張り上げる。


「アストゥ! こいつにどう責任を取らせるつもりだ」


 女首領マルマの言葉に大首領アストゥワラカは何の反応も示さなかった。

 マルマは唾を吐き掛けた男の頭を掴んだまま、弄ぶようにぐりぐりと回した。


 彼女に頭を掴まれているのは、大首領の命令を無視してトゥマイワラカ軍に合流し、太陽の都を攻めた首領のひとりである。

 手柄を得ようとトゥマイ軍に合流し都攻めに加わった首領は三人。

 その戦によって二人の首領が命を落とし、残ったのは巨石の下からやっとのことで這い出し、九死に一生を得たその男、イラパひとりだった。


「もちろん、生かしてはおかぬだろう。八つ裂きにするなら私に任せろ!」


 マルマはアストゥの言葉を待たずに斧を握り締め、高く掲げた。マルマの足許に小さく蹲っていたイラパだったが、この期に及んで命乞いをするなど情けないことだと覚悟を決めたようだ。胡坐をかき直し、背筋を伸ばして目を閉じる。


 そのときになって、ようやく大首領が口を開いた。


「イラパは生かしておく。斧を収めよ、マルマ」


 今にも男の頭に斧を振り下ろそうとしていたマルマは勢いを挫かれ、斧を外側に大きく外して下ろすと、軽く舌打ちをした。


 三人の首領が持ち場を離れ、トゥマイワラカ軍を追って『太陽の都』を目指したと、マルマから報告を受けたときは大首領も内心は焦ったが、すぐにそれも一興だと思い直した。


 何故ならその都に『かの者』が存在しなければトゥマイワラカ軍だけでも容易く都を手に入れられ、『かの者』が存在すればトゥマイワラカ軍は大きな痛手を負うであろうことは周知だったからだ。

 そうなればトゥマイワラカ軍は捨て駒だ。少しでもそこに加勢して優勢になれば不幸中の幸いだろう。そう考えたのだ。


 結果は無残なものだったが、目指す相手はそれほどに手強いということがはっきりと分かったのだ。


 アストゥワラカはゆっくりと立ち上がり、そこに集う首領たちを見回した。


 納得ができないという表情を向けるマルマ。その足許には、今の言葉が聞き間違いではないかというように呆然とするイラパ。その二人から少し距離を置いて、自分が罰せられるときを待っていたトゥマイワラカがいたが、同じく信じられないというような顔を上げていた。

 三人の背後に、ヤナとトケリョというふたりの首領が腕を組んで立ち、目前の三人のやりとりを半ば愉しんで見つめていた。

 首領たちを遠巻きに囲むように部屋の隅に並んで跪いているのは、東の地から逃げ帰ってきた兵士を代表する者たちだ。


 アストゥは一段高くなった上座をゆっくりと下りイラパの前に立つと、彼を見下ろした。そしてまた顔を上げ、そこに集っている者たちすべてに向かって言った。


「この戦いは様子見であったのだ。キータのいう『一本草』の存在を確かめるための戦いだったのだ。そして予言のとおり『一本草』は存在した。

 そうだな、トゥマイ!」


 そう言って大首領は素早くトゥマイワラカに視線を移した。トゥマイは大首領に深く頷き、待っていたとばかりに堰を切ったように話し出した。


「いかにも! 我が目にも等しい側近が、わしに代わって『太陽の一族』の首領に接見した。今は亡きその側近の話では、奴らの首領は、我らが思う『一本草の男』とはまるで違っていたのだ。どこからどう見ても軟弱な少年にしか見えなかったという。だからそれが『一本草』だったとは思いも寄らず、むしろあのように若い首領が率いなくてはいけないとは、『太陽の一族』は余程追い詰められているのだろうと……」


 そこまで言って、苦しい言い訳をしているように感じたのか、トゥマイは言葉を切り、唇を噛んで下を向いてしまった。

 アストゥはトゥマイの言葉に頷き、また全員を見回しながら言った。


「ふたりの首領と多くの兵を失った痛手は大きい。しかし、その『一本草』の存在を確かめたことはそれ以上の収穫なのだ。

 はじめはトゥマイ軍だけで攻め落とせるつもりでいたあの都は、さらに三軍が合流したというのに、入城すら叶わなかったのだ。キータの言う『一本草』は、我らが思っている以上に厄介な存在ということだ」


「だからだ、アストゥ! さっさとこのろくでなしを始末して、相手も痛手を負っている今のうちに都に攻め入ろうではないか!」


 両手を大きく広げて、マルマが叫んだ。


「そして、一族もろとも滅ぶつもりか」


 後ろで様子を見ていたヤナが割り込んできた。マルマはキッとヤナを睨み返す。


「滅ぶなどと、この我らがか? こんな身の程知らずとは違う! 残った精鋭たちはたったひとりの餓鬼など目ではない!」


 そう言ってまた跪くイラパの頭を小突いた。


「冷静になれ、マルマ。我らの中でも特に精強なトゥマイワラカ軍が歯が立たなかったのだぞ。しかも、ビルカとテクロの軍が全滅し、イラパもその軍の大半を失ったのだ。相手はたったひとりの若者と、軍とも呼べない少数の兵なのだぞ。この底知れない恐ろしさが分からないのか」


 トケリョに言われて、マルマは押し黙ってしまった。

 しばらくの沈黙のあと、それを破ったのは大首領だった。


「必要以上に怖れるものではない。しかし、闇雲に攻めることだけは避けねばならない。

 キータの予言どおり『一本草』はすでに存在していたのだ。そして今度は我らを脅かすだろう。

 だが考えてもみよ。『一本草』は『一本』でしかないのだ。この(かなめ)の草を抜いてしまえば、我らの勝利は確かだ。キータもそう予言した。

 今、都に攻め入っても衛りは固く、一本草まで辿り着くことはできないであろう。焦らずともいずれ奴は我らを倒しに都を出てくる。そこを狙うのだ」


「しかし、どうやって奴を見抜くのだ?」


 ヤナが疑問を投げかけると、トゥマイが答えた。


「耳だ! 耳に光り輝く板を付けている。そうであったな、アンコワリョ! 」


 周囲に侍る兵士に向かってトゥマイワラカが叫ぶと、その中のひとりが進み出てきて、首領たちから少し距離を置いたところで跪き、深く頭を下げた。まだ非常に若い兵士だが、落ち着き払って貫禄を感じさせる。


「この者はその『一本草』に直接会ったのだ。皆にお前が見聞きしたものを話せ」


 その若者、アンコワリョは居並ぶ首領たちを前にしても臆さず、自分の見たことを丁寧に説明した。


「はい。自らをあの都の首領と言った人物は、『クシ・ユパンキ』と名乗りました。確かに首領というには若く、その風体は我が部族の屈強な戦士に比べれば非常に頼りなく見えました。ですが、あの部族は誰も似たような容姿をしています。

 首領クシは、我らの宣戦布告に対し、終始堂々とした態度を崩しませんでした。そして太陽に護られた都を攻め落とすことはできないと言い切りました。私にはそれが単なる強がりには思えませんでした。我らがどのように大規模であっても都を衛り通す自信があるように見えたのです。

 そしてその言葉どおり、我らは一歩も都の中心に足を踏み入れることができませんでした。


 首領クシは頭に色鮮やかな頭帯を巻き、両の耳には大きな金色(こんじき)の円盤を提げていました。腕や足にも輝く装飾を纏っているが、矢張り目を引くのは耳の金色。それを提げている者は他にもいましたが、その輝きや大きさはほかの者の比ではありませんでした」


 アンコワリョは、クシに注目するあまり周囲の貴族に注意を払っていなかったことに気付いていたが、その耳飾りの輝きが特に目を引くことを強調するためにそう言い切った。

 報告が終わると、アンコワリョは速やかに元の位置に下がっていった。


 大首領は報告を聞き終えるとまた上座に戻り、玉座に腰を下ろして腕を組み、考えを巡らせていた。しばらくそうしてから、自分に注目している首領たちとその向こうに居並ぶ兵士たちをぐるりと見て、ゆっくりと口を開いた。


「ビルカとテクロ、そして多くの兵士たちは無駄に命を落としたわけではない。その一本草の実力を確かめるためにはそれほどの犠牲が必要だったのだ。その一本草が居る限り、我らがどのように屈強であろうと敵わないであろう。

 しかし、奴らの絆はすべてたった一人の元に繋がっているのだ。『一本草』は所詮『一本』である。その『一本』を抜いてしまえばいいのだ。

 クシというその『一本草』が軍を率いて都を出たときが好機だ。耳の金板を目印に、先ず『一本草』を倒すことだけに意識を向けよ。クシを倒せ。ほかの雑魚どもなど我らの敵ではない!

 布陣に変更はない。ビルカ軍とテクロ軍の補充は残ったもので行う。奴らの動向を窺い、動きがあるまで待つのだ。

 そして本国の神殿に伝えよ。今こそ我らの勝利を祈願して、用意していた生贄を捧げるときが来たと。さすれば雷神は、いざというとき我らを佳き方向へと導いてくれる。怖れることはない」


 大首領の宣言に、跪いていた者が一斉に立ち上がり、裾にいた者は上座に迫り、揃って雄たけびを上げた。

 群がる者の中に先ほどの若者アンコワリョを見つけたアストゥは、上座を下りて彼に近づいた。そして彼の肩を叩いて囁いた。


「お前はわしの側近として仕えよ。『一本草』を見つけたら、いち早くわしに伝えるのだ」


 アンコワリョは目を輝かせて大きく頷いた。





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