『皇子クシ』異説~最新の考古学的見解から~
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注)これは、この作品のもととなった歴史記述に関する解説です。
この後のストーリー展開のネタバレを含む内容となっています。
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3月より上野・国立科学博物館にて、『インカ帝国展』が開催されています。
日本では、いや、世界でも『インカ帝国』だけを扱った博物展というの初めての試みだそうです。
インカを題材に創作をしている私は、大変な資料の宝庫であるこの展覧会に是非足を運ばねば!と勇んで行ってまいりました。
そして、記念講座で現在アンデス文明の研究で活躍されている考古学者の先生の貴重なお話を聴くことができました。
これまでの解説でも何度か触れましたが、そもそもインカの歴史記録は、征服したスペイン人やスペインの教育を受けた末裔たちによって、それまで口述伝承であった歴史記録を文字に表したものです。
記録者によって取材した内容や記述方法が大きく異なり、非常に曖昧で混乱しています。
その真偽を確かめるためには、考古学調査からひとつひとつ『物的証拠』を見つけ出さなければいけません。従って、何か発見があるたび、ある説が裏付けられ、ある説が排除されるのです。
アンデス文明の世界観は独特なので、資料を読んでも自分の知識や経験の範囲でしか理解できないことが多いのです。
なので、現時点でこの地域の歴史を忠実に再現することは不可能なのですが……。
この地域の世界観や歴史を理解する難しさは、インカの歴史研究のもととなっている『クロニカ』を書き記したスペイン人も感じていたのかもしれません。
今回聴いたお話の中に、最新の考古学調査から『インカ(ケチュア族)がチャンカと大規模な戦争を行った形跡が見つからなかった』というものがありました。
この物語の主題とした『クシの率いたクスコ軍による対チャンカ戦争』という、インカの歴史の中では比較的メジャーだったエピソードが、最近の考古学調査によって、戦争の痕跡が見つからないためこの説は否定されたというのです。
チャンカはインカと戦って征服されたのではなく、交渉などによって平和裏にインカの支配を受け入れたということです。
もともと、この歴史事項の記述には多くの矛盾点があり、チャンカの大軍を迎え討つクスコ軍が寡兵であったというのも、記録者による誇張であったと言われていました。
加えて、石が人となって戦うくだりや、クシが泉で神託を受けるくだりなどは、クロニカが記された当時=16世紀のヨーロッパに流行していた英雄譚や神話伝承が少なからず影響しているのではないかとも言われています。
もちろん、クシのこれらの功績は原住民の口承に取材したものであり、多くのクロニカがこれを記しているので、広く語られていた伝承なのでしょうが、この口承そのものも、それを語った者の家系が歴代のどの王に属しているのかということで大きく違い、自分たちの直系である祖先についてはかなり美化・誇張して語られることがあるのです。
つまり『クシ』を祖先にもつ家系の者だったならば、その祖を讃えるためにその伝承は誇張されて伝えられていた可能性も考えられるのです。
これは私の憶測ですが、クシによるクスコ防衛戦、そして対チャンカ大戦争の一節は、当時チャンカという大部族と覇権を競い、インカがチャンカに取って代わったことと、時期を同じくしてクシという伝説的な人物が現れたことから、それを記録しようとしたスペイン人、またはスペインとインカの混血である子孫が、ヨーロッパの伝承、果てはギリシア神話の一節までも取り入れて、自分たちに理解しやすい英雄伝に仕立ててしまったのではないでしょうか。
インカは多くの部族をその傘下に組み入れる過程で、残虐な行為を行ったこともありますが、たいていはそれ以前に相手方と交渉をします。この交渉は、従えば豊かな生活を約束し、決裂したときには容赦はしないという脅しでした。
従わなかった部族は脅しの通り、残虐な制裁を受けることになりますが、素直に従った部族はインカによって保護が為され、その首領もその地位を保ったまま、帝国の重要な位に就くことができるのです。
チャンカの名将アストゥワラカやトゥマイワラカは、インカに従属したあともその勇猛さを認められ数々の功績を為したという記録があります。『稲妻と星の花』の中で描いたアンコワリョとチャンカ人はインカ帝国の北部征服に大きく貢献しました。
このようにチャンカ人たちが征服されたあとも重要な地位を占め、活躍していることを考えれば、チャンカが平和裏にクスコに服従したというのは本当のことかもしれません。
当時のアンデス地方に存在した部族は、クロニカに記されるほど激しい衝突を繰り返していたわけではないのかもしれません。それに宗教、慣習、価値観の大きく違う民族が存在し、対立するヨーロッパとは違い、アンデス一帯の部族は似通った世界観や価値観を持っており、まったくの相容れない民族として対立していたわけではなかったのではと思われます。
当時のスペインは、この少し前の時代に、イベリア半島に分立していたキリスト教勢力、アラゴン、カスティーリャが婚姻によって結びつき、イスパニア(スペイン)という一大王国が誕生。
何世紀も前からイスラム教圏の国とイベリア半島の領有を巡って争い続け、ついにイスラム王朝から国土を奪還する国土回復運動を完了させたばかりでした。
そういった苦難の歴史から、敵から国土を守る英雄伝を新大陸の伝承に見出したとも考えられます。
アンデス文明の独特な価値観による平和的な和合を物語として展開させるのは難しく、皮肉なことに、スペイン人が創った仮想歴史があるからこそ、こういう歴史ファンタジーがイメージできたのだと思います。
この歴史の一節から私がイメージを膨らませやすかったのは、ファンタジー物語の中で多く扱われる中世ヨーロッパの物語の要素が強かったからなのかもしれません。
これはひとつの地域の歴史記録を描いた物語ではなく、まったく違う地域の歴史に影響されて創り上げられた架空歴史を辿った物語です。
しかし、その架空歴史が何故創り上げられてしまったのかというのもまた、歴史の面白さです。
今後考古学調査の進展に伴って、まったく違うインカ帝国の輪郭が見えてくるかもしれません。
しかし、クロニカの中の人物、それが例え名前や功績がまったく異なっていたとしても、その地に生きてきた人々が実際に存在し、それが遺跡や遺物という形となって残っていることだけは確かなことです。
第六章は、もともと参考になる記録が無く、ほとんどオリジナルな展開でしたが、以上のような経緯から、まさにファンタジー物語として進行していきます。
インカ帝国と他部族の関係は、敵(侵略者)、味方(防衛する側)などという単純な図式では成り立たない複雑なものだったのでしょうが、この作品はあくまでエンターテイメントとしてもっとも分かりやすい勧善懲悪的な展開にしています。