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6、 獣の一族



6、獣の一族




 クスコの広場に兵士たちが集まり始めた。

 残念なことに多くの兵士が犠牲になってしまったが、残った兵士は広場に集まってようやく自分たちの勝利を実感し、一斉に喜びの声を上げた。


 アマルもワイナもだいぶ深い傷を負っていた。前線を護っていたふたりの将軍は顔や手足に無数の傷を負い、かなりの重傷だ。南で奮戦したリョケと兵士たちも同じようなものだ。もちろんクシも。

 かろうじて生き残ったものの、重傷を負いすぐに手当てが必要な兵士も少なくない。


 そんなクスコ軍の様子から、この戦いの勝利がいかに奇跡的だったかが分かる。


 クシは神殿を開放して怪我人を集め、比較的軽症の者が重傷者の手当てをするように指示を出した。落とし穴から救い出されたり、取り残されたチャンカ兵も同様に手当てを受けさせるために神殿に集めた。


 危機を救った例の『獣の戦士』たちが首領の合図で広場に集まってきた。

 彼らは整然と隊を組み、ずらりと首領の後ろに従えた。どの戦士も顔にすっぽりと動物の面を被っているので表情は窺い知れない。一切口を聞かず、同じ方角を向いて並んでいるその姿は異様だ。

 しかし、この辺りでは毛皮を纏わないケチュアのような部族のほうが異色であり、彼らのようないでたちの部族はたくさんいる。


 クシは首領に近づくと、胸に手を当てて敬意を示した。


「あなたたちのお蔭でこのクスコはチャンカから救われた。心から感謝します。

 ときに、あなたたちはどちらの部族でしょうか?」


 クシが身振りを交えて何とか伝わるようにゆっくりと問うと、首領はつかつかとクシのすぐ目前まで歩み寄ってきた。

 クシの目の前で首領は、頭に被った獣の首を勢いよく剥ぎ取った。

 後ろに束ねた長い髪がふわっと広がり、肩にこぼれる。女だった。

 さらに、その顔を見たクシは驚きの声を上げた。


「キヌア!」


 そこに現れたのは、キヌアの顔。

 しかし彼女はにこりともせず、いきなりクシの襟首を掴んだ。そしてその喉元に短槍の切っ先を突き立てた。


(この卑怯者!)


 歯軋りとともに、低くかすれた声で彼女は忌々しそうに言葉を発した。クシには理解できない言葉だが、憎しみが込められていることは分かる。

 するどい目線でクシを睨みつけて、『キヌア』は本当にクシの喉を突き刺しそうだ。押し当てられた短槍の先がクシの喉に食い込み、赤い筋が細く流れた。

 間近に迫った彼女の顔をよくよく見れば、キヌアではないことが分かった。

 キヌアよりも頬骨の張った精悍な顔つきで、双眸は鋭く猛々しい。とくにいま、その表情には激しい怒りが表れていて、獰猛な獣を思わせた。


 クシは、彼女がいったい誰なのか、何故怒っているのかが分からず、されるがままになっていた。彼女はますますクシの首を締め上げ、短槍の刃を喉に食い込ませようとした。


 周囲の者がクシを助けようと近づいたとき、彼らを押し退けてひとりの『獣の戦士』が、クシを締め上げる女首領に縋りつき、叫んだ。


(チャナンさま! お止めください!)


(邪魔をするな!)


 女首領は短槍を持つ手を払って、その戦士を突き飛ばした。その弾みで獣の面が取れ、現れたその顔にクシはまた驚いた。それはティッカだったのだ。

 ティッカはまた起き上がり、女首領の前に跪いて必死に訴えた。


(キヌアさまはご自分の意志でここに留まっておられるのです。戦いが終わったら事情をお話するつもりでした。どうか槍をお収めください)


 ティッカの必死の訴えを聞いて、チャナンはクシを掴む手を少し緩めたが、次には腹いせのように彼を力いっぱい突き飛ばした。

 女性とは思えないような力で不意に突き飛ばされたクシの体は、一瞬宙に浮くような形になり、派手に地面に転がった。


「クシさま、申し訳ありません!」


 ティッカは倒れたクシに駆け寄った。クシは「大丈夫」というようにティッカを制して立ち上がると、女首領とティッカの顔を交互に見た。


「ティッカ。お前がいるということは、これはキリスカチェ軍なのだな。彼女は誰だ?」


「キリスカチェの『地の女王』、チャナン・クリ・コカさまです」


「キリスカチェの『地の女王』……キヌアの姉君か」


「はい」


 クシは、『地の女王』チャナンの姿を改めて見た。

 確かにキヌアに似ているが、やはり一族を率いる長であり、獰猛とさえ称されるキリスカチェの一流の戦士なのだ。相変わらずクシを睨みつけている目は、その視線だけで相手をひるませてしまうような凄みがある。

 キヌアと同じ縮れた長い髪は細かく編みこんで後ろに束ねている。赤褐色に日焼けした筋肉質の腕や脚は男性に劣らないほど逞しい。脱ぎ捨てた頭部の剥製と同じまだら模様の毛皮を肩からすっぽりと被っているが、肩幅もあり頑丈な体をしているのが分かる。その姿は、まるでピューマか豹のようだ。


 婚礼の儀で初めて見たキヌアの姿が重なった。クスコに来なければ、キヌアもこのように逞しく冷徹ささえ感じさせる女戦士になっていたのかもしれない。


「彼女は何故怒っているのだ」


「チャナンさまは、キリスカチェの援軍を得るために、クスコがキヌアさまを人質として捕らえたのだと勘違いされているのです」


「キヌアが人質に捕らえられているなど、何故そんな話になったのだ。キヌアはお前とともにキリスカチェに帰ったであろう」


「いいえ。キヌアさまはまだご自分の部屋にいらっしゃいます。

 キヌアさまのお申し付けで、私はキヌアさまのふりをした侍女とふたりでキリスカチェに行きました。奥の間にキヌアさまが残っていらっしゃることを知れば、クシさまは心配なさるでしょうから。

 私はキリスカチェに行き、チャナンさまにこうお伝えしました。キヌアさまは事情があってクスコに留まっているので、チャンカに攻め込まれたらクスコ軍を応援してほしいと。そうでもしないと、絶対にキリスカチェ軍は動きませんから。

 チャナンさまはそれを、キヌアさまが人質として軟禁されているのだと誤解されたようで……」


「キヌアは戦のあいだ、ずっと宮殿の奥にいたというのか?」


「はい」


「なんと危険なことを!」


 クシは背筋が寒くなった。もしもチャンカが都に侵入していたら……。

 わが身とお腹の子の命を省みないキヌアの無謀な行動に激しい憤りを覚える。しかし、それ以上に身を挺してクスコを護ろうとしたキヌアの想いに胸が熱くなってくる。

 相変わらずチャナンは厳しい目でクシを睨みつけながら、言った。


(何をくどくどと話しているのだ。たとえキヌアの意志であろうと、われわれはキヌアを返すように申し入れていたはずだ。その申し入れを無視し、さらにキヌアは安全な場所に避難しているなどと誤魔化してわれらをたぶらかしたことは許されることではない!

 ティッカ! その男にそう伝えよ!)


 仕方なく、チャナンの言葉を口ごもりながら訳そうとするティッカをクシが止めた。


「どうやらお前の主はどう言い訳しても我らを赦す気にはなれないらしいな。

 私に制裁を加えることでその怒りが治まるのなるのなら、気が済むまでそうするように伝えよ」


「そんな、クシさま……」


「そのまま伝えるのだ。ティッカ」


 ティッカがクシの言葉を伝えると、クシは武装をほどきマントを取って、チャナンの正面に立った。そして抵抗の意思が無いことを示すため両手を広げてみせた。


 チャナンは、あっさりと否を認めたかのようなクシのその行動にますます苛立った。

 さすがに丸腰のクシに対して武器は向けなかったものの、その腹を強靭なかかとで思い切り蹴り付けた。クシは先ほどよりも遠くに飛ばされ、石畳に叩きつけられた。ティッカの黄色い声が響く。

 普通なら起き上がれないほどの衝撃だろうが、クシはすぐに身を起こし、立ち上がった。


 チャナンは起き上がったクシに素早く駆け寄ると、顔や体に拳や肘てつを浴びせ続けた。今度は何度殴られてもクシは倒れずに持ちこたえ、反撃に出ることもなかった。ただ人形のように突っ立ったまま、チャナンの攻撃を受けているだけだった。


 クスコの兵たちが集まってきた。しかし、クシが自らの意志でチャナンの攻撃を受けている限り、手助けをすることは赦されない。はらはらしながら殴られ続けるクシを見つめていた。


 クシを殴り続けるのに疲れたチャナンは、最後にふたたび強靭な足でクシを蹴り倒してとどめを刺した。

 持ち堪えていたクシはとうとう石畳に投げ出された。しかし一方的に攻撃していたチャナンでさえ苦しそうに肩で息をしていた。

 もう起き上がれまいと思ってチャナンが背を向けると、クシはまたよろよろと立ち上がった。気配を感じて振り返ったチャナンはギョッとして身構える。しかしクシはその場でチャナンに対して胸に手を当てて敬意を示し、深く頭を垂れた。


 これまで、たとえ素手であったとしてもチャナンが本気で攻撃した者が無事であった試しはない。二度と立ち上がれないようにとどめを刺したはずが、再び起き上がり、さらにチャナンに敬意を払うほどの余裕を見せるクシに、チャナンは驚きを通り越して感心した。しかし、同時に屈辱感が込み上げる。


(こしゃくな若造だ)


 チャナンは奥歯をギリッと噛み締め、今度こそとどめの攻撃を加えてやろうと構えた。



 そのときだった。

 チャナンとクシを取り囲む人だかりの向こう側から甲高い叫び声が響いてきた。

 必死に何やら叫びながら走ってくる女がいる。彼女はひとだかりの外側にいた兵士に向かって、いやそこに集っている者すべてに向かって呼びかけているのだが、息も切れ切れで言葉が続かない。

 それは奥の間に篭っているはずのキヌアの侍女だった。


「キヌアさまが! キヌアさまが!」


 それを聞いて、ティッカはひとだかりを掻き分けて彼女に近づいていった。


「キヌアさまに何か?」


 蒼ざめた顔でティッカが侍女の肩を強く掴んだ。

 侍女は唾を飲み込み呼吸を整えると、ようやくその続きを告げた。


「キヌアさまが……。皇子さまを……出産なさいました!」


 広場に集まっていた者はどよめいた。クシは痛む体を押さえ、足を引き摺りながら、侍女に近づいていった。


「キヌアは無事なのか?」


「はい! キヌアさまも皇子さまも、まったく障りはなく、お元気です!」


 クシはほぅっと溜め息を吐いた。それからキヌアの所へ向かおうとすると、その前にチャナンが立ち塞がった。


(ティッカ、この者たちは何と言った? キヌアという言葉が聞こえたが、いったい何があったというのか?)


 チャナンは訝しげな顔でティッカを見ている。ティッカはこの場でふたたびチャナンに誤解を与えては困ると考え、まずはキヌアに会わせることが先決だと判断した。


(ともかく、キヌアさまのところへご案内いたします)


 ティッカはそう言うと、先頭に立ってキヌアの部屋に向かった。そのあとをチャナンが追う。

 クシが続こうとすると、チャナンは槍を向け(来るな)と言うように鋭い目でクシを睨んだ。まだクシに対する誤解は解けていない。クシは仕方なくその場に留まった。


「クスコ万歳!」


「おめでとうございます!」


 その場にいた兵士たちは、傷を負って苦痛に顔を歪めていた兵士さえも、皆笑顔になって口々に祝いの言葉を叫んだ。歓喜しているクスコ兵の様子を見て、チャナンにとり残されたキリスカチェの戦士たちも一緒になって歓声を上げた。

 突然広場の兵士たちから歓声を上がったので、郊外にいた兵士たちも何事かと一斉に駆けつけてきた。

 そして騒ぎの理由を聞くと、彼らもまた歓声を上げた。


 リョケがクシに近づいて言った。


「キヌアが無事で何よりだ。その上、何と喜ばしいことだ。我らにとっては最後の兄弟となるだろう。父上のいない今は、我らが代わって小さな弟を守ってやらねばならないな」


「ええ。こんな状況であっても、いやこんな状況だからこそ、必ずや立派な皇族として育つよう、守ってやりたいと思います」


 キヌアの無事を知って安心した途端、クシは急に体の力が抜けてくるのを感じた。そしてそのまま意識を失って倒れてしまったのだ。リョケが慌ててクシを抱きかかえる。


 リョケはそのときはじめて、クシが立っていることさえままならないほどの打撲や傷を負っていることに気づいた。






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