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5、 狩り (その1)



5、狩り



 ざわざわと騒がしく、朝から宮殿中が落ち着かない。大勢の走り回る音、話し声、ときどき怒鳴りつける声も聞こえてくる。そんな喧騒を他所に、クシはひとり部屋の中で作業に没頭していた。

 拳ほどの石を細かく編み上げた縄で包みしっかりと固定する。そこから一筋の縄を伸ばし、その反対側にも同じように石を結わえ付ける。片腕を伸ばしたくらいの長さの縄の両端に同じ大きさの石が均等に結び付けられたもの、(ボーラ)と呼ばれる道具を、昨晩からもう十数個仕上げた。

 最後のボーラの縄をしっかりと引き締めて準備を完了させると、それらを束ねて腰に提げ、肩に斜めに掛けたたすきに挟むようにして背中に小ぶりの石斧を携えた。


 部屋を出ると宮殿内の騒ぎがますます賑やかに聞こえてきた。皆が慌ただしく動き回っている中を、クシは悠々と歩いていた。


 その日は、年に一度、貴族たちが揃って狩りを行う日なのだ。それなりの地位のある者たちは大勢の侍従を遣って狩りの支度をする。主人のために侍従や召使いが粗相のないようにと必死で走り回っているのだ。

 成人したばかりのクシは、初めてこの行事に参加することを許された。新参者の若い皇子には代わって支度をしてくれる侍従などいない。しかし自分の納得のいくように準備するほうがよほど楽だ。ばたばたと走り回っている侍従、召使いたちを横目に見ながら、クシはつくづくそう思った。


 宮殿の出口に続く広い廊下を歩いているとき、突然見知らぬ女性が声をかけてきた。


「大物を仕留められるといいわね」


 クシは怪訝な顔で女性を見る。

 女性にしてはやけに背が高く、そのせいで着物の丈が合わずに、本来隠れるはずの細い足首がむき出しになっている。体つきもこれまた女性らしくなく頑丈そうで、随分と肩幅があるので(ゆき)がきつそうだ。無造作に垂らした長い髪にはあまり艶がなく、縮れて大きく広がり顔を半分隠している。優雅な宮殿の貴婦人とはとても思えない。

 はて、どこで会ったのかと考えを巡らせながら、しばらく女性の顔を見つめていると、彼女の背後から見慣れた顔の女性が声をかけてきた。


「クシ皇子。今、狩りのお見送りに行くところだったのですよ」


 そう言ったのはティッカだ。


「さあ、行きましょう。キヌアさま!」


「キヌアなのか?」


 クシは驚いて、女性の顔をしげしげと覗き込んだ。

 顔の左右に垂らした髪の毛に隠れてよく分からなかったのだが、彼女が軽く首を振って髪が払われると額や頬に小さな刺青があるのが分かった。よくよく見ればその顔は確かにキヌアのものだった。


「ほら御覧なさい、ティッカ! 私、やはり広場には顔を出さないわ!」


 キヌアはすっかりふてて、踵を返すと自分の部屋に向かって歩き出した。


「キヌアは狩りに参加しないのか?」


 勢いよく振り向いて、キヌアが怒鳴った。


「女は参加してはいけないそうよ! 盛装をして殿方を送り出すのが慣わしなんですって!」


 狩りには誰よりも自信のある自分が女という理由だけでどうして参加できないのかと目で訴えている。さらに慣れない着物は窮屈なうえ似合わないこともよく分かっていて、その姿で人前に顔を出したくないのだろう。

 毎日武術の指導をしているキヌアがクスコの女性用の着物を身につけることは今までほとんどなかったので、おそらくキヌアの丈に合う着物の用意が間に合わなかったのだ。

 ぷいっと後ろを向いて歩き出したキヌアの腕をクシが追いかけて捕まえた。


「良い所がある。ティッカも一緒に来てくれ」


 クシはキヌアの腕を無理やり引っ張り、廊下の奥へと歩き出した。「何を!」と言いながらもクシに引かれるままにキヌアも付いていく。ティッカが慌ててその後を追った。


 長い廊下の突き当たりに広い部屋があった。立派な構えの部屋だが人気(ひとけ)はない。中へ入るとすべてがこぎれいに整理されていて、今さっきまで部屋の主が身支度をしていたかのように、身につける様々な物が並べられていた。きれいに畳まれて重ねられた色鮮やかな織物や美しく輝く銀や青銅の装飾品は、その部屋の主が女性だったことを物語っている。


「ここは一体……」


「私の母の部屋だ」


「母……と言うことは、皇后さま? 勝手に入ったことが知れたら……」


 ティッカが怯えて後ずさった。


「母は私が幼い頃に亡くなった。この部屋には母の遺品がそのまま置いてあるのだ」


 キヌアは美しい織物や装飾品にうっとりと見入った。


「この中に、どれかキヌアに似合うものが見つかるかもしれぬ」


 クシはあれこれと物色すると、積み上げられた織物の一番下にある薄手の布を引っ張り出した。


「キヌアにはこれが合いそうだ」


 クシが手にした小さい長方形の布には、極彩色の模様が細かく織り込まれている。


「この頭巾を被れば髪が気にならないだろう」


 クシはキヌアを石の寝台に座らせると、頭にその布を軽く掛けた。

 ティッカがクシに替わって布をキヌアの頭に押さえつけると、広がった髪を丁寧にまとめて頭巾の中に押し込み、布に付けられた細い紐を顎の下で縛って固定した。


「まあ、キヌアさまのお顔の色によく似合って素敵だわ!」


 ティッカは自分で作った作品を眺めるように、キヌアの顔を見て感嘆の声を上げた。そうしている間にもクシはまた部屋の中を探し回って、今度は厚手で大きめの布と青銅製の長いピンを持ってきた。


「着物の丈が合わないのは、このショールを掛ければ目立たないだろう」


 クシから受け取った布をティッカが広げてみると、それはキヌアが被っている頭巾よりもさらに色彩豊かな模様が織り込まれた大判の布だった。キヌアもティッカもその色の鮮やかさに思わず揃って溜め息をついた。


「クシ、亡くなった方とはいえ皇后さまの物ですもの。勝手に持ち出せばすぐに分かってしまうわ」


 心配そうに言うキヌアにクシは首を振った。


「大丈夫。これらは母が自分には似合わないと言ってほとんど身につけたことがなかった物なのだ。この青銅のピンも、皇后が公で身につけるものは銀と決まっているから、人前でつけることはなかった」


 クシがキヌアの肩に布を掛けると、ティッカが丁寧に前を重ね、ピンを刺して留めつけた。


「キヌアさま、お立ちになって」


 ティッカに促されてキヌアが立ち上がると、クシとティッカが同時に「おお!」と声を上げた。

 先ほどまで鬱陶しく顔に掛かっていた髪の毛を色鮮やかな頭巾が覆って、キヌアの日にやけた凛々しい顔を際立たせていた。丈の合わない不恰好な着物はすっぽりとショールに隠れ、その極彩色の模様がキヌアの長身の体をかえって引き立てている。


「これなら外に出るのも恥ずかしくないだろう」


「恥ずかしくないどころか、ほかのご婦人よりもずっと美しいですよ!」


 クシとティッカは、キヌアをままごとの道具にして遊ぶ子どものようなはしゃぎようだ。 ふたりのおもちゃにされているようであまり気持ちは良くないが、いつまでも拗ねて篭っているわけにはいかない。キヌアはふたりに抱えられるように広場へと向かった。



 広場では、黄金で装飾された皇帝の輿の周りに大勢の貴族が集って出発を待っていた。その周りでは歌や楽器が奏でられてお祭り騒ぎだ。

 クシが遅いのであちこち捜し歩いていたリョケが、広場に入ってきたクシをいち早く見つけて駆け寄った。


「婚礼の儀のときといい、お前というやつは!」


 文句を言おうとしたが、クシの後ろに立つ女性を見て言葉を切った。


「クシ、こちらの方は……」


 クシはティッカと顔を見合わせてクスクスと笑った。その様子を見てリョケは女性に向き直り、驚いた顔で頭から足先まで何度も視線を往復させた。


「まさか、キヌアなのか?」


 クシとティッカが同時に深く頷く。キヌアは恥ずかしそうに顔を伏せた。


「ほう。なんと見違えた。どうやって化けたのだ?」


 近づいてそう言ったリョケの脛をキヌアが思い切り蹴飛ばした。ショールの中でビッと着物の裾の裂ける音がすると同時に、リョケが脚を抱えてうずくまっていた。



 狩りに出る男たちの列を女たちが左右に並んで見送る。特に皇帝の輿の右側に居並ぶ側室たちの列は華やかだ。ウルコの母を先頭に順々と若い后が並んでいる。

 輿がゆっくりと進んでいく間、見送る側室たちの顔をひとりひとり眺めていた皇帝は列の最後に並んだ后に思わず目を留めた。驚いた顔になった皇帝は、輿が行き過ぎても振り返ってその后を見つめている。輿のかなり後ろの方を歩いていたクシとリョケにも、皇帝の表情の変化が見て取れた。


「これで父上も、キヌアを少し見直してくださるといいのだが……」


 リョケの言葉にクシも頷く。ちょうどふたりはキヌアの横を通り過ぎるところだった。ふたりが手を上げると、キヌアはショールの陰から片手を出し、力強く握って見せた。そして二人に鋭い視線を送りながら深くゆっくりと頷いた。


「私の分まで大物を捕らえてこいと言っているぞ!」


「格好は変わっても、中身はそう簡単に変えられるものではないな……」


 クシとリョケはそう囁きあってクスクスと笑った。クシがその応援に答えるようにキヌアに向かって同じように拳を握って頷くと、キヌアは柔らかな表情に戻ってにっこりと頷き、ショールの陰から出した手を小さく振った。




 クスコからだいぶ離れ、一行は見渡す限り丈の低い草しか生えていない広大な平原に着いた。

 周囲が広く見渡せる場所にすみやかに天幕が張られ、下ろされた輿が据えられて、そのまま皇帝の玉座になった。皇帝の天幕の周りに貴族たちは各々天幕を張り、自分の持ってきた道具を点検し、どの辺りで狩りをするかを仲間と話し合った。

 最大の見せ場は狩りの最後に行われる。目星をつけた大型の獲物を貴族たちが一斉に追いかけ、罠に追い込んで捕らえるのだ。立派なリャマや鹿を総出で追いかけていく様は壮観だ。

 しかし大掛かりなその猟が行われる前に貴族たちは各々小型の動物を獲りに行く。特に初めて参加した者は、そこでどのような動物を捕らえたかによって、古参たちに自分の実力を見せ付けることができるか否かが決まるのだ。


 新米のクシは同じく新米のワイナと顔を突き合わせて何を狙おうかと作戦を立てていた。

 そのとき突然、クシのいる天幕へ大勢の侍従を引き連れてウルコがやってきた。


「お前たちは今日が初めてなのだ。あまり気負うでないぞ。何も捕らえられなくて当たり前なのだ。ウズラ一羽で十分。ビスカッチャ【野うさぎの一種】など捕らえたら大したものだからな。グァナコ【鹿くらいの大きさの動物】を狙おうなどと考えるでないぞ。せいぜい大怪我をして終わりだ」


 ふたりを覗きこんで馬鹿にしたようにそう告げると、ウルコは高笑いをしながら自分の天幕へ戻っていった。


「今に見ていろ。グァナコでもリャマの群れでも、あいつに獲れないものを獲って驚かしてやる!」


 ウルコの言葉でクシがひどく興奮し出したことに気付き、ワイナは慌てて忠告した。


「皇子、皇太子の口車に乗ってはいけない。皇子の気持ちを煽って恥をかかせようとしているのだ」


「私が気負って何も獲れなくなるとでも思うのか、ワイナ。失敗しなければ恥をかくことなどない。ウズラしか獲れずに終わったら、あいつは私を馬鹿にしてあざ笑うだろう!」


 そう言うと、クシは斧とボーラをひっつかんで広い平原へと駆け出していってしまった。 残されたワイナは嫌な胸騒ぎを覚えたが、クシに限って失敗することはあるまいと思い直し、自分の獲物を探しに行った。




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