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1、 救世主

1、救世主




 その昔、創造神の生み出した四人の男、四人の女のきょうだいは、三つ窓のある岩山タンプ・トッコから出でて世界をめぐる旅に出た。


 しかし、四人の男きょうだいのうち、とびぬけて力の強かったアヤル・カチを他のきょうだいたちは恐れ、彼を騙して岩山の中に連れ込み閉じ込めてしまった。


 残った七人は肥沃な土地を求めて旅を続け、ある山間の土地を見下ろす丘に着いた。

 きょうだいがその土地に杖を投げると杖は地面に深く突き刺さり、その土地がよく潤った土地であることを示した。


 彼らは、その場所を世界の中心である都クスコと定めた。


 そのとき岩山に閉じ込められたはずのアヤル・カチが現れ、きょうだいに都を築く知恵を授けると、都を見下ろす丘で石となった。


 石となったアヤル・カチは今でも都を見護り続けている。


 そしてアヤル・カチの宿る石――プルラウカは都が危機に陥ったとき、戦士の姿となり、敵に立ち向かうと信じられている。






 もぬけの殻となったクスコは、どこからか悪霊がやってきて住み着いてもおかしくないほど、廃れて生気を失った街になっていた。

 街の大半に人の気配はなく、通りに吹き抜ける風の音だけがやけに響いている。家々の石壁の輝きは失われ、埃を纏い、打ち棄てられて久しいのではないかと思うほどだ。

 夜になるとその不気味さはさらに増していく。

 ほとんど明かりの灯らない街は闇の中に沈み、宮殿とその周囲に居を構える兵士の館だけがぼうっとうす明るく浮かび上がるさまはかえっておどろおどろしい。


 大神官と残った数人の神官たちは、太陽の神殿に篭って気が狂ったように祈りの儀式を繰り返している。アマルとリョケも同じく神殿に篭って、恐怖心に支配されないように、ただひたすら祈りつづけていた。


 クスコに残った者は、はじめは我こそクスコを守る選ばれた戦士であると意志を高く掲げていたのだが、まるで死者が彷徨っているような街に生気を吸い取られてしまったのか、あるいは残った兵士の数があまりにも少ないことに改めて衝撃を受けたのか、徐々に戦意を失いつつあった。

 アマルはそんな彼らの気持ちの変化を敏感に感じ取っていた。



 その朝は空を不穏な黒雲が覆い、薄暗かった。クスコの不吉な行く末を暗示するようだ。

 そんな天気がアマルの心を余計に不安定にさせた。


 アマルはある決意をし、クスコに残っている兵士すべてに、都の中心広場に集まるようにと伝えた。

 兵士たちは誰もが、それが喜ぶべきことではないことを察した。みな浮かない表情をしてぞろぞろと広場に集まってきた。

 すべての兵士が揃うと、アマルが広場の正面に設けられたひな壇に現れた。

 軍の最高指揮官である証の黄金の矛を手にしているが、それを握る手は力なく、表情は暗く、やっとのことでそこに立っているといったぐあいに弱々しい姿だった。

 それでもアマルは兵士たちの方を向くと、全身の力を振り絞るようにして大きく声を張り上げた。


「クスコを守ることを宣言した勇気ある者たちよ。私はそなたたちの勇気を称え、感謝を述べる。

 しかし、この戦いは奇蹟が起こらないかぎり、我々に勝ち目はない。私にはここに集った勇気ある者たちの命を活かしてやる力はない。今一度そなたたちに決断の機会を与える。

 ここでクスコを去る者を私は咎めない。むしろ一度クスコのために命を捧げようとしてくれたその勇気を称え、喜んで送り出そう。ふたたび各々の心を振り返り新たな決断をしてほしい」


 アマルはクスコに残る戦士たちを率いる最高指揮官として、都を護ることよりも戦士たちの命を守ることを選んだのだ。

 アマルの傍に控えるリョケや将軍たちも、アマルの心痛を思うと何も言うことはできなかった。


 すぐにその場を去ろうとする者は現れなかった。ただ、指揮官であるアマルが敗北を予感していることに戦士たちはショックを感じていた。


「私はアマルさまに付いて最後まで戦い抜く覚悟でした。しかし当のアマルさまがそのように弱気になられているのならこの戦に勝ち目はない。それならば私は避難している家族の元に行って、家族を守ることにいたします」


 ひとりの兵士が声を上げ、広場に背を向けて歩き出した。するとまた数人が声を上げた。


「私も同じです。残念でならない」


 彼らもまた、広場を背にして歩き出した。彼らに従うようにぞろぞろと広場を後にしようとする者の列ができた。

 アマルはその列を見つめながら安堵とも絶望ともいえない複雑な思いを抱いていた。やがて、すべての力を失ったかのようにその場に崩れ落ち、膝立ちになった。


 そのとき最初に広場を出ていった兵士の大きな声が街はずれから響いてきた。


「クシ皇子!」


 その声に兵士たちの列から一斉にどよめきが起こった。

 中央広場から出ようとする兵士の列に逆らって、クシとワイナがこちらに向かってくる。列の中ほどでその姿を見つけた兵士が慌てふためいて広場に駆け戻り、叫んだ。


「クシ皇子が戻っていらしたー」


 広場中が騒然となった。歓喜の声を上げて大騒ぎしている兵士たちの間を、クシとワイナが分け入っていき、アマルとリョケのいるひな壇へ上がってきた。


「よくぞ戻ってくれた。クシ……」


 アマルは張り詰めていたものが一気にほどけ、クシの足にすがりついて震える声で言った。クシはしゃがみこんでアマルの両肩を掴み、力を込めた。


「兄上、何を弱気になっているのです。これだけの兵士が都を護ろうとしているのですよ。最後まで諦めてはなりません」


 都を出て行こうとしていた兵士たちはわれ先にと広場に戻ってきた。口々にクシを呼ぶ声が響いている。クシは立ち上がり、兵士たちの方を向くと声を張り上げた。


「皆の者、最後まで決して諦めてはならない。我々の祖が築いたこの街を命を掛けて守り抜こうではないか」


 今まで意気消沈していた兵士たちが一斉に活気づき、雄たけびを上げた。

 クシはふたたび屈みこみ、まだ力なく跪いている兄を励ますように言った。


「兄上、大事なのは心です。ここに集う兵士の人数は少なくとも、ひとりひとりが強い心を持てば、それは大きな力となるのです」


「いや、それはそなたにしか出来ない。何物にも揺るがないそなたの強い信念があの者たちを動かすのだ。頼むぞ、クシ」


 アマルはゆっくりと立ち上がると、クシに黄金製の矛を手渡して、最高指揮官の地位を譲ることをその場で宣言した。

 矛を受け取ったクシは兵士たちの方に向き直り、彼らをゆっくりと見渡した。そこに集合している全クスコ軍はいまや千人もないのが分かる。しかしクシにはそれを絶望視する気持ちはなかった。むしろ何かが自分を突き動かし勝利へと導いているのだという気持ちがあった。


 インギルから託された神像を持つ左手を胸に押し当て、アマルから譲り受けた黄金の矛を持つ右手は高々と天に突き上げた。

 クシの右手が上がるのを合図に、中央広場、いや眠っていたクスコの街全体を揺り起こすかのような喚声が上がった。



 その後、太陽の神殿に場所を移すと、アマルとリョケは西の地で捕らえられ逃げ帰った貴族の話を、詳しくクシに聞かせた。

 チャンカと呼ばれ恐れられている部族の計り知れない力、そして捕らえられた者が辿る凄惨な末路。話をしながらふたたび恐怖が蘇り、アマルは安易にすべてをクシに託してしまったことを後悔しはじめていた。


「お前の言っていたとおり、いやそれ以上に強大な部族だということが分かったのだ。

 クスコの軍が揃っていれば、まだ望みはあったかもしれない。しかし多くの兵が皇帝とともに東へ移動してしまった。残る兵の数はお前が見たとおりなのだ。策を練ろうにも兵の数が足りなければどうすることもできない」


 クシが戻って一時希望を持ったアマルだったが、やはり現実に目を向けると頭を抱えざるをえなかった。アマルの言葉にリョケもふたりの将軍も深く頷いていた。

 責任ある立場の者たちが、信念だけでこの状況を変えられると軽々しく口にできるはずはなかった。


 クシは黙って太陽神殿の正面に掲げられている黄金の太陽の前に立ち、高い位置にあるそれを見上げた。しばらくの間そうしてから、その元に置かれた祭壇にインギルの渡してくれた神像を供え、跪いて静かに祈った。


 やがて高窓から真っ直ぐに光の筋が差し込んできて、黄金の太陽に当たって反射した。まるで自ら放っているかのような黄金の太陽の光が神殿内を照らしていった。

 窓を見上げると今まで重く淀んでいた空は、いつの間にか真っ青に晴れ渡っていた。


「兄上、私にすべてお任せください。

 私は東の聖なる地で誓ったのです。いずれこの大地をすべて照らす太陽のようになろうと。その目標を実現するためには、どんな知恵も湧いてきます。そして聖なる地の神々が私に力を与えてくださっていることが感じられるのです。

 数の上では明らかに劣るとしても、ケチュア族には古い時代から培ってきた知恵があります。そして、あのようにいつでも太陽が我々を見守っているのです。決して負けはしません」


 クシの顔は自信に満ちて輝いていた。その言葉は決して強がりでも慰めでもないことが分かる。クシの表情を見てアマルもリョケも、どこからか力が湧いてくるように感じた。







インカの創世神話については、様々な説があります。


このタンプトッコの神話の中では、杖を投げて土地を見つけたところ。暴れん坊の兄弟のひとりを懲らしめたところ。岩山の中に閉じ込めたところなどが、日本の古事記のイザナギ、イザナミの話、スサノオの話、天岩戸の話に共通するため、インカ人は古代に大陸に渡った縄文人じゃないかという説があるのだそうです。



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