4、 異端の呪術師 (その2)
新月の暗闇を追い払うかのように、陣には煌々と無数の松明が灯されていた。
とくに明るく照らし出されている大首領の天幕。その奥の岩山の中には、他の地域の陣から呼ばれた七人の首領が顔を揃えている。この部族の者ならその面々が一堂に会しているのを見ただけで震え上がってしまうような錚々たる顔ぶれだ。
彼らは岩山の裂け目の最も奥にある大首領の間に集まり、一様に上座の岩棚に正面を向けて並んで座っていた。大首領アストゥワラカも、その日は上座には上がらずに他の首領と膝を揃えていた。
彼らが見つめる上座の『舞台』にいるのはキータだ。
キータの両脇には大人の背くらいの高さの棒が三本ずつ立てられていて、その先に付けられた獣脂の固形燃料には炎が激しく燃えていた。
眩しい光と沸き立つ陽炎の中にキータが鎮座していた。
いつも玉座の置かれていた場所にそれはなく、代わりに敷かれた毛皮の上に座った老婆は、玉座の背後となっていた壁に向かってぶつぶつと何かを唱えている。
石壁のなか、キータがこの広間に入ってきたとき大首領が出て来たその場所には、彼らの神である雷神の神体が安置されているのだ。神体は各陣にも置かれているが、大首領の統べるこの陣営のものは彼らの故郷の神殿に祀られている本体の次に力のあるものとされていた。
大地を揺るがしその形状をも変えてしまう、どんなに凶暴な動物でも一瞬のうちに命を奪うことのできる雷の力は、好戦的なこの部族にとって憧憬と畏怖の対象であった。
それを象徴する神体は見かけは小さな石であるが、この石が一族を護り、戦いの際には戦士たちに力を与えるとされている。
呪術師たちはその石の前でとくに力を発揮することができた。
本体の力を受け継いだ壁向こうの神体も、キータの力を発揮させるには十分であった。
粛々と祈りの言葉を唱え続けながら、己の前の地面に描いた図形の中に小石や小枝を配置しては取り上げ、また別の場所に配置しては手をかざし……。そんな動作をひたすら繰り返すキータの後姿を、八人の首領たちは長い間黙って見つめていた。
やがてキータは口を閉ざし、小石や小枝を動かすのを止めた。そして置かれた小石と小枝の上に手をかざしてその上の空気を大きく撫でるように動かした。しばらくその動きを繰り返した後、手をぴたりと止め、鼻から大げさに音を立てて息を吐き切ると、首領たちのほうをゆっくり振り返った。
老婆は居並ぶ首領たちを見回し、最後にアストゥワラカに目を留めて口を開いた。
「いま、見え得る範囲での先読みを行った。これから述べることは神の御言葉である。皆の者、こころして聞くがよい。しかしあくまで近い未来のことである。時の流れとともに運命も変わっていくであろう。そのことを忘れてはならぬ」
少し厳しい口調で首領たちに念を押し、キータは先読みの内容を語り始めた。
「我ら一族が向かう先には、太陽を崇める民がいる。彼らは太陽神とその血を受け継いだ長のもとに繁栄し、多くの部族をその手中へ収めてきた。そして東の地で彼らに敵うものはいなくなった。
しかしいま、かれらはその内側から崩壊せんとしておる。太陽神の血を受け継ぐ権利をめぐってその子孫たちは諍いを繰り返し、やがて大きな軋轢を生む。
身のうちから滅び去ろうとしているその者たちを手に入れることは易い。我らの願いはいともたやすく叶えられたかのように錯覚するであろう。
しかし強い風になびく草はらに一本だけ真っ直ぐに立ち上がっている草が見える。その草がなびかないかぎり、彼らを屈服させることは叶わぬ。その草はやがて風の向きさえも変え、周囲の草を反対側へとなびかせる。
風向きが変わったとき、その勢いは先ほどの風とは比べようもないほどの強風となり、我らへと押し寄せてくるであろう。そのときはもはや我らに為すすべはない。我らは東の地を追われるだけにとどまらず、この大地で生き延びることも叶わなくなるであろう。
その草を根元から刈らねばならぬ。その草さえ刈ってしまえば我らの勝利は確かなものとなる。
目印は、彼らが『太陽の汗』とよぶ光り輝く装飾品。彼の者はそれを耳に提げている」
そこまで言って言葉を切り、キータは石壁に向き直った。そしてふたたび呪文を唱えながら指を立て、空に何かを描くように盛んに動かしてから石壁に向かって大きく拝礼した。
拝礼した姿勢のまま、キータは後ろに並ぶ首領たちに向けて言った。
「いま我が読んだことはこれですべてじゃ。我はこのまま神のお心をお慰めする瞑想に入る。話し合うなら外に行かれよ」
大部族を支える首領たち、その中で最も権威のある大首領に対しても遠慮がなく、しかもその大首領を自身の部屋から追い出そうなどと大胆にも程がある。しかしそれを納得させてしまうような気迫がそのときのキータには感じられた。
首領たちが広間からぞろぞろと出ていった後も、キータは身じろぎもせずそのまま瞑想を続けていた。
首領たちは岩山の外に張られた大きな天幕の中で、今聞いた先読みの内容について話し合っていた。
「兎も角、東の国に攻め込むのは今が最大のチャンスだということだな」
ひとりが言うとほかの首領たちは一斉に頷いた。
「内乱で崩壊寸前の国など、我らの敵ではない」
「しかし、その『一本の草』が問題だ」
「つまりは、崩壊寸前の国を救えるほどの力を持った首領が現れるということか」
「『太陽の汗』……聞いたことがあるぞ。王の血筋に当たる者は耳に穴を開け、金色に輝く丸板を嵌め込むのだそうだ」
「しかし王族やその遠縁など、それを身につけている者は多数いるのではないか? どうやって見分けるのだ」
「その金色の板はティムーの都で見たものと似ているのではないか。やはり王の一族はそれを体中に身につけていた。しかしより権威のある者はその輝きが違っていた」
その昔、彼らの住む土地を脅かしていた大帝国ティムー。一時彼らの国はその大国の属領となったこともあった。首領たちの中にもティムーの都に連れていかれたものもいたのだ。その屈辱に耐えてようやく彼らは祖国を独立させたのだが、その強大な国は依然北西の大地に君臨している。
必然、彼らは東へと勢力圏を広げるしかなかったのだ。
ティムーの都では黄金の精製が盛んである。黄金は一種類ではなく、他の鉱物を混ぜ込んで幾種類もの合金が作られる。王とその近親者ほど、より輝きのある純度の高い黄金を身につけていたのである。
「確かに。一族の運命を担うほどの者なのだ。王の直系なのであろう。それならば他よりも輝きのある装飾を身につけているに違いない」
「強い風になびかず、ひとりでその風向きを変えてしまうというのだ。よほど屈強な戦士なのであろう。その容姿で判断できるのではないだろうか」
「おそらくそれほどのつわものなら直ぐに分かるであろう。もし分からずとも『太陽の汗』を身につけている者を片っ端から始末していけばよいではないか!」
首領たちはキータの言葉を都合の良いように解釈して豪快に笑い合った。
しかしアストゥは腑に落ちない様子で首領たちの会話を聞いていた。ひととおりの会話が途切れて静寂が訪れたとき、アストゥワラカが静かに口を開いた。
「キータの言わんとしたことを正しく理解した者はいないようだな。確かに我らが目指すその国は崩壊寸前の危機にあるのかもしれぬ。しかしそれは我らを誘い込む甘い罠でもあるのだ。
キータの最後の言葉を覚えているか。ひとたび道を違えれば、我らが一族もろとも壊滅する危険をも孕むのだ。今までのような勢いで攻め込んではならない。慎重に事を運ばねばならないということだ。
我らはこの大陣営を拠点とし、ここから東の都までの道のりにある集落を手に入れながら進む。間に二つの陣を設け、最終的には都の直前に陣を敷く。
まず都に攻め込むのは最前線の軍。彼らの動向を窺うためだ。もしもその『一本草』の戦士がいるのならば、そなたたちは直ぐに見分けることができると言ったな。ならばその戦いで彼の者を見抜き、始末してもらおうではないか。
我こそはと思う者は名乗り出よ」
するとすかさず身を乗り出してきた首領が居た。アストゥワラカに次ぐ権威であるトゥマイワラカである。
「その栄誉、我が仰せ仕ります」
トゥマイワラカの率いる部隊はもっとも精鋭ぞろいである。捨て駒として他の部隊を送り込むのではなくその一撃で『一本草』の戦士を倒し『太陽の都』を手に入れることがおおいに期待できる。
周囲の首領たちもこの男ならばと誰もが納得した。
「ではトゥマイワラカ軍に任せよう。後衛の陣が控えていることを考えてはならない。そなたの軍だけでその『一本草』を始末し、『太陽の一族の都』を手に入れてみせよ」
「勿論でございます。我が軍ならば必ずやご期待に沿うことができるでしょう」
「機を逃してはならぬ。しかし急いてもならぬ。あらゆる手段を講じてかならず理想郷をこの手にすると誓いを新たにするのだ」
首領たちはいっせいに雄叫びを上げ、大首領の言葉に従う意志を示した。
首領たちを解散させ、岩山の奥の間に戻ってきたアストゥワラカは、まだ勢いよく燃え盛っている松明の元で床に伏しているキータの姿を見た。
まだ祈りを続けているのだろうと静かに近づいたアストゥワラカは、キータの様子がおかしいことに気付いた。慌てて駆け寄って見ると、キータは意識を失ってうつ伏していたのだ。
アストゥワラカがその身体を抱き起こすと、低く唸ってキータが意識を取り戻した。
「大丈夫か? おばば」
「ああ、すまぬ。大きな先読みに意識を注ぎすぎた。昔はこんなことはなかったのだが、情けないことよ。
それより我が先読みはそなたの思うとおりに利用できそうか?」
まだ気だるそうな目をしたまま、キータは意地悪く嗤ってみせた。
「利用とは人聞きの悪い。お蔭で首領たちも決意を新たにすることができた。感謝する」
「それは、それは。うまく言い含めることができたようじゃの」
キータはまだアストゥに意地悪い作り笑いを向けていた。「しかたない婆だ」とでも言うように溜め息を吐くと、反論せずにアストゥも笑ってみせた。
しかしキータは今度は真顔になってアストゥの襟首を強く掴み、低い声で告げた。
「これは私の作り話でも予測でも何でもない。すべて神の御言葉。心して掛かられよ! そしてアストゥ。神はいつでもお前と我ら一族の味方をしてくれるわけではないことをゆめゆめ忘れるでないぞ!」
「分かっている」
「ならばよい。
最後に婆の願いを聞きいれよ。我……、いや私をもう一度本国の地下牢に戻すのじゃ」
「何を言っているのだ、キータ。もうそなたを幽閉する必要はない」
「いや。そうせねばならないのだ。
先読みは時の流れとともに変わることがある。それはときに人が、時の流れに大きく関わることがあるからじゃ。しかし人が関わることのできない運命は決して変わることはない。
私は幽閉される前に大きなお告げを受けた。私は暗い地の底に囚われの身となるであろう。私が囚われを解かれ自由を得るときは、一族の栄華が終わりを告げるときであると。
今一度、そのことについて先読みを行った。しかし答えは変わらなかったのじゃ。
私をふたたび地下牢へ戻せ。そして我らが勝利した暁にはこの身を神に捧げよ。婆からの達ての願いじゃ!」
キータはアストゥの襟を掴んでいた手の力を緩め、そのまま彼の胸をなぞるようにずるずると下ろすと、それを地面について頭を乗せた。小さな背中が小刻みに震えている。偉大な呪術師を震え上がらせるほどの先読みの内容を知って、さすがのアストゥも動揺を隠せなかった。
しかし身を挺して国の行く末を案じる老婆の気持ちに応えるためにも、かならず勝利しなければならないのだと強く思うのだった。
「……分かった。キータの望むとおりにさせてもらおう。われらの勝利を地下で祈り続けていてくれ」
老婆は顔を上げ、満足げに頷いた。