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5、 殺戮の亡者


※残酷な場面があります。苦手な方はご注意ください。



5、殺戮の亡者




 恐るべき一団がやってきて村を襲い、村人をさらっていく。そして村をことごとく焼き尽くす。

 クスコから遠い遠い西の地ではそんな噂が広まっていた。人々はその運命がいつ自分たちに降りかかってくるのかと戦々恐々としていた。

 それは噂にとどまらない。実際に西の地では一晩で村人がほとんど殺され村が焼き尽くされる事件が相次いでいたのだ。その一団は村を襲いながら領土を奪い、少しずつ東へと陣を移動しているらしい。

 その魔の手はケチュア族が支配する地域にも着実に迫っていた。

 しかし混乱する西の地とケチュアの領域の間には広大な平原が横たわっていて、なかなか噂が届かなかったのだ。おそらくケチュアの最西の村にその噂が届くころには彼らも襲われていることだろう。

 西の村のケチュア人たちはまだそんな運命を知らず、安穏とした日々を過ごしていた。




「あいつはまた皆殺しにしちまったらしい」


 血に濡れた手でたくさんの略奪品を抱えた戦士は、隣を歩く戦士に語りかけた。話しかけられた戦士の手には綱が握られていて、その先に女と小さな子どもふたりが繋がっている。


「ああ、殺戮の亡者だ。殺すことに快感を覚えちまったのさ。慈悲ってもんが欠片もないんだろう」


 そう言って戦士は綱を思い切り引き寄せる。引き摺られるようにして女とそのすぐ後ろの子どもが早足になり、最後に付いていた子どもは躓いて転んだ。

 戦士はチッと舌打ちすると、後ろに回って転んだ子の尻を蹴った。


「しっかり歩け! まどろっこしい!」


 子どもがよろよろと立ち上がったのを見届けて、戦士はまた彼らの先に回っていった。


「しかし、トゥマイワラカさまはあいつを(いた)く買ってなさるそうだ。若いのにその戦い方は見事だと。先ごろ襲った集落は規模が大きかったが、あいつがほとんどひとりで壊滅させたと言ってもいい」


「ああ、悪魔の申し子だよ。敵になったらたまんねえな」


 そう言って最初に話しかけた戦士は薄笑いを浮かべ、隊の後ろの方を黙々と歩いている若い戦士を振り返った。


「殺戮の亡者、アンコワリョ……か」




 アンコワリョが最初に捕らえた人質は彼と同じ年ごろの少年で、その見事な戦いっぷりをみれば、大首領は戦士として利用してくださるのではと期待を抱いた。人質であっても同志となって戦うことが出来るのではないかと、まだ素直な年頃の彼は期待を抱いていたのだ。

 しかし、彼の捕らえた人質は烙印を押されて本国に送られてしまった。それは人質が本国の大神殿に捧げる生贄となったことを意味していた。


 彼らの神は常に血を欲している。ましてや日の昇る地にある豊かな国を手に入れるという野望を抱いたこの民族が、その大きな目的を果たすためには、下等な動物の血などでは足らない。より多くの人の血を彼らの神に捧げることが必要だった。


 彼の捕らえた人質がどんな運命を辿るかは分かりきっている。そしてその人質の少年は、敵の神の生贄にされて最期を迎えることよりも、あの場で戦って散ることを望んでいたということも。

 生贄になることは決して不幸なことではない。彼らの民族の中ではたいへんな名誉とされる。しかし、流れる血の違う他民族にはそれは災難でしかない。恨みを抱いた人の血が果たして神聖な捧げ物になるのだろうか。


 若い戦士はそのときから、すべてに疑念を抱いた。しかし、自分がその『狩り』から身を引くことは不可能だということも痛感していた。

 逃げ出そうとした戦士が残酷な最期を迎えたのを何度もその目で見てきたからだ。


 それならば……と、アンコワリョは決意した。

 進んでこの侵略に加わり、捕らえられて餌食となる前に、ひとりでも多くの魂を『救う』のだと。まったく手前勝手なことだと知っている。しかし少年にはそれしか自分を納得させる方法が見つけられなかったのだ。


 皮肉にもこの妄信がアンコワリョを戦士として成長させる結果となった。

 一族を取り纏める複数の首領のうち、最も権威のあるアストゥワラカに次ぐ地位をもつトゥマイワラカは、この若戦士の目ざましい成長を絶賛した。

 しかし周囲のものは、ただ殺戮に狂うけだものだと罵った。

 アンコワリョが初めて生贄を捕らえたとき、大首領トゥマイワラカはこの年端のいかない少年にまで直々に褒美を下されたとの噂が広まり、今では誰もが襲った部族をひとりでも多く生け捕りにしようと躍起になっていたからだ。

 敵を片端から始末してしまうアンコワリョが逆に異端となっていた。




 ある襲撃に向かう前にアンコワリョの属する部隊の隊長は念を押した。


「今日こそはひとりでも生け捕りにするのだ。故郷の神は生贄の血を待っておられる。殺すことより捕らえることを考えろ」


『女、子どもなど弱い者しか捕らえられない弱虫どもが!』


 アンコワリョは心の中で嘲った。



 その日、彼らが襲った部族は手強かった。

 敵はすでに襲撃を察知して集落の手前に屈強な戦士たちを待機させていた。夜陰に紛れて奇襲を仕掛けるはずが、逆に奇襲に掛かって味方の戦士が次々と倒されていく。

 アンコワリョは倒れる仲間たちを跨いで集落の奥へと突き進んでいった。

 敵側の戦士が次々と彼に襲い掛かる。しかしアンコワリョは片手の斧をしなるように滑らかに動かしながら敵の戦士をなぎ倒していく。


 やがて集落の中央あたりに円筒形の建物が現れた。明らかにほかの建物とは赴きが異なり、そこが敵にとって特別な意味をもつ場所だということが分かる。それを裏付けるようにその建物を守る戦士の数は今までの倍ほどいた。

 護衛の戦士たちが一斉にアンコワリョに向かってきた。『殺戮の亡者』と仲間に言わしめた若戦士の顔はその瞬間、まさにその渾名を証明するかのような残虐なものへと変わった。

 鋭い雄叫びを上げながら狂ったように斧を振るい、敵の身体を切り裂いていく。


 戦うことは故郷(くに)を守ることなのだろうか、仲間を守ることなのだろうか、それとも広い大地を守ることなのだろうか。いつも戦いながらその問いを己自身に繰り返している。しかし答えが見つかった試しはなかった。

 その答えを見つける暇もなく、戦いのスピードは増していく。


 敵陣を切り進み、建物の中に滑り込んだアンコワリョの目に、外の喧騒とは違った静かで幻想的な光景が飛び込んできた。

 色とりどりの帯が天井から垂れ下がり、部屋の中央に置かれた大甕の中では熾き火がくすぶって細い煙を上げ、甘やかなそれでいて喉を締め付けるような刺激のある香りを周辺に漂わせていた。


 大甕の向こう側にひとりの女性が座っていた。胡坐をかき、両手をその膝の上に掌を上に向けて置き、静かに目を閉じている。顕わになっている上半身に鮮やかな色の石を繋げた長い首飾りを何連にも重ねている。額や両頬、首筋から両肩、二の腕にかけてびっしりとまじないの絵柄が刻み込まれている。


呪術師(シャーマン)……か」


 アンコワリョの呟きに女呪術師が薄っすらと眼を開けた。

 黒い瞳に熾き火や垂れ下がる帯の色を映して耀いている。覚悟を決めた面持ちで真っ直ぐにこちらを見つめる。

 アンコワリョはふと女呪術師の姿に見たことのない母親の面影を重ねた。

 突然女の顔がほころんで、形の良いその唇から囁くようなまじないの言葉が漏れてきた。謡うような滑らかな響きは恨み言でも呪いの言葉でもない。おそらく彼女とその一族の至福と復活を祈る言葉なのだろう。

 シャーマンは武器を手にしていない。アンコワリョが彼女を生け捕りにするのは簡単だ。ましてや敵の神に仕えていた女の血は、彼らが崇める神への最高の捧げ物となるだろう。


 外が騒がしくなった。アンコワリョに遅れて、仲間がようやく集落の中心までたどり着いたようだ。

 アンコワリョは女の瞳を見つめる。敵の神へとその血を捧げることは彼女にとって耐え難い屈辱だ。言葉が通じなくてもアンコワリョにはその心が読めた。読めたと思っていただけかもしれない。

 しかし確信したアンコワリョは大甕を跨いで女の正面に立った。

 斧を振り上げ一気に振り下ろす。

 瞬間女がこのうえなく美しい笑顔でアンコワリョを見上げた。屈辱を受けることなくこの場で命を終えられる喜びと、最期まで敵に屈服してなるものかという挑戦だと、アンコワリョは受け取った。




「最上の献上品となるべき呪術師(シャーマン)を殺してしまうとは、なんたる失態! しかも女は何も武器を携えていなかった。お前は攻撃するべき相手を見定める分別もないのか!」


「狂ってやがる。ただ人を殺すことを愉しんでいるのだ!」


 仮の陣に戻ったアンコワリョに、仲間からの私刑が待っていた。

 したたかに叩かれた背中が青黒く腫れ上がる。

 しかしどんなに罵られ、叩かれても、アンコワリョはそれを苦痛とは思わなかった。

 あの呪術師の最期の笑顔が脳裏に焼きついて離れず、それを繰り返し思い描くことで、不思議と身体の痛みを感じなかったのだ。





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