4、 鷹の砦 (その2)
都の防衛を整える構想がまとまると、クシは将軍や改革派の貴族たちを集めて話をした。
複雑な形の鷹の丘の石垣はそれだけで防御壁の役目を成すが、さらにその高さを上げ、石垣の途切れた先にも延長し、石垣の端には高い見張り塔を建てる。今ある石垣を最大限に利用して鷹の丘に頑丈な要塞を造る計画だ。
早速貴族たちはクシの計画を実現するために必要な技師や人夫の数をおおよそ割り出し、各所に手配した。
しかし要塞の計画を公に始めるには、皇太子の許可を得なくてはいけない。
折りよくその機会がやってきた。
クシが都に戻ってから頑なに接見を拒んでいたウルコは、しばらく経って気が変わったようだ。かねてから帰還の挨拶をしたいと申し入れていたクシとの面会をようやく承諾したのだ。
でっぷりと太った身体を窮屈な玉座に押し込むようにして座ったウルコは、接見の間に入ってきたクシをぎらぎらとした目で睨みつけた。
「殿下、お久しぶりにございます。三年間、西の流刑地で罪を悔い改め、ふたたび都に戻ることが叶いました」
ウルコはクシの風貌を見て嘲るように言った。
「何とクシ! 黒々としてすっかり西の蛮族になってしまったようではないか。この狭い都より西の広大な大地を走り回っているほうがよく似合いそうだ」
下卑た嗤いを浮かべるウルコにも、クシは表情ひとつ変えずに静かに言葉を続けた。
「私は西の地でずっと故郷のことを案じておりました。
戻ってみれば、父皇帝はすっかりお年を召されて政をされなくなったとのこと。たいへん悲しく思いましたが、代わって皇太子殿下がその後継を担っていらっしゃると知り、安心いたしました。
殿下が正式に皇帝に即位されたのちには、この国が、父皇帝の御代よりもますます栄えるようにと、切に望んでいるのです」
ウルコは、はんと鼻を鳴らして頬杖をついた。
「殿下、私は、いずれ迎える次期皇帝の即位式のために、あの鷹の丘の祭壇をさらに立派なものに改築して殿下に捧げたいと考えております。弟の心を汲んで、どうか工事を許可されますように」
「ほう、殊勝な心がけよ。しかし父上がご健勝でいらっしゃるのにもう即位式の話とは、父上に失礼ではないか」
ウルコは片眉を上げ、クシの顔を覗きこむように玉座から身を乗り出した。クシは真っ直ぐにウルコを見据えていた。
「祭壇はすぐにできるものではありません。父上に何かあってからでは遅い。
殿下への贈り物ではありますが、完成した際には、即位式だけでなく諸々の祭事にも利用できると思います」
「クシ、昔から私のことをこころよく思っていなかったお前が、そのようなことを言い出すとは不思議よのう。
いったい何を考えておるのじゃ?」
しばらく見合ったあと、ウルコはふたたび玉座に深く座りなおし、斜に構えると、横目でクシを見下した。
「まあ、私を襲うつもりなら、今この場でも十分に可能だ。わざわざ郊外の辺鄙な場所に根城を築いて反逆を企てようなどと、面倒なことはするまい。好きなようにするがよいわ」
ウルコはあくまでクシを疑っていたが、郊外の山の上で何をしようと都の暮らしには差し障りない。
万一郊外の目立つ丘に陣を敷けばその動向は手に取るように分かる。反逆が目的ならば不利を承知で負担の大きい工事をするとは考えられなかった。
それ以上詮索するのも面倒で、ウルコはすんなりと許可を下したのだった。
「よくすらすらと口から出まかせが出るものだな」
同席していたリョケが大広間を出てから言った。
「兄上を見習ったまでです」
クシが笑うと、リョケはクシをつついた。
皇太子の許可を得て、祭壇、いや要塞の工事が公に進めることができるようになった。 丘の上にはすでに名だたる技術者と石工が集められていた。
古代の祭壇に使われた石は人の背の何倍もの高さと、十人ほどが横に並べるほどの幅のある巨大なものだ。祖先がその石をどのように加工したのかは謎だが、その頑丈な基盤の上にさらに高く石を積み上げていけば敵が容易に破ることのできない砦が出来上がる。
古代の遺跡に出来る限り近い形で、手付かずの丘にも石垣を延長していく。
そして遠くを見渡せる高い塔を設置する。
技術者は、石灰石の塊に硬い黒曜石のノミで完成した砦の雛形を刻み込んだ。壮大な要塞の縮図を指でなぞりながら、クシは技術者に訊いた。
「これだけの規模だと完成までにどのくらいかかるのか」
技術者たちが石工と相談しながら答える。
「そうですね。少なくとも二、三年はかかりましょう」
「それでは間に合わない。せめて一年で完成させなくては……」
クシは焦った。今のところ敵の動向は不明だが、勢いのある部族なら一年もあれば広範囲を一気にその勢力下に治めることも不可能ではない。
「省ける部分はできるだけ省き、一番重要な部分から完成させていこう」
クシは、石の雛形にノミを入れ、新たに砦を増築しようとしていた部分を大胆に削った。
「うむ。この設計なら一年で完成するでしょう。人夫の数が足りればの話ですが」
「人夫……労働者か……」
「宮殿に仕える者だけではとても足りないでしょうな」
「この国の人口は農民がほとんどを占めています。彼らに協力してもらうことはできないでしょうか」
「農村から働き手を取ることなど無謀な話だ」
「農民か……」
技術者たちの意見が飛び交うなか、クシは腕を組んで考えこんでいた。
「農村に働き手が一番必要なのは植え付けと収穫の時期だ。それ以外の季節はこの工事に協力してもらえるようにいろいろな村に働きかけてみよう。
しかし、それぞれの村の事情を理解してやらねば、彼らの生活が困窮するだけだ。私が出向いてその事情を調べてくる。
民に頼ってばかりでは民が苦しむことになり、やがて民は恨みを持つ。国に協力してもらうかわりに、村が困っているときには国から助けを出すことを約束するのだ」
次の日から、砦の工事を技術者に任せ、クシはクスコ郊外の農村を回り始めた。小さな村に出向いては村人と親しくなり、仕事を手伝ったり、村で困っていることを聞き出したり、どのような作物をどの時期に作っているのかなどを聞きだした。
幾日も幾日も、クシは農村めぐりを続けた。
工事を技術者に任せたままで毎日クシが農村に『遊び』に行くのを見咎めて、ある日リョケがクシの部屋を訪ねて訊いた。
「クシ、砦の工事の指揮も執らず、いったい毎日何をしておるのだ?」
「協力者を募っているのです」
「しかし、お前は農村に行って農作業を手伝ったり、村人と話しこんでくるだけだというではないか。貴族の中にはお前がやりかけたことを放棄して農作を始めるつもりではないかと噂するものもいるぞ。あれほど力説していた砦の建設はどうするのだ」
「そろそろ本格的に始められそうですよ」
クシは膨大な量の縄の束を床に並べ始めた。
「縄文字ではないか。こんなにたくさん、何が記されているのだ」
キープとは、縄の結び目の形や位置や色で言葉や数を記すことができる縄の文字である。
クシの持っていたキープはいくつもの束に分けられていて、それらを分けて並べると床一面を覆うほどになった。
キープはおもに、祭典のときに謡われる詩歌を伝えるために用いられている記録方法である。クシはそれを利用して調査内容を記録しようと思いついたのだ。
農村から帰ると、キープの表記を専門としている記録係を呼んで、その日見聞きしたことをひとつひとつ記させていた。
「ここに街の周辺にある農村の人口や働き盛りの男子の数、植え付けと収穫の時期が記してあります。ここから協力を取り付けた農夫の人数と彼らの体が空く時期が分かります。
砦の建設には多くの働き手が必要です。そこで農村の若者に協力を申し出ていたのです。彼らの都合に合わせて建設を進めていきます」
「面倒なことを。砦は彼らの村を守るためにも必要なことなのだ。労働者は強制的に徴集すれば済むことではないか」
「農村の者に砦の必要性を説いてもなかなか理解はできないでしょう。それよりは、目下暮らしの中で困っていることなどを聞いて、手助けをする代わりに協力してもらうのが、お互いのためなのです。信頼関係を築けば、今後もいざというときに喜んで協力してくれるでしょう」
リョケは唸った。
「お前は常に先の先まで見通しているというのだな。しかし、そんな地道なことをしていては体がいくつあっても足りないではないか」
「そんなことはありません。最初は地道な努力でも、体制が整って民に浸透していけばうまく回っていくものですよ」
「お前には、どのような立場の者でも、その心を読み取り、その心を自然と掴んでしまう不思議な才がある。お前のやり方で国を治めれば、民はお前のもとにまとまり、平和な国家となるだろうな」
リョケは才能を発揮し始めたクシを頼もしく思った。