表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/91

10、 リュウゼツランの花 



10、 リュウゼツランの花



 谷の生活を始めたロハたちに、新たな問題が突きつけられた。

 ティトーの畑を押し流した土なだれが、ロハの留守の間にあちこちで起きていたのだ。 長年畑として開墾してきた谷の土地がもろくなり、どの場所で土なだれが起きてもおかしくない状態であった。

 畑に出来る土地が限られれば、収穫できる作物の量も当然限られてしまう。今年の収穫と倉庫に蓄えておいた分を合わせれば、かろうじて当面は賄えるが、やがて確実に食糧が足りなくなることを誰もが見通すことができた。

 さらに、乾季の終わりに高原で行われた求婚の宴以来、新しい家庭がいくつか出来た。

 その家庭に子どもが生まれれば人口が一気に増える。この先も谷の収穫で賄うことはどう見積もっても不可能であった。


 ロハの男たちは、夜ごと集落の中ほどに設けられた広間に集い、今後のロハの暮らしについて話し合っていた。


「新しい家庭に子どもが生まれれば、もっと収穫が必要になる。この狭い谷でこれ以上の土地を開墾するのは難しい。来年は新しい土地を見つけて、最初から拓かなければいけないだろう。

 もう少し南へ行けば広い谷があるのではないか……」


 長老が言った。続いてカチカリャが口を開く。


「そのことと関係して……。

 以前平原に迷い込んできた奴隷の男だが、【くしゃみ】はすぐ近くから逃げてきたのだろうと言っていたよな。私はあれ以来ずっと気がかりだったのだ。村を滅ぼして人をさらっていくような凶悪な部族がすぐ近くにいるということが。

 どうだろう。この際、この谷の農地もあの平原の村も捨てて、どちらも新しい土地を探してみては……」


 カチカリャの意見にほかの者が眉根を寄せた。


「それにはリャマたちも率いていかなくては。大移動だぞ。今までと同じような暮らしができる土地を見つけるのにも時間がかかるだろうし、そこで新たに家も倉庫も作らねばならない。生活できるようになるにはどれくらい掛かるのか……。大変なことだ」


「そうだ。新たな谷を見つけるだけで済ませておいたほうがいいのではないか。季節ごとの移動は今まで以上に時間が掛かるが、平原の村まで捨てるよりは負担が少ない」


「しかし、凶暴な部族の影に怯えながら暮らすのは御免だ。苦労をしても遠くに移る方が安心ではないか?」


 ロハにとっては一大決心だ。皆腕を組んで考え込んだ。

 その『凶悪な部族』は本当に近くに迫っているのか、今のところ憶測でしかない。見たこともない『脅威』に備えて負担の大きい大移動をする必要があるだろうか。しかしひとたびその『脅威』が襲って来たならば、ロハは滅んでしまうかもしれないのだ。


 クシは黙って皆の意見を聞いていたが、皆が言葉に詰まると静かに自分の意見を告げた。


「あの『男』が迷いこんできたことは事実なのだ。そしてあの男が捕虜として捕らえられていたということも。この先、ロハに危険が及ばないとは言い切れない。

 大移動して新しい土地を拓くには相当の覚悟が必要だ。しかしわれわれは協力して倉庫を作ったではないか。ロハが力を出し合えば、新しい村を作ることも難しいことではない」


 クシの一言で、今まで意見を衝突させていた男たちがみな深く頷いた。


「そうだな。皆の力を合わせれば、今よりも立派な村を築けるかもしれん。われわれはこの一年でその方法を学び、実践してきたのだからな」


 長老がひとりひとりの顔を見ながら言った。


「これは長い長い旅になるぞ。みな覚悟を決めるのだ。乾季に高原に戻り、十分に準備を整えたら出発じゃ」





 その変化に気付いたのは、キヌアの教室で一番年若い少年だった。


「おや、あの囲いから出ている細い木はなんだろう」


 少年が叫ぶと、近くにいた生徒たちは一斉に手を止めた。みな少年の指差すほうを見つめる。

 稽古をしている場所とは反対の中庭の隅に木の囲いがあり、その囲いの中から細い一本の『木』が伸びている。

 その囲いが何のためにあるものか、中に何が入っているのかを少年たちは知らない。毎日目にするその木の囲いには、昨日までそんな木は無かったはずだが……。


 その騒ぎに、ほかの少年たちも稽古の手を休めて「なんだ、なんだ」と見物に来た。突然生徒たちが稽古を止めて騒ぎ出したので、キヌアが彼らを注意しようとやって来た。


「キヌアさま、あの囲いの中から細い木が生えてきましたよ」


 最初に発見した少年は得意げにキヌアに報告した。彼の指差す方を見て、キヌアははっと息を呑んだ。

 その細い『木』は、リュウゼツランの花茎だった。

 春分に植え替えたときに僅かに出来ていた花茎は、雨季の半ばになって一気に空を目がけて伸び始めたのだ。

 リュウゼツランの花茎はやがて人の何倍もの高さに伸び、四方に枝を伸ばしてその先にびっしりと蕾をつける。そして一斉に花開くのだ。キヌアたちの植え替えたリュウゼツランはちゃんと根付いて花をつけようとしていた。乾季が訪れる前には開花するだろう。


「クシが帰ってくるわ……」


 リュウゼツランを見つめながらキヌアが呟いた。


「本当ですか?」


 クシのことをよく知る年長の少年たち、そして教室を卒業して今は指導する立場にある若者たちが、それを聞いて興奮した。彼らにとってクシは未だに憧れの存在だった。幼い少年たちもその噂を年長の者から聞かされていて、憧れている者も多かった。


「ええ、あの枝に花が咲いたらクシは戻ってくることができるのよ。みんな!」


 一斉に歓声が上がった。


「キヌアさま、花が咲くまで毎日私たちで見守りましょう」


 誰かが提案した。


「そうね。でもくれぐれも稽古はおろそかにしてはだめよ」


 キヌアが笑って言うと、素直な少年たちは揃って元気良く「はい!」と返事をした。


 クシのリュウゼツランに花が咲きそうだと聞いて、宮殿中が大騒ぎになった。十年以上かかるはずのリュウゼツランの花が三年で咲こうとしているのだ。

 神官たちは「奇跡が起こった」として、クシは神の申し子ではないかと噂した。

 ウルコに不満を抱く貴族たちは、「神がクスコを救うためにクシ皇子を呼び戻してくださった」と言って歓喜した。

 ハナンの者に決断を迫られて苦悩していたアマルは、自分の切実な願いが天に届いたのだと思った。


 悔しいのはウルコだ。ようやく自分の世になり、安穏と暮らしているというのに、それを脅かす邪魔者がこのような短期間で帰ってくるとは。リュウゼツランを切ってしまおうかとも考えたが、多くの者が開花を待ち望んで見守っている状況で、それをするのは不可能だった。


 それぞれの期待や思惑を背負ったリュウゼツランは日に日に開花へ向けて生長していく。

 か細い『木』は、太く逞しく変わっていった。その太い幹からいくつもの枝を天に向かって手を広げるように伸ばしていき、やがてまるで大木を思わせるような立派な姿となった。その枝の先に付いた無数の小さな膨らみが段々と大きくなっていく。

 リュウゼツランが育っていくのと同時に宮殿ではクシを迎える準備がちゃくちゃくと進められていった。 


 雨季が終わる頃、天高く伸びた花茎の先にびっしりとついていた蕾のひとつが美しい黄色の花を開いた。

 皇帝もウルコも、神官や大臣や将軍たちもそれを確認し、すぐさまクシの捜索隊が用意された。


 捜索隊を率いていくのはワイナだった。ワイナはクシの黄金の耳飾りと新しい服を用意して、遠い西の地へと出発した。

 以前はひとりで広い荒地を探したので限界があったが、今度は大勢の兵士がいる。西に向かうワイナ自身も、それを見送るリョケもキヌアも、クシは必ず見つかると信じ、願っていた。





 平原に戻ってきたロハたちは大移動の準備を始めていた。

 倉庫に蓄えておいた食糧や道具をまとめ、それぞれの持ち分を決める。長旅に耐えられるようなリャマを見分けて、十分に餌と水を与え、体調を整えさせる。

 今まで経験したことのない大移動に、誰もが少なからず不安を抱いていたが、それ以上に新天地を目指すことに希望を持とうとしていた。

 明るい歌声やおしゃべりは止むことがなく、朝早くから夜遅くまで、ロハの村はまるでお祭りのように盛り上がっていた。


 準備は整った。

 最後は、二度と戻ることのない泥レンガの家を壊して出発だ。

 ロハたちは出発までの僅かな間に、長年暮らした家に各々心ゆくまで別れを告げていた。


「この家ともお別れか……」


 半期に一度とはいえ、生まれてからずっと過ごしてきた家を捨てるのは切ないものだ。オルマは煤のこびりついた泥レンガの壁を撫でて感傷に浸っていた。

 しばらく無言で壁を撫でていたオルマが、ふとクシを振り返って訊いた。


「【くしゃみ】は本当にいいのか? あたしらと南へ移住してしまったら、もう二度と故郷へ帰ることができないんだぞ」


 クシは平原に戻ってくる間、ずっとそのことを考え続けていた。

 クスコを離れてまだ三年だ。刑期が明けるまでにはその何倍もの月日がかかる。その長い月日をたったひとり、この平原で過ごしていくことなど考えられない。

 クスコにもキヌアにもまだ未練はあるが、ロハの民に近づいてきている自分は、きっと徐々にその記憶が薄れていき、あと数年すればすっかり忘れられるのだろう。


「ああ、もう決めたんだ。皆とともに行くよ」


 クスコから持ってきた唯一の物、薄汚れた石斧を眺めながら、クシも故郷に別れを告げようとしていた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ