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9、 シトゥア祭 (その1)


9、シトゥア祭


 

 アマルの館から数人の貴族が出てきたのは、もう夜半を過ぎたころだ。

 アマルが最近館を増築してから毎晩のように貴族たちが出入りしている。それは主にハナンの武将や神官たちだ。館の完成を祝う会としては少々殺風景な集まりに見えた。

 アマルの増築と同じ時期に宮殿から独立し、アマルの館の傍に居を構えたリョケは、その中に自分が呼ばれないのを不服に感じていた。そこでその晩、アマルの屋敷の外でその様子を窺っていたのだ。

 貴族たちが出て行ったあと、リョケはアマルの館の門をくぐった。侍従に連れられて部屋に入ると、石の寝台に座ったアマルは疲れた表情で壁にもたれていた。


「兄上、夜遅くに申し訳ありません」


「リョケか……」


 アマルは侍従に席を外すようにと手を払って合図した。侍従の姿が消えると、リョケは率直に聞いてみた。


「今夜は何の集まりですか? 毎晩のようにこの館では宴会が開かれているようですが、何故私には声が掛からないのかと不満に思っているんですよ」


 リョケが鼻を鳴らして笑った。


「そうひがむな。別に楽しい宴会ではないのだ」


 アマルはこめかみを押さえて立ち上がると、水差しの水を銀のカップに注いで一気に飲み干した。


「ウルコの悪政とウリンの台頭にハナンの貴族たちの不満が募ってきているのだ。毎晩要職にあるハナンの者たちが私を説得に来る。今こそクスコの皇位を奪えと……」


 リョケは衝撃を覚えた。


「ウルコについては、確かに目に余る行為を放っておくのは良くないと思いますが、父上がまだ健在であるのに無理やり政権を奪えというのは、あまりにも乱暴です」


「そうだ。私にそれを扇動しろというのだ」


「そのような誘惑に乗ってはいけません」


「勿論だ。例え反乱を起こしたとしても、それはハナンの者を追い詰める結果にしかならない。失敗すれば多くの良識あるハナンの貴族が捕らえられる。それこそウリンに独裁権を与えるようなものなのだ」


「しかし……。今のままではハナンの貴族の不満もいつ爆発するか分からない……」


「ああ、私が曖昧な返事を繰り返していれば、私を立てずともハナンの貴族は決起するだろう。それこそ一番恐れていることなのだ」


「なんということだ……。どうすればいいのだ」


 話を聞いて、リョケも頭を抱えた。


「ひとつだけ、方法がある。

 クシだ。クシを先頭に立てて改革を起こすのだ。クシはハナン、ウリンに関わらず多くの貴族から慕われている。貴族だけでなく民衆にも人気があるのだ。クシが呼びかければ多くの者が付いてくるだろう。ウリンの中にはウルコとその取り巻きの執政に異議を唱える良識あるものもいる。そういったウリンの貴族の指示を取り付けることも不可能ではない。多くの民意を得れば平和裏に政権を取り戻すことができるかもしれないのだ」


「しかし、クシが帰れるのは、あと何年先になるか……」


「そうだ。リュウゼツランの花が咲くのを待っていることなどできない。クシを呼び戻す方法がないだろうか」


 アマルは頭をかきむしって部屋の中を歩き回った。


「もうすぐ西の辺境に行っているワイナが任期を終えて帰ってきます。クシの様子を聞いてみましょう。できればワイナを介して西の地にいるクシと連絡が取れれば良いのですが……」


 そうアマルを慰めながら、リョケはほかに良い方法がないものかと考えを巡らせていた。



 それから幾日も経たないうちにワイナが任期を終えてクスコに戻ってきた。

 一日疲れを癒すと、ワイナは早速キヌアの教室に顔を出した。

 リョケがクシの様子を聞こうとワイナのところに行くと、もう既にキヌアが話し掛けていた。

 リョケがワイナに呼びかけると、二人が沈んだ面持ちでリョケを振り返った。


「せっかく無事に帰還したというのに、随分と暗い顔をしているな」


 リョケがワイナの背中を叩いた。


「リョケさま。クシさまの行方が分からなくなりました……」


「どういうことだ?」


「西の辺境に赴いてから、私はその辺りの村を探したのですが、どこにもクシさまはいなかったのです。道を外れてもう少し北の方角に行ったのかもしれないと、一度休暇をもらってだいぶ外れの地まで行ったことがあるのですが、どこまでも荒地が続いているばかりで、やっと建物を見つけたと思ったら廃村でした。あの地に迷い込んだとしたら、もう生きてはいないかもしれない……」


 キヌアが両腕を抱え込んで震えていた。


「まだ分からないではないか。滅多なことを言うのではない!」


「しかしリョケさま。クシさまは何もかも取り上げられてあの地に放り出されたのです。食料も水もないあの地で生きていくのは不可能です」


「捜索隊を出してもっと広範囲を探せば見つかるかもしれない。しかし刑期が明けなければそれも出来ない」


「リュウゼツランを早く開花させる方法など……。ないでしょうね……」


 ワイナが呟くと、キヌアがそれを繰り返した。


「リュウゼツランを早く開花させる方法……」


 突然、キヌアがリョケとワイナの腕を掴んだ。


「あるわ!」


 驚いて二人はキヌアの顔を見た。


「それは一体……」


「ちょっと待って」


 キヌアは走って中庭の中央に行くと、整列して稽古をしている少年たちを集めて何やら指導した。すると少年たちは中庭全体に大きく広がって、各々合わせ稽古を始めた。すぐに中庭が少年たちの元気な掛け声に包まれた。

 キヌアは急いで二人のところに戻ってくると、話の続きを始めた。


「宮殿の裏手の小高い丘にリュウゼツランが群生しているところがあるわ。私はそこで花を咲かせているリュウゼツランを見たの。その辺りの株の生長はおそらく同じくらいだわ。まだ花芽を付けたばかりの株を掘ってきて、中庭のものと植え替えるのよ。花茎の伸びていない株は若い株と見た目にそれほど違いはないもの」


 三人は中庭の向こう側に見える木の囲いに目をやった。人の高さ以上ある木の杭が狭い間隔で打ち込まれ、その中に植えられているリュウゼツランの姿をすっかり隠している。


「キヌア、それは無理だ。植え替えるためには、周りに設けられたあの頑丈な木の杭を抜かなくてはいけない。あれを抜いて植え替えをするにはだいぶ時間と労力が必要だ。中庭には常に人の目がある。夜になれば音も響き、なお目立つだろう。誰にも知られず植え替えることなど出来ないよ」


 期待して聞いていたリョケが、がっかりして溜め息をついた。


「いや、出来るかもしれない」


 ワイナが腕を組んで考えながら言った。


「どうやって?」


 多少苛立った様子でリョケが聞いた。ワイナがリョケの目を見つめて言う。


「シトゥアの祭りの期間なら、中庭に人気が無くなります」


「なるほど、シトゥアか! もうすぐではないか!」


 シトゥアの祭り……それは、乾季から雨季に移る春分の時期に行われる厄払いの祭りだった。

 祭りは四日間続き、その間、クスコに住んでいる異民族たちは郊外に移動しなくてはならないのだ。

 純粋なケチュア人だけになった街では、人々は断食をして家の中に篭って過ごす。宮殿の貴族たちは、たいてい宮殿の大広間か神殿に篭るのだ。

 夜、人気の無くなった街の中を、悪霊払いの者たちが松明と香を手に、奇声を発しながら駆け回る。そうやって街の中を清めていくのだ。

 宮殿に仕える兵は異民族出身の者も多いため、祭りの間は兵の数が減るばかりか、残った兵たちも各々の家に戻って過ごさなくてはいけない。大広間以外の宮殿にはほとんど人気が無くなるのだった。


「しかし、皆が大広間に集まるのだから、抜け出せばすぐに分かってしまうだろう。シトゥアの最後に行われる祈祷の間なら抜け出しても分からないだろうが、われわれも断食で体が弱っている。裏山でリュウゼツランを掘って運び、重い杭を抜いて植え替えをし、また元に戻す事まで果たして出来るだろうか……」


「私がやるわ」


 すかさず声を上げたのはキヌアだった。


「郊外に移動したあと、宮殿に忍び込んで植え替えをすればいいのでしょう? 祭りの前に私の部屋の裏手に抜け穴を作っておくわ。ううん。実はもうそこには抜け穴があるの。いつも気晴らしにそこを抜けて草原に行っていたのよ。そこでリュウゼツランを見つけたんですもの」


「キヌア、危険だぞ。万一見つかったら死罪は確実だ」


「大丈夫よ。私を誰だと思っているの。簡単に見つかるようなへまをすると思って?」


 キヌアが自信たっぷりに胸を叩いた。


「それに、ひとりではなくティッカにも手伝ってもらうわ」


 リョケとワイナはしばらく顔を見合わせていたが、やがてゆっくりと頷き合った。


「分かった。シトゥアまでにわれわれが良さそうな株を裏山から掘り起こし、その抜け穴の外に置いておこう。そしてシトゥアの前日に目立たない裏側の杭を何本か抜いて鍬を隠しておく。キヌアはシトゥア祭の夜に中庭の株と植え替えてほしい。後は最終日の祈祷の時間にわれわれが杭を元に戻しておくからな」


「わかったわ」


「リュウゼツランの株は巨大で根が深く、おまけに葉は鋭く尖っています。女性ふたりで大丈夫ですか」


 ワイナが心配して訊くと、キヌアは腕に力こぶを作って笑った。


「ふたりとも力には自信があるのよ。後は鋭い棘に射抜かれないように、慎重に作業しなくてはね」


「キヌアたちだけではない。そう言うわれわれも十分に気をつけなくてはな」


 三人は軽く肩を叩き合ってその場を離れた。

 キヌアが戻って声を掛けると、今まで中庭中に響いていた少年たちの賑やかな掛け声が一斉に止んだ。







シトゥアの祭りについて

春分に行われる日本で言えば節分のような意味合いの厄払いの行事です。

ここでの描写はかなり脚色や想像を加えていますが

厄払いをする人物が夜中に街中を奇声を発しながら香を持って歩き回る。異民族は街の外に出されるというのは記録にある通りです。




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