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7、 混沌とする大地

※この回は残虐なシーンが含まれています。苦手な方は閲覧をご遠慮ください。

7、混沌とする大地



 闇夜の中で窪地に身を潜めながら、アンコワリョは手にした斧の柄をぐっと握り締めた。

 いよいよ初陣だ。幼い頃から父親に鍛えられてきた腕前を発揮するときが来た。根拠のない自信と同時にとてつもない不安を抱くのは、経験したことのない世界に飛び込もうとする者にはありがちなことだ。

 アンコワリョの胸の内にも、どうにもならない感情の嵐が荒れ狂っていた。とくにまだ十を少し過ぎたばかりの彼には、その感情をうまく調節することは非常に難しかった。

 斧の柄が汗でぐっしょりと濡れている。大きな不安から目を背けるには、その斧が滑らない方法だけを考えているのが一番良いと気付き、さらに手に力を込めた。


「大丈夫か? 坊主」


 小さな灯りを灯した固形燃料を持って覗き込んできたのは、アンコワリョのいる部隊を率いる隊長だった。がっしりとした体格と、顔中に入れられた青黒い刺青から覗く猛獣のような鋭い目つき、こめかみや頬に刻まれた深い傷跡などは、この部族の人間には珍しくない風貌だが、アンコワリョの目にはどうしても敬愛する父親の姿と重なって映るのだった。


「そんな立派な武器を手にしていながらそんなに震えていちゃあ、ざまあねえな。斧を使うんじゃなくて、斧に使われちまうぞ」


 隊長がせせら嗤うのを聞いて、アンコワリョは意地になった。


「これは親父さまからもらった大事な斧だ。親父さまは今までたくさんの敵を倒して、今は大陣営を仕切る首領、アストゥワラカさまのいちばんお側を護っているのだ。おいらはその親父さまから戦い方を仕込まれてきた。戦は初めてだが絶対に手柄を立ててやる!」


 隊長は、身の程をわきまえるという言葉をまだ知らないらしいこの少年を一瞬呆れた顔で見たが、それがかえって微笑ましく思え、その顔に似合わない優しい笑みを作った。


「それは頼もしいな。是非その腕前を発揮してもらおうじゃないか。

 しかしただ敵をなぎ倒すだけでは能がないぞ。首領のトゥマイワラカさまは敵を生かして捕らえた者に褒美をくださるのだ。生かして捕らえるのがいちばん難しいことだからな」


 それを聞いてアンコワリョの目が耀いた。


「さすがはわれらが首領さまだ。敵にも慈悲を施されようというのか。それこそ親父さまが言っていた真の勇者だ。おいらも、敵が自ら従うほどの強さを見せ付けてやるんだ」


 隊長が一瞬フンと鼻を鳴らしたことに、アンコワリョは気付かなかった。緊張が激しくどうにも役に立たなさそうな一番若い部下が、やる気を見せたことに胸を撫で下ろした隊長は、アンコワリョの気持ちをくじかないように相槌を打った。


「そうとも。お前ならきっとできるさ!」


 隊長は大きな掌で無邪気な少年の背中を力いっぱいはたくと、また元の位置に戻っていった。

 アンコワリョは、今まで斧の柄を濡らしていた汗が、いつのまにか掌から引いていることに気付くと、「ようし」と呟いて窪地の上に少し顔を出し、敵の集落の様子を窺った。



 目標の敵陣はほとんど闇に沈んでいる。集落の正面で数人の見張り役が焚いている焚き火だけがちらちらと見えていた。

 夜の戦いなど、幾多の戦を経験してきた父親からも聞いたことはない。どこにでも身を潜めることができる夜闇は、攻め込まれる側に有利ではないだろうか。雄叫びを上げて集団で攻め込めば、潜んでいる敵にはこちらの動きが手に取るように分かる。四方から取り囲まれたら一網打尽だ。


 今更ながら解せないものを感じ、隊長に確かめようと思ったとき、隊長が立ち上がって鋭い声を上げた。

 その声で隊の兵士全員が立ち上がって(とき)の声を上げた。彼ら独特の、背筋におぞましい物が這い上がってくるような不快な響き。それだけで敵は戦意をくじかれると言われている。

 奇声を上げながら一斉に敵陣へと斬り込んでいく兵士たちに遅れを取ったアンコワリョは、滅茶苦茶に叫びながらその後を追いかけた。


 先ほどの見張りたちはやっと敵に気付いたというように右往左往し、あっさりと先陣の手に掛かって倒れてしまった。

 戦いの前には代表が敵側に出向いて宣戦布告をすることは常識だ。事前に行われたであろう交渉で、いつ襲撃を受けるかもしれないと知っているはずなのに、見張りは備えもしていなかったようだ。彼らはほとんど戦を経験したことのない部族なのだろうか。それとも秘策があるのだろうか。いまのところその戦略が読めない。


 見張りを倒した味方たちは敵を炙り出そうと、手にした燃料を放って集落の建物に火を掛けた。

 いくら見張りがあっさりと倒れたといっても、彼らを囮にして万全の準備を整えている可能性もある。アンコワリョは燃え上がる集落に、ただ一直線に攻め込んでいく味方たちの後ろで周囲の様子を慎重に窺っていた。

 相変わらず、建物から飛び出してくる敵はどれも闇雲に襲いかかってくるばかりで、何か策があるようには思えない。味方たちは面白いように敵をなぎ倒していく。

 いとも簡単に集落の中央まで入り込んだ味方は、次々に建物に火を掛け敵をおびき出す。

 火の点いた建物から戦闘態勢の整っていなかった敵がふらふらと這い出てきて味方の手に掛かって倒れこむ。

 夜の奇襲は敵の意表を突くためだったのだろうか。しかしここまで警戒が薄いとは、まさか事前の交渉のないまったくの奇襲なのか。

 燃え盛る炎の中で敵の姿も味方の姿もみな黒い影となって判別が付かず下手に手出しができない。

 味方たちの発する甲高い雄叫びが敵側の威嚇の声や悲鳴をかき消して、戦況がどのようになっているのか、敵がどのような戦いをしているのかが、後方にいるアンコワリョにはまったく分からなかった。


 ふと後ろに気配を感じたアンコワリョは、振り向きざまに斧を振るった。アンコワリョの斧をかろうじてかわし、ひとりの少年が両手に槍を握り締めて前屈みで立っている。

 炎に照らし出された顔は、自分とそれほど変わらない年齢に見えた。


「ちょうどいい相手だ!」


 アンコワリョは斧を構えなおして少年に向かっていった。少年の方もなかなかの腕前らしい。器用にその斧をかわしてしゃがみこむと、槍を地面すれすれに落として勢いよく回しアンコワリョの脚を掬おうとした。

 槍の穂先が足先を掠める寸前で飛び上がったアンコワリョは、同時に斧を振り上げて屈んだ少年の背中を狙う。

 少年が素早く脇に転がってかわしたため、斧はめいっぱい地面に喰い込んだ。斧を抜くのに手間取っていると、すぐに身を起こした少年が槍の穂先を突き出した。鋭利に削られた石の切っ先がアンコワリョの頬を掠めた。

 間髪を入れずに槍を突き出す少年から、斧を取り損なったアンコワリョはひたすら逃げるしかなかった。

 相手が大柄の戦士なら、きっと武器を失くした時点で気圧されて観念していただろうが、相手が同じくらいの少年であることで、まだどこかで反撃ができるかもしれないという期待があった。

 ぐるぐると逃げ回り、再び地面に刺さった斧に近づくことができたアンコワリョは、槍をかわして仰向けに転んだ瞬間に、斧の柄の根元に足先を掛けてそれを蹴り上げた。

 見事に抜けて宙に舞った斧を受け止め、今度は少年に勢い良く斬りかかる。少年は槍の柄でそれを受け止めるが、何度も斧を受け止めているうちに、とうとう槍の柄が折れ、護るものを失ってしまった。

 アンコワリョは観念して跪いた少年にそれ以上斧を向けることはしなかった。

 少年は、アンコワリョがとどめを刺さず斧を下ろしたことに驚いた顔をした。少年の両腕を掴み、それを背中に回してしっかりと押さえ付ける。少年は抵抗しなかった。

 アンコワリョは、少年を引き連れて火の掛からない場所まで退避し、混戦が治まるのを待った。



 夜が明ける頃には、集落は壊滅状態となった。炎はほぼすべての建物を焼き尽くし、もうどこにも敵が潜む場所は残っていなかった。倒された敵の骸もほとんどが焼け焦げ、原型を留めていない。

 焼け残った泥レンガの残骸に兵士の一人が勝利の証である刻印を刻んでいた。

 結局、敵を生きたまま捕らえたのはアンコワリョだけだった。

 手を縛られて隊長の後を付いていく捕虜を眺めて、アンコワリョは誇らしい気分だった。



 隊は広大な平原の真ん中にたくさんの(のぼり)をはためかせている陣に戻った。 アンコワリョのいる部隊の何倍もの数の人間が(せわ)しなく立ち回っている。


 兵士たちは陣に着くやいなや食事の支度をする女たちの中に紛れ込み、焼きあがったばかりの肉を漁り始めた。女たちが叱咤する声と、兵士たちの労を(ねぎら)う仲間の声、兵士が自分の武勇伝を大声で語って聞かせる声が交じり合う。

 賑やかな野営地を抜けて、アンコワリョは隊長と捕虜を連れた兵士の後を付いていった。


 陣の中央には立派な(しつら)えの天幕が張られていた。四方に立てられた柱に梁が渡され、部族の紋章を織り込んだ幅の広い布が何枚も、少しずつ重なるように掛けられている。

 隊長は中央の布を押し上げてその天幕の中に入っていった。

 アンコワリョはひどく緊張した。その天幕の中には、無数の小部隊を取り纏める首領トゥマイワラカが居るのだ。

 垂れ幕の向こうに消えた隊長が再び顔を出し、なかなか入ってこないアンコワリョを急かした。


「何をやっておる! 早く来い!」


 アンコワリョがおずおずと垂れ幕を持ち上げて中へ入ると、そこは外で見るよりもずっと広い空間になっていた。布を透かして入ってくる陽の光と、上座に煌々と焚かれた松明の灯りに、天幕の鮮やかな模様が浮かび上がり、埃っぽい野営地とはまるで別世界のようだ。

 中央の木の椅子に、隊長の貫禄とは比べ物にもならないほどの威厳を感じさせる人物が座っていた。周囲にも屈強な戦士が大勢居並んでいるが、その人物は全く別格だった。

 今までアンコワリョが誰も適うことがないと思っていた自分の父親でさえ、足許にも及ばないと思った。

 直視してはいけないと慌てて跪き、視線を地面に向ける。その視線の先に、突然大きな塊が滑り込んできた。

 大振りの鹿の腿肉だ。

 驚いて顔を上げると、隊長がアンコワリョを振り返って言った。


「首領さまからの褒美だ。大変な手柄だとおっしゃっている」


 アンコワリョは慌ててその腿肉を抱え込むと、何度も頭を下げた。その姿が滑稽だったのか、天幕に集う屈強な戦士たちから低い笑い声が上がった。

 アンコワリョが肉を抱えて正面を向いたまま、後ろ歩きで下がっていくと、今度は捕虜の少年が首領の前に押し出された。両腕を兵士に掴まれている少年は、背後からも兵士に抱え込まれ、身動きが出来ない状態になった。


 まだ自分と同じくらいの年の捕虜に対しては、おそらく寛大な沙汰があるのだろうと気安く考えていたアンコワリョの目に、信じ難い光景が飛び込んでくる。

 玉座の脇の松明の中にくべられていた棒を兵士の一人が取り出し、少年に向けた。棒の先には真っ赤に燃えた石が付いている。石には部族の紋章が彫られていた。

 それを見た少年は突然大声を上げて暴れだした。三人の兵士が少年の体を羽交い絞めにして、片袖を捲り上げて二の腕を晒した。

 まだ細いその腕に熱した石が押し付けられると同時に、天幕を切り裂くような悲鳴が響き渡った。

 アンコワリョは肉を放り出し両耳を塞いだが、その光景を見つめる眼を逸らすことはできなかった。


 自分の立てた手柄とは、神に捧げる貴重な生贄を捕らえてきたことだったのだと、そのときになってやっと知ったのだ。








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