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6、 悲しみを越えて (その2)


 

 クシに協力を申し出たロハたちは、村に帰ると早速倉庫を建てるために使う日干しレンガ作りに入った。留守を守っていた者も加わるとそれは盛大な作業となった。交替で放牧をしながら、作業は順調に進んだ。


 大勢で協力して同じ仕事を行うのは楽しいものだ。本来陽気なロハたちは、黙々と単純作業をこなすのを味気ないと感じたのだろう。どこからともなく歌声が起こり、そのうち皆が大合唱をしながら作業をするようになった。

 その賑やかで楽しそうな様子を目にして、またさらに協力を申し出る家族が増えていった。


 ティトーは相変わらず家に篭っていた。しかし彼の妻はティトーが反対してもレンガ作りを手伝いたいと言って進んで働いてくれたのだ。


 十分な量の日干しレンガが用意できると、次はいよいよ倉庫を建てていく。流れ作業や分業をうまく活用して建築作業も順調に進んだ。

 ある程度の外郭が出来てくると、皆がその使い勝手を真剣に考えるようになった。


「壁には、カビよけに空気穴を多くして風通しを良くしなくては……」


「虫や野ねずみに喰われないように、作物を地面から離して置くためにはどうしたらいいだろう」


 クシが何も言わなくても、ロハの民からは様々なアイデアが自然と湧いてくる。ロハの生活に根ざした知恵を絞るのはやはりロハの民でなくてはならない。そう考えたクシは、出されたアイデアをどんどん計画に取り入れていった。

 するとクシが当初想像したものよりもずっと立派で使い勝手の良さそうな建物に仕上がっていくではないか。クシが投げかけた案がロハたちの心に届き、大きく膨らんで実現していく様を見ながら、クシは驚きと喜びをおぼえていた。


 倉庫が出来上がるころには、ほぼすべてのロハがクシの呼びかけに応じて協力していた。

 倉庫が落成し、そこへ収めるためにロハは自分たちの蓄えを差し出した。ロハが持つすべての蓄えを集めるとそれは大変な量となり、乾季が終わるまでに皆の腹を満たし、さらに次の季節に種として使う分には十分に足りそうだ。保存が良ければ次の年に取っておくこともできるだろう。

 早速、それらの蓄えからロハひとりひとりに平等に分ける作業が行われた。与えるのは長老とカチカリャだが、分ける量を計算するのはクシの役目だった。クシはすべての蓄えから、植え付けに使う量を差し引いて、ロハの人数分にそれらを割り当てた。不平等のないように、作物の品種や大きさを丁寧に選別して分けていく。クシの正確な計算と細かい配慮にロハの民は不満を漏らすどころか、誰もが感心し、分け前を受け取るときには心から感謝の意を示した。 

 働き手が少なく、子どもや老人を抱える家族にとっては今までの苦労が嘘のように有難いことだった。今まで他よりも多くの蓄えを持っていた家族は、少ない蓄えでやっと生活していた家族から感謝の言葉を掛けられて良いことをしたと満足した。


「この倉庫はロハの民の生きる力になる。クシのお蔭でロハは生き返った。ありがとう」


 カチカリャがクシの手を握った。


「いや、今でも後悔している。もっと早くに私が呼びかけていれば、ティトーの子は死なずに済んだ」


「それはロハの皆が悔やんでいることだ。ロハを変えていくことはティトーの子が命をかけて教えてくれたことなんだよ。クシが悔やむことではない。

 クシ、どうだろう。お前さんはまだ若いが、ロハの長になってくれないか? クシのことは皆が尊敬している。若いからといって反対する者はいないだろう。お前さんこそロハを率いていくのに適している人物だ」


 カチカリャがクシの手を両手でさらに強く握って何度も頷いた。


「わしからも頼むよ。クシ」


 長老もクシの肩を叩いた。


「わしも賛成だ」


「私も……」


 それを聞いていたロハの民がクシの周りにわらわらと集まってきた。


「わしからも頼む……」


 低く、静かに響いたひとりの声に、皆の騒ぎが静まった。クシの周りの人間が一斉に振り返る。そこにはティトーが立っていた。


「ティトー……」


 ティトーはそれ以上何も言わずにクシの目を見つめて深く頷いた。

 クシはしばらく考えてから口を開いた。


「私には故郷がある。一度追われた故郷だが、帰ることを赦されたらいずれは帰りたいと思っているのだ。

 だから故郷から迎えが来るまでの間で良ければ、ロハの長としてあなたたちの役に立つよう努力しよう。もちろん、カチカリャと長老に支えてもらいながらではあるが」


 ロハの民から歓声が上がった。皆、クシを取り囲んで飛び跳ねる。


「しかし! 今までどおりに【くしゃみ】と呼んでくれ。かしこまって呼ばれると調子が狂う!」


 一斉に笑い声が上がった。


「なんだか、【くしゃみ】がどんどん遠くなっていくようだな……」


 民衆の盛り上がりとは裏腹に、オルマは淋しそうに呟くとひっそりと家に戻って行った。




 ロハたちはクシの指導の下で、つぎつぎと新しい習慣を作っていった。

 雨季には谷に下りて新たな生活が始まったが、クシは谷の生活を変える方法も考えていた。ロハの持つ谷の畑を労働できる人数で割り、均等に割り当てたのだ。

 しかし割り当てられた土地だけに拘らず助け合うことが条件だ。

 育ちの悪い畑があればほかの者も手伝って肥料を与え、害虫が出ればまた協力し合って駆除をする。土地はロハたちすべての持ち物であるから、労働力の足りないところは補うのが当然と考えたのだ。

 そして得た収穫は新たに谷に設置した倉庫に保管して平原と同じように割り振られた。

 乾季に谷を移動するときには、以前と同じようにそれぞれが作物を持って平原に移動し、平原の倉庫に納める。


 前の年の豊作とまではいかなかったが、皆に割り当てられた食料は十分な量だった。

 クシのアイデアはロハの中に浸透していき、それに従うことでロハの絆も深まっていった。

 ロハたちは何かに付けクシに頼り、意見を伺うようになった。




 季節はひと巡りし、クシがロハにやってきて三度目の乾季が訪れた。平原に乾いた風が吹き、厳しい寒さが訪れた頃、村にひとりの見知らぬ男が迷い込んできた。

 彼は一軒のロハの家にふらっと入ってくると、そのまま倒れこんで意識を失った。驚いた住人が急いでクシを呼びにきた。


「ちょっと来てくれ【くしゃみ】。突然見知らぬ男が家に入ってきたんだ。ここらへんの部族ではないようなんだが、ひどく弱って死にかけているんだ」


「オルマ、長老とカチカリャを呼んできてくれ」


 オルマにそう伝えると、クシは急いでその家に行った。ポコとチャキもクシに付いて行った。


 敷き藁の上に横たわった男は、ロハでもなくクスコ周辺の部族でもなく、クシもロハたちも見かけたことのない身なりをしていた。体中におびただしい数の痣や擦り傷がある。どこか遠いところから必死で逃げてきたのだろうか。体がすっかり弱っていて、もう虫の息だった。

 後から長老とカチカリャが駆け込んできた。


「見慣れない格好だ。この辺りの者ではない」


 物知りの長老でさえ首を傾げた。

 瀕死の男はいったん意識を取り戻し、弱々しい声で何かを訴えた。その意味は理解できないが、その中に繰り返し出てくる言葉があることにクシは気付いた。


―― チャンカ ――


「この男はその国からやってきたのかもしれない……」


 クシが呟いたとき、男が低い唸り声をひとつ上げ、その後はまったく動かなくなってしまった。胸に耳を当てると、もう男の鼓動は聞こえなかった。


「これは……」


 クシは男の腕から覗く小さな痣を見つけて袖を捲り上げた。その痣は二の腕にくっきりと何かの図柄を浮かび上がらせていた。明らかに誰かが故意に付けたもの……焼いた石を押し当てて付けられた烙印だ。


「捕虜の印だ。この男はその国に捕虜として捕らえられていたのだ」


 捕虜といっても体中の傷や痣を見れば、人の扱いを受けていなかったことが分かる。おそらく虐げられることに耐えられなくなり、やっとのことで逃げ出してきたのだろう。

 乾季の夜の冷え込みは厳しく、これだけ弱った体で夜を越せばすぐに凍えてしまう。ここまで逃げ延びて来られたということは、一晩もかからない、それほど遠くない場所から逃げてきたに違いない。


「もしかしたら……」


 カチカリャが何かを思い出したようだ。


「随分前のことだが、わしがはぐれたリャマを追って平原の外れまで行ったとき、焼き尽くされた集落を見たのだ。その村の壁にこれと同じ文様が刻まれていたのを見た。もうだいぶ時間が経っていたようだから、昔火事で滅んだ村だと思っていたのだが……。

 その集落は火事で滅んだのではなく、この文様を持つ部族の侵略を受けたのかもしれない」


「それはどの辺りだったのか?」


「ここからずっと北西に行ったところだ」


「そういえば……」


 ポコも何かを思い出したようだ。


「以前、わしらと同じように放浪の生活をする部族と出会ったことがあるのだが、彼らが言っていた。北寄りの西の荒地には近づくな。ピューマよりも獰猛な人間たちが襲ってくるぞ……と」


 ロハのいる土地もケチュアの領域ではある。その先の西の地までも、かつてクスコ軍は遠征したことがあると聞いている。

 しかしそこから北の方角へ向かえば、そこはまるで未知の世界だ。ロハの存在さえもクスコではほとんど知られていなかったのだ。北西の未知の世界にはどんな脅威が潜んでいるのかなど全く知り得ない。

 そしてその不吉なものはいまや、この村の近くまで来ているのかもしれないのだ。


 事切れた男の無残な姿を見ながら、クシは背筋が凍てつくような恐怖を覚えた。







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